「光る君へ」第37回 「波紋」 まひろの栄華とその代償の大きさ
はじめに
現在はそうとは言い切れませんが、少なくとも一昔前のサラリーマンにとって大切なことは、出世だとされていました。特に「24時間働けますか」と今ならブラック企業全開のキャッチフレーズが栄養ドリンクに採用されていた昭和期であれば、なおさらだったでしょう。まず出世は、給料に直結します。自分の生活の豊かさの実現には不可欠です。また、やりがいのある仕事をするには、会社内で認められ、出世することが近道です。つまり、出世は、人生の成功に必要不可欠なものだったと言えます。
しかし、その成功で本当に人生よかったのか、というと難しいところでしょう。まず、出世には、人一倍の努力が必要です。朝から晩まで働き、休日も接待で仕事も同然…ここまでしてようやく機会が訪れる…それが古い出世のロールモデルでした。しかし、そこまでした代償も大きいでしょう。時間と肉体を酷使すれば、身体を壊します。また、ここまでプライベートの時間がなければ、家族と過ごす時間が減り、いつの間にか家庭では空気…いずれは家庭崩壊ということもあり得ますね。
また出世とは熾烈です。正々堂々と勝負している分にはともかく、仕事仲間を出し抜き、足を引っ張る、蹴落とすということが茶飯事です。出世した結果、周りには信頼できる人は誰もいないということも珍しくはありません。
このように出世は、ある種の成功をもたらすものの多くの代償を支払うものです。だとすれば、出世を突き詰めるのではなく、どこかで落としどころをつけ、ほどほどに人間関係を維持していくほうが幸せかもしれません。勿論、その落としどころは人さまざま、考え方の数だけあります。だから、幸せは千差万別なのでしょう。
今、まひろと道長は、さまざまなことが上手く回り始めているように見えます。道長は、彰子の皇子出産で、これまでの苦労が報われ、絶対権力の座へと進んでいます。しかし、彼はこれまで彼を彼足らしめていた人間性は、少しずつ欠けてきているようにも見えます。
一方のまひろも、「物語」が帝の心へ届き、読んだ人々の心を癒せるようになってきました。そして、それを縁に指南役となった彰子との関係は良好です。しかし、その成功は、さまざまな代償あってのことのようです。そこで、今回はまひろの成功を追いながら、同時にその裏でまひろの足をすくうさまざまな問題が起きていることについて考えてみましょう。
1. 「源氏物語」特製豪華本制作の裏側で
(1)倫子の不安、見守る衛門の焦燥
冒頭は初孫を抱く幸せそうな倫子の様子です。昨年、末娘の嬉子を産んだばかりですが、初孫を抱くというのは、また特別な思いと察せられます。そんな倫子を見て目を細める彰子も、母を喜ばせ、安心させたことへの満足が窺えますね。そして、彰子は、この幸せを形にして、帝へお渡ししたいと考えたのでしょうか。「母上、内裏に戻ります前に帝へのお土産を作りとうございます」と自ら提案します。
倫子は、「まあ」と目を丸くして、脇に控える赤染衛門と笑い合います。少女時代、土御門殿で過ごしていた頃は、彼女の側から何が好き、何がしたいということはほとんど聞いたことがなかったようです。それゆえに衛門と二人がかりの花嫁修業は、手探り状態、手応えのないまま、混迷を極めました。その娘が大輪を咲かせ、今や愛しい殿方のために贈り物をしたいのだと提案する…二人の感慨深さもひとしおでしょう。今となっては、あの花嫁修業の苦労も笑い話になっていると思われます(視聴者にはお笑いシーンでしたが)。
「何をお作りになりますの」とわくわくしながら問う倫子に、「藤式部の「物語」を美しい冊子にして帝に差し上げようと思っております」とにこやかに答えます。彰子にとって、あの「物語」は帝の心を過去から解き、そして自分自身を気持ちを外へと向けてくれたものです。そうして、二人は結ばれたのですから、一条帝と彰子の幸せには欠かせないアイテムと言えます。まして、帝はこの物語にご執心。きっと喜んでくれるのではないか…彰子の笑顔からは既に一条帝の喜ぶ様が浮かんでいるかのようです。
しかし、聞いた倫子は、わずかに硬い表情で頷きます。「藤式部」…この言葉が倫子の心を暗くします。前回の五十日の宴、まひろの見事な祝いの歌に華麗に返歌した道長の一首を聞いた直後の倫子の退席は、やはり二人の仲をそれとなく察したことによるものだったようです。勿論、彰子にも道長にも、そして衛門にもその真意を語ることはなかったでしょう。体調不良あたりの理由で誤魔化していると思われます。裏を返せば、倫子は何となく察したのみで確証には至っていないということになります。
二人の間に通いあうものがある気がする…とは思うものの、あの歌の応答は道長が仕掛けたもので、返歌に戸惑うまひろの様子からは彼女の真意は見えにくい。ただし、道長の側が、まひろに執心であることだけは明らか。そんなところまでではないでしょうか。しかし、道長をただただ愛してきた倫子にとってみれば、それだけでも十分傷つくでしょう。
倫子は、若い頃から、道長には倫子、明子以外に心に秘めた女性がいることを知っていますが、それをまひろとつなげたか否か…そこまではまだわかりません。しかし、自分の旧友に恋慕しているというのは、相手を認めているだけに複雑な心境でしょう。
倫子の不幸は、土御門殿の女主人、左大臣の嫡妻という立場から、取り乱すことも、詮索することもできないことでしょう。自分の恥を晒すことになる、求心力は低下する、夫との関係も拗れる、と何一つよいことはありません。ひたすら精神的な疲弊を耐えるしかないのです。妾妻である明子のことについても、どこかで多大な忍耐力を使い、それでも鷹揚に構えていたのでしょう。また根本的には争いを好まない彼女にとって、自分の内から湧いてくるまひろへの疑念、嫉妬、責める思い自体も辛いと思われます。
倫子は、一寸硬くなった表情を悟られないよう「それは…帝もお喜びになられましょう」と応じるのですが、その声音が弱々しくなることを止められません。誰にも打ち明けられず悶々とした懊悩を抱え続けている辛さは、相当なものと察せられます。倫子の鋼の自制心でも娘に気づかれないようにするのが精一杯です。
それを見つめる衛門は、倫子の思いを察していますから、ひたすら気の毒そうに彼女を見ると、目を伏せます。打ち明けてくれれば、いくらでも相手をするのですが、彼女が押し黙っている以上、衛門から話題にすることはできません。敬愛する主の心を救えず、見守るしかない赤染衛門もまた辛いでしょう。
そして、衛門の脳裏に浮かぶのは、五十日の宴後のまひろへの「左大臣さまとあなたはどういうお仲なの?」と確信した上での詰問でしょう。虚を突かれたまひろは、言葉も色も失いますから、衛門はそれだけで察したようです。勿論、付き合いの長さと深さまでは理解の範疇を超えていますが、少なくともまひろのなかの道長を慕う気持ちには感づいたというところでしょう。
衛門は、まひろの哀しい恋心を憂い、彼女から皆まで言わせず「そういうことはわからないでもないけれど、お方さまだけは傷つけないでくださいね」とだけ釘を刺します。聡明で機微もわかるまひろであれば、これだけで十分わかると信じての言葉でもあります。その眼差しには、倫子を守る厳しさだけでなく、適わぬ恋心を抱くまひろへの憐れみもあるようです。あの夜の記憶を思い返し、再び倫子を見る衛門。彼女主観のカメラの先には、赤子を幸せそうに抱く倫子の後ろ姿が見えますが、わずかに見える横顔は一瞬、真顔になっています。
さて、倫子や衛門の暗い気持ちとコントラストをなすように、「物語」の特製豪華本の作成は華やかです。色とりどりのさまざまな紙がたくさん、女房らの前に広げられます。まひろと道長の仲を疑う、意地悪な左衛門の内侍をして「さすが、左大臣さま、このような美しい紙をこんなにたくさん…」と目を輝かせます。美しいものの前では人は無力とは言ったものです。
彰子は、満足そうに、そのなかから若草色の紙を手にすると「藤式部、光る君が見つけた若草の巻は若草色でよいであろうか、藤壺の宮の藤色であろうか」と、作者のイメージや意見を聞きます。しかし、まひろは「中宮さまのお好みでどちらでも」と彼女に委ねます。
そもそも、この冊子は、彰子の真心を帝に届けるようなもの。また、彰子の抱いたイメージは、作品に対する彼女の読み取り、解釈が反映されたと言えるでしょう。ですから、彰子の心に従うことが、彼女が納得する冊子になる…そのようにまひろは考えたのでしょう。
まひろからの後押ししてもらった彰子は「ではこちらにいたそう」と若草色をにこやかに選択します。まひろの導きは、彰子に自信を与えるようです。お飾りだった彰子は既になく、臆することなく自分の気持ちを表せるようになったことが象徴的に描かれます。
