「光る君へ」第35回 「中宮の涙」 過去を昇華していくこと
はじめに
「覆水盆に返らず」…「封神演義」で知られる周の太公望の逸話が元になったこの諺は、一度起きてしまったことは二度と元には戻らないという意味で使われます。言い換えれば、過去とは動かしようのないものということです。したがって、美しい思い出であれば、人はそれに囚われ、取り返しがつかない後悔であれば、人はそのトラウマに延々と苛まれます。その過去の善し悪しにかかわらず、人の生き方は過去に縛られ、左右されてしまうものです。そのことは、歳を重ね、経験が多く、深くなればなるほど、過去の呪縛はより強くなっていくでしょう。だからこそ、忘却はある意味、救いにもなったりします。
起きてしまったことが変えられない以上、人は過去から逃れることはできません。人に出来るのは、過去とどう向き合うか、その一点です。その方法は、耐える、立ち向かう、乗り越える、清算する、区切りをつける、封じ込める、あくまで逃げ回るなどなどさまざまです。どんなやり方であろうと、今を生きることを念頭に、自分にとってもっとも妥当な過去との付き合い方を見つけていかざるを得ないでしょう。
過去との落としどころ次第で、それは何かを生み出す原動力にもなりますし、逆に過去に囚われ現実が見えなくなってしまう、身動きがとれなくなってしまうこともあります。
例えば、まひろの描き出す物語は、前者の賜物でしょう。彼女の心象風景を舞う言の葉たちは、彼女自身の過去、彼女が見聞きした人々の過去です。彼女は、それらを自在に紡ぎ、新しい物語を生み出します。彼女の「物語」が人の心を癒し、楽しませることの一端は、そこに自分の過去や真実を見出すからでしょう。
一方、美しい過去に囚われ、過去に生きているのは一条帝でしょう。ただ、そのあり様も少しずつ変わっているのは、彼自身が変わりたいとどこかで願っており、その思いにまひろの「物語」が作用しているからです。そして、彰子への見方が変わったことも大きいでしょう。しかし、未だ決定打になり得てはいません。
前回、まひろが言ったとおり、まだ多くの過去に縛られてはいない彰子の純粋な帝への気持ちの発露が、帝の心をこじ開けることになるのだと思われます。そこで、今回は、彰子の想いがどう開かれ、それが帝の心をどう動かすのか、そして二人の想いにまひろの「物語」がどうかかわるのかを中心に、人々が過去を昇華するさまについて考えてみましょう。
1.道長暗殺未遂を防ぐ隆家の想い
8月2日早朝、道長は長男頼通、源俊賢らを含む少ない手勢で御嵩詣でのために金峯山へと出発します。それは、まひろが道長から拝領した扇を思わず抱きしめ、その無事を祈るほどの難行です。俊賢が落ちそうになりながら、頼通の腕をつかんで、なんとかよじ登るという登山の場面にもその大変さが表現されていました。
しかし、この御嵩詣でが危険であったのは、その道中よりも、道長の与り知らぬところで、伊周がこの機に乗じて、道長一行を襲撃する計画を立てていたことでした。道長の供回りが少ないと知った伊周は「己の身が万全だと油断しておるのか」と嘲りながらも、大願成就の好機とほくそ笑みます。彼が「11日に落ち合おう」と、集まった配下に言い置いたのは、そのくらいに道長一行が御嵩詣でを終えると踏んだからでしょう。伊周は万難を排して、彼らの疲れ切ったところを襲撃しようと算段しているのです。
伊周邸を去っていく物々しい者たちと、丁度すれ違った隆家は、兄がまたよからぬ企みをしていると訝ります。いい酒が入ったから飲もうという声をかける隆家ですが、復讐心に囚われた伊周は「酒は飲まぬ」などと体よく追い返します。隆家を巻き込みたくないということよりも、邪魔されたくないという後ろ暗さからの言葉でしょうね。
因みに「皇后さまが身罷られてから飲んではおらぬ」は嘘ですが、この暗殺を祈願するために断酒している可能性はあります。もし、そうであるなら、彼の執念は相当のものと言えるでしょう。明らかに様子がおかしい伊周ですが、とりつくしまもないでは隆家もどうにもなりません。おとなしく引き下がりますが、聡い彼はこれだけで何が起こるのかを察知したようです。
そして、それかた9日後、すべての行程を終え、後は帰るのみの道長一行を冷ややかに見下ろし、待ち構えるのは伊周たちです。伊周は、検非違使への推挙をちらつかせながら、平致頼へ「必ず射止めよ」と命じます。致頼へのこの一言ではっきりしたのは、伊周の謀のために集められた面子は目先の利益のためだけに動く連中ということです。道長の政治に不満を持つ、あるいは伊周の政の方針に賛同するといった政治的なつながりはありませんし、また伊周を慕って集まったというような人望によるものでもありません。
そもそも、彼の旺盛な権勢欲は、権勢をつかむことだけが目的化しており、政のビジョンがありませんでした。内大臣になったおり、道兼に疫病対策を問われましたが、人任せ、民に酷薄といった態度で道兼を呆れさせていました。また、定子が「人望を得られませ」と助言せねばならないほど、周りに傲慢な振る舞いを見せていました。
長徳の変から12年…伊周は変われたでしょうか。道長を一方的に逆恨みした彼は、時代を見ることなく、復讐と中関白家の復権のみに汲々とし、したことと言えば、「枕草子」を頒布し、帝に取り入り、その心を過去に縛りつけただけです。過去の栄光にすがる伊周に未来のビジョンはなく、他の貴族たちと親しくするような場面も描かれませんでした。責任転嫁も相変わらず。そう…彼は何も変わっていないのです。
一方の道長は、次々起こる国難に公卿らの意見を尊重しながらリーダーシップを発揮してきました。実りよりも辛酸を舐めることのが多い政の日々は、為政者の孤独に耐え、苦悩を深め、自らの責任に苛まれるもの。最早、道長と伊周の差は歴然としている…それが「光る君へ」における両者です。
そして、今、国の安寧を願い御嶽詣でに臨んだ道長一行を、個人的な復讐心と野心をたぎらせる伊周一味が襲おうとしているのです。伊周らが画策する襲撃場所へと吸い込まれるようにやって来る道長一行…すべては伊周の思う壺。襲撃を手のものに任せ、腕を組み悠然と構える伊周からは勝利の確信が感じられます…いよいよ、その時が来た…!そう思った刹那…
「急がれよ!」と叫ぶ男が現れ、道長に抱きすがります。隆家です。道長に抱きすがるようにしたのは、兄たちの矢から道長を庇うためです。このとき、隆家は空を見上げ、伊周と目を合わせます。驚く伊周は失敗を悟り身を伏せます。
この一瞬に隆家の有能さが、つまっています。まず、隆家は、伊周の襲撃が御嶽詣でを終え、疲れきった帰り道だと時期を当てています。そして、伊周らが身を隠し、矢を射かけるのに最適な高低差がある山林が襲撃場所と見抜いた上でここに来ています。振り返り兄を見たのも、その場所ならどの位置から射るのか、それがわかっているからですね。
勿論、隆家は伊周の襲撃未遂を道長に悟らせることはしません。驚く道長と俊賢に「手前に大きな石が落ちておりました。この辺りで近く落石が落ちるやもしれません。急ぎ通り抜けることをお勧めいたしまする」と、兄の気が削がれているうちに道長を一刻も早く逃そうと機転を利かせます。咄嗟の判断もさすがですね。
後は、この場に隆家が現れたことの不自然さを取り繕わねばなりませんが、幸い相手から「そなたも御嶽詣でか」と聞いてくれました。襲撃があるとは露とも思っていない道長らは隆家を疑いもしていないようです。内心の安堵は見せないまま、「ええ、私も中宮さまのご懐妊を祈願せねばと思い立ちまして」と、「私も中宮さまを気にしています。左大臣の味方です」という自己PRも忘れない方便をいけしゃあしゃあと述べるとなると感心するしかありませんね(笑)
隆家の助言に素直に従う道長一行を「どうぞご無事で」と見送りますが、これは兄への「諦めろ」というメッセージにもなっていると思われます。こうして、微に入り細に入る隆家の対応によって、暗殺計画は未然に防がれました。歴史に残らぬ隆家の功績となりましょうか。
しばらくして…隆家は、襲撃を阻止され悔しさに震える兄伊周と落ち合います。共犯者らはそれぞれに散ったようで、伊周はやはり一人ぼっちです。伊周は「お前は何故、俺の邪魔ばかりするんだ」と絞り出すように言うと、「あのときも俺が止めるのも聞かずに、お前は花山院の御車を射た。あれから何もかもが狂い始めたのだ」と、またも12年前の花山院襲撃の過去を持ち出します。
兄の苦し紛れの責任転嫁に、居たたまれない隆家は横を向きます。カメラはそんな隆家を斜め後ろのミドルショットで捉えていますが、表情がギリギリ見えない辺りに彼のやりきれない思いが表れています。
ただ、伊周は「されどお前を恨んだ覚えはない」と続けます。たしかに隆家は伊周の邸の敷居を相変わらず跨いでいますし、伊周も邪険にする割には来るなと拒否することはありません。以前、お前のせいだと言わんばかりに花山院襲撃を口にしたとき(第29回)も、「とりあえずひっそりしているほうが利口だと思う」という隆家のアドバイスへ「お前に説教される謂れはない」と言い返すための情けない言い訳でした。ですから、伊周の言葉に嘘はありませんが、言われ続ける隆家のほうはたまったものではありません。
兄の恨んでいないとの弁に振り向きかけた隆家ですが、「だが今…」と伊周が言いかけたところで、カメラは向き合う二人のロングショットになり、兄弟の対立が強調されます。案の定、伊周は「ここまで邪魔をされるとは…」と詰め寄ると「お前に問いたくなる。隆家、お前は俺の敵か」と、そこまで俺が嫌いなのかとまなじりをあげます。
