「光る君へ」第33回 「式部誕生」 その2 まひろの「物語」執筆の原動力とは
※ 本記事は第33回note記事「その1」と合わせてお読みいただけると、より楽しめます。
はじめに
人間誰でも、一つは長編小説を書けるのだそうです。その題材は、自分の人生です。人生は山あり、谷ありです。ですから、その人生を筋道立てて、組み立てていけば長編小説になるというのですね。勿論、それが面白くなるかどうかは、腕次第ということになるでしょう。この話は、一人一人の人生には、それだけの価値があるのだということなのですが、一方でこの話には、物語の題材は、個人の体験であるという考えが見え隠れしているようにも思えます。所謂、「人間は体験したことしか書けない」という妄言です。
勿論、作家の体験をモチーフにした作品は、私小説というジャンルを始めたくさんありますが、「ミステリー作家は殺人鬼か」「SF作家は宇宙や異次元に行っているのか」という使い古された事例を出すだけで、「人間は体験したことしか書けない」ということが間違いということはわかるでしょう。そう言えば、某マンガ家は「体験が多いほうがいいなんていうのは、凡人の思い上がり」とまで言っていましたね。
松本清張の書いた「遭難」という作品の冒頭は、山岳雑誌に掲載されたという設定の紀行文が何ページにも渡って書かれています。この紀行文が事件の発端になるのですが、この紀行文の出来はすこぶるよく、これを読んだある登山家が、松本清張はよほどよく山を登り、登山に精通していると信じたのだそうです。しかし、清張は山登りの経験はゼロに等しく、執筆に追われる彼にそんな時間などはなかったのです。登山未経験でありながら、登山家に体験者でなければ書けないと思わせたのですから、作家としては面目躍如、してやったり、というところです。
では、何故、彼はそれだけ書けたのでしょうか。想像力は、重要ですが、所詮、一人の人間が考えられることには限界があります。それだけでは無理です。登山に関する専門知識は当然、必要でしょう。あるいはベテラン登山家の体験記や話も見聞きしたでしょう。また、山は天候が変わりやすいもの、天候に関する勉強もしたでしょう。また、紀行文というものも、一つのジャンルです。書き方などには特徴がありますから、その特性に関してもよくよく理解していたでしょう。
つまり、物語を書く前に、知識や体験など人々の経験の集積を集め、それをじっくり観察、考察をしたのですね。そして、そこから見えたもの、わかったことを、作家は紡いで物語を作っていきます。その紡ぐときに、その作家のこれまでの人生で得た経験、技術、人間観、磨いたセンスなどが生かされていくことになるのでしょう。
それは「光る君へ」のまひろも同じです。彼女が、作家として覚醒した第31回、文字が書かれた色とりどりの紙が舞う心象風景を思い出しましょう。あれこそは、彼女自身の経験、そして、彼女が出会った人々の経験、そして書物や見聞きしたことから得た知識と経験、それらが言の葉として舞っているさまです。彼女は、その言の葉を集め、つなぎ、「物語」を想像していくのです。
それは、題材となる多くの人たちのさまざまな経験をよく観察し、検討し、見極めて言葉にしていく作業とも言えるでしょう。とはいえ、これはとてつもなくエネルギーのいることのように思われます。こうなると、まひろが「物語」を紡ぐ原動力はどこにあるのかが気になってきますね。そこで、今回は後宮という新しい環境に出会ったまひろの挫折と復活のプロセスを見ながら、彼女の作家としての軸がどこにあるのかについて、考えてみましょう。
1.まひろの心を折る女の園
(1)公任と斉信への意趣返し
今回の冒頭は、前回、出仕して他の女房たちに挨拶をした前回の引き、その続きです。ただでさえ内裏への出仕というだけでもまひろには雲の上の世界ですから緊張は並々ならぬものでしょう。さらに赤染衛門から聞かされた藤壺の「どうにも行き詰まった気分」という芳しくない様子、そして、渡りに現れたまひろに向けられた値踏みと好奇の眼差し…そして、「物語」を書くという務めを果たせるのか。まひろには、不安と緊張の材料しかない状態です。
緊張した面持ちのまひろに対し、やわらかく声をかけたのは、女房たちの筆頭である宮の宣旨(源陟子)です。彼女は、源伊捗の娘で醍醐天皇の曾孫という高貴な出。彰子と同じ輿に乗るほどの彼女の高貴さについては「紫式部日記」でも何度か触れられています。元々は父の位階から中納言の名で出仕していましたが、彰子の立后に際して、その宣旨を扱ったことから慣例により、宮の宣旨(または中納言の宣旨)と呼ばれるようになったのです。
早速、彼女は「そなたは藤原。今日よりそなたを藤式部と呼ぶことに致す」と後宮での名を与えます。不慣れなまひろは、後宮の慣例にすら「は?」と戸惑いますが、宮の宣旨は気にすることもなく「そなたの父はかつて式部丞蔵人であっただろう」と答えると「藤式部、中宮さまの御ため、共に尽くしましょうぞ」と型通りの挨拶をします。まひろの側も「仰せの旨、かしこまりました。心してあい務めます。どうかよしなにお導きくださいませ」と無難に挨拶を済ませます。
まひろが挨拶を済ませると、宮の宣旨のすぐ後ろに控えた序列の2位、3位に当たると思われる上臈女房である大納言の君(源簾子)と宰相の君(藤原豊子)の二人は、顔を見合わせます。斜め俯瞰からのカットでは、二人がどんな意図のやり取りをしたかはわかりませんが、悪意のある雰囲気ではありませんから、好奇心を満たす程度には「まあまあじゃないかしら」「意外に普通ね」くらいのところでしょうか(笑)
さらにその後ろに控える小少将の君(源時子)だけは、緊張しながらも挨拶を済ませたまひろを親しげに微笑しながら見ています。藤壺内でも特に紫式部と仲がよかったと言われる小少将の君は、最初からまひろに好印象を抱いたようです。
一方、まひろは、後方に控えていた旧知の衛門の笑顔と頷きを確認したことでようやく安堵の表情を浮かべます。まずは第一関門突破といったところです。
因みに、この場に登場した大納言の君は、倫子の同母弟の娘、つまり姪です。ですから、彰子の従姉妹ということになりますね。彼女は夫と離婚後に出仕しています。倫子が黙認した道長の召人(愛人)と言われていますが、本作では描かれることはないでしょうね(苦笑)そして、その大納言の君の妹が、小少将の君となります。つまり、彼女も倫子の姪であり彰子の従姉妹です。そして、宰相の君は、あの道綱の娘です…つまり、前者二人よりは遠縁の父方ですが、やっぱり彰子の従姉妹です(笑)
ついでに言えば、その後、まひろに対しても、彰子に対しても口さがない二人組の片割れ、馬中将の君(藤原節子)は、藤原相尹と源高明の四女との娘ですから明子女王の姪です。
もう一人の片割れ、左衛門の内侍(橘隆子)に関しては、はっきりはしていません。左衛門の内侍が橘性であること、橘隆子なる女房がいたことは確かなようですが、両者が同一人物か否かも確証がありません。父親が左衛門を得た橘為義(正四位下)の可能性もあるようですが、これまた想像の域を出ません。とはいえ、本作では序列的に他の主力の女房たち同様、名家の子女であることは間違いありません。そして、前回note記事で触れた「日本紀の局」のあだ名をつけ、紫式部に嫌がらせをしたのが、こいつ…こほん…この左衛門の内侍です。
このように、彰子付の女房たちは高貴な家の出身者で固められています。このような布陣では、倫子の信頼篤い赤染衛門も末席にならざるを得ず、この女房たちとの対面でも後方に控えています。本来、後宮の女房とは衆目、特に男たちの目にさらされる、はしたないものとされました。ききょうやまひろのような下級貴族の娘や寡婦の仕事だったのです。
にもかかわらず、藤壺では、高貴な者たちばかりを起用しているのです。ここに、道長…いや、倫子の意図があるのは明白でしょう。倫子は彰子の入内前の花嫁修業のとき、「入内して目立たなければ死んだも同然。みんなの注目を集める后でなければならない」(第27回)とし、「華やかな、艶」「みんなが振り返るような明るさ」を求めました。娘の入内後、彼女が藤壺へせっせと高価な調度品や布を贈り、部屋を飾り立てたのも、その思いの延長線です(第29回)。
そして、倫子のこうした意向は、女房たちの選定にもあったのでしょう。つまり、定子の登華殿との差異化を図り、華やかさを演出するために高貴な家の出身者で固めたということです。さらに自己主張をあまりしない彰子のことを、母として気がかかりであったことは想像に難くありません。ですから、信頼が置けて、なおかつ彰子の話し相手になれるような親族を多く配したのでしょうね。要は倫子の親心なのです。
もっとも、これだけ親族に固められると、彰子の側からしたら小姑集団からの圧力を感じかねない気がしますが…(苦笑←
一通りの挨拶を終えると、宮の宣旨が、まひろが藤式部として務める局へと案内してくれます。事前に藤壺の下見は済ませているまひろですが、田舎者のようにあちこちをキョロキョロして挙動不審なのは、好奇心ゆえでしょう。
そして、この好奇心に満ちた眼差しと彼女の肌感覚が、藤壺に持ち込まれたことで、これまでは人物の心情を除いては、淡々と風景のようにしか描かれることしかなかった藤壺という場が、急に視聴者にとっても近しいものとなります。まひろの感じ方は、後宮を知らない視聴者の感覚と重なり、後宮という場所の地場、女性たちだけの世界がどんなものであるのか、興味深いその実態の解像度を上げてくれるのですね。