穏やかに進む、冊子づくりの準備のなか、宮の宣旨が、高価で美しい紙にうっとりしながら「このような美しい紙に書かれた文をもらいたいものでございます」としみじみとした乙女心を覗かせます。その言葉に、左衛門の内侍と馬中将の君は顔を見合わせ、やや遠くにいた大納言の君と小少将の君の姉妹は、ぽかんと呆気に取られています。皆の呆然とした様子に、宮の宣旨は我に返ったようなふりをして「あら?今何か申しましたかしら(笑)」と笑い、場を和ませます。いつも皆を指導監督し、職務に忠実な宮の宣旨の意外な姿を見たということですが、彼女が心をときめかせたっていいじゃないかと思います。女性はいつ何時も乙女なのですから。
ところで皆が色とりどりの紙に心奪われるなか、まひろは文をしたためています。それは、「物語」本文の書写を内裏の能筆家へ依頼するためです(「紫式部日記」に記述あり)。大納言の君が、まひろの手元を覗き込んだときは丁度、行成への文を書いているところでした。「まあ、行成さま?」という大納言の君の嬉しげな言葉からは、相変わらず行成の書が人気であることが窺えますね。因みに、まひろから依頼の文を受け取った行成は、快くそれを受け、笑みを称えて取り掛かっています。彼は一条帝に対しても敬愛を抱いていますから、このたびの献上品には喜んで、そして心を込めて取り組むでしょうね。なんにせよ、実に手の込んだものです。
そこへ道長・倫子夫妻(と赤染衛門及び従者)がやってきます。遠巻きにそれを認めたまひろが緊張した面持ちになるのは、衛門からの苦言があるからでしょう。倫子は「性を出しておるな。殿からのご褒美である。皆で分けよ」と、紙や筆や墨や硯を女房らに与えます。先ほどの色とりどりの紙もこの褒美も、物の手配は確かに道長の手によるものなのでしょうが、お金は倫子のほうが娘のために張り切って出している気がしないでもありません。あくまで夫の顔を立てているというところなのではないか…と考えると倫子の前での不用意な振る舞いをする道長には、衛門でなくても腹が立ちますね(苦笑)
「父上、ありがとうございます」「いや、大したものでは…」という父子の会話に満足げな倫子でしたが、「紙は…藤式部に」という至極当然な彰子の分配を聞いた途端、胸がチクリとしたのか、わずかに表情が翳ります。やはりかなり心理的なダメージが大きいと見えます。神妙に返事を返すまひろに、道長は「筆や硯も入り用でようであろう」と声をかけます。特別、他意はないのでしょうが、まひろの役に立つことをしたという思いがかすかに滲んでいますね。しかし、倫子と衛門を気にするまひろは、神妙さを崩さず、努めて事務的に礼を述べるに留めます。
こうしたまひろの様子に、倫子のほうも無理に笑顔を作ると「帝がお喜びくださる冊子となるよう、皆、頼みますよ」と、土御門殿の女主人らしく励ましの言葉を与えます。ただ、倫子の心中を察する衛門はニコリともせず、厳しい表情のままです。
倫子の内心の不安、そして衛門の焦燥と入れ替わるように、また華やかで、楽し気な冊子制作の場面へと再び切り替わります。分担作業として描写されたことで、その工程がわかりやすくなっているのが興味深いですね。
まひろは、あがってきた書写を最終確認。小少将の君が、それらを束ね糸を通します。そして、彰子も皆に任せるではなく、一員として作業に携わります。彼女の役割は糸を結び、綴じる係です。その作業に充実の笑顔が零れるのがよいですね。それを受け取り、次の行程へ移すだけの馬中将の君の表情も穏やかな笑顔です。そして、左衛門の内侍は、型に合わせて綴じられた冊子を裁断し揃えます。そして美しい装丁を施すのは宮の宣旨の役割です。最後のタイトル貼りは、再びまひろが行い…冊子は完成します。
そして、33帖揃ったところで、全て完成。藤壺の皆は車座になって、完成品を囲み喜びます。こうして、倫子の懊悩と彰子の晴れやかな冊子づくりはコントラストを成すことで、まひろの仕事が美しく仕上がり、その裏でまひろは友情を一つ失わんとしていることが象徴的に描かれます。
(2)まひろの里下がりをめぐって
冊子づくりが完成したところを見計らって、まひろは彰子に一時的な里下がりを願い出ます。すると「冊子も出来、これから内裏に戻るというときに何故じゃ」と彰子は、不安そうな表情で問い質します。脇に控えている宰相の君も妙な顔をします。まひろは「久しぶりに老いた父と娘の顔を見て参りたいと存じまして」と、実家がどうなっているのか心配なのですと応じます。まひろが、自分の元を去ってしまうということではないと理解した彰子は、安堵の表情を浮かべ、「そなたには娘があったな」とかける言葉も緩みます。
「十になります」と娘の年齢を答えるまひろに対して、彰子は申し訳そうな表情になると「すまぬ、私は今、己のことだけを思い、そなたに一時でも我が傍を離れられては困ると思ったが、間違いであった」と詫びます。彼女は自分がまひろに頼り過ぎていること、それゆえに自分本位になっていたことを自覚し、素直に謝ります。
上に立つ者はプライドや権威を失うことを恐れ、謝れないことがありますが、彰子は正しく人の心を思い遣るがゆえに、必要に応じてきちんと謝罪もできるのです。その人間性の急速な成長を実感するまひろは、笑顔で頷きます。まひろは、どんどん変わり、人として華やいでいく彰子の姿が嬉しいのですね。
人の親となった彰子は、我が子をあやしながら「娘も寂しい思いをしておるに違いない」と会ったこともないまひろの娘の気持ちも慮ると「絹と米と菓子をお土産として持っていくがよいと笑顔で鷹揚に振る舞います。ただし、礼を述べるまひろに「ただ内裏に戻るときは一緒に参れ」と念を押します。本心はまひろと離れたくないことがありありと窺えます。彰子なりにまひろたちを気遣いたいと我慢しているのですね。そのいじらしさに、まひろもまた「それまでには必ず戻りますので」と快く応じます。
と、ここまでは美談だったのですが、彰子にとってまひろの不在は思った以上に心細かったようです。結局、わずかなときしか耐えられず、宮の宣旨にまひろを召し出す文を書かせてしまいます。彰子の心細さと、ほとんど里帰りができないまひろの気持ちとの間に挟まれることになった宮の宣旨の「中宮さま…」と訴えるような眼差しが気の毒ですね。
要するに、彰子は、まひろにとってのもう一人の娘なのです。甘えもあり、独り立ちするにはまだまだですが、心根が優しく、成長著しい彰子は、共に過ごしやすく、その成長を見届けたい気持ちにさせます。仕事以上の感情をまひろに思わせています。ただ、それは本当の娘、実家に置き去りにし、父為時に任せっぱなしにしている賢子の寂しさと捻じれた母への敬愛という代償を払っています。とても皮肉なことだと言えますが、賢子との関係性については後述しましょう。
さて、まひろの里下がりを快く思わない者がもう一人いました。それが道長です。まひろが里帰りした後の夜、道長はまひろを探し、土御門殿をうろうろしていました。もうまったく人目を気にする気配がありませんね。探している最中、赤染衛門を見つけた道長は「衛門、藤式部の姿が見えぬが、いかがした?」と声をかけます。聞かれた衛門、瞬間、真顔になっていて、気遣いのない道長へささやかな怒りすら感じられますね。ただし、相手は主家。すぐに愛想笑いを浮かべると「里に下がりました」と事実だけをあっさり告げます。
思わず「何故だ」と苦る道長を胡乱な目で衛門は見ます。道長は「中宮さまもご承知なのか」と続けますが、これは暗に自分に何も告げずにまひろが帰ったことを詰る気持ちが言わせたものです。彰子にかこつけて「けしからん」とでも言うつもりなのでしょう。
第32回noteでも触れましたが、そもそもまひろの藤壺への出仕には、帝を藤壺に参らせるという表の目的だけではなく、「惚れた女」を信頼できるビジネスパートナーの名目で自分の手元に置くという私的な目的もあったと思われます。そのまひろへの執着は、第33回、まひろが「物語」執筆のため里下がりを要請した際、頑なに「帰ることは許さん」と拒み、挙句には「藤壺で書け!」と激高してしまったことにも窺えます。彼は、まひろを再び失うことを恐れているのです。
その一方、堂々と公務を口実に彼女の局を訪れることができるようになったこと、たまにいい雰囲気になることから徐々に道長の行為は大胆になり、後宮内で二人の仲は噂になるほどになってしまいました。さらに彰子が皇子を産むという大願成就まで果たした今、我が世の春を味わう彼は、嫡妻倫子のいる土御門殿ですら、彼女に気遣うことなく、まひろとの関係を誇示しようとまでしています。完全にタガが外れていると言えそうです。しかも、その自覚もなさそうです。
道長のまひろを詰るような物言いに、衛門は相変わらずの愛想笑いを張り付けたまま「娘もおりますので、内裏に戻る前に里下がりをしたいと申したそうにございます」と淡々と告げ、彰子が許可済みだと伝えます。その言葉に「そうか」と呆然とする道長は、実に痛いですね(苦笑)