しかし、隆家は兄の怒りを受け止め「兄上を大切に思うゆえ阻んだまで」と静かに、しかしきっぱりと答えます。弟の言葉は、伊周にとっては意外なものらしく、目を見開きます。情けないことですが、伊周にとって彼に好意的な人物とは、自分の意に染む人だけです。常に苦言を呈する弟は、逆張りをして我意を通しているだけに見えたのではないでしょうか。しかし、我欲で弟を正しく見ていないのは伊周のほうです。
隆家は、「左大臣を亡きものにしたところで何も変わらぬ」と、目の前ではなく時代を見るべきだと改めて言います。前々から隆家はかつて「左大臣の権勢はもはや揺るがぬぞ」(第29回)と伊周を諌めており、彼の世情を読む力、一貫した現実主義が窺えます。
そして「大人しく定めを受け入れて…」と言ったところで向かい合うと「穏やかに生きるのが兄上のためだ」と穏やかに諭します。道長の権勢が続くと見た隆家は、流罪が解かれてすぐ、蜆を土産にいち早く道長の懐に飛び込み、売り込む柔軟性を見せています。それが出来たのは、彼にとって出世、権勢とは二の次で「志ある政に携わりたい」と、自分の才を活かすことが第一義だったからです。目的のためなら、なりふり構わない。そのあざとさは行成の警戒を呼ぶ一方で、真摯な思いは道長に届いています。
自分自身は臨機応変に振る舞う一方で、隆家は自分と同じことを兄は求めません。異様にプライドが高く、それゆえに傷つくことを極度に恐れ、トラブルに狼狽えるナイーブな伊周に、それが出来ないことをよく知っているからでしょう。
そもそも、花山院襲撃は浅慮の極みでしたが、発端は女にフラれたとクヨクヨする伊周の鬱憤を晴らすためでした。また、帝の命に逆らい出頭しなかったのも見苦しく怯える兄に付き合ってやっただけ、つくづく兄思いな弟だったのです。だから、「道雅も蔵人になったばかりではないか」と中関白家再興を願うなら、息子の大事なときを支えてやるべきだと、彼の「家」へのこだわりに訴えるのです。
直接には初めて聞く弟の兄への思いに呆然とする伊周に、隆家は「俺が花山院の御車を射たことで兄上の行く末を阻んだことは昔も今もすまなかったと思っている。それゆえに、憎まれても兄上を止めねばならぬと思ったのだ。これが俺にできるあの過ちの詫びなのだ」と、ここまでしたか、そして、これからも兄のためになるなら憎まれ役を努める覚悟を語ります。
今をどう生きるかを第一に考える隆家は、過ぎたことにはこだわらないようにしています。姉定子のことは哀れに思っても、そこに縛られすぎません。しかし、伊周は今をまだ生きているし、生きなければいけません。だから、前向きになってほしいのですね。
思い詰めるように伊周を見つめる弟の眼差し…なおも復讐に拘る伊周には受け入れがたいですが、隆家の気持ちは伝わります。その真摯な眼差しに耐えかねた伊周は目を反らし苦笑いするしかありません。長徳の変から12年、未だに同じ低空を旋回しているだけの伊周に比べ、当事、16歳だった隆家はいつの間にか花も実もある公卿になろうとしていることは認めざるを得ません。
間を置いて「帰ろう…」と隆家にかけたのは、弟の真摯な思いに兄らしく答えられるただ一つの言葉、プライドだったでしょう。
帰りがけ、伊周は「道長なぞ狙ったつもりはない…ははは…うつけものめ…」と呟きます。道長から大切なものを奪いたい伊周に取り、この暗殺の主は嫡男、頼通だった可能性はあります。しかし、今、これを呟くのは、暗殺失敗、弟の成長と思いに打ちのめされてしまったがゆえの負け惜しみと自分への慰めだったと思われます。
こうして隆家は、長徳の変に端を発した兄への後ろめたさの過去に一区切りをつけます。それでも変われない兄の姿は苦いものでした。深いため息をつきながら、隆家も帰路に就きます。
2.まひろと道長の関係の現在地
(1)道長の心中に関するまひろと帝との対話
まひろの書く「物語」は既に第四帖「夕顔」までが帝に献上されたようで、早速、帝は感想を述べ、レクチャーを受けるために局を訪れています。「白い夕顔の咲く家の女は何故、死なねばならなかったのだ?」と帝が聞くのは、可憐で特に落ち度のない夕顔が、唐突にあっさりと亡くなった理不尽に向けられています。
夕顔は、頭中将の側室でありながら嫡妻からの嫉妬が強く市井で隠れ住んでいたところを光源氏に見初められ、互いに素性を知らぬまま結ばれますが、結局は幼い娘(後の玉鬘)を遺し若死にします(正体不明の生き霊が原因と仄めかされています)。後に源氏は彼女が頭中将の妾妻であり、「雨夜の品定め」で彼が話した「常夏の女」であったことを知ることになるという伏線の回収も興味深い一編です。
因みに、若き日のまひろが代筆仕事で読んだ和歌「よりてこそ それかとも見め たそかれに ほのぼの見つる花の夕顔」は、光源氏が夕顔に「逢いたい」と詠んだ歌として採用されています。あのときは、相手を知らずに詠み、失敗しましたが、こうして架空の世界にて汚名返上と相成りました。それにしても、あのときの和歌をまだ覚えているまひろの記憶力も大したものですね(笑)
さて、「生き霊の仕業にございます」とのまひろの答えに「光る君の夢に現れた女が取り憑いたのか…」と理屈はわかるものの、心情的に納得し難いものがあるようです。夕顔は、婚姻においては嫡妻の嫉妬から逃げるしかなく、また新たな恋人光源氏との恋愛においては、彼を慕う女の生き霊に取り殺される…その美しさゆえに翻弄されるという佳人薄命の典型です。もしかすると、この哀しき定めに死んだ夕顔に、帝は若死にした定子をわずかに重ね、光源氏の傷心にも同情したのかもしれませんね。
伏し目がちなまひろの目が思案げに動くのは、帝のそんな心の揺れを察したからかもしれません。静かに「誰かが、その心持ちの苦しさゆえに生き霊となったのやもしれません…」とだけ答えます。夕顔に取り憑いたらしいこの生き霊が誰なのか、その正体は曖昧なままにされています。まひろもその答えを明確には示しませんでした。ただ、書き手のまひろが、その生き霊に対する同情、あるいは愛情を持っていることが窺えます。
一途な想いは、美しいばかりではなく、その強さゆえに抑え込めば当人を苛み、吐き出せば周りを巻き込み惨事をなすこともままある諸刃の剣。その愚かさをよくよくわかっていても、どうにもならず、葛藤するのが、人が人たる所以です。帝に答えるまひろにも経験がありますし、答えを聞く帝も自身の定子への執着心を思い浮かべるでしょう。したがって、夕顔の死は、絡み合った人の思いが織り成した結果であって、誰か一人の原因ではなく、定めであったとしか言いようがない…その結論に帝も、そういうものかと一応の納得を示します。
しかし、まひろの指摘する強い想いであるがゆえの「心持ちの苦しさ」の話を聞き、帝の心にわだかまっていた一つのことが頭をよぎったようです。少し逡巡した後、思い切ったように「左大臣の心持ちはどうなのであろう?御嶽詣でまでして中宮懐妊を願う左大臣の思いとは…」と今の話に引っ掛けるように、物憂い表情で切り出します。
左大臣という国家の重責を担いながら、御嵩詣でという命を省みない行為に逸る道長の心情を計りかねています。中宮解任が、自身の権力の維持、強化が目的でであれば、自らが生きていなければ意味がありません。政ではない神頼みに命をかけることは筋が通らないのです。そもそも、帝の心底には、まひろにこのことを聞いてみたい思いもあったかもしれません。道長の依頼で帝に進呈する「物語」を描いた彼女であれば、誰よりも道長の心根に通じていると思われるからです。
前回も「このままでは不憫すぎる」との道長の本音を聞いているまひろは、表情を変えることもなく「それは親心でございましょう」と即答し、「左大臣さまが願われるのは、中宮さまの女としての幸せだと存じます」と、ただ入内させざるを得なかった娘のせめてもの幸せを願っていると述べ、野心ではないと推察します。
「御嶽詣では命がけの難行であるぞ、そのようなことで…」と答える帝は、御嵩詣での厳しさがわかっていないのではないかと問うのですが、まひろは「そのようなことに命をかけるのが、人の親にございます」と親の想いの一途さは自らを犠牲にすることもあると説きます。まひろ自身、宣孝が亡くなり貧に窮したときは「私の気持ちなぞどうでもよろしいのに!」(第29回)と娘を生き延びさせる選択を父に迫っています。子どものためであれば、なりふり構ってはいられない。その体験もあっての言葉と思われます。もっとも、その割にまひろは、「物語」執筆に没頭、宮中への出仕で娘の気持ちを慮れてはいないのですが…
ここで再び思い出されるのは、紫式部が好きだったという曾祖父、藤原兼輔の「人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道に惑ひぬるかな(訳:人間の親心というのは闇ではないのだが、我が子を思う中では困惑し、迷ってしまったのだなぁ)」という一首です。この和歌は、「光る君へ」では、第2回冒頭でまひろが紙に書きつける、第30回、賢子とすれ違うなかで呟くという形で引かれていますが、本作のテーマの一つに親子関係があるということなのでしょう。
既に兼家と息子たち、詮子と一条帝、道長&倫子と彰子、まひろと賢子、貴子と伊周と、それぞれに描かれてきましたが、頼通や賢子といった次世代の活躍が出てくると、まひろと道長はそれぞれに親子関係に悩むと思われます。
さて、帝はまひろの再度の答えにも「朕も三人の子を持つ親ゆえ親の心はわかる。されど、此度のことは…」と理解しがたいと悩む表情になります。この帝の反応は両義的です。一つは、帝は親心の深さにまだ思い至っていないという点です。確かに彼は三人の子の親であり、定子を失った今、後ろ盾のない我が子を案じる気持ちも強く持っているでしょう。修子内親王を手元で育て、敦康の元を度々、訪れることにも彼の子らへの愛情が窺えます。また、彼が中関白家の復位に心を配るのも、結局は我が子の行く末のためです。