さて、身分の低い新参者のまひろが、物語を書くという特殊な役目とはいえ、一室を与えられるということは破格の扱いです。宮の宣旨が「左大臣さまと北の方さまのおはからいと心得よ」と宣い、まひろが「真に恐れ入ります」と恐縮するのは、そのためです。そして、まひろとの初対面で女房たちが好奇の眼差しで値踏みしたのも、身分の低い女がいきなり厚遇されたからでしょう。藤壺の女子集団のなかで、反発、反感、嫉妬が渦巻いていると考えただけで、私なら裸足で逃げ出しますね(笑←
宮の宣旨は、よくよく道長や倫子から言い含められているのでしょう。「そなたはもっぱら物語を書くのが務めゆえ関わりないことではあるが…」と、まひろが執筆に専念することを前提にした上で「そもそも女房の仕事は、中宮さまのお食事のお世話、身の回りのお世話、お話し相手、内裏の公卿方の取次役などである」と、後宮がどんなところであるのかを、まひろと視聴者に改めて説明してくれます。「ははあ、なるほど」といった表情のまひろは、一人だけ女房一般の仕事もせず執筆することを申し訳ないと思ったのでしょう。「私もお手伝いしとう存じます」と見当違いの返答をしてしまい、宮の宣旨を呆れさせてしまいます。
宮の宣旨は無知ゆえの発言と聞き流したようですが、近くで雑事に勤しんでいた左衛門の内侍が、耳ざとくまひろの申し出を捉え、「お手伝い?」と顔をしかめ聞きとがめます。隣にいた馬中将の君も同様です。まひろからすれば、申し訳なさから出た一言ですが、ただでさえ、特殊な立場で悪目立ちしているなかでは、無邪気すぎる余計な一言でした。執筆の合間に、本来の女房の仕事を手伝うという物言いは、それらの仕事は片手間にできるものだと言っているようなものだからです。せっかく挨拶を無難にこなしたにもかかわらず、まひろはいつもの空気の読めなさで、自覚なく早々に敵も作ってしまっています(苦笑)
広々として、物書きができるよう誂えられた自分の局に入ったまひろは落ち着かず、部屋全体を見回しますが、意を決して執筆の続きを始めます。しかし、渡りでは調度品を運ぶなど雑事に走り回るバタバタとした足音は聞こえる。どこかでひっくり返したらしい「キャー」という叫び声、「慌てるでない」と叱る声…まひろの家もそこそこに雑音はありますが、女の園のそれはやや甲高く、せわしなく、姦しいものとして、まひろには聞こえるようです。のっけから「はあああ」と太いため息が出てしまうまひろです。
そこへ「藤式部と呼ばれておるそうだな」と公任が、斉信を連れて様子見がてら訪れます。四条宮で和歌を教えていましたから、公任は顔見知りです。「藤壺に上がれて良かったな。うちの者はお前が来なくなって寂しがっておる(笑)」と気さくに話します。斉信は、自分の権威を誇る癖があるので「左大臣さまにそなたを推挙したのは中納言どのであるぞ、知っておるか」と、やや居丈高な挨拶です。
「左大臣さまから伺っております、ありがとうございました」と慇懃に礼を述べるまひろに、公任は「己の才を存分に生かせ」と励まし、斉信は「何かあれば中宮大夫の俺に申し出るがよい」と協力を申し出てくれています。道長から相談を受けていた彼らは、まひろが何のためにここにいるのか、その目的をよくわかっていますから陰ながら支えようというわけです。ただ、耳ざといまひろは、斉信の言葉に含みを感じ「何か…ありそうなのでございますか?」と問い質します。
斉信は、藤壺に詰める女房らを「頼りにならぬ」と断じると、「中宮さまと同じような育ちの姫ばかりゆえ、中宮さまの御ために働くという気持ちが薄い。中宮さまにお伝えせよと言っても伝えんし、言ったことはやらん」と、その理由と現状を詳しく語ります。先にも述べたとおり、定子の登華殿の差異化を意識した倫子は、女房たちの高貴さによって藤壺を華やかなにしようとした節が見られます。
一見、良さげに見えたはずのそれは、結局、衛門曰く「どうにも行き詰まった気分」になってしまっています。衛門は具体的にそれがどういうことであるのかまでは、話しませんでしたが、斉信の話は、その点を端的に説明しています。簡単に言えば、彰子に対する敬意が薄く、また藤壺を盛り立てようという職業意識も薄いということです、中宮大夫である斉信としては、その気持ちの無さが実際の業務の支障にまでなっていることを危惧します。高貴な姫ゆえにできなかったら誰かがやってくれると悠長に構えているのかもしれません。
まひろも、やんごとなき姫たちののんびりとした様子というのは、若い頃の土御門殿サロンで見ていますから、斉信の説明に、納得した顔をします。倫子や明子のように高貴な姫であればこそ、意識が高いという人物もいますが、長年かしずかれてきた多くの姫たちは自分たちが何かをするという意識が低いのかもしれません。ですから、公任は、「要するに世間知らずなのだな」と形容するのです。まったく内裏という政治的な場に向いていないというわけです。
しかし、実際に彼女らと相対して仕事をしている斉信は「世間知らずというのか鈍いのだ」と辛辣極まりありません。その言葉に、なるほどと思った公任は「見映えはしても鈍いのは困るなぁ…」としみじみ言うと、斉信は「まったくだ」と苦々しく言います。
すると、彼らの「見映えはしても鈍いのは困る」という藤壺女房評を聞いたまひろ、それまで最低限の品として口元を覆っていた扇を下ろし、笑顔を見せます。
かつて、斉信は自分たちの打毬に貴族の姫君たちを呼びました(第7回)。それは、競技にかこつけて、よい姫はいないかと見定めるものでした。当時、斉信が目をつけていたのは、気が強い美人とみたききょうです。酷いルッキズムの彼は、当初、執心だった倫子についても「今日見たらもったりしていて好みではなかった」と言い切り、公任ですら「ひどいな」と顔をしかめたものです。
そして、ききょうのついでに呼んだまひろについては、名前すら憶えておらず、「あれは地味でつまらんな」(公任)「あれはないな」(斉信)と二人してバッサリでした…あー、久しぶりに書き連ねていると、腹が立ってきますが、それほどに彼らは女性の見映えとそして身分にこだわっていたのです。そして…あの日、心を粉々に砕かれたまひろは、探していた猫の小麻呂すら置き去りにして、雨のなかを走り去ったのです。あれは、まさに彼女の涙雨だったのですね。
若き日にルッキズム全開だった彼らが、今さら「見映えはしても鈍いのは困る」と真逆のことを言い出すのはお笑い種です。彼らが知らないとはいえ、自分をあれだけ傷つけておいて、それを言うかという気分でしょう。そして、当時の彼らの女を見る目のなさを笑う気持ちも生まれたのでしょう。だから、まひろはわざわざ扇を下ろして、彼らに「地味でつまらない」と言われた自分の顔を晒してみせたのですね。
そこには、かつて「自分を見初める殿方なんていません」(第4回)で、己の容姿を卑下した姿はもうありません。ある種の自負すら溢れています。そして、その顔で微笑みながら「わたしのような地味でつまらぬ女は、己の才を頼みとするしかございませぬ」と、私は見映えがしないけれど、鈍くはありませんわと言って見せます。まひろと比較して言ったつもりのなかった公任と斉信は、まひろの突然の揶揄にぎょっとした顔をします。そして、今の自分にできるもっとも魅力的で艶やかな笑みを称えると「左大臣さまのお心に叶うよう精一杯励みます」と茶目っ気を見せます。
気圧された二人は、なんとなく呆然とした感じで帰っていきます。まひろが自分たちの物言いを軽い挑発をしてきたことはわかりますが、何故、そう言われたのか。あれは何だったのか、顎に手を当てる公任は理由に思い至らず、考えあぐねています。
一方の斉信は「地味でつまらない」というフレーズに聞き覚えがあり、思い出そうとしています。そして、ふと「地味でつまらぬ女っていうのは…お前、前に行ってなかったか」とうろ覚えながらも、思い出します。「そうか?」と答える公任は忘れてしまっていたようですが、斉信は「うん」と確かなことだと言います。まあ、「あれはない」と言った斉信も同罪ですが。ただ、それを言った日と場所まで思いだせたら…あいつ、なんで知っているんだと、ますますギョッとするでしょうね(笑)
ただ、まひろの意趣返しは、ここからが本番です。公任らが帰ったのち、ふと思い当たった彼女は、「打毬、雨」とあの日のことを書きつけます。そのまま彼女の筆は、「受領、品、片かどもなき人(訳:少しも取り柄のない人)」とさらに思いつくままに綴られていきます。勘のよい人は、これだけでお気づきでしょう。すべて「雨夜の品定め」に関する言葉です。つまり、今、この瞬間に第二帖「帚木」の、五月雨の一夜、光源氏や 頭中将らが女性の品評をする「雨夜の品定め」の構想が閃いたのでしょう。まひろは今の二人との会話で、あの日を思い出し、一気に物語の題材へと昇華させてしまいました。それは、まひろ自身のなかであの日のことがすでに過去のものとして対象化できていたということです。
思えば、この意趣返しの間、まひろには後ろ暗い雰囲気も自虐的な気持ちも見られず、終始、笑顔で大人な対応でした。それができたのは、おそらく、道長と宣孝という二人の男に十二分に愛されたという実感が、まひろにあるからでしょう。愛されたという自信が、彼女を成長させたのだと思われます。それにしても、実に綺麗にあの打毬の日が、作品の材料として回収されましたね。