まひろを頼みとして、自分へつなぎとめようとする行為は、実は彰子も同様でしたが、娘の彰子がまひろの立場や家族を思い遣り、頑張って自分の心細さに耐えようとしているのに対して、まるで彼女を気遣うことなく自分の身勝手な思いだけを露わにする父道長…みっともなさが際立っていますね。
しょんぼりとその場を去る道長を、衛門は呆れた顔で見送ると再び厳しい顔に戻ります。この一連のくだりで、道長とまひろの仲がどのようなものであろうと、問題は道長の執着にあることが衛門に見えたのではないでしょうか。道長の意向を窺うことなく里下がりをする、努めて事務的に振る舞うなどまひろは極めて自制的です。しかし、一方の道長は、倫子の土御門殿でまひろを探し回る体たらくですから(苦笑)
ただ、去っていく道長は一度だけ立ち止まり、何事かを思ったようです。まひろを引き留めることを何か考えたのでしょうか。大概にしたほうが、彼女のためなのですけどね。純粋な愛情ではなく、エゴでしかなくなってきています。
2.居場所なき実家
(1)実家に感じた違和感
彰子から下賜された多くの衣と米と菓子を携え、まひろは久々に実家へ帰りました。家人はまず下賜された白米に「白い米だ!」「さわるんじゃないよ」「こんな白い米初めて見た」と大騒ぎ、いとも福丸もよねもニンマリとした笑顔でまひろを窺います。まひろも皆が喜ぶ様子を見て、顔を綻ばせますが、その笑顔には安堵や安心感よりも、彼らに施しをしてやれた満足感がわずかに混じっている気がしないでもありません。
それは、彼女は実質的に一家の稼ぎ頭ということでもあります。ですから、為時は「お前の働きのおかげで、何とか家の者らが食べてゆける、ありがたいことだ」としみじみ言うのですね。ただ「なんとか」でしかないところに、この家の生活が決して豊かなものではない。少なくとも宣孝の生前のようではないことも窺えます。
為時の言葉には、任官の機会が得られず、娘に頼らざるを得ない彼の諦めと忸怩たる思いもあると思われます。父にこう言われたまひろは「私こそ、賢子のことを父上にお任せしてしまって…申し訳なく存じます」と、為時のサポートがあればこそ、自分は好き勝手にやれているのだと謙虚に応じます。あくまで、実家があっての私だというわけです。
そこへ乙丸の「姫さまのお帰りでございます」の声がしたかと思うと、手折ったらしい水栓を手にした賢子が「お爺さま、只今、戻りました」と笑顔で帰ってきます。その様子からは、賢子が家人の者たちに大切されていたことが仄めかされています。また幼いとき為時を「爺」と呼び、まひろに窘められていた言葉も「お爺さま」と改まり、成長が見えます。しかし、見慣れない母の顔を見た瞬間、その笑顔は消えます。
まひろのほうも、娘の成長への驚きとそんなになるまで放っておいたのかという感慨があったのでしょう。バツが悪そうに「しばらく帰れずにごめんなさいね」という謝罪が第一声になってしまいます。久々に帰ってきた母の第一声に、賢子はどう答えていいのかわからない表情です。言いたいことは様々あったでしょう。しかし、母はいきなり謝罪から入り、賢子の言葉を封じてしまいます。
もっとも、まひろのおかげで今の生活があると為時に教えられていること、母に嫌われたくないけれど、言いたいことがあるという二律背反の思いへがある賢子は、母に久々に会い、自分の気持ちに戸惑っていると思われます。どのみち単刀直入に自分の想いを言葉にはできなかったでしょう。結果、実の母に人見知りを炸裂させるということになってしまいます。
為時が場をつなぐように「背丈もずいぶん伸びたであろう」と目を細めるようにまひろへ説明する間があったおかげで賢子はとりあえず「お帰りなされませ、母上。内裏でのお仕事ご苦労様にございます」と慇懃だけれど素っ気ない挨拶をすると、すぐに母の前を離れ「いと、水仙をあげる~♪」と行ってしまいます。
「照れておるのだ」と為時が庇うものの、まひろは「気難しいところが私によく似ております…」と暗澹たる思いで娘の後ろ姿を見ます。かつての自分と一番似てほしくないところを娘に見て、血のつながりを感じるという皮肉に、自身が放っておいたことの罪の意識を感じたのかもしれません。
そして、脇に控えていた乙丸に「賢子が世話になっているのね。ありがとう」としみじみと礼を言います。わがままで思いつきで動くまひろを追って走り回り、時に殴られたりと大変な思いをしていた乙丸…娘に引き継がれたその気難しさに今も振り回されていることが察しが尽きます。彼女の「ありがとう」には「昔も今も」とかつての自分込みでの感謝が窺えます。
その労いに本望と感極まって「お方さま~」と泣いてしまう乙丸は、変わらず律儀な忠義者ですね。まひろの「乙丸って泣いた顔と笑った顔が同じなの」との言葉にも、彼への感謝と愛着があります。娘、賢子の反応に戸惑ったまひろですが、自分をいつも守り、今は娘を守る乙丸の感激の表情を見て、まひろはようやく家に帰ってきたことを実感したと思われます。
しかし、久しぶりの実家、まひろは狭い我が家と自室を回りますが、その顔は戸惑いがあります。そして、我が家を見返し、心のなかで「なんだかこの家がみすぼらしく思えた…」という漠たる不安を感じます。ここは大切な我が家です。ここで30年以上生きてきた彼女にとって心の拠り所です。
ですから、かつて、出仕してわずか8日で耐えきれずに里帰りしてしまったとき、あくまで執筆目的の帰宅なのに、「帰ってきたら晴れ晴れしたわ」と照れ隠しの安堵の表情を見せ、「また戻るかも…まだわからないけど…」と曖昧な返事を惟規に返しています。第33回noteで触れたように、この里帰りは、藤壺という場所で「物語」執筆をしなければならない目的を見出せなかったからですが、「晴れ晴れした」のは、実家こそが私の居場所であると再認識したことも大きいでしょう。
ですが、今や実家は、ただの貧しい家屋と貧しい家人がいるだけに思われるのです。「なんだか」と感じていることから、これは彼女にとって意外なことだったのでしょう。
我が家は、単に30年ほどを生きた場所でありません。苦しみも哀しみも楽しみも喜びもここにありました。
惨殺された母ちやはを弔い、その死を封印したこと。父との諍い。散楽の台本を考えたこと。さわと仲良くすごしたこと。道長からの文に思い悩んだこと。その別れの哀しい思いを惟規とさわと飲んで過ごしたこと。志を抱き「新楽府」を学んだこと。父の任官を喜んだこと。ききょうと文学を語らったこと。思いとは裏腹で宣孝と結ばれたこと。不実の子、賢子を産んだこと。宣孝と賢子との水入らずの生活。道長の話を聞き、共に月を見上げたこと…そして、まひろの「物語」が生まれた瞬間。
彼女の半生のすべて、民を救いたい志、「物語」の基盤が、ここには畳みこまれているのです。その場所に違和感を覚えているのです…
久々に実家に戻り感じる疎外感、これは進学、就職、結婚、単身赴任などで長期間、実家を離れたことのある人であれば、経験のある人も多そうです。その理由の一つは、それだけ新しい場所での生活が馴染み自分の一部となってしまったことでしょう。その一方で、残された家人たちは、自分のいない生活をそれなりに営み、その生活が否応なく更新されてしまっています。
時が刻んだ後戻りのできない変化によるズレは大きいものがあります。成長した子どもが帰省したものの、「お客さん」のような立場になってしまい、早々に今の場所へ戻っていくというというのも、そうしたズレを象徴するようです。実家に自分の部屋がそのまま残されていても、居場所は既にないのですね。
まひろの場合、さらに複雑であるのは、自分の根源であった実家とその生活を「みすぼらしく思えた」と、貧しさを低く見る眼差しになっていることです。為時の散位によって、まひろの生活は困窮を極めた時期もあります。まひろも貴族の娘らしからぬ家刀自(家事や畑仕事)をするようになりました。
貴族たちから見れば、貧しく見苦しいとも言えることにも、まひろは前向きに懸命に務めました。倫子の土御門殿サロンでも、周りの姫らの蔑む目にも自分の生活を恥じることなく語り、倫子からは「まひろさんこそ堂々としていてお見事でした」(第12回)と感心されています。それは強がりではなく、実際、家刀自はまひろを溌溂とさせています。それを覗き見た道長は、その姿の美しさに目を奪われ、惚れ直しました(第11回)。
このように、まひろはこれまでの貧しい生活を卑下することはなく、その地道な生活にも誇りを抱いてきました。だからこそ、この生活が、志や理想とつながり、そして「物語」を生む一端になっているのでしょう。その実家とそれにまつわる生活が、浅ましいものに見えてしまう…彼女は、自分の執筆の基盤の一つを無意識のうちに否定的に見てしまっているのです。それは、まひろが後宮内での生活によくも悪くも慣れ親しみ、それが当たり前になってしまったことを意味しています。端的に言えば、価値観の変化です。