とはいえ、現状の修子も敦康も蔑ろにされてはいません。比較的、幸せに育っていると言えるでしょう。つまり、幸いにして、我が子の未来が閉ざされるという危機的な気持ちはまだ抱かずに済んでいると言えるでしょう。
例えば、一条帝の母、詮子があれほど権勢に固執したのも息子の命がかかっていたからです。自分の与り知らぬところで円融帝に毒を盛られていたことを知った詮子は、「帝と私の思いなぞ踏みにじって前に進むのが政」(第4回)と悟り、権勢欲を満たすためならば帝ですら命が危ういと実感します。彼女は兼家に向けて「懐仁のことも、もう父上には任せませぬ。私が懐仁を守ります。そうでなければ、懐仁とて…」(第4回)と決別宣言をしましたね。思えば、親心こそが彼女を冷徹な政の鬼としたのです。帝は、未だ母のその思いを、その無念と苦しみを知らないのかもしれません。
そして、帝の発言のもう一つの面は、道長の思いは親心にしては過ぎているという指摘の妥当性です。まず、まひろに告白したとおり、道長は彰子を不憫に思っていますが、その裏にあるのは後ろめたさです。彼は、姉詮子の入内から死ぬまでの苦しみと哀しみの生涯を唯一の理解者です。その気持ちを理解する優しさゆえに詮子は、一条帝を彼に任せました。
しかし、その権勢の道は、兼家と同じく、娘を政の生贄にすることを強いられる結果となりました。詮子をどこまでも、我が「家」繁栄の駒としてしか見ていなかった兼家であれば、それは宿命と割り切れたでしょうが、なまじ優しい道長には耐え難いものだったでしょう。愚かにも同じく悲しむ妻たる倫子ともその苦悩を分かち合えないため、一人思い悩んできたでしょう。つまり、この御嵩詣でには、親心に端を発する申し訳なさ、詫びも強くあると思われます。
また、一方で彼は為政者たる左大臣藤原道長であることを自覚しています。何よりもこの国の未来を憂いています。武力を解決の手段の到来を危惧するのも、民を救う徳治を願うのも、彼の政治家としての自覚と才覚の一端でしょう。その彼にとって、不吉なことが続くこと、中宮懐妊が叶わぬことに象徴される帝との緊張関係、求心力の低下など政治的な不安定は、自身の力不足を嘆き、苦悩の色を深めるものだったと思われます。
本作の道長は、元より神を信じる性質ではありませんが、御嵩詣でによって内外に示される覚悟と権威は、内裏の雰囲気を変え、公卿らの心を一つにすると考えたのではないでしょうか。命懸けの政治パフォーマンスですが、昔より道長は利他的なところがあります。それは、晴明に「全てが回れば、私なぞどうでもよいのだが…」(第30回)に呟いたように今なお変わらぬ道長の政治家としての美徳でしょう。
したがって、前回、頼通に語った「このところ不吉な事が続き、中宮さまのご解任もないゆえ、吉野の金峯山に参ろうと思う」という言葉に嘘はないのですね。つまり、この国の安寧を願う一途な想いが、彼を命懸けの御嵩詣でに向かわせているもう一つの理由と思われます。
無論、帝は道長の思いがどのようなものかまではわかってはいませんが、思いは馳せています。一方、まひろのほうは、帝に語らなかっただけで、道長の彰子への親心と、それと同じくらいに強い国の安寧を願う一途な気持ちも気づいているのではないでしょうか。何故なら、道長をその道に進む決断をさせたのは、まひろ自身なのですから。彼の気持ちが痛いほどわかるからでしょうか。まひろは帝の「此度のことは…」の言葉に、想い人を秘かに案じる暗い表情をわずかに浮かべます。一瞬のことですが、冒頭の褒美の扇を見つめ、案じるまひろの姿と響き合う印象的な表情です。
ただ、まひろがここで帝に語った親心も真実。このまひろの擁護が、帝に染み入る面もあります。その効果は、今回の終盤に表れます。
(2)「若紫」を巡るやり取り
道長は道中の苦難はあったものの、無事、御嵩詣での荒行から帰還します。道長の拝謁を受けた彰子の「おつつがなく何より」との労いにも自然な柔らかさと安堵の気持ちが混じります。こうした娘の微妙な変化を道長は気づいているでしょうか。さて、道長からの御嵩詣でで得た御守りも手渡しされたとき、敦康親王が「左大臣、どこに行っておったのだ」とやってきます。
道長は御嵩詣でを知らぬ敦康に「金峯山は我が国有数の霊験あらたかなお山にございます。我が国の安寧、帝、敦康親王さま、中宮さまのお幸せを祈願して参りました」と芝居がかった調子で語ります。大変であったにもかかわらず、その苦労話をするでなく、あくまで敦康を楽しませようとする。こういう相手に対する合わせ方が、本来の道長のよさで、敦康が彼に信を置くところなのでしょう。後見人として偉ぶるところを決して見せません。
果たして、敦康は、道長の芝居っけたっぷりの物言いに「左大臣が留守の間、私が中宮さまをお守りいたしたぞ」と得意げに、安心せよと言ってのけます。子どもらしい自慢げな返しに道長もまた「お、左様でございますか、さすが親王さまでございます」と茶目っ気たっぷりに誉めそやし、敦康を満足させます。その半ば冗談めかしたやり取り、そして敦康の子どもらしく誇らしくさまに和んだ彰子はにっこりと微笑みます。その華やかな笑顔に、敦康はますます嬉しくなります。
実に微笑ましいですが、前回のnote記事でも触れたように敦康の彰子に対する思いは、光源氏の藤壺中宮への気持ち、養母への母恋という危うさを漂わせています。また、彰子に皇子が生まれ、その子が東宮に就くという先を考えれば、この親密な関係も哀しい結末を予感させます。敦康の一途な想いは、光源氏と違い叶えられることはありません。彼が成人し、まひろの「物語」を読むことが在ったら何を思うのか、気になりますね。
中宮への拝謁を済ませた道長は、執筆に専念するまひろの局へ「ひたひた」(第34回)とやってきます(笑)彼女を見つめる眼差しに気づいたまひろは、そそくさと局を出ると「お帰りなさいませ、よくぞご無事で」と出迎えます。平凡な言葉には、ずっと彼の身を案じていたまひろの安堵が抑えきれないほどに溢れます。その万感を受け止める道長の「ん」という返しが、またよいですね。一度も夫婦生活を営んだことのない二人の間に通い合う、長年の夫婦の出迎えのような自然なやり取りは、もしも二人が夫婦だったならというifを思わずにはいられませんね。
とはいえ、今の二人の関係は、帝と彰子の間に懐妊の可能性を生じさせるという謀の盟友というのが近いもの。しかも、ここは公務の場です。道長は、挨拶の余韻に浸ることもせず「物語の続きは?どうなっておる」と用件について問います。ここで、まひろが「昨晩、一つの巻を書き上げました」と返し、道長を案じて筆が取れなかったとか安易なセンチメンタルな台詞が出ないのがよいですね。まひろが、道長の不在と関係なく職務に忠実であるからこその信頼ですし、また生真面目な上にまひろの作家としての本領は、いかなる状況に追い込まれようと筆を執ってしまう業深さにあります。
期待どおりの答えに「おお、見せよ」と乗り出す道長に、さすがにまひろは「お疲れで…ございましょう?」と素直に彼の心身を案じます。一つの巻を読むとなれば、時間がかかることは目に見えてわかるからです。まひろに問われた道長は、目をキョロキョロとさせ苦笑いを浮かべると、頷きます。焦らずともよいのに、ここへ足を向けてしまったのは、「物語」の催促ではなく、ただまひろと語らうことで癒されたかったから。そのことに自分で気づいてしまったのでしょうね。公務を言い訳に私的な癒しを求めている自分の気持ちを認めた道長は、先ほどの業務的な「見せよ」とは違う、やや柔らかい口調で「見せよ」と声をかけます。
道長に押し負けたまひろは、やや緊張の面持ちで書き上げた第五帖「若紫」を献じます。前回、褒美の扇を見て思い立ち書きつけたアレです。「物語」を読む道長を眺めるまひろの表情は、上げた原稿を編集者に見てもらう作家のそれのようでしたが、彼がそれなりに読み進めたあたりでその緊張は削げてしまいます。
道長は件の「雀の子を、犬君が逃がしつる、伏籠の中に、籠めたりつるものを」まで読み進めます。すると「小鳥を追いかけていた頃のお前は、このようにけなげではなかったが…?」とからかうように切り出します。まひろは、道長が読む様を退屈そうに、文机に肘をついてリラックスした様子で、道長の冷やかしの言葉に、「嘘はつくし、作り話はするし…」と、あの日の出会いの可愛げのない小娘の自分を思い返すように面白がるように返します。その言葉に、道長自身も思い出したでしょう。思わず笑うと「とんだ跳ね返り者であった(笑)」と容赦のない言葉を返します。しかし、ここに嫌味はありません。ただ、あの日を懐かしむ、まひろと三郎がいるだけです。
このシーンの、上座に座る道長のからかいを、文机に肘をつきながら笑って返すまひろという構図が興味深いですね。おそらくは、道長と初めて結ばれ情熱的に燃え上がった若き日よりも、石山寺で溢れる想いに突き動かされ睦み合った不義の一夜よりも、身体の結びつきのない今のこの距離感と他愛のないやり取りのほうが、二人の間に通い合うさまざま、そして信頼と安心感が深いように思われます。
「光る君へ」では、性的な睦み合いも比較的、遠慮なく描かれていますが、その扱いは慎重で安易な関係性の結論として描いてはいません。寧ろ、その後の心情的なやり取りや積み重ねによる関係性の変化と深まりが重視されているようです。ですから、今のまひろと道長の成熟した大人としての距離感のほうが、通い合うものが深く、痒い所に手が届くような細やかさがあるのですね。誤解を恐れずに言えば、今の二人の精神的なつながりのが官能的とすら言えるかもしれません。二人がそれぞれに重ねた人生の喜怒哀楽の果てに結んだ縁だからです。
