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何事も為さなくとも

『いい旅だったロス』と『呪術廻戦ロス』で、すっかり筆が止まっているようかんです。

旅の中でママともたくさん話せて、いろいろ思うところがありまして、現在絶賛『物思い』モードに入っています。

こういう『節目』の時期は不思議と重なるようで、私がフォローさせていただいているクリエイターの皆さんにもこの間一旦筆を止められたり、NOTEを卒業されるという方が多くいらっしゃいました。

中には自分を責められて筆を置く方もいらっしゃったりもして心配になりましたので、私ごときがなんなんですが、少し『呪術廻戦』に絡めたお話をさせてください。


主人公の虎杖悠仁はおじいさんの遺言である

「オマエは強いから人を助けろ」
「オマエは大勢に囲まれて死ね」

を受けて「正しい死とは?」と自問自答し、呪術師として人を助け『正しい死』に導こうと奮闘します。

そして様々な困難に立ち向かう中で彼の価値観は変化していき、

「何事も為さなくとも、全ての人は生きているだけで価値がある」

という結論に達し、虎杖のその思いは最終的にはたくさんの仲間の命を奪った宿敵の両面宿儺にさえも向けられることになります。

『正しい死』なんてものはそもそもなくて、『そこに命がただあることの尊さ』にスポットライトが当たりながら、物語は静かに終わっていくんですよね。

派手なバトルシーンが人気のマンガだっただけに、多くの読者が結末を思っていたよりも地味に感じ消化不良になったと聞きます。

でもですねえ。

私はこのラストはとっても「素敵だなあ」と感じました。

本当にそう思うんですよ。

真面目な両親のもとに育ち、その姿を見ながらいつしか「立派な人間になる」ことを目標に掲げ奮闘してきた私。

でも「立派になる」は私の心からの願いではなく、己が作り出した強迫観念(呪い)だったんですよね。

だから若い時分は「全然立派じゃない」自分に苛立ち傷つき、「死にてえなあ」といつも思っていました。

で、やっ~~~と46歳の時に、家族や友人や職場の方々との関わり合いの中で前述のことに気付けたんです。

「違えわ、これ」って(笑)。

そしてとうとう

「変人で性格がひねくれ倒して、全然立派じゃない」自分を受け入れることにしたんです。

呪いが解け、肩の荷が下りたら楽でしたよ~。

そうしたら、そんなふざけた私でも

「『これ』と決めた人のことはどこまでも大切にする」

という長所も見えてきました。

『呪術廻戦』でいうところの東堂葵と一緒ですね。

これって傍からみたら私は「何事かを為した」訳でもなく、大した話じゃないですよね。

でも、私にとっては心震えるほどに嬉しいことだったんです。

多分、そんなもんなんです。

皆さんもそんなに難しく考えなくてもいいのかなって。

『自己肯定感』なんて大げさにしなくていいんです。

ただただ「そこに在れ」ば。

50年生きてみて、「それだけ」でもなんとなくその人の『人生の輪郭』みたいなものって出来あがっていく気がしています。

今は好きですよ。私は私のこと。

めちゃくちゃゲスい奴ですけど(笑)、そこも含めて人間ぽくていいじゃないですか!

だから、皆さんも「何事も為さない」自分をもっともっともっともっと愛してくださいね。

だってあなたの存在は、ご自分が思っているよりずっとずっとずっとずっと尊いのですから。

一旦筆を止められた方々。

またこの場でお会い出来る日を楽しみにしております。

そして私自身も、心が整いましたらまた筆を執りたいと思います。

『某マーライオン氏』の続報など(笑)、まだまだ書きたいこともありますしね。

その際は是非よろしくお願い致します😊


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