まひろは、ききょうのように華やかな生活への憧れがあったわけではありません。寧ろ、そのあまりの違いに戸惑い続けています。贅沢と華美は恐ろしいもので、そんな彼女すら取り込み、藤壺の論理を内面化させてしまうのですね。勿論、ここには「物語」を通して、彰子の真心を見出し、それを引き出していく…彰子への敬愛がまひろを積極的に藤壺の人間にしていった面もあるでしょう。
とはいえ、この価値観の変化は自覚的なものではなかったと思われます。だから、彼女は自分の感覚に戸惑い、虚ろな眼差しになるのです。その視線には、母の琵琶があります。まひろが琵琶を爪弾くのは、祝いや歓待など状況はさまざまですが、彼女自身が物思いに耽る意味合いがあります。したがって、その音色はまひろのそのときの心情が反映されているのですが、それだけではないでしょう。母の形見を爪弾く、それは彼女が自身の懊悩について、亡き母へ問いかける思いがあったのではないかと思われます。
ですから、彼女が琵琶へ視線を向けたショットが挿入されたのは、彼女の母ちやはへすがりたい思いを表しているように思われます。しかし、ちやはが懸命に守ろうとしたこの家をみすぼらしく見る今の自分に、母は答えてくれるのか…そんな逡巡があったのか、まひろはその琵琶を弾くことはしませんでした。
(2)実家で浮いた存在になってしまうまひろ
その夜、為時宅では、まひろが持参した土産を使って、家人水入らずのささやかな宴をします。駆けつけた維規が、膳に載せられた白米に「はぁ~」と見入っている場面が印象的ですね。蔵人になったとはいえ、身分の低い貧乏貴族にも真っ白な白米は縁遠いものであることが象徴されています。弟の反応に笑うまひろですが、白米自体に驚くこともないその様子は、藤壺に勤務する彼女には珍しくないということです。生活レベルの違いが端的に表されているのです。
皆が目を丸くし、ほくほくするなか、賢子だけは表情を硬くしたままです。このショットは、まひろをナメる形で横に座る賢子の横顔を抜いているのですが、笑っているまひろとの対比とズレであると同時に、彼女がそうした賢子の表情に無頓着であることも仄めかしているのです。つまり、まひろは皆に贅沢品を供与できたことへの満足のが先だっているのですね。
まひろは老いた父と娘の顔が見たくて、ここに来たはずです。為時とはそれなりに話していますが、賢子とはほとんど話せていません。となれば、ここは賢子の近況を聞いてやりたいところです。里帰りを許した彰子すら「娘も寂しい思いをしておるに違いない」と察していましたから、賢子の気持ちに気づかないとは考えにくいでしょう。賢子が頑なであれば、まひろの側から穴埋めをしようとすべきだったでしょう。
もっとも、娘だけにかえってその気難しさに話しかけづらくなっている可能性もあります。それならそれで、いとや乙丸に近況を聞くなど、自然と話題が賢子に転ずる方法はあったでしょう。少なくとも娘を見向きもしないのでは、避けているようにしか見えませんね(苦笑)
結局、まひろは賢子を横に放置したまま、皆には遠い存在である後宮の話をし始めます。とはいえ、主要メンバーのなかでは身分の低い出のまひろには、カルチャーショックのほうが大きかった藤壺。ですから、「藤壺の女房の皆はやんごとなき姫さま方なんだけど、揃ってあまりにも奥ゆかし過ぎるのよ~(笑)」と、本音の見えない彼女らとのやり取りの苦労を愚痴混じり、笑い混じりで話し出します。
藤壺へ出入りしている惟規は「皆、それなりにかわいいけどね」とフォローしますが、「すごいいびきをかいたり、寝言を言ったりするのよ~」と容赦がありません。普段の藤壺での生活の鬱憤が随分、溜まっていて、実家に戻ってきたことで気が緩んでいるのでしょうね。
為時に「お前とて寝言を言ってるやも知れんぞ」と冗談交じりに窘められて、ようやく「そうかも知れませぬ(笑)」とまひろも収め、一同は和やかな笑いに包まれます。ただ、脇でつまらなそうに、饗されたものをパクリと食べる賢子の様子は、既に酒を過ごしかけているまひろへの皆の本心を代弁しているのかもしれません。
やがて、夜も更けてきましたが、まひろの話は止まりません。徐々に呂律が回らなくなり、話の途中に変な笑いが混じり始めているので、酔っぱらっていると思われます。「ふぅ~」と息をつくと「親王さまの五十日の儀のときは、左大臣さまが無礼講だと仰せになったら真に無礼講になってしまって…殿方たちはもうすっかり酔っ払って、私に絡んできた方もいらっしゃったのよ」とケラケラと品なく笑い始めます
…ってか、公任に絡まれたことはお怒りモードでしたが、イケメンに絡まれたこと自体は内心嬉しかったんですね(笑)いやはや、乙女心は相変わらず難しいですね…まひろの場合はコンプレックスで拗らせているので余計に面倒くさいことになっています。
下品な話題になったところで、この宴席のロングショットが挿入され、最早、皆が後宮の話題に飽きていることが窺えます。その上、下品な話になってきましたから、どう反応したらよいのか困惑気味に呆れています。10歳の賢子に至っては、つまらなそうに部屋の隅で膝を抱えています。おそらくまひろは一度も賢子を見ていません。
酒が回り上機嫌のまひろの痛々しい暴走は止まりません。「あの生真面目な大納言実資さままで女房の袖にのなか手を入れたりなさって…たまげました」と、ジェスチャー混じりに楽しげに話すまでになると、そのまひろをナメて映された賢子の表情は不機嫌なものへと少し変化しています。10歳の彼女に内容はわからなくとも、周りがドン引きしていることから母が品のない話をしていることはわかるのでしょうね(苦笑)
年配のいとだけがようやく「それは左大臣さまもそうなのでございますか?」とおそるおそる聞き返します。やんごとなきはずの上流貴族らの痴態を聞かされ、まさか、まひろの好いた道長までそうなのであろうかと何とも言えない気持ちになったのかもしれません。いとは、疫病に罹ったまひろを一晩懸命に看病した道長(第16回)の姿を知っていますからね。ただ、この問いを聞いた惟規は、おいおいそれを聞いちゃうかよという顔になるのは、まひろと道長の現在の仲を疑っているからでしょうね(第35回で「昔のことなのかなぁ~!」と疑っています)。
しかし、酔っぱらっているまひろは、そんな二人の何とも言えない気持ちに気づくこともなく、自らの盃に酒を注ぎながら「左大臣さまはそれほどでもなかったけれど…」と曖昧なことを言い出す始末。いとは「はぁ…」と濁すように、為時は明確に困った顔をします。
実際は何もなかったのですが、ただまひろとしては無茶ぶりで即興の歌を要求されたこと、そして道長がそれに返歌までしたことで衛門に二人の仲を察せられたことが響いているのでしょう。と言っても、このややこしい経緯を話すのは、なかなかに難しい。ここに至るまでの、扇の褒美の一件(第33回)、局での不義にかかわる会話(第35回)など補助線までありますしね(苦笑)酔って頭が回らないこともあるでしょうが、お茶を濁すような答え方しかできなかったのでしょう。とはいえ、周りには妙な誤解を与えたように思われます(苦笑)
酔ったまひろは、話題を転じるように「でも土御門殿のあの宴は、真に盛大でお菓子も料理も食べきれないくらい並んでいたの~」と言い始めます。これまでは、上流貴族の醜態、後宮の女房らへの愚痴など、それでもまだ下々から見た不満の類でした。しかし、それは、高貴な世界へ触れたこと、そこで帝や中宮彰子の信頼を得たという満足と表裏一体のものです。ですから、終始、まひろはご機嫌。愚痴話をしていても、いつの間にか高貴な世界を覗いたという自慢話へと転じてしまいますが、そのことに気づきもしません。
賢子は、あからさまに不満な表情です。母の話が、貧しい自分たちを蔑むようなものに聞こえたのでしょう。事実、彼女には無意識のなかにそれがあります。また、後の賢子は、現在の境遇はすべてまひろのせいです。にもかかわらず、得意げに宮中の話をされては溜まったものではないのですね。
為時もまた、まひろの話がただの自慢話になってきたことを感じ、家人に申し訳なくなってきたのでしょう。「そのたくさんのお菓子を女房たちが食べ尽くして、殿方はお酒、女房たちはお菓子で…えっへっへっへ」(もうまひろではなく、吉高由里子さんが酔っているように見えますね)と、ヘラヘラ笑う娘に「我々のような貧しき者には縁のない話だな」と、それとなく話を打ち切ろうと、気を遣ういます。しかし、へべれけのまひろは「お菓子は中宮さまのお土産でいただいて参りましたよ。皆、食べたでしょ??」と何にもわかっていない言葉を返し、さらに場を盛り下げます。