さて、そうした関係性を見せた上で、道長が目を走らせる「若紫」は、光源氏と藤壺の密通と藤壺の懐妊という不義のくだりへと移ります。二人の関係性が試される場面となるのですね。
このシーンでは、藤の花が揺れながら開いていく映像を挟みながら、「こうしてお会いしても、またお会いできるとは限りません。夢の中にこのまま消えてしまう我が身でありたいと、むせび泣いている光る君の姿もさすがにいじらしく…世の語り草として…」とまひろ自身の訳で朗読されていきます。道長がそこを読んでいると察しての、まひろのモノローグ的な語りと真剣な眼差しが印象的です。
つまり「若紫」のこのくだりだけは、まひろのある種の告白だったのでしょう。石山寺での熱い一夜によって、彼との子(賢子)を産んだという告白なのでしょう。ただ、まひろ自身はこのことを正直に彼に伝えるつもりはなく、また語るべきものでないと自覚していたでしょう。それは、道長が賢子の年齢を聞いた際のバレやしないかと冷や冷やした表情からも察せられます。
しかし、不義の子を産むという体験は、まひろに懊悩も葛藤だけでなく、宣孝と道長双方への情愛、子を得た喜び、不実で始まりながらも真の家族となった幸せなど多くのものを与えてくれました。それは今のまひろの人格と人生に深く根差しています。となれば、その記憶も、思いも、真実も全て、第31回で見られたまひろの心象風景のなかで言の葉として舞っていることでしょう。まひろの作家としての才覚と業は、その言の葉をつなぎ、物語として具現化していくことです。作家としての宿業が、まひろに自分自身すらをも文章として書かせ、昇華させてしまうのですね。
また一方で、事実を語ることができないことも、「物語」という真実の影としてならば語ることができるという利点もあります。それが物語の力です。結果、彼女も「蜻蛉日記」の寧子と同じく、「書くことで己の哀しみを救った」(第15回)と言えるのではないでしょうか。それが、この「告白」ともいうべきモノローグと思われます。
ただ、「物語」そのものを楽しむ他の読者と道長は違います。前回noteでも触れたように、道長は「物語」を通してまひろそのものを見てしまうからです。そういう彼ですから、こうしたまひろの「告白」も、真なる告白と察してしまったのではないでしょうか。ですから、彼は「ふむ、この不義の話はどういう心づもりで書いたのだ?」と問い掛けます。正直、それを聞いてしまうところが、道長の未熟というか野暮天という気もするのですが、まあ、想い人が不義の物語を書いたことに不審を覚えてしまうのも致し方ないでしょう。
まひろは、この問いに「わが身にも起きたことにございます」と驚くべき発言をして、道長を驚かせます。今の二人の距離感が言わせたか、道長の問いに動揺して口走ったか、あるいは強かにも思い出話の「嘘はつくし、作り話はするし…」で誤魔化せると踏んだか、まひろの真意は難しいところです。あるいは、その全てだったのではないかと思わせるのが「我が身に起きたことは全て物語の種にございますれば…」との言葉です。彼女は、「物語」は物語に過ぎず、我が身に起きたことも種に過ぎないと創作者らしい言葉で濁したのです。
しかし、道長が知りたいのは、まひろに起きた事実です。虚実皮膜で煙に巻くまひろの手には乗りません。「ふーん、恐ろしいことを申すのだな」と言いつつ、「お前は不義の子を生んだのか?」と静かに、それでいて核心を突きます。この道長の言葉には、さまざまな解釈が考えられます。一つは、まひろの不義の相手を自分と察する。つまり、あの石山寺の一夜の子であるかと確認のため聞いている可能性です。もう一つは、まひろの告白に、自分と夫以外の男の子がいたのだろうかという疑念を抱いた。賢子が自分の娘だとわかっていない場合です。
結論から言えば、どちらとも取れる曖昧な表現がなされています。このシーンは視聴者の思い方に委ねられていると言ってもよいでしょう。ただ、それでは味気ないですから、敢えてもう少し検証してみましょう。
まず前者の可能性は十分にあります。既に賢子と出会い、年齢を知っていますから、それを思い返していれば、気づかないでもありません。思い返し、そう言えば、自分に似ていたかも、そんなことも思いかねないでしょう。ただ、まひろの子、賢子が想い人と自分の子であると知ったなら、実際に会っているだけに動揺を隠しきれなかったろうと思われます。また、二人の間の子だと確認しただけで、道長の気が済むでしょうか。愛するとの子を放っておけないのが道長の弱さであり、優しさではないでしょうか。我が子か?の確認には、その先の覚悟が想定されていると考えられます。しかし、単なる事実確認をするような静かな物言いには、我が子を何とかせねばというような動揺めいたものは窺えません。
無論、それを押し隠しての言葉とも考えられますが、その場合、その言葉は、「なぜ言わなかった?」という責めるような詰問に近いものとなります。実父であれば、当然の反応です。あるいは「俺との子を不義と言うのか」と、まひろの気持ちを疑う気持ちすら混じるかもしれません。ただ、それは、まひろと宣孝の婚姻関係とそこに付随する彼女の生活と気持ちを踏みにじる配慮の無さが入らざるを得ません。どういう人生を歩もうと今のまひろを受け入れるであろう、今の道長のあり方からすると、そうした詰め寄るようなニュアンスはそぐわないように思われます。
そうなると、後者…道長がまひろの不義の子の父が自分だとは考えないまま、「お前は不義の子を生んだのか?」という事実確認をしている可能性が高くなるように思われます。こちらも可能性はあるのです。石山寺の一夜は、二人が再び燃え上がっただけではなく、道長の「今一度…俺の傍で生きることを考えぬか?」という申し出をまひろが断ったということもセットです。道長は残念に思いながらも、宣孝の人妻であるという事実と選択を尊重し、引き下がります。しかし、まひろの「告白」に、実は別に逢瀬を重ねる人がいて断ったかもしれない…と思い当たることはあり得るでしょう。
他の男がいたとしたら、それはそれで道長としてはショックでしょうが、二人の妻を迎えている道長がとやかく言える筋合いではありません。それ以上に彼が気になるのは、まひろが不義の子を抱えて、夫と暮らせる女であったのかということではないでしょうか。道長は、宣孝がまひろにぞっこんであったことを知っています。あれほど彼女を愛した男に嘘をついて暮らしたのだろうか、その気持ちはどんなものなのか(実際は、宣孝はその不実を受け入れ、まひろを包み込んだのですが、それは夫婦間の秘事です)。自分の知らない面を見て、千々に乱れる思いが湧いたと思われます。
ただ、先のまひろとの距離感からすると、一方で道長は、今のまひろの真実と向き合わねばならない、受け入れようという真摯な思いもあるように思われます。ですから、彼は努めて動揺を抑えて、静かに事実確認をしようとしたのではないでしょうか。
と、こう書くと、不義の子の父親が自分と気づいていない道長の思いもそれなりにまひろへ深い愛情と言えるのですが…自分が不義の子とわかっていないんだと解釈された視聴者の多くは、そんなことよりも、その鈍さに「お前だよ、お前。道長!お前の子を産んだんだよ。膝に抱いて頭撫でただろうが」と画面にツッコミを入れたでしょうね(笑)
一応、擁護するなら、逢瀬を何度も重ねていたのであれば別ですが、人妻となった彼女とたった一度契っただけで、子を宿したとは考えてもみなかったということはありそうです。もっとも、この擁護も、倫子と明子、それぞれに6人の子を産ませている道長なら、その可能性に思い当たらないこと自体間抜けと言われそうですが。さらに、彼は自分とまひろの純愛を信じているでしょうから、自分たちの関係は不義にカウントし忘れている可能性も捨てきれません…やっぱり、致命的な鈍さという評価は免れませんね(苦笑←
聞かれたまひろ、カメラは文机に置かれた彼女の指を捉えますが、そのわずかな揺れに彼女のささやかな動揺が窺えます。しかし、顔色は変えることなく、ただ、視線を落とし「ひとたび物語となってしまえば、我が身に起きたことなぞ霧の彼方…」と物思いに耽るように呟きます。この言葉に嘘はありません。物語にすることは、材となったものに込められた数多の思いを昇華することです。自分の想いすら例外ではありません。そして、道長を見ると「真のことかどうかもわからなくなってしまうのでございます」と、真実か否かはもう問題ではありませんと彼の追及をかわしてしまいます。ある意味では、もっと恐ろしく業深い一面を道長に見せたとも言えます。
静かにまひろの言葉を聞く道長は、彼女の言葉に嘘も見えず、さらに明確に答えないだろうことも察したのでしょう。そもそも、道長は、まひろの夫ではないのですから、それを追及する資格もありません。自分の想い人が、隠し子を抱えて夫婦生活を営める女であったことへの内心の動揺を振り切るように「すぐに写させよう、預かってゆく」と努めて事務的な言葉を告げ、去っていきます。去っていく道長の下半身をまひろの後ろ姿をナメる形で捉えたカメラワークは、直後のまひろの「言ってしまった…」「言えなかった…」のどちらも含みこんだ微妙な顔つきと連動していますね。これでよかったのかどうか、それはまひろにもわからないのです。
そして、去っていく道長の表情も色々な思いが巡っているのか神妙です。しかし、その去っていく姿が、後ろ姿のカットへ切り替わったとき、ふと立ち止まり、振り返りかけるのが印象的です。もしかすると、この瞬間、「あれ?もしかして不義の子って俺の子?」と気づきかけたかもしれません。ただ、まひろがそれを明かすつもりがない以上、聞く機会は失われてしまいましたが。このオチで、先の「お前は不義の子を生んだのか?」が、どういう意図であったかはどちらでもよくなります。どうやら賢子が我が子という疑いは持ったようですから。