ところで、この「雨夜の品定め」は、まひろが里帰りをしてから熟成して「帚木」の一部として完成されますが、その過程でまひろは惟規といとに習作を読み聞かせています。二人はそれぞれに意見します。まず惟規は「面白いよ、それ。大勢の男と睦んだわけでもないくせに、よく書けるね、そんなの」と、男性心理に詳しいことに感心します。ここで、まひろが真顔で「睦まなくても書けるのよ」としれっと答えたのは、この場面は、あの日の公任らの会話から膨らまして書いたことが大きいですが、それだけではなくないでしょう。
まひろにとって、人の心を知ることは睦み合いなどではなく、ましてや付き合った人間の数でもなく、男女問わず、どういう人とどういう関係を作っていくかという質の問題なのです。そうした関係性のなかで、よくよく観察し、それを話や人物へと組み込んでいると思われます。
そして、訝るような顔で聞いていた、いとは、「あの…そのような下品な殿御たちの話、帝がお喜びになりますでしょうか」と高貴な帝に相応しくないのでは、と心配します。何故、まひろが男たちの下品な言動までをも「物語」の一部として必要としたのか、その点については、帝との謁見の場面で改めて考えましょう。
(2)藤壺の女房らの生態
さて、まひろが公任らに一矢報いた後は、藤壺における女房たちの生態が、さまざまな角度から語られます。年明け早々の藤壺で行われる一大イベントは、中宮大饗です。毎年正月二日、親王や公卿らは中宮、東宮の順番に拝謁をし、それぞれで饗応を受け、禄を賜ります。それを二宮大饗と言いますが、そのうちの中宮での大饗を中宮大饗と呼んでいるわけです。中宮大夫である斉信が「設い、雑事、その他一切抜かりなきように支度せよ」と檄を飛ばすのは、先の彼の弁を借りれば「頼りにならぬ」からですが、まあ、それは正しいようです。
彼の声が響くなか、居並ぶ女房たちは、パーテーション代わりの扇で素顔を見せないようにしていますが、見えないことをいいことにヒソヒソ話をする者たち、完全に他事を考えていて、心ここにあらずという目をした者、澄ました顔だけどたぶん聞いていない者といった様子です。どんなに扇でしおらしくしていようと丸わかりです(笑)私事ですが、大学で100人以上が受講する講義になると、どうしてもこういう表情の学生を何人か見ることになります(大多数は集中しています)。まあ、こういう学生は大抵、一番後ろに座っているのですが、苦笑いです。何故なら、教室は監視に特化した構造なので一番後ろに座っている人のやっていることが一番よく見えるからです(笑)
ともあれ、こんな様子ですから「何か聞きたいことはないか?」と斉信に聞かれても返事はなく、再度「あるのかないのか返事をせよ」叱りつけられて、ようやく、宮の宣旨が、まったく悪びれることもなく、おっとりと「ございません」と答えるという有様です。斉信は「ふー」と自分を落ち着かせると「年明け早々の中宮大饗、抜かりなきよう」と釘を刺すと、憮然とした様子で去っていきます。
口うるさい奴が帰れば、女房たちは息を吹き返します。
まずは、「聞きたいことなどありませんわよね」と皆の同意を求めた左衛門の内侍が「もう毎っ年、同じようにやっておりましのに」と辟易したように文句を言います。「毎っ年」という言い方に、中宮大饗を面倒くさいとしか思っていないことが窺えます。ただでさえ面倒なのに、同じ話をバカみたいに聞かされてはたまったものではいという彼女の気位の高さも見え隠れしますね。
そんな、左衛門の内侍に文句に「中宮大夫さまは何につけ偉そうになさりたいだけよ」と気にしたって仕方ないわと笑っていなしたのは、馬中将の君です。斉信が聞いたら、目を剥きそうですが、彼のカッコつけの性格を見事に見透かしているのも事実で、こういう斜に構えてうすら笑うタイプは厄介ですね(苦笑)
斉信などどうでもいいと言う馬中将の君の関心は「それより藤式部の父は従五位下ですわよね?それなのに中納言さま方とお親しいの?」と新参者の藤式部のほうです。そもそも、左大臣夫婦の推挙で出仕したということ自体も不思議ですが、そんな彼女の元を色男の公任までもが訪れたことは、何なのあの子?というところでしょう。
彼女の疑問に「四条宮で歌を教えられていたそうです」と答えた大納言の君は、序列二位にして倫子の姪だけあって事情通です。嫌味なところもなく、素直に大した人みたいよと言った感じです。その言葉に、挨拶したときから好意的だった妹の小少将の君「まあ、学がおありなのね」と感心しきり。機会が合ったら何か教えてもらおうというような勢いすら感じます。
そこへ、雑事に勤しむ赤染衛門が荷物をもって通りがかります。目ざとい宰相の君は、「衛門さまは藤式部を昔からご存知なのでしょ?」と、藤式部の学才について、さらに訪ねます。衛門は、噂好きの高貴な姫さま方の好奇心に「中宮さまの御母君がお若い頃、お屋敷での学びの会に藤式部も参っておりました」と快く答えています。
このように、藤壺の女房たちは一大イベントを前にしても緊張もなく、職務に対する意識もさほどに高いわけでもないようです。ただ、仕事だからこなしているだけで、後は心の赴くまま無邪気で、そして口さがない噂好きということが窺えます。よく言えば、大らか、悪く言えば、大雑把で無頓着というわけで、公任と斉信の評価はあながち間違ってもいません。
また、この一連の会話で、まひろに好意的な人物とそうでない人物もわかりやすく見えてきます。
さて、藤壺における女子の集団生活の難しさは、日中の仕事関係だけではありません。夜遅くまで、「物語」執筆に勤しんでいたまひろは納得できるところまで書き上げる(この執筆時にまひろは紙に「光る君」の言葉を書き付けます)と女房らの寝所で床に就きます。しかし、そこは几帳で大部屋を仕切っただけで雑魚寝と変わらない代物でした。ただでさえ、慣れない場所な上に、方々から聞こえる雑音に悩まされたまひろは落ち着くことができず、寝られません。
ここで、まひろの感覚が神経質ではないことを示すように、この寝所がいかに落ち着かないものであるかを、鳥瞰的な真上からのカメラで見せていくのが面白いですね。寝相が悪くバタンバタン音を立てるもの、寝息、いびき、そして、驚くのは打掛を羽織って出ていく者がいることです。明らかに夜伽に召された女性でしょう。そして、カメラは寝ている女性たちそのものを接写します。一番目立っていたのは「豆、食べたでしょう…泥棒~!」という寝言を叫び、まひろを驚かせた女房でしょうか。
結局、夜明け方に寝付いたと思われるまひろは、いきなり寝坊。見かねた衛門に手伝われながらも「藤式部の務めは物語、私の務めは学び事の指南。役目は皆、違えども朝はちゃんと起きなければなりませんよ」と苦言を呈されてしまいます。悪目立ちして、女房たちの反感ややっかみを買うことを防ごうとする親心というものでしょう。その注意をおとなしく聞きながらも、慣れぬ宮中の召し物に上手く袖を通せず「あれ?」とやっているあたりが前途多難です。
案の定、遅刻したまひろを見た左衛門の内侍は、ツンとした様子で「藤式部ったら、昨夜も遅くまで何をしていらしたの?」と嫌味なことを言います。彼女がしている務めが「物語」を書くことだとわかっていて、言っている台詞です。馬中将の君は、内侍の言葉に便乗して「誰ぞのおみ足でも、お揉みにいらしたのではないの?」と言い、二人してまひろを軽くせせら笑います。
彼女らの言っている意味が、全然わからないまひろは、当然、何故笑われたのかも意味不明です。朝礼後、「あの、「誰ぞの足を揉みにいく」とは何のことでございますか」と左衛門の内侍に、ごく普通に聞いてしまいます。さすがに目を丸くした内侍は「やだ…おとぼけになって…」と呆れたように、恥ずかしいように、その場を離れます。
なおも不思議そうにしているまひろに、またまた見かねた衛門が「「誰ぞの足を揉みにいく」とは夜伽に召されるということでございますの」と、それが後宮ならではの隠語、スラングの類であることをそっと耳打ちしてくれますが、まひろのほうは、あまりに下品であけすけな言葉の存在に愕然としてしまいます。まひろが受けたカルチャ-ショックの衝撃を表すエレキギターの音が可笑しいですね。
この後も中宮大饗で疲れ果て、うとうとしてしまう。昼間は昼間で、わいわいと甲高く騒ぐ女房らの会話が入る。あからさまに好奇とやっかみの眼差しを向けてくる。などなど、とにかく「物語」の執筆に集中できない日々が続きます。考えがまとまらないのではなく、書きたいことは山ほどあるのに、書くことができないのですから、ストレスは溜まる一方です。慣れない後宮の猥雑さ、人々の目線と察せられる敵意…まひろは「ふー、無理」と呟くとわずか1週間程度で根を上げてしまいます。
(3)まひろの心が折れた理由
創作できる環境でないと実感したまひろは「ここでは落ち着いて物語が書くことができません。里に戻って書きとうございます。どうかお許しくださいませ」と道長に直談判します。ただ、道長が、まひろに出仕させたのは、彼女をおとりに藤壺に帝を渡らせるためです。彼からすれば、こんんなに早々に里帰りされては、目的は夢のまた夢ですから、厳しい顔で「局まで与えたのに何故書けんのだ?」と詰問します。帰らせない、その意思だけがヒシヒシと伝わってきます。
ですから、「皆様、忙しく立ち働いておられますのに、私だけのんびりと筆を弄んでいるのが何だか…」と、物語を書くことが遊びに思えて申し訳ないという言葉にも「書くことが己の使命だと申したではないか」と、彼女の言葉を使い、遊びではなく使命のはずだと潰します。ぐうの音も出ないまひろは「そうなのでございますが…」としか言えません。弱腰と見た道長は、さらに「内裏でのさまざまのことを見聞きし、物語の糧にするとも申しておった!」と強調し、反論を赦しません。まひろに対する道長の態度としては、珍しく強気、強硬です。
