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本雑綱目 51 若水俊 中国上代説話の研究

今回は若水俊著『中国上代説話の研究』です。
1978 年のJCA出版。
NDC分類では222、歴史>中国に分類しています。

1.読前印象
 日本で上代というと奈良時代くらいまでというイメージだ。唐の長安城に倣って建てられたのが平城京で、唐の説話というと酉陽雑爼あたりというイメージなのだが、隋唐あたりは上代説話という語幹の響きにしては新しすぎるような気がして、そうすると少し戻って魏晋南北朝あたりなら志怪小説だなと思いつつ、上代っていったいいつの想定なんだと混乱してても仕方がないから開く。

2.目次と前書きチェック
 序では中国説話は概要すらわからず、体系的な説話が存在しないと書いてある。うん? そうか? 説話って口伝の神話伝承じゃないのかしら。もちろん一子相伝の口伝なんて残ってはいないだろうが、山海經や志怪小説こそ説話ではないかと思うものの、説話の定義がよくわからない。
 目次は『天地開闢の説話 盤古説話の原型と生成』、『説話と儀礼 中国古代における説話と犠牲』、『黄帝説話考』、『黄帝と蚩尤とをめぐる総覧説話』、『山海經説話軍における構造と意味』と続く。小タイトルと序を合わせてみると、説話はあるが比較文化検討がされていないという意味かなと理解。っていうかこれは上代ではなく僕の認識では古代中の古代なのだが、中国史における上代というと古代という意味なのかな。
 どれも気にはなるんだけど、『黄帝と蚩尤とをめぐる総覧説話』を読んでみる。1つの章がそれなりにボリューム大きい。

3.中身
『黄帝と蚩尤とをめぐる総覧説話』について。
 冒頭に諸子百家が歴史を自己に有利なように変革解釈したと述べ、山海經の大荒北経における蚩尤説話について比較検討すると述べる。
 書経呂刑篇、荘子盗跖篇、戦国策、淮南子、述異記、管子五行篇、韓非子十過篇、呂氏春秋古楽篇、史記高祖本記の記載を引いてその関係性を推認し、特に荘子では黄帝は有巣氏、神農氏の徳政を崩壊させた者であり、その当て馬として蚩尤が登場したという。
 そもそも、蚩尤は戦国時代に狼藉者としてポップアップした存在であり、同時期にポップアップした黄帝の敵対者となり、その後、前漢代には黄帝の配下となるように説話が変性し黄帝とともに兵神となったとある。その原因は漢代あたりに占星術が発達した結果、戦国期に特殊な雲(蚩尤)が発生したのが兵神の現れであるとされ、それが遡って書経に蚩尤が乱暴者として登場することになった、という流れ。
 そして諸子百家の戦争観にうつるが、どの諸子百家も黄帝蚩尤の伝説が生まれるほどの好戦性はないため主だった思想家の発想ではないだろうと結論付け、各種文献の比較から当時気象として存在していた蚩尤、ついで対立軸としての黄帝を蘇秦がクリエイトしたのだろうとする。なんとなく後付古事記・日本書紀の話をするときの空気感ににてる。
 今僕はとても混乱している。僕の頭では蚩尤をトーテムとする種族がいてもともと黄帝をトーテムとする種族と対立していたのが、一時的に黄帝に恭順し、その後反目したストーリーで、なんとなくそれが自然なのだが、根本的に出発点が違うと感じる。そもそもの違和感が戦国時代に黄帝・蚩尤が作られたというところだ。一方で蚩尤も黄帝も多くの名前を持ち、例えば殷周代の青銅器に描かれた饕餮は蚩尤と同じ存在とされているけど、その紐づけの根拠まではあまり考えていなかった。調べると根拠は袁珂の持ってない方の本だなあ。追々調べるけれど、戦国時代に発生したという発想はもっていなかった。
 そしてこの説はこの本で始めて見たわけだが(引用を見ると古くからある説のようではあるが)、根底の常識に違和感を感じる。改めて出版時期を考えてみると、殷墟の再発掘が始まったのが1950年で文革が終わったのがこの本の書かれる2年前の1976年だから、時期的にこれが書かれた常識では日本では史記の古代(夏殷周あたり)の記載がフィクションだと思われていた時代、つまり伝説は後から作られたという考えを持っても違和感がない時代だったのだろう。1972年に発掘された馬王堆から老子が出土したのを始め、詩經、周易、禮記、左傳、戰國策、孫子等の戦国から漢代までの原本、中でも偽書だろといわれてた文子まで出土されたことから(完本ではない)、当時の古典籍の信用度が全体的に上がった。古代の遺跡も次々発掘されてるしね。
 なのでこの本が書かれた当時と現在ではおそらく常識が結構違うのだ。そういった差異を斟酌しても、今まで考えてなかった視点は結構面白い。是とするかは別として。
 墨子の兼愛を暴論だと言い切るところは好き。

 全体的にマニアック。というより漢文がよく引用されているけれど、それの訳的な説明がまるでないから、漢文が読めることが前提の本。しかもこの本に書かれてある内容は、現在のスタンダードではないだろう。だから読んでしまうとかえって道から外れる恐れがある。わかった上で道を外れるならともかく。
 小説に使えるかというと、悩ましい。読んだ範囲で諸子百家の簡単な思想まとめ的なものは使えるかもしれない。一方でわざわざ小説で歴史をやる意味というのはだいぶん難がある説でも完全に否定できなければフィクションですに近い感じでブッパできるところなので、こういう説の立て方アリなんだっていう辺りは参考になったけれど、普通はあんまり参考にならないかなと思う。

4.結び
 蚩尤についての本がよく巡ってくるってことは、これは蚩尤を書けという天啓かなんかなんだろうか(いや違う)。古い本は新しい考古学的又は文献的知見を欠いていることはままある(当然ながら)ので、その辺は補完しないといけないところはあるものの、今の常識ではない発想っていうのはなかなか得がたいものだなあと思う。
 次回は郭沫若著『則天武后 筑 始皇帝と高漸離』です。
 ではまた明日! 多分!

これは乱数メーカーを用いて手元にある約5000冊の本から1冊を選んで読んでみる、ついでに小説に使えるかとか考えてみようという雑な企画です。
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