それにしても、今のような緊張があっても、それでもなお、相手のすべてを受け入れようとし、信頼が崩れないところが、二人の強さとは言えますね。果たして、賢子のことは、いつかはっきりと明かされるのか否か。明かされないことが吉なのか凶なのか…今の段階では誰もわかりません。ですが、いつか道長が我が子と認めて賢子と会う日が来るならば、それはその時期が来たというだけのことになるでしょう。少なくとも不義の子の件は、まひろと道長の関係の強さと深さを描いたと言えそうですね。
3.すべてが回っていくようなまひろの日々
(1)再び描かれる「書くこと」と女性たちの縁
若くして敦道親王が亡くなり、傷心に暮れるあかねの元を、まひろが見舞います。敦道親王は、兼家の東三条殿の南院に住んでおり、あかねはそこに召人(愛人)として迎えられていました(因みに一子を設けてもいます)。ですから、まひろは特別に暇をもらって、彼女のもとへ駆けつけたということになるのでしょう。四条宮ので和歌を教えていた一人とはいえ、まひろのこうした心遣いは、あかねも思いを吐き出す機会となったかもしれませんね。
「為尊親王さま、敦道親王さま、私がお慕いした方は皆、私を置いて旅立ってしまわれます。まるであたしがお命を奪っているみたい…」と自虐的に呟きます。和泉式部と二人の兄弟皇子との関係はそれなりに波乱含みで、為尊のときは身分違いということで和泉式部は親から勘当されています。また敦道のときは、邸である南院に彼女を率いれたため、親王妃が家出してしまいました。そこまでの激しい恋にありながら、いや、その激しさゆえに二人が早くに逝ったのかもと、あかねは独り言ちるのでしょう。彼女に残されたのは、寂しさだけです。
そんな彼女にまひろは「為尊親王さまも敦道親王さまも短いご生涯ながら、あかねさまとお過ごしになった日々は何よりもいとおしくお思いだったと存じます」と慰めます。あかねは、「もう触れられないなんて」溜息をつくようになおも呟くと、瞳を涙で潤ませたまま「ものをのみ 乱れてぞ思ふ たれにかは 今はなげかん むばたまの筋(物思いに沈むあまり乱れた黒髪を梳くのも忘れるほどで、この嘆きを誰に伝えればいいのだろう)」と、詠みます。思いが満ちれば、それを歌として詠まずにはいられない。まひろが努力の末に作家の業を背負ったのだとすれば、彼女は天性の創作者です。まひろは、彼女の相変わらずの才人ぶりを見つめてしまいます。
敦道への想いを歌にして吐き出すと、まひろと向き合い「どんなにあの世から私を見守ってくださろうと二度とお顔を見ることも出来ないなんて…」と語り「親王さまとは心を開いて、歌を詠み合ったものだわ」と喧嘩もしつつも、激しく互いを求め合った日々を懐かしみます。彼女にとっての恋愛は、思いを通じ合わせる心の問題と身を寄せ合う体の問題は一つなのでしょう。
まひろもまた夫、宣孝を失った経験から気持ちだけは察するものの、いや、察せられるだけに、あかねの哀しみの深さにかける言葉を思いあぐねた表情になりますが、ふと思いつくと「あかねさま、亡き親王さまとの日々を書き残されてはいかがでしょう」と提案します。思わぬ言葉に不思議そうな顔をするあかねに、まひろは「かつて、書くことで己の哀しみを救ったとおっしゃった人がいました。親王さまとの日々をお書きになることで親王さまのお姿を後々まで残せるのではないでしょうか」と一気に語り切ります。
思い出されるのは、第21回の「枕草子」誕生の経緯です。あの回では、「枕草子」は、清少納言(ききょう)が定子ただ一人を想い、彼女を慰めるためだけに書かれた極めて私的な草子であることが感動的に綴られました。その一方で、執筆を思いつくそのきっかけは、まひろとききょうという文学を愛する二人の会話であったことも興味深い描写でした。高価な紙を頂戴したときに登華殿でかわされた小粋な会話を披露するききょう。文才豊かなまひろは、その会話の言葉遊びを正しく読み取り、二人の会話は弾みます。二人の気持ちが和んだところで、まひろはその紙に中宮さまのために何かお書きになってみたら良いのでは?」と提案をし、受け入れられたのです。
形こそ、まひろが提案していますが、まひろがこの提案ができたのは、代筆業の体験(第2回)、寧子の「私は日記を書くことで、己の哀しみを救いました」(第14回)、まひろの文を書写し救われたさわの話など「書くこと」にまつわる女性たちの思いが、まひろを通して、ききょうの背中を押したというのもになっています。加えて、まひろとききょうの友情が、そこに加わります。女性たちの連綿とつながる縁が、「枕草子」を生み、定子を、そして書いている清少納言の心も救ったのですね。
哀しみにくれるまひろの提案は、この再現とも言えるものです。ただし、今回は、まひろ自身が多くの女性たちの思いに刺激を受け、後押しをされ「物語」を書くようになり、その意味を、あの頃以上に実感しているところに重みと説得力があります。また、あかねの文才と情熱を並々ならぬものと看破しているからです。
まひろの提案に、涙に暮れていたあかねが薄く笑みを浮かべたのは、まひろの提案に載ってみようという意思の表われですね。こうして、女性たちの「書くこと」への想いは、新たに「和泉式部日記」という名作を生み出すことになりました。「光る君へ」では、女性たちの思いが「書くこと」によって、つながっていくさまが描かれてきましたが、この流れはずっと続いていくのでしょうね。そう言えば、9月になってから、新キャラクターとして、「源氏物語:の熱狂的支持者であった「更級日記」の作者、菅原孝標の娘が、ちぐさの名で登場することが発表されました。今回の舞台、1007年にはまだ彼女は生まれていません。しかし、女性たちの思いは「書くこと」を通じて、確実に次代へと引き継がれていくのだろうと予感させてくれますね。
(2)弟惟規の危ない恋愛も題材に(笑)
「光る君へ」では、その私生活が断片的にしか見えなかった、まひろの弟、惟規の恋愛にフォーカスが当てられました。彼が斎院中将に夜這いをして閉じ込められ、歌を詠み赦された逸話は「今昔物語集」に残っているのものですが、それを自慢話で語っているところが惟規の太平楽が窺えるところです。前回、惟規から「神の斎垣を越えるかも、俺」と聞いていたまひろですが、物の喩えとしか思っていなかったのでしょう。実際に斎垣を越えたと惟規に呆れ果て「男が足を踏み入れてはならない斎院の女房に?」と再確認してしまいます。これ、斎院のことを視聴者に説明するための台詞なのですが。まひろが驚きのあまり確認してしまうとい気持ちに乗せたのが巧いですね(笑)
まひろに得意げに報告に来た惟規は「禁忌を犯すからこそ燃え立つんでしょ」と悪びれるところがありません。「なんてことを…」という常識人のまひろですから、「姉上だってそうだったもんね」と、まるで姉の影響で、自分も道ならぬ恋にハマっていると言われては聞き捨てなりません。真顔で「私は禁忌を犯してなんかいません」とムキになります。この二人は、公務の部屋だろうと気兼ねなく話す姉弟になっていまいますね。
売り言葉に買い言葉、まひろの返しに「身分の壁を越えようとしたくせに」と、道長との道ならぬ恋を指して返します。ここで思い出されるのは、第6回で。道長が、まひろと逢いたくてたまらず送った和歌です。それは、「ちはやふる 神の斎垣も 超えぬべし 恋しき人の みまくほしさに」(訳:神様をかこっている周囲の垣をも超えてしまいそうです。宮廷からおいでになった方が見たくて)という伊勢物語の引用でした。
身分の差を乗り越えてでも、まひろに逢いたいという道長の思いを察したまひろは、この文を抱きしめていましたね(後に誤解から燃やしましたが)。まさに惟規の行為は、この和歌と呼応しています。こうした形で道長の文が、回収されるとは思いせんでしたね。
因みに惟規が、道長との恋にどこまで知っているのかは明言されていませんが、それなりに姉を心配し見守り、道長との恋に完全に破れ傷心で帰ってきたとき(第12回)は、何も聞かず酒を勧めています。さわの「堪えずともようございますよ。まひろさま」の言葉から、二人がまひろに何が起きたかを察していることが窺えます。そういう彼ですから、今やかなり正確に捉えているだろうと思われます。
ですから、痛いところを突かれ。道長の「伊勢物語」引用の文を思い出したまひろの「そんな昔のこと、もう忘れたわ」と恥ずかしそうな苦し紛れの返答にも、「昔のことなのかなぁ~!」と鋭い一言を返しています。まあ、姉の出仕が彼女の実力としても、自分の蔵人への出世を考えれば、今なお、道長が姉を思っていることなぞバレバレですけどね(笑)ただ、今回の全体を見ていると、どこで左衛門の内侍が耳をそば立てているかわかりませんから、その点は不用意ですね。
どこまでも調子づく惟規に「浮かれるんじゃありません!」と窘めるまひろですが、「それで、どうやって解き放たれたの?」と結局、興味本位になってしまい、創作者としての好奇心という業に負けているのが、彼女らしいですね。
「今昔物語」に残るとおり、咄嗟に呼んだ歌が斎院、選子内親王に気に入られたからという話になります。このとき、得意げに惟規が詠んで聞かせたのが、「神垣は 木の丸殿に あらねども 名乗りをせぬは 人とがめけり(意訳:神さまの決めた境界線は、木の丸殿でもないのに、名乗らないということで咎められてしまったよ)」というもの。