仕方なく、まひろは「そうなのでございますが…ここは気が散りますし、夜も眠れませぬ」と、藤壺の執筆に相応しい環境にはないと訴えます。道長は「ならば、別に寝所を用意してやろう」と即答、さすがに「それは皆様のお気持ちもありますので…お許しください」と慌てたのは、一つは既に悪目立ちして、好奇とやっかみがあるため、それを悪化させたくないという思いがあるでしょう。また、別の寝所など作ろうものなら、左衛門の内侍と馬中将の君あたりにどんな下品な噂を立てられるか知れたものではありません。いらぬ後宮隠語を知ったばかりに余計なことが気になります。こういう些末なこともまた、彼女の執筆の邪魔でしょう。
押し問答が続くなか、道長はまひろの傍までくると「帝は続きができたらお前に会いたいと仰せだ。お前の才で帝を藤壺に…頼む」と、とにかく帝がまひろに会いに来るまではいて欲しいと、彼なりの折衷案を出します。「これは帝にお渡ししたものを手直しし、続きを書き足したものにございます。この巻はこれで終わりにございます」と、続きはあるから、これで勘弁してくれと渡した上で、「この先の巻は里に帰って書きたく思います。もう頭の中ではできておりますので」と譲りません。
当然、帝が来るまではと思う道長も「帰ることは許さん。お前は我が最後の一手なのだ」と意見を曲げません。いよいよ、まひろは「物語は書きたい気持ちのときに書かねば勢いを失います。私は今すぐ書きたいのでございます」と、自分の内から溢れ出る物語が留めようもなく、ここにはいられないと本音で訴えるのですが…
遂に道長は「藤壺で書け!」と声荒げてしまいます。ここで、ようやくまひろは、道長が焦り、精神的に追い詰められているとわかりますが、一方で何故そこまで固執するのかが疑問です。思わず激高してしまったことに後悔する道長は「書いてくれ、このとおりだ…」と土下座します。もしかすると、道長は今を逃せば、まひろを仕事のパートナーとして永遠に失うかもしれない…そんな恐怖に駆られている面もあるやもしれませんね。そして、まひろを失えば、間違いなく自分の政治生命も失われます。ようやく、ここまで漕ぎつけただけになおさら、そういう気持ちは強くなるのかもしれません。
その不安定な道長の様子に、まひろは、左大臣ではなく「道長さま…」とプライベートの呼び方に変えると「わたしが書くものに真にそのような力があるのでございましょうか?これが真に帝のお心をお引き付けできると道長さまはお思いですの?」と聞き、彼の本心と悩みの本質を探ろうとします。
道長は「分からん。されど俺にはこれしかないのだ」と正直な思いを告げると、顔を起こし、まひろを見つめ「賭けなのだ…」と懇願します。道長の必死さを見たまひろは、逆に冷静になったのでしょう「賭けに負けたらどうなさいますの?私はどうなりますの?」と問いかけ、道長の頭に冷水を浴びせます。
焦りから、カッとなる、不安になると乱高下が激しい道長ですが、まひろの命運を振れば、必ず冷静になると踏んだと思われます。策士というか、道長の恋心を逆手にとった上手い遣り口です。そして、静かに「お役御免、無用の身となりましょうか」と呟きます。もう、「物語」を書く機会がなくなる…それはまひろの「生きる道」を潰すことです。ですから、道長は「そのようなことはない」と明言します。まひろの「真にございますか」という念押しにも「ああ」と力強く頷きます。
ようやく道長が冷静さを取り戻したことを確認すると「物語を書きたいという思いに偽りはございません。里で続きを書きます。そして…必ずお持ちいたします」と告げ、「賭け」というなら私を信じて待って欲しいと道長の懇願を押し切ります。引き留める手段も、勢いも失った道長は諦めざるを得ず、彼女を信じて待つことになります。
為時宅に帰ると、家人は一斉に心配します。惟規は、部屋から飛びだし「姉上、どうしたの」、いとは「追い出されたのでございますね!」と悲観的。彼女を心配してやまない乙丸は、8日で出仕を辞めたことに「8日もご苦労なさったのですね。お痛わしい…」と泣きそうです。大わらわな彼らの様子が申し訳ないやら、嬉しいやらで、バツが悪くなったまひろは「心配しないで。帰ってきたら晴れ晴れしたわ」と、乾いた笑いを漏らすと、さっさと自室へ引き上げます。
自室でほっと溜息をついていると、惟規が顔を出し「姉上、苛められたの」と改めて聞きます。いとや乙丸の前では言えないこともあるかと思った惟規は、わざわざ二人で話をしようとしてくれたのですね。つくづく、姉想いな弟ですね・
ただ、惟規の質問には「高貴な姫さまばかりで、そんな意地悪な人はいないわよ」と答え、「また戻るかも…まだわからないけど…」とこれまた、よくわからないことを言い出しますから、惟規は「はあ…わかりにくい女だねぇ。まあいいけど、俺は姉上みたいなおなごには惚れないから」と呆れます。すると売り言葉に買い言葉「私も惟規みたいな殿御には惚れないですぅ(笑)」と答えます。姉が元気とわかると「だよね~、へへっ」と言って、惟規は出ていきます。
カルチャーショックを受けたこと、眠れなかったこと、物語にかまけているのが悪い気がした、書きたいものが溢れているのに十分に書き出す余裕がない…藤壺を退去した理由は、さまざまにあります。今すぐ書き出さなければならないという切迫感が、里帰りを後押ししたのも事実です。
しかし、本当のところは、藤壺で「物語」を書く意義を見出せなかったということが大きかったのだと思われます。ですから、「書くことが己の使命だと申したではないか」「内裏でのさまざまのことを見聞きし、物語の糧にするとも申しておった」と、当初の意気込みを持ち出されても、「そうなのでございますが」と歯切れの悪い返事しかできなかったのでしょう。
勿論、道長の意図した帝を藤壺にという目的はわかっています。しかし、それはあくまで道長の理由であって、彼女のモチベーションではありません。女房になる覚悟もはっきりしないまま、デメリットの多い藤壺で何故書かなければならないのか、彼女自身の意義を見出せなければ、どうにも「物語」を書けなかったということと思われます。
つまり、彼女が藤壺で「物語」を書くには、「物語」への原動力のほかに、藤壺で働く意義が必要です。そして、その二つが絡み合ったとき初めて、「「物語」執筆を専門とする女房、藤式部」になれるのです。一方で、惟規の質問に「また戻るかも」と言ったのは、その藤壺で働く意義になるかもしれない引っ掛かりが、里帰りの直前に起きたからです。それは、中宮彰子の本音を垣間見たことです。それは、どんなものか、次章で確認してみましょう。
2.まひろから見えた彰子の心の糸口
(1)彰子の本音
藤壺に上がったまひろですが、物語を書くことに専念する役目であるためか、中宮彰子とはほとんど接触がありません。そもそも、事前の挨拶ではひれ伏すのみで会話はありませんでしたから、ろくすっぽ拝顔していないのですね。ですから、中宮大饗での雑事の合間に垣間見えた斜め後ろの彰子の姿が、式部が初めてきちんと見た彰子だったのです。まじまじと見て、宮の宣旨から軽く注意されてしまったのも仕方ないところでしょう。
この何げないカットがわざわざ入れられたのは、これまでほぼ客観的な眼差しで語られていた彰子の人物像にも、まひろからの眼差しが入ることを意味しています。今回、急に彰子の表情が豊かになったような印象を持たれた視聴者もいらっしゃったかと思いますが、それは彰子が急激に変化したのではなく、先ほど述べたようにまひろの目線が藤壺に入ったことで、その解像度が上がったためです。
言い換えるならば、まひろの眼差しによって、彰子の思いが可視化されたということになるでしょう。以前のnoteでも触れたように、これまでも彰子の本音は注意深く見ると見えるように描かれていました。また、定子に一目惚れした清少納言のそれとは違い、観察者としての目線の意味合いが強いのも特徴です。
さて、そんなまひろの目から見ても、普段の彰子はおっとりとしていて女房たちの成すがままです。ある朝、まひろが絞り、差し出した青い布で彰子の顔を他の女房が拭こうとしたところ、「誰がこのような浅葱色のものを…中宮さまは薄紅色がお好きと申したであろう」と窘める声が入ります。彰子とその顔を拭く女房の腕をナメて、まひろが映し出されますが、女房たちの会話を耳ざとく聞いたまひろの気づきを表しています。
注意を受け「只今持って参らせます」と恐縮する女房を、ちらりと横目で見る彰子。明らかに思うところがありますが、敢えては口にしません。そして、さすがにこの様子は、彰子の右後方に控えているまひろには気づきようがありません。ただ、彰子の好みは「薄紅色」と刻まれたのみです。
ある日の彰子は、敦康とお手玉で遊んでおりました。投げたお手玉を見事にキャッチした敦康。得意げな彼を褒めそやす周りと同時に、彰子も顔を綻ばせます。劇中において彼女が見せた自然な笑顔は初めてのものですから印象的ですね。二人を囲む女房達は「お次は中宮さま」とお手玉にもやってみせましょうと促します。彰子は無表情にぎこちなくお手玉を取ると、無造作にポーンと明々後日の方向へ大暴投。女房たちは一瞬、お手玉がどこまで飛んだかわからなくなるほどの暴投ぶり。見つけた女房たちは、そちらの方向へと大わらわ。