賢子をナメ、その奥で愛想笑いを浮かべて、とりあえず頷いてみせるいと、乙丸、よねの困惑した様子が居たたまれないですね。それは賢子も同じで「賢子も食べた?」と振られたときには、もう耐えかねた硬い表情でまひろを見ています。クローズアップされたその顔からは、怒りさえ窺えます。これは仕方ないでしょう。この宴で、まるで自分に関心を示さずにいた母が、自分にかけた最初の言葉が、これでは賢子としては、あんまりというものです。
四六時中、美味しい菓子を食べている者が、お裾分け程度に振る舞って、それで「食べたでしょ?」とは、まひろが最も嫌っていた上流貴族らの傲慢さそのものです。彼女は、自身の調子づいた発言が、どれだけ周りを困惑させているのか気づいていません。おそらく彼らは、「お方さまは、すっかり変わられてしまった」と内心、感じているのではないでしょうか。実家に帰り、価値観の違いをうっすら感じ、疎外感を覚えたまひろですが、彼女は自ら、彼らとの間の溝を深めてしまいました。特に賢子との溝は決定的です。
ですから、賢子の表情へ目を向けていた惟規が、すべてを察し、「姉上、飲み過ぎだよ」と叱ります。彼は、為時宅へ来るたび、姪がどんな思いでいるのかを知っているでしょう。同時に、まひろが後宮で必死な思いで務めを果たしていることも、知っています。ここでへべれけになっているだけが、後宮に上がった後のまひろではありません。この自慢と愚痴の入り混じった話も、彼女の苦労から噴き出たものです。惟規は、双方を知っていて、場の様子をよくよく観察して見極めて、まひろを窘めたのです。この宴の席での惟規は、人の機微に敏感な本来の彼の好さが出ていますね。まあ、こういうところが斎宮中将と恋仲になれたところかもしれません。
しかし、へべれけまひろは「ん~、お酒は殿方だけの楽しみではありませんよ(笑)」とヘラヘラと屁理屈を並べ立て、呆れ顔の惟規の気遣いを潰すと「はあ~中宮さまのご出産に立ち会えるなんて、これまでで一番胸が熱くなったわ」と、恍惚の表情を浮かべ、後宮での生活の充実と満足にとどめを刺します。対照的に、賢子が世にも辛そうな表情になるのが痛々しいですね。まひろの「一番胸が熱くなった」というのは、あくまで出仕して以降の出来事のなかで、という限定的なものです。しかし、それを聞いた賢子の耳には、自分を産んだことより、自分と過ごした日々よりも、中宮彰子の相手をすること、その人の出産が人生一番だと聞こえたのでしょう。
彰子は人生の師として、賢子はただ一人の母として、まひろを慕っています。彰子と賢子は対比的な存在なのですね。そして、彰子の幸せは賢子の犠牲の上にあります。彰子は、それを察して里下がりを許したのですが、肝心のまひろがそのことを理解しておらず、酒の席とはいえ、賢子を最も哀しませる言葉を嬉しげに話してしまったのです。うつむく哀しそうな賢子を惟規は気遣いの眼差しで見つめ、為時は強制的に宴をお開きにします。酔眼のまひろは、それでも何もわかっていません。
(3)娘との溝が深まるだけの里帰り
その夜か、次の夜か、まひろは自宅の自室で「物語」の次の展開について、構想を巡らせています。紙に書きつけた「罪」「罰」をそれぞれに「罪…」「罰…」と独り言ち、感慨深げに思案に耽ります。その後、まひろは女三宮の話を書き始めています。女三宮は、光源氏の後半生の凋落を象徴する女性で、光源氏の正式な継室となった彼女の存在が紫の上を不幸にし、また彼女自身も望まぬ不義の子を産ませられ、光源氏の後半生を暗い影を生みます。まひろの罪と罰は、光源氏の奔放で傲慢な人生のことか、女三宮の起こすことなのか、それはわかりません。
しかし、赤染衛門にわざわざ道長との関係について「倫子を傷つけないでほしい」と釘を刺されたことが、影響しているように思われます。衛門の言動が、倫子だけでなくまひろのことも気遣ってのものであることは、まひろもわかっているでしょう。それだけに、倫子について言及されたことが深く刺さったのです。前回のnoteでも触れましたが、彼女自身、土御門殿に来て当初、どうにも居心地悪く感じていました。それは、倫子に対して自分が不誠実だからです。衛門の言葉で、まひろはその後ろめたさを思い出したのではないでしょうか。
道長への想いはどうにもならないとしても、若き日の友人を裏切ってよい理由にはなりません。しかも、自分は秘かに彼との間に子を成し、言い訳のしようもありません。その意識が、彼女に「罪」と「罰」を意識させたのかもしれません。その罪と罰が、誰を指すにせよ、きっかけは自分自身のようです。業深い彼女は、またも自身を「物語」の材として昇華していきます。ただ、それに気づかせる役割を赤染衛門というのが、なかなか巧いのではないでしょうか。
さて、そんなまひろを、自室から出て遠巻きから眺めているのが賢子です。相変わらず、深夜になっても、母は「物語」執筆に没頭しています。自分を置いて宮中へ出仕したころと変わらぬその姿を、賢子はただ見つめます。このような夜半に一人秘かに見るのは、賢子のなかに務めに打ち込む母を慕う気持ちを誰にも悟られたくはないからでしょう。
しかし、その一方で母には気づいてほしいし、自分を大切にもしてほしい。矛盾した思いで見る賢子は、まひろが何故、自分よりも「物語」に打ち込むのかまでは思い至らないのでしょう。やがて、彼女は届かない思いに寂しげな気持ちを募らせ、部屋へと引っ込んでしまいます。当然、まひろは賢子の眼差しに気づきようがありません。
こうして里下がりしたにもかかわらず母子の会話はほとんどないまま、土御門殿からは、彰子の要望でまひろに帰参要請の文が届けられます。その文に目を通すまひろの傍へ来た為時は、召し出しと察してまひろの横に座ります。まひろから見させられた文に目を通すと「帰ってきたばかりだというのにもうお召しか。よほど中宮さまに気に入られておるのだな…」と、その慌ただしさに一抹の残念さを漂わせます。単純な寂しさもあるでしょうが、母子に十分な時間がなかったことが気掛かりということもあるでしょう。
為時はさらに「左大臣さまにもよくしていただいて居るのであろう」と敢えて、道長との仲に言及すると、彼女の顔を見ず「お前が幸せなら答えずともよい」とだけ伝え、どういう仲になっていようと、まひろの思うままにしなさいと信頼を伝えます。父の気遣いに真顔になり、まひろは答えられなくなってしまいます。やましい関係はありませんが、互いが互いへの想いを深めているのは事実。そして、そのあたりを衛門に気をつけるよう忠告を受けているのが、彼女の現状…それを父に告げることはできそうにはありません。
二人の間に、微妙な沈黙が起きてしまうのは、まひろの側に解決し得ぬ問題があるから。一拍置くと「父上、賢子のことでございますが…」と話題をもう一つの気掛かりに逸らします。為時は「あの子にもそのうちお前の立場はわかろう」と案ずることなく、職務に専念するように伝えます。
そこへ帰ってきた賢子。為時と並んで縁側に座るまひろを見ると、伏し目がちに一礼だけすると他人行儀に通り過ぎようとします。必死で母に訴えない何かを抑えている賢子は、努めてなんでもないよう振る舞うのですが、かえってぎくしゃくした言動になってしまいます。
しかし、為時に呼び止めるようには「母上は土御門殿にお戻りだ」と伝えられた瞬間、賢子は「一体、何しに帰って来られたのですか?」と、まなじりを上げてなじってしまいます。抑えていたものが、こらえきれなくなったのです。
戸惑うまひろに「内裏や土御門殿での暮らしを自慢するため?いとや乙丸も変な顔をしていました!」とズバリと切り込みます。自分の独り善がりの意見でないことを示すためにいとたちの反応も付け加えてくるあたり、10歳と侮れない物言い。やはり、まひろによく似ましたかね。
まひろは、真摯な顔で「賢子の顔が見たいと思って帰ってきたのよ」と伝えますが、自慢話と決めてかかる賢子は「母上はここよりあちらにおられるのが楽しいのでしょ」とにべもありません。さすがに為時が目を剥いて「お前の母は働いて、この家を支えてくれておるのだぞ」と叱ります。宴でのまひろの放言を為時が許していたのは、宮仕えが楽なものではないことを知っているからです。自慢話の裏の苦労を察していたのでしょう。
しかし、賢子は怯まず「では何故、昨日のようなお話をなさるのですか。お菓子をたらふく食べたとか…」と容赦がありません。痛いところを突かれたまひろは、自分の宴の席での放言の数々の問題点を自覚したのでしょう。息を呑み、口をつぐんでしまいます。すかさず、賢子は「母上が嫡妻ではなかったから、私はこんな貧しい家で暮らさなきゃならなかったのでしょ!」と、責め立て、自分のこの数年がいかに辛い気持ちであったかを爆発させます。
母に置いて行かれたと傷ついたあの日のトラウマ、帰ってきてもまるで自分のことを聞かず、相変わらず「物語」に没頭、自分といるよりも宮廷が楽しいと言わんばかりの自慢話…賢子がヘイトを炸裂させるの当然です。