木の丸殿とは、斉明天皇の行宮とも、朝鮮との戦に備えて作られた朝倉橘広庭宮とも言われていますが、桓武天皇が「朝倉や木の丸殿に我がをれば名のりをしつつ行くは誰が子ぞ(意訳:朝倉の丸木造りの御殿に私がいると、名を告げながら通り過ぎて行くのはどの家の子だろう)」との歌を詠んだことで、必ず名を名乗る場所となったという故事があります。ですから、機転を利かせて、それに因んだ一首を詠めたことを「俺もなかなかだよ」よ自画自賛するわけです。
しかし、「そんなよい歌だと思えないけれど」「何がなかなかなのよ」と辛辣な評価のまひろは「もう斎院には近づかないことね」と釘を刺します。中途半端な才覚ほど、生兵法は大怪我の基といったところなのでしょう。しかし、まったく反省のない惟規は「そうはいかないよ。俺のことを待っている女がいるのだから」と、これからが恋の本番だと意気込みます。
まひろの「そういうことやってると間違いなく早死にするわよ、貴方も貴方の思い人も」「父上を心配させることだけはしないでよ」となおをも案じる言葉にもどこ吹く風。いつもの「わかってるって!」という、まったくわかっていない返事をするばかりです
ただ興味深いのはここから、心配の種が増えたとばかりに呆れ果てたまひろは、悩ましい顔をするのですが、次の瞬間「ん?」と何かを思いついた表情をします。そう、彼女は今、惟規の破天荒とも言うべき大胆な言動が、「物語」のいい材料になることを思いついてしまったのですね。惟規から聞いたばかりの話も、まひろの心象風景に舞う言の葉の一つになってしまったのでしょう。
おそらくは、第10帖「賢木」と思われます。ここでは、光源氏との恋を諦め、斎宮である娘と伊勢へ下向する意思を固めた六条御息所は、身を清めるため野宮に滞在しますが、そこへ斎垣を越えよう光源氏が訪れます。そんな彼に対して、御息所は「神垣はしるしの杉もなきものを いかにまがえて 折れるさかきぞ(意訳:この神垣には目印となる杉もございませんのに、どうまちがえて榊を折って訪ねられたのでしょう)」と突き放すのですね。
このくだりは、道長の文に引用された「伊勢物語」の斎宮関係のエピソードの翻案とされていますが、「光る君へ」では、その翻案のときに加えた工夫の要素の材として、「今昔物語集」に乗る弟の言動があったというわけですね。一見、息抜きのような姉弟のやり取りでしたが、すべてが「物語」に転じていく、まひろの作家性を示すものになっています。それにしても、こういう形で惟規が、「物語」の一部になったとすれば、惟規も光る君のモデルの一人ということになりますね(笑)
(3)勝手な不満を溜める左衛門の内侍
さて、道長の命で写された「若紫」は早速、宮中で頒布され、藤壺では作者を囲んでの朗読会が行われます。作者と読者が近すぎる環境は、読者にとっては恵まれていますが、作家としてはどうなのでしょうね。個人的には「まな板の鯉+針のむしろ」という気がするので、いくら読者の反応が知りたいという好奇心があるにせよ、まひろは鋼のメンタルに見えますね(笑)
あるいは、現代の文学研究の主流と同じく、作品は生み出された瞬間から作家とは別と割り切っているかもしれますん。前回、俊賢にも「」とまひろは、述べていますからね。
上座の彰子を囲む形で車座になった一同は、No.2の宰相の君の朗読で「若紫」を聞き入ります。小少将の君だけが興味津々で楽しそうで、後は皆、神妙な面持ちですが、その理由は読み終えるとすぐに判明します。問題は、光源氏により若紫の連れ去りです。誘拐同然の行為に、まず大納言の君が「でも無理に連れ去っていくところはなんだかちょっと…」と、遠慮がちに切り出します。内容的には納得しつつも、そこだけが気がかりなようです。
すると、妹の小少将の君は「でも実の父親が薄情ですゆえ光る君のところへ行ったのが良かったのではございません?」と擁護します。光源氏が若紫を拐かす判断をしたのは、それまで若紫を養育していた母方の祖母、尼君が亡くなり、疎遠だった父、兵部卿宮が引き取ることになり、二度と会えないと危惧したからです。小少将の君は、嫡妻に気兼ねして娘を放置していたような兵部卿宮が、引き取っても大切にしないだろうと見たのでしょう。先の展開からすると、この見立ては外れてはいません。
小少将の君に同意を求められた面々のうち、左衛門の内侍は「それでも強引ですわよね。真の想い人は藤壺ですもの。この子は光る君の玩具のようなものですわ」と光源氏の不実を看破します。若紫は藤壺中宮の姪です。光源氏がここまでしたのは、若紫に藤壺中宮の面影を見出だしたから。
後に成長した若紫を強引に自分のものにしたことを考えれば、思うようにならない藤壺中宮への思いを、自分の思うようになる幼子へと向けたと言えます。左衛門の内侍の見立てもまた妥当性があります。いや、寧ろ、現代の読者の光源氏評は彼女に近いのではないでしょうか。
左衛門の内侍の尻馬に乗る馬中将の君は「藤壺のところへ再びしのんでいき、子までなしながら、その一方で、この子を引き取って育てようと考える光る君は無分別の極みでございますわ」ともっとも辛辣に非難します。それまで、ふむふむと女房らの話に頷いていたまひろも「無分別の極み」という光源氏評には息を飲み、やや慌てた表情になるのが可笑しいですね。
もっとも母桐壺の影を求め、次々と女性たちと関係を結び、その強引さを私には許されると豪語していたのが光源氏の前半生です。馬中将の君が言う無分別という評も言い得て妙でしょう。
このように光源氏に辛辣な評が大勢を占めますが、どの意見もそれなりに妥当なものと思われます。ただ、光源氏への面当たりが厳しかったのが、紫式部と仲がよくなかった左衛門の内侍と馬中将の君だというのは気になるところ。つまり、彼女たちの彼女らの光源氏批判は妥当だとしても、その狙いは「物語」自体の評価を下げるところかもしれないということです。主人公の人物造形の不備が、作品の瑕疵となることはままあるからです。当然、そんな「物語」を書くまひろへの揶揄にもなります。
「紫式部日記」では馬中将の君を特に嫌っていたようですが、「光る君へ」で要注意は左衛門の内侍のほうのようです。そもそも、「物語」を書く特殊な立場、さらに局(執務室)まで与えられた身分低き女房として入ったまひろは、面白くない存在です。そんななか、まひろは申し訳なさから女房本来の仕事を「お手伝いしとうぞんじます」すると申し出ますが、それは女房本来の仕事が片手間で出来ると取られる不用意なもの。そのとき、真っ先に眉根を寄せて不快感を示したのが左衛門の内侍です。
まひろが慣れない環境に寝坊すれば、卑猥な嫌味を言うのも左衛門の内侍と馬中将の君でしたが、左衛門の内侍にとって屈辱的だったのは、前回、彰子が強く左衛門の内侍を退けて、まひろと二人きりになろうとしたことです。
呆気に取られているところ、「下がれ!」と言われ不承不承引きさがる左衛門の内侍。このことについて、前回noteでは、身分の低いまひろを自分より優先したことは、内心面白くないかもしれないと書きました。例えば、小少将の君であれば、彰子の「そなたはよい」の最初の一言で、特に引っかかることもなく下がったでしょう。そう考えると、この場面に左衛門の内侍か当てられたのは、彼女のまひろへの反感を強めるという作劇上の意味があると考えられるのですね。
第35回も、この読書会のシーン前、まひろは、夜遅くまでの執筆を終え、局を出たところで、左衛門の内侍と五位の蔵人とおぼしき男との逢引に出くわしてしまいます。ばつが悪そうなまひろに「あれ、この人、噂のあの…帝が夢中になられる物語を書く女房がいるという噂になっておるが…そなたか…」と、相手の男に声をかけられます。逢引の邪魔をするわけにもいかず、返答に戸惑うまひろに、左衛門の内侍は「邪魔をしては駄目よ。この方は私たちとは比べ物にならない尊いお仕事を任されているのですから」と笑いを含んだ揶揄をぶつけます。
「物語」を書くという役目そのものを嘲笑う物言いに「そのような…」と、さすがのまひろもわずかに色をなしますが、嫌味に長けた左衛門の内侍は一枚上手。「夜遅くまでご苦労様です」と慇懃無礼に労うと「さ、私たちはまるで尊くないことを楽しみに参りましょう」と男を誘います。才気ばかり走る色気も面白味もない女など相手になさいますな、というわけです。身分低きお前は女として価値がないと言いたいのですが、一方で逢引の最中に、男がわずかとはいえ、自分よりまひろへ関心を移したことが面白くなかった面もあったろうと思われます。殊更にマウントを取ろうとするのは、彼女の不満の裏返しでもあるでしょう。
着実に、そして勝手にまひろへのヘイトを溜めていく左衛門の内侍が、まひろの足許を掬う隙を窺う可能性は高いのです。
(4)彰子の想いが届き、帝が過去から解かれるとき
車座の「若紫」読書会にて忌憚ない意見が交わされるなか、主である中宮彰子は無表情のまま、だんまりを決め込んでいます。そこへ宮の宣旨が現われ、敦康親王が物忌で訪れないことを告げると、仕事の時間と女房たちを急き立て、読書会は自然に散会となります。
女房たちが仕事へと急ぎ去り、まひろと彰子の二人となった途端、彰子は「光る君に引き取られて育てられる娘は私のようであった」と、率直な感想を話します。その本音にはっとしたまひろの表情には、そう読んだかとの驚きもあったように思われます。というのも、女房たちの感想は、客観的な男性評、連れ去られた若紫を哀れに思う親目線と、経験豊かの大人の女性の見方です。そういうなかで彰子だけが、若紫と同化して「若紫」を読んだことは、新鮮に感じられたでしょう。
そして、この巻の若紫は、光る君を「宮の御ありさまよりも、まさりたまへるかな(意訳:父上よりも優れた方であることよ)」と好ましく見ているのです(あくまで父性的対象としてですが)。彰子の読みも故のあるものと言えます。ですから、女房らと違うこの瑞々しいこの独自の感性こそが、彰子の心映えなのです。まひろは、そこにはっとしたのでしょう。