すると、彰子は大慌ての女房たちの目が向こうへ向いている隙を縫って、懐紙を取り出すと、そこに隠してあった、甘いあんずを「ないしょ」とニッコリ笑って敦康親王に差し上げます。敦康は嬉しそうにつまむとパクリ。にんまりします。そんな敦康と目を合わせた彰子は、女房たちにももしかすると倫子にすら見せたことないような世にも幸せそうな満面の笑顔を浮かべます。これまで伏し目がちのポーカーフェイスだった彰子にこんな表情があったとすれば、道長×倫子夫妻も驚くでしょうね。
おそらく、勝手におやつをあげたりすると、女房たちがあれこれと煩いに違いありません。また、彼女らは彰子が意思を示すことを好まないのでしょう。ですから、彰子と敦康は、こうやって時折、女房たちの目を盗んで二人だけの秘密の何げない楽しみをして、関係を育んできたのでしょう。「親王さまは中宮さまをいたくお慕いでございます」とは、行成の弁ですが、それはこうやってちゃんと彰子が関係を作ってきたからなのですね。
そんな二人の様子をまひろだけが目に止めます。衛門の言う「奥ゆかしすぎて」わからないという評とは違う、子どもをあやす優しい一面を見たのです。惜しむらくは、彼女の位置からは、敦康に向けた彼女の満面の笑みが見られなかったことです。あの笑顔を見れば、彼女の人となりにこの時点で強い関心を持ったと思われます。
さて、まひろが彰子にはっきりとした意思があることを知ったのは、里帰りを決め、彰子に暇の挨拶をしたとき。その日、彼女の周りには女房たちはおらず、一人でぽつねんと風景を見ていました。これまで、常に多くの女房が取り巻いていて、個人的に話す機会がなかったまひろは、最後にもなるかもしれない今がチャンスと思ったのでしょう、「中宮さま、藤式部でございます」と声掛けをします。
まひろへわずかに視線を送る彰子に、まひろは「お寒くはございませぬか?」と気遣います。まだ正月も上旬、外で過ごすような時期ではないからです。「炭を持ってこさせましょう…」と言いかけたまひろに向かって、彰子は、はっきりした言葉で「私は…冬が好き…!」と明言します。寒いのも好きだから大丈夫という意味も含む、その明確な意思表示に、まひろからはっとしたような息が漏れます。
まさか、新参者の自分に好みを言うとは、まひろも思っていなかったのでしょう。その驚きも覚めやらないところに、彰子は「空の色も好き…」と続けます。冬の澄んだ抜けるような青空が好きとの言葉に、まひろは「中宮さまはお召しになっている薄紅色がお好きなのかと思っておりました」とさらに驚きます。思い返されるのは、朝の洗顔で青い布が出されたときの女房たちの「中宮さまは薄紅色がお好き」という言葉…あれは何だったのか…
そして、まひろのほうへ振り向くと、まひろの質問に答えるように「私が好きなのは青。空のような」ときちんと説明も加えます。その物言いには、道長や衛門が心配するような意思の弱さや子コミュニケーション障害はまったく感じられません。ただ、話しかけたのはまひろからだとはいえ、何故、彰子がまひろの声掛けには反応したのかは、ここではわかりません。おそらく複数の条件が重なった結果であると察せられます。
まず、いつもの取り巻き女房たちがいなかったことがあるでしょう。公任や斉信が言うように、彼女らは彰子と同等の家の出の姫たち。かしずかれることが当たり前だった彼女たちは、どことなくおとないい彰子を軽んずるところがあるようです。それは中宮大夫の斉信の苦労からも察せられます。しかも、自身の従姉妹が三人もいる。倫子からの意を言い含められた小姑のような彼女たちは、倫子の思う彰子であることを望んでいるはず。彼女としては、角が立たぬようにしているしかなかったと思われます。そのプレッシャーから逃れたこと、そして何も知らない新参の身分の低いまひろには言いやすかったことがあるように思われます。
ですから、彰子が本音を漏らし、驚いたまひろがさらに話をしようとしたとき、いつもの面子から「中宮さま、このようなところでお風邪を召したらどうなさいます?」との声がかかった瞬間、彰子は残念そうに口を噤んでしまいます。そして、冬が好きな彼女は、女房らの寒いからという理由で部屋誘われてしまうのです。こうして、まひろと彰子の邂逅は、わずかなものとして途切れてしまいます。
おそらく、彼女にとって、藤壺の環境は女房らのなすがままになってれば楽だけれど、自分の意を汲もうとする機微を持つ女房たちがいないという点では窮屈なことでしょう。因みに衛門は幼い頃からの学問の師。よい人ですが緊張する相手という気がします。
ただ、彰子がまひろと会話をかわしたのは、相手が「物語」を書くためという特殊な事情で出仕したまひろだからという要素もあるように考えられます。彰子が部屋に誘われた後、「藤式部は何をしているの」と問われたまひろは「里へ下がる挨拶を」と彰子と会話があったことを濁します。彰子が自身の本音を知られたいかどうかわからないからでしょう。そして、言葉自体に嘘はありません。その話をするつもりもあったでしょうから。
そして、この会話を聞いた彰子は、何かもの言いたげな表情で、まひろを見つめるのです。何か別に話したいことがあった…そう感じられますね。ただ、その表情は寒さ対策で降ろされた御簾によって隠されてしまいますが。
彰子が何を話したかったか。それについては、後に考えることにしますが、ともかく、まひろはわずか8日の間に、噂に聞く彰子とは違う敦康への優しさ、はっきりとした意思を目の当たりにしました。そして、最後に見た何か話したそうな様子…まひろのなかで、彰子という女性が一つ、大きな引っ掛かりになったと思われます。そのことは、帰宅後に再燃します。
(2)まひろの決意
帰宅したある日、興味津々の惟規が乗り出すようにして「中宮さまって、うつけなの?」と聞いてきます。唐突な質問に「は?」となるまひろ。惟規は「みんな言ってるよ、亡き皇后定子さまは聡明だったけれど、中宮彰子さまはうつけだって」と世間に広まる噂を話します。
彰子がうつけという話は入内前に盛大に執り行われた裳着の儀のとき、参加した公卿らから伊周に漏れ伝わっていました(第26回)。また、帝との初対面での彰子の無反応には、居並ぶ公卿も戸惑いを見せていました(第27回)。謂わば、噂の種は彰子自ら、種を撒いたのは道長をよく思わない公卿ということになるでしょう。
しかし、この噂の要は、中宮彰子が亡き定子と比較される形で中傷されているという点です。わざわざ二人を引き比べるのは、定子を懐かしむ空気が内裏に醸成されているからです。定子への執着心が強い帝はともかく、内裏全体にその空気があるのは、誰かの定子を忘れさせないという意図が働いていると察せられます。当然、思い当たるのは「枕草子」です。
つまり、彰子がうつけという中傷は、「枕草子」の頒布がいかに効果覿面であったかを窺わせるものなのですね。「お美しく、聡明で、きらきらと輝いておられた皇后さまとこの世のものとも思えぬほど華やかだった後宮のご様子が…後の世まで語り継がれる」(第29回)ことを願い、それをもって道長に一矢報いようとした清少納言の恨みは、じわじわとそして着実に貴族間に浸透したのです。
加えて、藤壺は衛門から「どうにも行き詰まった気分」と言われるほど雰囲気も悪く、詰める女房たちは気位が高いばかり。華やかな文化サロンだった定子の登華殿より格落ちの感は否めないでしょう。「枕草子」で貶められた彰子の評判を、藤壺と女房らが補強する悪循環に陥っていると思われます。
ただ、「枕草子」は本来、生きる気力を失った定子、ただ一人の心を慰めるために生み出された少納言の優しさと慈しみの真心の結晶。その真摯な思いゆえに定子を案ずる少納言自身も、その執筆で救われました。そして、その執筆に、まひろを通して伝えられた女性たちの思いがささやかな後押しをしたことは、第27回noteで触れたとおりです。
しかし、その定子が亡くなり失意の底へと堕ちた少納言の復讐心とそれを利用する伊周の野心は、清らかな思いで生まれた「枕草子」をあり様を政争の具へと変質させてしまいました。結果、中宮定子を救った「枕草子」は、今や中宮彰子という一人の女性を中傷する刃になってしまいました。皮肉と言わざるを得ませんね。
少納言は知りませんが、かつて定子は彰子について「自分と同じ」だと帝に告げています。定子にとり彰子の入内は穏やかならざるものがあったはずですが、それでも「家」のあめに入内せざるを得ない彰子の負った宿命を慮ったのです。
根がおおらかな定子は、彰子を傷つける気が毛頭なかっただろうと思われます。そう考えると、もしも自分の愛した「枕草子」が彰子の中傷の道具とされていると定子が知れば、おそらくは哀しむことでしょう。少納言が、それに気づくか否かはわかりません。
無論、まひろは「枕草子」がそんなことを引き起こす道具となっているとは想像していないでしょう。まひろは、そうした個人の怨念や政治的な思惑から離れ、作品自体を味わい、親友ききょうを感じ、楽しんだと思われるからです。
「うつけではありません。奥ゆかしいだけ!」とムキになって言い返すのは、自分の見た彰子には気遣いも意思もあり、その噂が本人をよく知らない者たちが騒ぐ理不尽と感じたからでしょう。