ただし、最後の言い分だけは言いがかりです。彼女には嫡妻になれる条件は整っていませんでした。良家が婿入りするには、あまりに貧しく、身分も低く、肝心なときに為時が無官で大きかったでしょう。平安貴族の婿入りの婚姻システムとは、道長と倫子の婚姻のように持てる者がますます富み、持たざる者は縁に恵まれないと抜け出すことが難しいものでした。
ですから、為時の貧しさは、まひろの責任ではありません。さまざまな事情が重なった結果にすぎません。賢子の道理をわきまえない物言いに、為時が「だまらぬか」と叱るのも無理はありません。
ただ、賢子の剣幕をまひろは否定しません。嫡妻になれなかったのは事実ですし、その一端には道長への想いにこだわり続けた自身の一途さがあったことも否めないからでしょう。逆に、その苦労ゆえに自分と同じ苦労をさせたくないという気持ちが強くあります。幼い賢子が嫌がるのも構わず、文字を教え、漢籍を学ばせようと無茶をしたのも、それがためでした。
ですから「私は宮仕えをしながら、高貴な方々とつながりをもって賢子の役に立てたいと思っているのよ」と答えます。つまり、賢子が将来、宮中に出仕する道を選ぶにしても、婿を迎えるにしても、縁に恵まれるようコネを作っているというのですね。苦労してきた彼女の親心は真摯なもので、その場のおためごかしではありません。
しかし、この答えは不正解です。賢子が求めているのは、母が自分の気持ちをわかってくれることです。まず必要なことは、賢子の気持ちに寄り添うことでしょう。その上で、あなたの寂しさに気づいてあげられなくてごめんなさいという言葉をかける、あるいは抱きしめるやるなど言動によって賢子を愛していることを示してあげることだったと思われます。賢子は、何年もの間、母の愛情に飢えているのです。
にもかかわらず、なまじ頭のよいまひろは、ここでも賢子の気持ちに寄り添うことをせず、自分の行動が賢子のためになるのだとよく言えば正論、悪く言えば自己弁護か言い訳を口にしただけです。賢子が、まひろの言葉から愛情を感じるはずがありません。言い訳とみた賢子の口から漏れたのは「嘘つき…」です。驚くまひろに「母上なんか大嫌い!」と捨て台詞を叩きつけると、家を出て走り去ります。
「すっかり嫌われてしまいました…」と力なく呟くまひろの背中は肩を落とし、落胆の色を隠せません。実家は彼女にとって思い出多き場所であり、彼女の根幹を形作った大切な場所です。ただ、出仕によって生活レベルと価値観が変わってしまった今、そこは疎外感を覚える場所になってしまいました。それでも、為時宅は愛娘賢子が生きるところ、彼女の母親であるということだけがまひろの居場所でした。しかし、それは賢子の拒否によって失われました。内裏でのまひろの成功は、娘との関係が疎遠、悪化することと引き換えだったのです。
正直、藤壺は彰子のためになりたい、「物語」を完成させたいという思いは強くあるものの、華やかで雅やかな場所、高貴な女房たちとの関係のなかには、まひろの居場所はありません。局を与えられ厚遇されるがゆえに拠り所がないというのは皮肉ですね。彼女が里下がりを申し出た一端には、衛門の苦言に居たたまれなくなったこともあったでしょう。「物語」によって、人生の成功を収めつつあるまひろですが、彼女は職場である藤壺でも、実家でも孤独だと言えるかもしれません。
呆然とするまひろに、為時は「お前がいない間、あの子の友は書物であった。お前によく似ておる」と告げます。あの子はお前と同じように賢い。だからいずれ、お前のこともわかるはず、しばし待ってやろうと励ましたと思われます。為時は、賢子のまひろへの敬意も愛情も信じているのですね。家の外では、母にわかってもらえない哀しみ、母に酷い言葉をぶつけてしまった後悔、また出仕してしまう寂しさ、さまざまな思いに賢子が泣きじゃくります。その姿を、かつてまひろに対してそうしていたように乙丸が心配そうに見守っています。
離れて暮らす母子の雪解けはいつになるのでしょうか。まひろが成功に払った代償、親子愛は高くついたのかもしれません。
3.まひろの栄華~評価された「物語」~
遂に彰子は内裏へと戻ります。待ちかねたように敦康親王が、彰子のもとを訪れます。彰子は、彼を立て「長い間、留守をして申し訳ありません」と謝ります。背伸びして鷹揚に振る舞いたい少年は、「弟は?」とまずそちらを聞きます。彰子は我が子を見せると「かわいがってやってくださいませ」とお願いします。
すると、敦康は「中宮さまが私をかわいがってくださるなら、私も敦成をいくらでもかわいがります」と、ちょっと焼き餅混じりのかわいいことを言って、おねだりをします。彼女のいなかった数か月、彼も頑張って彼女の不在に耐えていたのでしょうね。自分の成長を見せたかったけれど、すぐにいつもの甘えん坊に戻ってしまいます。
そんな敦康の可愛げに「勿論、敦康さまは、大事な敦康さまでございます」と彰子は実に心得た阿吽のごとき答えをします。「大事な皇子さま」などと言わず、あくまで「敦康だから大事である」という言い方は、敦康の心を十二分に満足させます。敦康はニッコリと笑って返します。ここで、二人のやり取りを微笑ましく見て、思わず笑ってしまうまひろのショットが挿入されます。これは、一つは二人の関係がどこかで「物語」のなかに組み込まれることを示唆していることを意味しているように思われます。また、二人の関係をよくよくわかっているからこそ、今回の終盤、道長のうっかり爆弾発言を聞いて、ショックを受けてしまうのでしょうね。
そこへ、一条帝が渡ってきます。帝の開口一番「朕も敦康も寂しかったぞ」と、彼女の帰参を心待ちにしていたという言葉に、彼の彰子への思いが並々ならぬものになっていることが窺えますね。「おそれ多きお言葉、勿体なく存じます」という彰子のはにかむような礼に、帝も「ん」と嬉しげで、思わず見つめ合ってしまいます。このように彼女への愛が深まるだけに、敦成親王を見やる目は微妙に複雑なものが入り混じってしまいます。彼としては、母定子を失い不憫な敦康をせめて東宮にしてやりたいという気持ちがあります。だからといって、彰子への思いも嘘ではありません。悩ましいところです。
ただ、彰子はそれを知ってか知らずか、「お上…」と話題を転ずると「これを献上いたします」と、藤壺一同で作った「源氏物語」特製豪華本を帝へと差し出します。さすがのまひろも後ろに控えながら、帝の様子を窺います。すると、帝は「おお…これは美しいのう…」と驚きの声を漏らすと、早速、手に取り、めくりながら「源氏の物語か…」と頷きます。すかさず、彰子は「33帖ございます」と告げ、帝をさらに驚かせます。一冊だけでも、大した労力であることは、一目しただけでわかります。それが、33帖も…「後程、清涼殿にお届けいたします」との彰子の言葉に喜びが表情に浮かんでしまいます。
そして、脇に控えるまひろを見やると「藤式部、これはそなたの思いつきか?」と問います。こういう小癪なことをするのは、まひろだろうと思ったのでしょうね。しかし、まひろは「めっそうもないことにございます。お上のたむにこのような設えにしたいと仰せになりましたのは中宮さまにございます」と、この冊子が彰子の発案だと伝えます。これには彰子のがわずかに挙動不審になります。愛しい帝が、彼女の発案をどう思うのか心配になってしまう。喜ぶと信じて始めたことですが、いざとなれば怖くなる…乙女心というものでしょう。
ただ、案ずるには及びませんでした。「ほう…」と目を輝かせた一条帝は、まさか彰子がこのようなサプライズを自らしてくれることに感動します。入内当初の彰子からは考えられませんからね。まひろは、さらに「表紙も料紙も中宮さまがお選びになり、手ずからお綴じになりました」と、この冊子が帝を想う彰子の真心の結晶であることを言い添えます。感極まった一条帝は「彰子、嬉しく思うぞ」と心からの感謝を述べ、ようやく安心したように彰子も破顔します。
そして、目の前の冊子をしみじみと見た帝は、「33帖か…大作であるな」と感慨に浸りますが、それを打ち消すようにまひろは「まだ続きがございます」と、すかさず申し出ます。振り返った彰子が「これで終わりではないの?」と問うのも無理ありません。33帖までが、光源氏が栄華を極めるまでだからです。栄華を極めて終わり…と思うのも自然です。
しかし、まひろは「光る君の一生はまだ終わってはおりませぬ」と、いたずらっぽく笑います。想像もつかないことに「これからどうなるのだ」と彰子は驚くように聞き返します。さすがにまひろは、まだ構想中としますが、聞きつけた帝は「それは楽しみである。大いに励め」と笑顔で期待をかけます。
彰子の冊子献上、そしてまひろから続きがあるという話、にわかに「物語」について盛り上がったことで、興に乗った帝は「そうだ、藤壺これを読み上げる会を開いてはどうか」と提案をします。この展開に、彰子はまひろを見て「やったわね」とでも言うように笑ってアイコンタクトを取るのがよいですね。