因みに「光る君へ」においては、「若紫」の鳥を逃がすくだりは、三郎と初めて逢ったあの日の自分が投影されていることは、前回描かれました。また、本作では、親ほど年齢の離れた宣孝との婚姻は、不本意な形でなされました。初夜のとき(第25回)、宣孝の背にぎこちなく回されたまひろの手は嘘をつけず、戸惑いや悔恨を窺わていましたね。それは、成人した若紫が強引に光源氏の妻とさせられたときの衝撃の心情へと反映されているように思われます。若紫…いわゆる紫の上は、本作においては、まひろ自身が投影された人物となりそうです。
また、光源氏は、後に正妻として迎えた女三宮が不義の子を身籠るということに直面します。本作では光る君のモデルに宣孝も混じっていることになりそうですね。彼がどんな思いで、まひろと賢子を迎えたのかを改めて思い返して書くのかもしれません。
話を戻しましょう。彰子は「私も幼き頃に入内して、ここで育ったゆえ」と若紫に感情移入した理由を自らの境遇と語ります。「そうでございますか」と座り直し、彰子に向き合うまひろ。そして、彰子は「この娘はこの後どうなるのだ?」と話の先を気にします。これは「面白さがわからぬ」と言った前回から、大きな進歩ですね。「物語」はようやく彰子も引き込み始めたのです。興味深いのは、まひろが自身を投影した若紫が、彰子を「物語」に引き込む役目を果たしていることです。彼女が、幼き日を「物語」の材にしたのは、今なお道長への一途な想いがあるからですが、無論、彰子はそれを知りません。それでも、何かが彼女に響いた。若紫に真実が宿っていたということなのでしょう。
彰子の問いに「今考えているところでございます」と思案中と答えつつ、慎重に「中宮様は どうなれば良いとお思いでございますか?」と聞きます。この問いは、言い換えると「貴方が若紫なら、光る君とどうなりたいですか」ということです。何故、こう聞くのか、まひろは、この会話をただの「物語」の感想と思ってはいないと思われます。彰子は、光る君に一条帝を重ねています。そして、今、彰子は若紫に自分を見つけました。だから、この問いによって、一条帝とどうなりたいと思っているのか、その本音を引き出そうとしているのでしょう。
人は自分の想いを口にすることは気恥ずかしさや自信のなさや周りへの遠慮から上手く話せないものです。しかし、「物語」の人物という別人に託してであれば、真実を語ることができます。まひろ自身が、不義の子について語ったようにです。
問われた彰子は、迷わず「光る君の妻になるのが良い」と答えます。勿論、彼女自身は、それが一条帝の妻になりたいという想いを吐き出していることを自覚していません。しかし、今の自分の境遇ゆえに、若紫についても「妻になる…なれぬであろうか…」と悩ましい気持ちになってしまいます。それでも、微笑するのは、若紫にはまひろという作者がいるからです。ですから、「藤式部、なれるようにしておくれ」と、作者におねだりするという読者の叶わぬ夢を口にします。
彰子の本音と逡巡を正しく読み取ったまひろは、穏やかに、そして優しく「中宮様…帝に真の妻になりたいと仰せになったらよろしいのではないでしょうか。帝をお慕いしておられましょう」と核心をもって処方箋を告げます。貴方が自ら願いを叶えれば、貴方に似ている若紫もそうなりましょうというのが粋ですね。
虚を突かれた彰子は真顔になりますが、やがて現実を前に、悲しげに震えるような声で「そのような…そのようなことをするのは私ではない」と俯いてしまいます。この言葉で、彼女がこれまで周りに望まれる「彰子」を演じてきたことが、はっきりしました。これまでもnote記事にて、例えば第27回の入内前の花嫁修業など、彰子は周りの要望に言葉のまま応えようとしているだけということは言及してきましたが、やはりそのとおりでしたね。
そして、周りの要望に応えようとしたということは、周りの言っていること、話していることの多くを、彼女はきちんと聞いていて、彼女なりに理解していたということを意味しています。
彰子の抱えた孤独を既に感じ取っているまひろは、いたずらっぽく「ならば、中宮さまらしい中宮さまとはどのようなお方でございましょうか」と問い返します。からかうようなまひろの物言いに、思わず彼女を見つめてしまう彰子。その眼差しに応えるよう微笑んだまひろは「私の存じ上げる中宮さまは、青い空がお好きで、冬の冷たい気配がお好きでございます」と、執筆のため里下がりをしたあの日の会話を持ち出します。
あの日、そっと漏らした本当の気持ちを、藤式部は覚えていてくれた…そのささやかな驚きに彰子の瞳は潤んでいきますが、まひろはさらに「左大臣さまの願われることもご苦労も、よく知っておられます。敦康親王さまにとっては、唯一無二の女人であられます。色々なことにときめくお心もお持ちでございます」と、彼女の親孝行の心、敦康への慈愛、そして瑞々しく豊かな感性…何もかもわかっていますよと、優しく伝えます。これまで誰一人、ここまで自分の気持ちへ踏み込み、理解されたことはありません。その瞳の潤みは、心が震えている様まで窺えます(微妙な変化を的確に演ずる見上愛さんの巧さが光りますね)。
かつて、出仕前のまひろに問われた赤染衛門は「奥ゆかしすぎて」よくわからないと答えました。さすがに彰子の教育係だっただけあって、その評は間違いありません。ただ「奥ゆかしい」、その語源は「奥、行かし」…奥まで見に行きたい、知りたいというものです。ですから、その慎み深く上品な心には、奥に秘められた感情があったはず。
しかし、誰一人、その奥へとかき分けて、彼女の心へ分け入ろうとしませんでした。道長や倫子に愛情がなかったわけではありません。寧ろ、情の深さゆえに慮りすぎてしまったのでしょう。まひろが、物語の材を探し、真実を求める作家であったからこそ見出せたのでしょうし、まひろと彰子が物語について話す、作者と読者という距離だから、こういう話に自然となったのでしょう。そして、彰子に必要であったのは、自分の奥底を理解し、表へと開いてくれる人だったのでしょう。
潤みきった瞳でまひろを凝視するほどに心が震える彰子に、まひろは改めてにっこりと笑うと「その息づくお心のうちを帝にお伝えなされませ」と助言します。彰子の頬を一筋涙が伝います。自分をここまで知ってくれ、見守ってくれ、真摯な言葉をかけてくれた藤式部に何か言おうとするが言葉にならず涙が溢れてしまうのがいじらしいところです。そこへ突如、一条帝のお渡りが告げられたため、袖で涙を拭い、取り繕わざるを得なくなりました。
今の状況も敦康の物忌も知らない帝は「敦康に会いに来たが、おらぬゆえ…」と話しかけます。おそらくこの後に続くのは「また来る」だったはずですが、「お上!」という彰子の言葉に遮られます。「ん?」と帝が驚くのは、わざわざ彰子のほうから彼に声をかけてきたからです。
ちょっと驚いているところへ、彰子は構わず、涙に濡れたその顔を隠そうともせず「お慕い申し上げております!」と思いの丈を爆発させます。自分を理解してくれたまひろの言葉と助言に揺さぶられた彰子の心は臨界点を超えてしまっていたのですね、もう抑えられなかったのでしょう。そして、帝へ募らせた想いはそれほどのものだったのです。
「息づくお心のうちを帝にお伝えなされませ」と先ほど言ったのはまひろですが、時と場合を見てという意味だったでしょうから、これは予想外。彰子の想いが想像以上であったこと、そして、彰子の後先を考えない、いきなりの告白に、まひろは「え?まじ?ここで言うの?」とでも言いたげな狼狽えた顔にならざるを得ません。
狼狽えるのは彼女だけではありません。唐突に単刀直入に、あの引っ込み思案な彰子から「お慕い申し上げております!」などという言葉が出てくるとは思いも寄りません。和歌などの順序も段取りも全部すっ飛ばして、いきなりの告白は、一条帝自身、初めての経験でしょう。いや、そもそも、帝たる彼に率直な気持ちを猛然と言ってくる人間などいません。驚天動地の出来事に、帝は呆然を通り越して、思考停止に陥ってしまいました。
わずかな時間で我に返った帝は、彰子の告白に何か声をかけようとしますが、目の前の彼女は感情を爆発させた彼女は、自身の溢れてくる感情に戸惑い、既に泣きじゃくっています。その様子に逡巡した帝は話そうとした言葉を飲み込みます。今は話すべきでも、思いに応えるべきでもない、彼女の気持ちが落ち着くのを待とうと判断したのだと思われます。大火の逃避行(第32回)以降、帝自身も彰子を憎からず思っている様子が散見されました。この判断は、冷静さというよりも、彰子への心遣いでしょう。
ですから、彼は「また来る」とのみ告げて、その場を去ります。この言葉、先ほど彰子の呼びかけで遮られた「また来る」とは違い、「改めて彰子のもとへ渡る」から安心せよというニュアンスです。つまり、彰子の想いを受け入れるという約束を、彰子にしてあげたのですね。清涼殿に戻る彼の気持ちはいかばかりか。感慨深いものがあったように思われます。
無論、彰子は号泣するばかりです。おそらく帝の言葉も聞けていたかどうか。彼女は、ずっとため込んできた帝への想いのすべてを解放しました。そして、それは入内後に抱え込んできたさまざまなものも同時に溢れ出てきたのではないでしょうか。初めて感じる感情の濁流に、彰子はどうすることもできず、ただひたすらに泣きじゃくるだけです。まひろは、この後、帝の去り際の言葉の説明も含めて、彰子を宥めるのに苦労したでしょうね。