わずか8日しか滞在せず、集中できないと藤壺から逃げ帰ったまひろですから、今はまだ藤壺への帰属意識などなく、純粋に彰子を思ってのことでしょう。「奥ゆかしい」と衛門の彰子評に寄せたまひろの言葉ですが、「謎」という衛門と違うのは「ご意志はしっかりおありになる」と確信していることです。惟規の「そんな怒るなよ」と弁解がましい言葉にも、まひろは憮然としたままです。彰子を覆う周りの無理解と理不尽への気がかり。その引っ掛かりが、藤壺帰参の一端になったようです。
里帰りしてはや数ヶ月、まひろは再び藤壺へと出仕します。今さらのように現れたまひろへの女房たちの、聞こえるようなひそひそ話は「辞めたんじゃないの?」「遊びに来ただけじゃない?」と辛辣なものですが、あの里下がりですから仕方ないところ。ただ、まひろはそれが聞こえていても痛痒にも感じていない様子で、寧ろ、その顔には達成感と満足感が窺えます。惟規といとの前で披露し、加筆修正した「源氏物語」第二帖「帚木」が完成したのです。
久々の参内ということもあり、まひろはまずは彰子に拝謁し「帝にお渡しするものが少し進みましたので…左大臣さまにお渡しに参りました」と報告します。
すると、彰子は「帝がお読みになるもの、私も読みたい」と単刀直入に希望します。彰子が、これほどはっきりと自分の気持ちを述べることは、これまでありません。しかも、まひろにとっては予想外、「え?」と単純に何言ったとばかりに聞き返してしまいます。彰子はなおも「帝がお気に召された物語を知りたい」と言葉を重ね、まひろはようやく彰子の求めが何かを理解し、驚きに目を見開きます。
久々の対面でいきなり切り出したところから察するに、彰子はまひろが再び出仕する日を待っていたのではないでしょうか。そもそも、昨今の彰子は敦康の養育のこともあり、帝を含め周りともコミュニケーションを取りたいと思っている節が窺えました。ですから、帝や敦康が何に関心を寄せるのか、注意深く眼差しを向けています。
そうしたなかで、帝が好む物語を書くまひろの出仕が、彼女の目の前で取り沙汰されたのです。帝がまひろに再度、会ってみたいと言えば、わずかに目を走らせ、まひろが出仕前に挨拶した折りも、「帝のお望み?」と、その出仕が帝の関心事であることを意識し、言葉にしています。
こう考えると、彰子は何も言わず、機会がなかっただけで、帝の望みで物語を書く女とその「物語」に強い関心を寄せていたことが窺えます。あのとき、他の女房がいなかったからこそ、彰子はまひろに「私は青が好き」と本音をはっきり言いましたが、本音はまひろと話してみたかったのかもしれませんね。別れ際、何か言いたげであったのも納得出来る気がします。
また帝への思いは、まひろが出仕した時点でこれまでのものとは変化しています。きっかけは内裏の火事です。あのとき、彼女は帝に手を引かれ、二人だけで炎のなかを駆け抜けました。彼女を案じ、庇うように抱える彼の優しさ、頼り甲斐を肌で感じました。また、抱き起こされるとき、これまでにないほど間近に彼の顔を凝視することもありました。
彰子は初めて明確に帝を恋愛対象として意識した…ときめいたのだろうと思われます。その後もおそらく帝と彰子には会話はないでしょう。会話がないならば、なおさらに想いは募り、彰子のなかで膨れ上がっていると察せられます。同時に恋する殿方が気に入った「物語」への関心も日に日に増し、それに触れる機会、そのことを知るその日を、今か今かと待ちわびていたのでしょう。だからこせ、開口一番「読みたい!」と素直に自分の気持ちを吐き出せたのではないでしょうか。
さて、予想外のことにまひろが戸惑うのは、前の話「桐壺」は既に献上済みで読ませてあげられず、かといって今、手元にある「帚木」は「桐壺」の続きですから途中から読んでもちんぷんかんぷんだからです。そこで、まひろは機転を効かせ「これまでのところを手短にお話しいたします」と「桐壺」の内容をかいつまんで話すことにします。
これを当たり前のことのように思われる方もいるでしょう。しかし、自分の気に入った作品の内容を、相手にわかりやすく、かつ興味を引くように手短に話せるかというと、これがなかなか難しいものです。まして自分の書いたものは、一言一句要らないものはなく、客観視しづらいため、難儀です。ですから、これが出来るまひろは大したものです。因みに興味深く話すという点については、「竹取物語」を娘に読み聞かせ、「カササギ物語」を四条宮で読み聞かせていますから、その経験が生きているでしょう。
さて、まひろの話は「帝は忘れ形見の皇子を宮中に呼び寄せ可愛がられます」「この皇子が物語の主です。皇子はそれは美しく賢く、笛もご堪能でした」という形で締められます。聞き終えた彰子は、この皇子について「帝みたい」と笑い、まひろも「真に」と笑顔で応じます。彰子が帝にときめいていることが、端的に表れていますね。
特に「笛が堪能」が興味深いところ。かの日に帝が彰子のために笛を吹いてやったこと(第28回)も思い出されます。彼女が「笛は聞くもので、見るものではございませぬ」と答え、帝を見向きもしなかったことに、彼はひどく落胆しましたが、そうではなかったのです。第28回noteで触れたように、彰子は「笛は聞くもの」として、帝の奏でる美しい調べに聞き入っていたのだと思われます。あれ以降、帝が彰子のために吹くことはなかったでしょうから、かの日の笛は強く印象に残っているということになります。
「その皇子の名は?」と「帝みたい」な皇子の名を問います。まひろは「あまりにも美しかったので光る君と呼ばれました」と答えます。先ほど、紙に書き付け、そしてこうして声に出されることで「光る君へ」というタイトルが回収されましたが、以前のnoteで話したとおり、誰が「光る君」であるのかは、登場人物ごとに違います。清少納言かにとっては定子が光る君ですし、高階貴子にとっては夫の道隆が光る君だったでしょう。また道長にとっての光はまひろです。
そして、彰子にとっての光る君は一条帝となるでしょう。ですから、帝を思い、噛み締めるように「光る君…」と呟くと「その皇子は何をするの」と問います。純粋に物語の続きとも取れますし、帝は何をお望みなのかしらという飛躍した質問とも取れますね。
この問いに対する「何をさせてあげましょう」という返しが、上手いですね。物語の先を濁すだけではなく、「中宮さまならどうされたいですか」と問い返すことで、彰子の想像を膨らませようとします。物語を楽しむ醍醐味の一つは、あれこれと想像の羽根を広げることですからね。
果たして、彰子の顔から微笑が漏れます。彼女の頭に浮かぶ光る君は何かをしようとしたのでしょう。その笑みは彼女の感情と意思の発露と言えます。まひろは再び、彰子の感情を確かめたことで、藤壺にて「物語」を書き続ける決意を新たにしたように思われます。
さて、彰子に挨拶したあとは、早速、道長へ上梓した「帚木」を手渡します。「大義であった」と道長は労いますが、里帰りして4ヶ月くらい経っているので、その間、まひろを信じて待ち続けた道長の辛抱強さにも「お疲れ様でした」と言ってあげたいですね。これが作家と編集者の関係だとしたら…上がって来ない原稿を4ヶ月も待つなど本業の方なら考えたくもないでしょうね。胃に空いた穴がブラックホールになってしまうんじゃないでしょうか?←
冗談はさておき、上梓されたものをパラパラめくった道長は「これで終わりか」と問います。まひろは「まだまだ続きます」と自信を覗かせて笑います。
里帰りしている間、まひろは「帚木」を書き上げただけではありませんでした。次々と物語が涌き出るほどに創作意欲は高まり気力十分。さらに彼女のなかでは、既にたくさんの話の種が熟成、ストックされ、書き出されるのを待っている状態になっているのです。この時点でどこまで構想したかは、さだかではありませんが、その言いぶりからはかなりの長編になりそうです。それは、つまり長期にわたり帝の気持ちを惹き付ける「物語」になるということ。
頑なな帝の心を解きほぐすには、長い「物語」であることが望ましい。道長にとっては、それでこそまひろの里帰りを許し、辛抱した甲斐があるというものです。勿論、今後もまひろが自分のために協力してくれるという確約してくれたこと自体も嬉しいでしょう。まひろの返答に、思わずニヤリとしてしまう道長です。
そして、道長にとっての朗報は続きます。まひろが「これまでわがままを申しましたが、お許しいただけるなら、改めて藤壺で中宮さまの御ため力を尽くしたいと存じます」と藤壺への出仕を続けながらの「物語」の執筆を申し出てくれたのです。これにより一条帝はますます「物語」への関心を高めるはずです。好きな作品の作者がすぐ傍にいて、いつでも会える環境になる…ファン冥利に尽きるというものでしょう(笑)そして、そのために帝が藤壺へ通うことになれば、いずれは彰子と子を成す可能性を生じさせることになるでしょう。願ったり叶ったりとは、このことです。
道長には意外だったらしく、「真か…」との驚きと嬉しさの入り交じった顔をすると、素直に喜ぶのが尺に障ったか、照れ隠しか、はたまた訝る気持ちか、「ありがたいことだが…どうしたのだ。よく気の変わるおなごだな」といたずらっぽくなじります。思えば、道長は出会ったその日からまひろに振り回されっぱなしです。やきもきさせられ、悩まされ、それでもどうしようもなく好きで一喜一憂してしまう…たまにはこうも言いたくなるでしょう(笑)