こうして、公任らを藤壺に招き、宰相の君の朗読で「物語」を楽しむ集いが開かれることとなりました。宰相の君が読み上げるのは、「日本紀などはただかたそばぞかし。これら(物語)にこそ道々しく詳しきことはあらめ」(意訳: 日本紀などほんの一面に過ぎない。物語にこそ道理に適った詳しいことが書いてあるものだ)という、第25帖「螢」のなかで語られる物語論のくだりですね。「光る君へ」では、たびたび、まひろの物語に関する考え方が示されてきましたが、それがある意味、集約されているのが、この部分だと言えましょう。
聞いた斉信は「今、日本紀より物語を持ち上げたのか?」と不思議そうに公任にひそひそと聞きます。物語は、この時代において程度の低い読み物とされてきましたから、史書よりも優れているとの記述に驚くのは当然です。これに対して、公任は「帝がお読みになるとわかってよく書けたものだ…」と、作者まひろの大胆不敵のほうに呆れと恐れの入り混じった感想を漏らします。二人を窘めた行成が、帝に咎められてしまいますが、さすが行成、「時折はっとさせられると申しておりました」と実に如才ない受け答えをします。
行成の言葉を受けた帝は「女ならではの物の見方に、漢籍の素養も加わったゆえかこれまでにない物語となっておる」「藤式部は日本紀にも精通しておるしな」と、激賞します。彼は物語論のくだりも、決して単に史書を下げたのではないことをきちんと見抜いています。まひろの「物語」自体が、漢籍や物語や史書などをさまざまに組み合わせて新しい物語を生み出していることで、結果的に「螢」内の物語論の正しさをメタ的に証明しているのですね。
また帝の言い方で注目したいのは、漢籍という男性的な文章に女性ならではの物の見方が加わっていると女性の見方の価値に言及していることです。これは、つまり、まひろの「物語」は女性であるから書けたということです。
このことは、まひろが出仕する際に万感の思いを込めて、彼女にかけた「お前が…おなごであってよかった」(第32回)という言葉と響き合っていますね。第32回noteでも触れたように、為時の言葉は女性だからこその極みに達したのが「物語」と思えばこその言葉でした。父親として、学者としての彼の言葉は、帝の評価として上書きされ、そしてそれは、内裏全体へ「源氏物語」の評価として広まっていくことになるのですね。
ところで、帝の「物語」評を、涼やかな微笑みで拝聴する彰子が印象的ですね。秘かにまひろから「新楽府」を学んでいる彼女は、帝の言っていることが今はよくわかるのです。帝と同じ解像度で「物語」を理解し、それを共有できるという新たな喜びを味わっているのでしょう。女性の書いた「物語」を、同じように漢籍の素養を持った女性へと受け継がれていく…まひろの志は彰子のなかにたしかに根付いていくことが予感されます。
4.政争の始まり
(1)まひろが見てしまった道長の野心
ある夜(「紫式部日記」によれば1008年の大晦日)、藤壺の女房らが床に就くなか、まひろだけは、献上された「物語」の33帖以降の続きに着手していました。すると、遠くから闇をつんざく叫び声がかすかに聞こえます。思わず、渡りへ出るまひろですが、辺りは闇のまま、しんとしています。しかし、渡りをロングショットで捉えた画面は斜めに傾けた異常なもの。何事か起きたことがレイアウトで示唆されています。
他の女房たちが出てくる気配もないなか、それでも様子を窺っていたまひろは、ふと「中宮さま…!」と彰子に何かあったということなら一大事と、彼女のもとへ駆け出します。いびきをかいていた宮の宣旨は熟睡モードですが、渡りの足音に「藤式部?」と気づく女房もいる様子、足音に訝ったか、怖くて動けないかでしょう。
彰子が心配で駆け出したまひろは、やがて渡りの済みで打掛もなく寝着のままうずくまる女房二人を発見します。聞けば、突然現れた盗人に身ぐるみ剥がされたとのこと。因みに劇中ではマイルドな描写がなされていますか、実際は被害女房は全裸でした。容赦のない追い剥ぎで危なっかしい状態です。ですから、「何事か!」と宰相の君を伴い現れた彰子に「お出ましになりませぬように」と警告したのです。
しかし、寒いなかうずくまる女房らを見てとった彰子は動ずることもなく「暫し待て」と言うと奥へ戻ります。まひろが、うずくまったまま怯える女房らを抱き抱え慰める間、彰子は彼女らのため、着るものを取りにいったのです。非常時に女房らを気遣う彰子を見ると、敦成を産み、自分の思うところを口にし、明るくなっただけでなく、後宮を束ねる中宮として急速に成長しているのがわかりますね。
翌朝、百舌彦から藤壺に盗人の報せを受けた道長は、慌てて藤壺に駆けつけます。見舞いに来た道長を「わざわざお越しいただき申し訳ないことにございます」とゆったり出迎えた彰子は「大事ありませぬ、藤式部が駆けつけてくれました」と、まひろのおかげで落ち着いていられたと笑います。
このとき、道長が驚いた顔をしたのは、一つは非常時でのまひろの豪胆さ、もう一つは、想い人に危険が及ぶかもしれなかったことに思い至ったことの二つでしょう。局で「物語」に専念しているはずの彼女が非常時に飛び出すことは頭になかったのでしょう。好奇心と使命感が勝つ彼女なら当たり前の行動ですが。
道長は、早速、まひろの局に赴き、「お前一人が中宮さまをお助け参らせようと駆けつけたというのは真か」と問いますが、これは事実確認ではなく「お前は無事か」という心配が本意です。続いて、「他の女房たちは何をしておったのだ」と怒りを滲ませるのも、「あいつらがしっかりしておれば、まひろが危険にさらされなかった」という個人的な思いでしょう。
ここにいるのは、中宮の義父たる左大臣という公人ではなく、私人の道長になってしまっていますね。
対して、まひろは、あくまで藤式部として、自分の手柄も、同僚への讒言も口にすることなく「ご立派なのは中宮さまでございました。衣を剥ぎ取られた女房たちのために、御自ら、内被をお持ちくださって」と淡々と彰子の毅然とした態度を褒めると「上に立つお方の威厳と慈悲に満ち溢れてお出でで、胸打たれました」と、中宮足らんとする彰子への素直な敬意を表します。
そこには「中宮は、道長が心配するまでもない、立派な大人である」と諭す含意があるでしょう。勿論、彰子が魅力的な人物であることは知るまひろから見ても、その成長ぶりには目を見張るものがあったのも事実と思われます。
あくまで藤壺の女房藤式部として振る舞うまひろに「ふー」と太く息を吐き、少し気持ちを落ち着かせた道長は「お前もよくやってくれた」と静かに礼を述べます。そして、改めて「これからも中宮さまと敦成親王さまをよろしく頼む」と言う道長ですが、体はまひろのほうへずいっと少し前のめりになり、まひろはやや奇異に感じます。道長は、まだ冷静にはなり切れてはいないということです。
想い人の危機に焦り、諭され安堵した私人道長は気が緩んでいたのかもしれません続けて「敦成親王さまは次の東宮となられるお方ゆえ」と、公任らにすら漏らしていない本音を漏らしてしまいます。
まひろは「次の…」と絶句します。帝と中宮彰子を結ぶことが、親心からだけでなく、彼の政治的基盤の安定、ひいては国の安寧という大局的なものでもあったことは、まひろもわかっていたでしょう。しかし、道長は既に、生後間もない敦成を東宮として擁立する、そこを目標とすることへ切り替わっています。彼が東宮になるには、現東宮の居貞親王が帝位に付くしかありません。
つまり、道長は健在である若き一条帝の退位を目論んでいることになります。必要のない退位を迫ることは、一条帝は無論、彰子をも蔑ろにしかねません。ですから、このことは、道長が自身の権勢の確保だけを考えていることを仄めかしているのです。
まひろが、この瞬間、どこまで考えを巡らせたのかはわかりません。単純に彰子と敦康との睦まじい関係を知っているだけでも、道長の敦成を東宮へという思考が二人に影を落とすことは明白です。ですから、まひろは、道長のなかにある非情さ、野心を直感くらいはしたように思われます。
まひろが絶句するのと同時に道長もはっとした表情をします。一瞬、まひろに漏らしたことに気づいたかと思わせましたが、別のことでした。二人がシンクロしているようでズレていることを瞬時に理解させる演出と思われます。
さて道長の気づきは、「あ…警護が手薄なことがわかっておって忍び込んだということは、ただの賊ではないやも知れぬな…」と、政敵への疑いです。容易にそこへ結びつけてしまうのは、道長の思考の中心が政争、権力闘争にあるからです。娘への親心も民を救うというまひろとの約束も、彼の思考の埒外です。