さて、後日、御前で正月の儀式について、道長との打ち合わせに帝は臨みます。滞りなく、それが済むと、御簾越しにいる帝はすっと立ち上がり、去りかけます。しかし、ふと立ち止まると「左大臣、御嶽詣でのご利益はあったのか?」と問い掛けます。御嵩詣でが中宮懐妊祈願であったことは、帝も知っているはずです。何故、聞くのか。帝の思惑を計りかねる道長は「まだわかりません」と正直に答えます。すると、帝は「今宵、藤壺に参る、その旨、伝えよ」とだけ言うと、その場を去ります。道長は長年、念じ続けていた想いが唐突に叶えられ、安堵や喜びよりただただ驚き、目を見開きます。
直接、藤壺に伝えれば済む彰子への「お渡り」をわざわざ道長を通して伝えよとしたところに、帝の御嶽詣までした道長の親心への労いと「そなたには負けた、以後よろしく頼む」とも言うべき政治的和解への心情が窺えます。彰子の真心を知ったときには半ば折れていた部分もあったように思われますが、「御嵩詣でのご利益があったな」という形で道長に寄り添ったのは、まひろへ計り知れない道長の真意を相談したことがささやかに効いたということでしょう。
そして、俄かに活気づく藤壺。筆頭の宮の宣旨がいそいそと準備に余念がないのは勿論ですが、「(帝は)中宮さまにはご興味ないもの(笑)」などと無礼千万な発言をしていた馬中将の君すら生き生きとした様子で嬉しそうに、彰子の準備を手伝っています。やはり、主の処遇が御在所の活気に直結するのですね。何のために女房をしているのか、その目的意識がようやく明確になり、共有されたのかもしれません。
その夜、準備万端、整えられた藤壺へ一条帝は渡ります。濡れ縁でふと立ち止まると、降り積もった雪を見上げます。帝にとって雪と言えば、定子と楽しんだ香炉峰の雪遊びです。彼の眼差しの先にある、美しい雪の結晶…これは定子なのかもしれません。そして、中宮彰子を本当の后とする今、一条帝は万感の想いを込め、一人定子に別れを告げたのかもしれません。今から彼は「どうか、彰子さまとご一緒のときは、私のことは、お考えになりませぬよう、どうか…」(第28回)との言葉に従い、今からただただ彰子と向かい合います。
そして、閨にて、彰子が二十歳になったことを知った帝は「いつの間にか大人になっておったのだな…」としみじみ語ると、彰子に「ずっと大人でございました」と返されてしまいます。目を見張った帝は「そうか…」と目を伏せます。いかに自分が彼女を見ていなかったのか、そのことを思い知らされます。
彰子は、幼くして入内しましたが、入って早々に一条帝から「そなたのような幼き姫に、このような年よりですまぬな」「楽しく暮らしてくれれば、朕も嬉しい」(共に第27回)と、優しそうでいて実は言外に拒絶する言葉をかけています。目的を失い、宙ぶらりんになった彰子にできることは、周りの意向に合わせて、生きのびていくことだけ。周りの意向を読み取るため、彼女は逆に大人になるしかなかったのです。彼女、得意の「仰せのままに」という処世術の裏に、どれほどの葛藤があったか。入内させた道長や公卿らだけでなく、自分もまた彰子を苦しめていたのです。
また、笛を聞かせたときの「笛は聞くもので、見るものではございませぬ」(第28回)との言葉は、真理を理解した大人の言葉ではなかったか…さまざまなことが帝を巡ったことでしょう。
かつて定子が言った「彰子さまとて見えておるものだけがすべてではございません」(第28回)の言葉が真実であったことも、今ならば、染み入るようにわかるでしょう。帝は素直に「寂しい思いをさせてしまってすまなかったのう」と詫びます。その優しい言葉に彼の心を垣間見た彰子は驚きますが、やがて…二人は一つとなります。
こうして、彰子は、自らの力で己の一途な想いを叶え、同時にそれは一条帝を、定子への執着心から自然と解放していきます。それは、逆に定子を一条帝の呪縛から解放してあげることでもあります。そして彰子と帝の心を開き、二人を結ぶため、ささやかな手助けをしたのが「物語」です。まひろの「物語」に込めた思い、国と娘を思う道長の願いが、若い二人をに後押しし、過去を過去として、今を生きる道へと進み始めたのです。
おわりに
その夜、道長とまひろは、二人で月を見上げています。2年以上前、道長が帝の御事のすべてと自らの抱えたものをまひろに語り尽くしたあの夜、二人で満月を見て以来のことでしょう。あの夜、月を見上げたとき、二人は抱きしめることすらしませんでしたが、もっとも心が通じ合い、響き合った瞬間でした。
帝のための物語を書くと決めたあの日の目的を果たした今、こうして再び、月を二人で眺めることは、何よりの褒美というものでしょう。惜しむらくは、あの日のような満月ではないことですが、共に見るには欠けた月もまた風情でしょう。
帝の藤壺へのお渡りについて道長は「お前の手柄なのか」と尋ねますが、まひろは「私は何もしておりませね。帝のお心をつかまれたのは、中宮さまご自身でございます」と、彼女自身の力であったと伝えます。彼女が気づいたときには、帝も彰子も既に通い合うものがあったからですね。二人のなかちゃんと思いがあったからこそ、「物語」は彼らをほんの少し手助けできたのだと、まひろは思っているのです。
謙遜するまひろを静かに見る道長は、供水の宴であの彰子がまひろと談笑する姿を見ています。ですから、この大願成就に、「物語」だけではない、まひろ自身の助力が少なからずあったことをちゃんとわかっています。
それを知ってか知らずか、まひろは「きっと金峯山の霊験にございましょう」と、道長の親心の賜物よと改めて労います。神仏をさして信じていない道長は、「どちらでもよいが…」と自虐的に言うと、「はあああああぁ」と太く長い息を吐き、めっきり緩んだ顔で「良かった…」と一番の本音を口にします。
思わず、二人、見つめ合いますが、左大臣の威厳もない弛緩しきった顔をまひろに見られてしまった道長は、さらに情けなさそうに苦笑いします。三郎の頃から変わらぬ道長の本性をそこに見たまひろが、にっこりと笑うのがよいのですね。彼女が好きになったのは、左大臣としての道長でも、男らしく振る舞う道長でもありません。優しい心根で不器用で頼りない三郎です。思えば、二人ともあのときから遠くに来て、立ち位置も離れてしまいました。互いの変化を受け止め、受け入れる強さも持っている二人の関係性ですが、その一方で、それだけに変わらぬ部分が嬉しく、また愛おしいのではないでしょうか。
しかし、もっとも彼らが響き合い、通じ合い、素の表情を見せている幸せな瞬間を、左衛門の内侍が盗み見ているという不穏で幕が閉じられます。先にも述べたとおり、左衛門の内侍は、まひろへのヘイトを溜め込み、隙あらば彼女の足を引っ張り、貶めようと狙っています。そして、何度か話していますが、彼女が紫式部に「日本紀の局」という嫌味なあだ名を広めた人物。彼女が、まひろと道長が二人、月を見上げているだけのこの様子に、尾ひれはひれ、あることないことを付けて噂を広めそうです。そうでなくても、既にまひろと道長には「性的関係はなさそうだけれど」という前提で「ひたひた」と締めっぽい親しさとの噂が素地として広まっていますから、いずれそうした根も葉もないスキャンダルに傷つく可能性があります。
また、噂の広がりで恐れるのは、藤壺にやってくることもあるだろう倫子の耳に入ることです。倫子は道長に秘めたる想い人がいることに気づいていますから、こうした噂をきっかけに修羅場が起きないとは言えません。ただ、まひろと道長は8年はやましいことはありません。また、倫子は聡明、かつまひろの親友だった人です。シスターフッド的なつながりと彼女の政治的判断で大事にならないことを期待したいところです。
もっとも、次回予告編を見た方々を心胆寒からしめたのは、清少納言(ききょう)の「その物語を、私も読みとうございます」という語気強めの言葉でしょう。注目すべきは、彼女が未だ鈍色の衣をまとっていることです。皇后定子の死から約7年、彼女は未だに喪に服しているのですね。
彼女の願いは、ただ一つ、「枕草子」の力で「お美しく、聡明で、きらきらと輝いておられた皇后さま(中略)が…後の世まで語り継がれる」ことです。かつて、定子一人を慰めるためだけに編まれた「枕草子」は、今や人々を過去に縛りつけ、懐かしむ空気を作ることで、道長政権にダメージを与えるために頒布されました。そして、それは見事に成功しました。
しかし、今や、帝とは中宮彰子と新たな時代へと踏み出しました。また「枕草子」によって皇后定子とその御代への郷愁一色だった内裏が、まったく別の雰囲気へと塗り替えられている。その現状への忸怩たる思い、そしてどんな作品がそれを成し得ているのか、才女たるききょうには無視できない存在なのでしょう。それが「読みとうございます」へとつながります。 おそらく、彼女が「桐壺」を読めば、桐壺帝と桐壺更衣のモチーフが、一条帝と定子であると看破することは必至です。しかも、彼女が決して書かないと言った影の部分、あるいは見えていなかったものが書かれています。帝が「朕を難じている」と感じたほどですから、ききょうもそれを感じる可能性はあります。そのとき、彼女が何を思うのか、称賛か、罵倒か、気になるところですね。
本来、二つの作品の差は、作家性の問題、見え方、見る角度の問題、あるいは物語と随筆というジャンルの問題であり、優劣や良し悪しではありません。聡明な才女であるききょうであれば、そのことはわかるはずですが、鈍色の喪服を今もまとい過去に縛られた清少納言が、果たしてそれを許せるかどうかは、難しいところでしょう。
無論、拍子抜けで終わる可能性も捨てきれませんが、「紫式部日記」で清少納言を悪しざまに言う記述が気になる人は多いでしょう。なんにせよ、直接対決が今後あるとしたら、それはまひろの「物語」の真の力が試されるときかもしれません。清少納言が喪服を脱ぎ、ききょうとして生きる道を選ぶまではいかなくても、彼女が前向きになる微風を「物語」が起こせたらよいのですが。「物語」は、生きようとする人々の味方ですから。