まひろは道長の問いに、ずいっと前に進み出ると秘め事を話すように、「中宮さまのお好きな色は空のような青らしゅうございます」とそっと告げます。道長は今度こそ「青?」と目をパチパチしばたたかせます。まひろ同様、召しているものから薄紅と彼も思い込んでいた可能性もありますが、それ以上に会話の少ない父娘ゆえに…娘の好きな色…そんな単純なことすら知らなかったこと、自分が知らなかった娘の一面、そして、それをまひろだけが知っていること、さまざまな驚きが道長にはあったでしょう。
驚く道長に、してやったりのまひろ。「中宮さまのお心のなかには表に出てこないお言葉がたくさん潜んでおるのやもしれません」と、彰子の可能性を述べます。そう、普通の人が寒い色としか感じず、華やかな宮中の女性たちが好まない色を美しいと思う彰子の心。そこには彼女の個性や感性、ひいては詩心のようなものすら感じられます。
また、彼女は愚鈍なふりをして、女房らの目を盗み、敦康にこっそりおやつをあげる優しさと知恵もあることを、まひろだけが知っています。彰子は意志薄弱な人形ではないのです。
となれば、俄然、彼女の人となりを知りたくなるのが、人情というもの。まひろは「中宮さまともっとお話したいと存じました」と、出仕しながらの執筆に切り替える理由を率直に述べました。道長は、敵わないなとでも言うように微笑して頷きます。そこにはよくわからず、自己表現がおそろしく苦手な我が娘の気持ちをも、まひろがほどいてくれるのではないか、そんな明るい兆しがあるのかもしれません。
ただ、まひろのほうは、理不尽な噂に晒される彰子を不憫に思い支えたい気持ちがある一方、彼女をなんとかしてやれるという傲慢な気持ちはないでしょう。彼女にあるのは、彰子を知りたいという純粋な興味関心と思われます。かつて、ききょうを前にして無邪気に言った「皇后さまの影も知りたい」と、ほぼ同じです。
人間というものを余すことなく知りたがる探究心…ときに無遠慮ともなるこの飽くなき好奇心こそが、まひろの「物語」を書く原動力と思われます。いとが下品とまで言った「雨夜の品定め」、あれを書けてしまう一端は、道長に呟いた「人とは何なのでございましょうか」(第31回)という問いが彼女のなかに居続けるからではないでしょうか。彼女は答えを求め、見聞きし、書き連ねていくのでしょう。
無論、この好奇心があらゆる手立てとなって、彰子の心のうちを引き出していくことにもなると思われます。同時にまひろに知られた彰子の本性は、まひろの書く「物語」の材にもなっていくのだと思われます。
3.「物語」が帝の心に染み入る理由
「お上のお渡りにこざいます」…いよいよ、まひろの書いた続きを読んだ一条帝が、まひろへ会いに藤壺を訪れる日が来ました。身分の低い一女房に会いにくる異例のことに左衛門の内侍「帝が藤式部に会いにいらっしゃるの?」と驚きを隠せません。
隣の控える馬中将の君の「中宮さまにはご興味ないもの(笑)」と揶揄を返します。まひろのことは歯牙にもかけず、中宮彰子に対する敬意もまるでないことはともかく、帝のお成りの場でこういう発言ができてしまうはしたなさには呆れますね。おそらく彼女に深い他意はなく、ウケ狙いで思いついた言葉をただ発しているだけでしょう。女房たちのなかで唯一、詳しく事情を知るだろう赤染衛門だけが、物陰から心配そうに見守ります。
着座した帝が、まず「彰子、変わりはないか」と自ら声を掛けるのが、前回までとは異なるところです。以前は彰子が話しかけようとしても気まずそうに目を逸らそうとしていましたから。彰子は黙ってお辞儀をするのみで変化はありませんが、そういう反応でも彼女に向ける顔は穏やかで気遣わしげです。
彰子にとって火事の逃避行が特別であったように、帝にとってもあの事件は彼女に対する見方を変えたことだったと思われます。あの日、彰子は自らも大切にする帝の大事な皇子である敦康をきちんと逃した上で、彼女自身は帝の安否がわかるまで、火の手が回りつつあるなか、その場を離れようとはしませんでした。意思なき人形のように見えていた彰子から明確に見えた彼女の強い意思と気遣いは、帝を驚かせ、戸惑わせたでしょう。しかし、そこに感じ入るものがどこかにあったからこそ、彼は自ら彰子の手を取り、二人で逃げようとしたのではないでしょうか。
道長の前では、「中宮ゆえ当然である」と義務感によるものと強調していましたが、それだけではなかったように思われます。そうであるなら、「中宮中宮と申すのは疲れる」と道長を突っぱねた苛立ちの言葉にも、道長への反発だけでなく、彰子への見方が変わってしまった自分自身への戸惑いも含まれていたかもしれません。
彰子への気遣いが済むと、帝は、御前に控えるまひろへ「藤原為時が娘まひろであったか、久しいのう…」と切り出します。主上として頂にいる人物が、何年も前に自分と会ったこと、さらに名前まで覚えていたのです。「?!」と驚いたまひろが、ひれ伏したまま挙動不審になるのも仕方ないでしょう。すると、帝は「高者未だ必ずしも賢ならず、下者未だ必ずしも愚ならず(意訳:高貴な身分の者が愚かで、卑しい身分の者が賢いことは珍しくない)」と白楽天「新楽府」の一説を朗々と暗誦します。
かつて、まひろは、偶然、一条帝に拝謁し、請われて、政に対する自分の意見を述べたことがあります(第19回)。それを聞いた彼は、目を輝かせて「その方は新楽府を読んだのか?」と聞き返したものです。そのときのまひろの答えが「高者未だ必ずしも賢ならず、下者未だ必ずしも愚ならず」の一節であり、またまひろ自身の政への意見の根拠ともなっていました。
自らの執政に対する批判の意を含んだ引用に「身分の高い低いでは、賢者か愚者かは計れぬな」と苦笑いしつつも、帝は深い感慨と喜びを覚えたのでした。彼は、その思い出を、「新楽府」に託したのですね。
こうまで覚えられていては、まひろも若き日の自分の大胆不敵、無礼千万の言動に恐縮するしかありません。恐縮しきりのまひろに「朕の政に堂々と考えを述べたてるおなごは亡き女院さま以外にはおらなんだゆえ、よく覚えておる」と、懐かしさもあって、穏やかな声で話しかけます。
しかし、続く「光る君とは敦康か」という問いには、厳しい詰問の調子が宿ります。ただ、これでも周囲に道長や彰子がいることを慮り、婉曲的に「桐壺帝と桐壺更衣は、朕と定子か」と質問しているのですね。こうした婉曲的な物言いから、まひろが帝が強い語調とは裏腹に比較的冷静であることを見て取ったのでしょう。まひろからは、若き日の件に関する恐縮はすっとなくなり、顔をあげ、真顔で帝を見ると、一言、「内緒にございます」とだけ答えます。
なかなか上手い腹芸ですね。「そうだ」と答えれば、帝を批判したと公然と語ることになってしまい、自身はおろか道長や為時など周囲を罰に巻き込む可能性があります。さりとて、帝の感じたことは事実の一端ですし、彼のそれを聞きたい真摯な気持ちも理解できますから、嘘もついてしまうのも不敬の極み。真面目なまひろですから人情と礼節はあるのです。
ただ、一方で、モデル問題ということで言えば、おそらく「光る君」のモデルは敦康親王一人だけではありません。例えば、彰子がそう感じたように「光る君」は一条帝もモデルでしょう。そして、これから「光る君」が成長するに連れ、もっとさまざまな人々が彼へと投影されていく…となれば、「光る君」は、まだまだ可変的な存在です。これから紡がれる物語次第です。
となれば、「物語」の先を問うことにもなる帝の質問には「内緒」としか答えようがないのです。つまり、この言葉の言外にあることの一つは、「それを聞いてしまうのは野暮ですよ」というものでしょう。これこそ、嘘をつく以上に面と向かって言える言葉ではありませんね(笑)
一番聞きたいことを上手くかわされてしまった帝ですが、これも予想の範囲内だったのでしょう。今度は「あの書きぶりは朕を難じておると思い腹が立った」と初発の率直な感想を述べます。何せ、初見は、冒頭を読んだだけでパタンと閉じてしまいましたからね(第31回)。もしかすると、献上したのが道長であったことから、帝は道長が命じて書かせたものとぐらいまで思ったかもしれません。となると、その瞬間的な怒りは結構なものだったでしょう。
想定していた感想とはいえ、直接言われれば、やはり申し訳ない気持ちになるのでしょう。まひろの面持ちは神妙になります。まひろを信じ、その矢面に立つ覚悟をして献上した道長は。沈思するがごとく微動だにしません。
しかし、それでも帝は読まずにいられませんでした。皆既月食で真っ暗闇になるなか、多くの貴族が闇を恐れるなかでも帝は火を灯し、明け方になるまで読み耽っていましたね(第32回)。それほどに、帝はまひろの書く「物語」に引き込まれたのです。そのことについて、帝は「されど、次第にそなたの物語が朕の心に染み入ってきた。真に不思議なことであった」としみじみと語ります。
物語が心に染み入る…まひろの紡いだ「物語」が、帝の心に届いただけではありません。「物語」の内容が、表現が、彼の心の奥底にまで浸透していったのです。言い換えるならば、「物語」は、読み手の傷ついた心、哀しい気持ちといった負の部分すらをも、癒すように満たし、心の一部となって静かな感慨を起こしているというところでしょうか。
まひろの「物語」に揺さぶられたという帝の言葉に「あ…」となったまひろは、人が物語を読んだときにどういう思いを抱くのか、その本質を感じ取った確信のような安堵のような表情をします。
最初、中宮のために書いた物語を書いたとき、ただただ楽しくて笑っていた道長の反応を見て、まひろは自分の書いたものへ感じていた不満が何かを自覚しました。それは、第31回note記事でも触れたとおり、ただ「楽しいだけ」では哀しみを抱えた人を慰めることはできないからですが、裏を返せば、彼女の求める物語とは「楽しいだけ」ではない人の影の部分も必要だということです。