政治家道長の本質の一端、闇の部分を垣間見たまひろは、今まで見たことのない姿に呆気に取られたままです。ですから、「これよりは後宮の警護を一層、厳重にする。ご苦労であった」という彼女を安心させる道長の労いの言葉も、彼女の激しい動揺を抑えることができません。心ならずも、道長の野心を共有する羽目になったまひろ。自身が道長を野心家になる一端になっていることまでは自覚的かはわかりませんが、知らなかった彼の非情さに触れた衝撃は大きかったと察せられます。
一方、去っていく道長も妙な表情になり、ようやくまひろに野心を漏らしたことに気づいたようにも見えます。しかし、気づきはしたものの、そのまま去ったのは、まひろならば大丈夫と安心しているからかもしれません。まひろの動揺を察知していないと思われます。
そもそも、慎重を期すべき後継者問題で、秘事を漏らすのは失策です。権勢の頂きにいる傲りによるものか、またはまひろに関する公私混同ぶりによるものか、その判別はし難いところです。また、どうにかなるという甘さも油断と言えなくはありません。
それにしても、この会話の後に、為時が正五位下に昇進したというのは意味深ですね。惟規も訝り、まひろも驚いたという昇進。この度の動揺まひろへの褒美なのか、はたまた東宮についての存念を知られたことへの懐柔策なのか。後者であれば、語るに落ちたとなりますが…
どのみち、敦成を東宮にすることは、敦康を可愛がる彰子と揉めるでしょう。果たして、まひろはどちらに付くのか。選択が迫られるかもしれません。そして、道長の野心を垣間見た今、彼との蜜月も見直さねばならなくなる可能性もあり得ます。
(2)伊周の挑発の波紋
1009年になると、伊周は道長と同じ正二位へ昇進します。この昇進は言うまでもなく、敦康を東宮にしたい帝の意向の表れですが、伊周の謁見に右大臣顕光、内大臣公季と揃って左大臣道長もその場にいるということは、この命に異を唱えてはいないと察せられます。敦成が次の東宮とまひろに漏らした道長ですが、あれは相手が想い人ゆえの不可抗力。まだ事を荒立てる気はないということでしょう。
礼を述べる伊周へ「大臣に准ずる地位の者としてこれまで以上に頼む」との言葉は、官職としての権限はないもの、それに類する待遇をするということです。後年、伊周自ら。儀同三司(准大臣の唐名)を名乗ったのは、帝の許しがあったということかもしれません。
さて帝のこの言葉に調子づいたのか、伊周は「私は第一の皇子におわす敦康親王さまの後見、左大臣さまは第二の皇子、敦成親王さまのご後見にあらせられます。どうかくれぐれもよしなにお願い申し上げます」と言上します。慇懃無礼に当て擦りながら、自分こそ権力者に相応しいと道長を挑発します。無論、暗に敦康を東宮にせよという意味でもあります。
あからさまな物言いにぎょっとした右大臣と内大臣は左大臣道長の顔色を窺いますが、道長はポーカーフェイスでシラを切り、微動だにしません。同様に帝もまた伊周の発言はスルーし、何も言及しません。道長は時を窺っていますし、彰子を受け入れてからは協調路線の帝も、今はそのときではないと読んでいるのでしょう。二人とも伊周の安い挑発に乗る気はなく、この場は白々と終わります。
そもそも、伊周は思い違いをしていますね。此度の昇進が帝の意向としても、一存でなかったのは謁見の場で明らかです。それはつまり、昇進は道長の意向でもあったということです。政治に鈍い道綱ですら「左大臣さまはよく許したよね」と気づいていますが、怨みに凝り固まった伊周には道長の善意と深謀遠慮の合わせ技は見えません。
では、道長の意向は何か。それについては、実資が「左大臣どのは伊周の不満がこれ以上募らぬよう位を高くしてやったのであろう」と推察しています。長徳の変において検非違使別当だった実資は、帝の命で伊周を母貴子と引き離して配流することを実行しています(第回)。その場には、道長も同席し、責任者として事態を沈鬱な眼差しで見ていたものです。あのことを道長いかに悔いているかを、実資だけはよく知っているのです。だから、彼の推量はほぼ当たっているでしょう。
ただ、今の道長には、こうした誠意だけではなく、なるべく穏便に敦成親王を東宮に推せる環境を整えるという打算もあると思われます。どちらにせよ、道長が伊周に与える温情めいたものは、実資の「上に立つ者のゆとり」という言葉どおり。既に道長と伊周には明確な差があります。道長にとって当面、対処しなければならない第一は「敦康親王さまを次の東宮にというご意志は相当お強い」(実資)一条帝をどう説得することです。そうした時流も見えず、肝心の敦康の信頼が薄い伊周は、最早、道長の相手ではないのです。
ところで伊周が、空気の読めない挑発に出たのは、事態が望むように好転しない彼自身の焦燥感ですが、それに拍車をかけた親族の存在も少なからずあるでしょう。ある日、伊周のもとに、妻幾子の兄、源方理と叔母の高階光子が訪れると「このままでは敦康親王は左大臣に追いやられてしまいます、どうなさるのです。伊周どの」と責め立てられます。
伊周にすれば、暗殺、呪詛と連続してしくじったばかり、様子見をしたいところ。出来た妻である幾子と共に道理を説き、「事を急いては過ちを犯す」と諭しますが、彼らの不安は解消されません。「このままじっとしてはおられませぬ!」とヒステリックに叫ぶ光子に「わかりましたゆえお黙りください」とイライラせざるを得ません。派閥の領袖である彼は、下からの突き上げもくらい、さらに追い詰められているのですね。その結果、またも効きもしない呪詛に頼る…呪詛依存症の彼は末期症状です。
伊周の事情はともかく、結局、彼がしたことは、皆が後継者問題という波風が立たぬようにしているなかに、わざわざ石を投げ入れ、いたずらに政争を加速させたに過ぎません。
無視も出来ない事態に、公任は早速、伊周の弟、隆家を呼び出すと「伊周どのがここまで盛り返すとは思っておらなんだ」と、伊周優位の話題を振り、鎌をかけます。公任の思惑を察する隆家は、蘇の手には乗らず「私は一切関わりございませぬ」と応ずると「とうの昔に兄は見限りました。左大臣さまを煽るような兄に、最早まともな心はありませぬ」と辛辣な評です。
暗殺阻止で見せた兄を思う心の根底には、兄は政治に向いていないという見切りがあります。だから、自分のように取り入るのではなく「穏やかに生きろ」と言うのです。そして、この一件で隆家は、こうまで庇っても怨恨に生きることしか出来ない伊周の心の病に嘆息しました。ですから、伊周の言葉に嘘はありません。
隆家の言葉に真を見た公任、「俺も斉信も行成も道長を支えるつもりだ。そなたもその心があるか」と敢えて胸襟を開き、意思の確認をします。「勿論にございます」と答える隆家に「伊周どのに何か動きがあれば知らせよ」と依頼します。公任が去った後、やれやれという顔になるのは、兄が余計なことをしてまた失脚することを危惧するからです。
こうして伊周の挑発は、多くの人を巻き込み、野心とは無縁に過ごす敦康の立場をかえって危うくしていくことになります。
おわりに
まひろの「物語」は、帝の評価によって、宮中で評判となっていきます。また、彼女が心を砕いてきた彰子の指南役も、彼女は女性として、中宮として大輪の華を咲かせようとしています。つまり、まひろの務めは今、最高潮にあると言えます。しかし、その一方で、その代償は決して、小さいものではなさそうです。まず、倫子との友情、赤染衛門の信頼は崩れかけています。また、もっとも肝心であるはずの娘、賢子との関係は完全に拗れてしまいました。藤壺女房の反感も相変わらず。
さらに彼女が信じてきた道長は、彼女が知らなかった野心家の一面を彼女に見せています。野心家道長と成長した彰子との間に挟まれ、選択が迫られるかもしれません。まひろは、これまで彼女を支えてきた人間関係を失いかねない状況にあるのです。ただ、それは結局、まひろ自身がかつての自分ではなくなったことが生んだことかもしれません。となると一番の代償は初心の自分自身とも言えます(道長がより顕著ですね)
そして、もう一人、まひろが友と信じた女性との関係が壊れる予兆が、ラストに訪れます。彼女の局に清少納言(ききょう)が訪れたことです。今回の物語の中盤、定子がかつて妊娠中に食した青ざし(第28回)をパクつきながら書物を楽しそうに読む修子内親王の脇で、少納言が「物語」を読み耽るシーンが挿入されましたが、その表情は決して芳しいものではなく、寧ろ怒りと哀しみに満ちたものすら感じさせるものでした。
その彼女が、わざわざ藤壺に乗り込んでまで何を言うのか…大変気になるところです。
このように考えていくと、今回、献上された「物語」が33帖まで、つまり光源氏が栄華を極めるまでというのが、いささか気になります。源氏の栄華とまひろの栄華と道長の栄華が連動しているかのように見えるからです。「源氏物語」のこの先は、光源氏の人生の凋落です。まひろまで、それに引きずられていかないかと不安がよぎりますね…杞憂だとよいのですが。