思い出されるのは、「おかしきことこそめでたけれ」という直秀の言葉です。これはわざわざ第31回でも繰り返されましたが、正確には「笑って辛さを忘れたくて辻に集まるんだ。下々の世界ではおかしきことこそめでたけれ」(第6回)です。つまり、「楽しさ」や「笑い」の裏には哀しみや辛さが潜んでいるということです。「おかしきこと」とは「楽しさ」と「哀しみ」の表裏を持っています。
そして、まひろ自身も多くの哀しみも辛さも味わう半生でした。それらが、人間から切り離せないことを幼い頃から知っているのです。だから、「楽しい」だけでは物足りない、嘘くさいと感じたのでしょう。何故なら、人間はそれらを両方持っているから。その思いは、ききょうに語った「人には光もあれば影もあり(中略)複雑であればあるほど魅力がある」(第29回)にも通底していますね。謂わば、まひろなりの人間観なのでしょう。
帝へと献上した「物語」は、元々、帝の御ために書き始めましたが、その思いは保たれつつも、やがて彼女自身のためへと軸足が動いていることは、まひろは明言しています。それでも、なお帝の心を動かしたのは何故でしょうか。それは、彼女の物語には、人間の真実が描かれているからではないでしょうか。彼女の「物語」は、自身の体験、彼女と出会った人、見聞きした人、多くの人の人生が材料となって畳みこまれています。そのことは、彼女の創作の心象風景からも窺い知れます。
そして、本作の主要な登場人物を考えてみると、まひろと道長主人公二人も含めて、そのほとんどが、完全な善人でもなければ、完全に悪人でもありません(まあ、一部、救いようのない人はいますが)。たぶん、私のnoteを読み返しても、おそらく欠点のない人物として考察されている人はいないでしょう(笑)そして、その光と影の両面の間で揺れ、葛藤するからこそ、「人の思いと行いは裏腹」(第28回)という定子の言葉のように人間はなるのでしょう。
ですから、それを受け入れるまひろの人間観と人間に対する飽くなき好奇心は、その両面を余すことなく観察し、余すことなく描きます。「雨夜の品定め」のような「下品な殿御たちの話」(いと)も必要なのです。何故なら、それも人間の一面だからです。こうして、彼女の描く「物語」の登場人物は、人間として生き生きと生きていくのです。そして、その人間たちが織り成す「物語」が、帝の心へ語りかけてきたのだと思われます。
因みに「枕草子」は、定子と登華殿の華やかさへの美しい思いだけが封じ込められています。それでも、これがリアリティを持ち、人の心を動かすのは、少納言の人間観察と人間味自体には光と影があること、そして、描かれていることが実在の人と事実であることが理由の一つと思われます。さらに同時代であれば、人々の記憶と懐かしさを刺激するノスタルジックな部分も強く作用したでしょう。
しかし、まひろが紡ぐのは「物語」。この「物語」は、最初から嘘、フィクションです。これが表現の力をもって、真実の影を生み出していくには、その人物造形や話の作りにおいてなるべく嘘がないことが必要になってきます。ただでさえ嘘なのに、綺麗事で書いてしまうとご都合主義が悪目立ちしてしまう。そこがフィクションの難しさの一つでしょう。そう考えていくと、人間の光と影の両方を描くというまひろの手法は妥当性があるようです。
さて、まひろの「物語」に揺さぶられた帝は「朕のみが読むには惜しい。皆に読ませたい」と、その頒布を提案します。明らかに自分だとわかる描写があるにもかかわらず、彼はそれを皆と共有し、語り合いたいというのです。そして、この「物語」の続きを楽しみにしているから、書いて欲しいという帝の望みも込められています。
多くの人が自分の「物語」を読み、思いを巡らせ、語らうこと…作者冥利に尽きるとは、このことです。断る理由などあるはずもなく笑顔で頷くと「物語は女、子どもだけのものではございません」と、漢籍や和歌よりも低く見られがちな物語には、多くの人を揺さぶる力があるとまひろは自信を覗かせます。
そんなまひろを横目で見るのは道長と彰子ですが、まひろが目を合わせたのは彰子のほうです。「中宮さまにもお読みいただければ、この上なき誉れに存じます」と、共に楽しみましょうと声を掛けます。彰子の「読みたい」という希望を汲んだまひろの粋な言葉に、彰子は微笑を返します。それを見守るような、一条帝の眼差し…「物語」がいずれ、帝と彰子を結ぶかもしれないことを予感させますね。
そして、道長もまた一世一代の賭けにどうやら勝てたらしいことに安堵します。まだまだ先は長く油断はできないにせよ、「枕草子」によって過去と定子に囚われた帝の心を救い、藤壺に足を向けさせる足掛かりはできたと言えるからです。
予想外だったのは、帝から直々の頒布の提案でしょう。宣旨、勅命といった強いものではありませんが、帝の希望とあれば、堂々とまひろの「物語」を内裏に広められます。当然、紙の供給の心配はまったくありませんし、何よりも「枕草子」の頒布によって内裏に蔓延している彰子の中傷や定子を懐かしむ空気を一層できることは、大きいでしょう。
おわりに
まひろは、道長の依頼のまずは第一段階までを上手く進めることができました。この「物語」の頒布の沙汰までもらったことは、上々の滑り出しとすら言えます。上機嫌の道長は、まひろのいる局にて「褒美である」と扇を下賜します。意外なことに驚くまひろに「これからもよろしく頼む」と笑顔を浮かべ、長居することなく立ち去ります。ここからが正念場ゆえに気を抜くことはできませんし、公の場でもあります。喜びつつもあくまで同志としての節度を守っています。
まひろは、道長から初めてもらった褒美の品である扇を開いてみます。そこには、かつてのまひろと彼女に跪く三郎が川べりで佇んでいます。そう、そこには、まひろと道長(三郎)が初めて出会ったあの日が生き生きと描かれています。遥か遠くに去ったと思っていたあの日が、急速にまひろの眼前に広がります。思い出されるのは、かの日の会話…あの日、彼女は籠の中の鳥を逃がしてしまい、それを追ってきました。
まひろが「鳥が逃げてしまったの」と告げると、三郎は「鳥を鳥籠で飼うのが間違いだ。空を自在に飛んでこそ鳥だ」と、それこそが動物の本然と理を説きます。その言葉は、理屈としては正しいのですが、それはまひろの気持ちを救うものではありませんでした。そして、まひろは逃げたら生きられない鳥の運命も思い、逃げられたことへ気持ちも含め、二重の哀しみで泣き出してしまいます。因みに、まひろが作り話をしたのも、この出会いの日の思い出です。
さて、あの日の鳥を巡る会話を思い出したとき、扇の端に鳥が描き込まれていることに気づいたまひろは、目を奪われます。道長は、あの日、慰めようと理屈を説いて、逆に泣かせてしまったことを今もなお申し訳ないと思っていたのでしょう。また、できるはずもなかったけれど、あの日の三郎が、まひろにしてやりたかったのは、逃げた鳥を取り戻すことでした。それだけが、逃げた鳥の運命までをも思い哀しみに暮れた少女の心の慰めだったからです。
道長は、あの日から四半世紀経って、遂にまひろのために、あの鳥を彼女のもとへと呼び寄せてくれたのですね。そして、まひろは気づきます。道長のくれた「褒美」とは、この扇ではなくて、この扇に描かれたあの日の鳥なのだと…。鳥を失い、道兼に母を殺され、道長と別れ、親友さわも亡くなり、宣孝と死に別れ…思えば、まひろの人生は大切なものを失っていくものでした。わかっているのは、失われたものは取り戻せないということ。しかし、道長はこの扇にその鳥を留め置き、彼女の心を救おうとしてくれているのです。
加えて、この扇は、一朝一夕に作られたものではなく、わざわざ受注して作ったものであるに違いありません。つまり、「わからん」「賭け」だと言いつつも、道長は、彼女の「物語」を信じようとしていたのですね。だから、「褒美」を用意して、渡せる日を待っていたいたのでしょう。この扇は、まひろへの信頼の証であり、これからもお前を信じているという彼の思いでもあるのでしょう。渡したときの「これからもよろしく頼む」という言葉と響き合っているのが、心憎いですね。
扇と鳥に込められた道長の長く、深いまひろへの情愛、忘れることのない出会いのあの日への郷愁…言葉にすれば陳腐ですが、さまざまな想いと感情が、まひろを一気に襲ったことは間違いありません。思わず抱きしめると、笑み、泣き、感謝、嬉しさ、寂しさなどあらゆる感情を含んだ表情になってしまうまひろ(吉高由里子さんの芝居の真骨頂でしょう)
もう後戻りはできません。今や「物語」を書く原動力も十分です。そして、彰子という藤壺に出仕するモチベーションも整いました。いよいよ、女房、藤式部が始動するということになります。内裏にいる以上、内裏で起こる出来事、例えば、今回の興福寺の強訴などにも巻き込まれるでしょう。こういうなかで彰子や藤壺の人たちとどう縁を結び、信頼を気づいていけるかも大切になります。そして、その経験や人々もまた、まひろの「物語」の一部となるでしょう。
因みに、あの日の出来事がこうして扇として視覚的にまひろの目に入ることになった以上、この扇から、「北山の垣間見」における若紫の言葉、「雀の子を犬君が逃がしつる、伏籠のうちに籠めたりつるものを」を思いつくことになるのでしょうね。何もかもが、まひろの「物語」の材なのですから。