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本雑綱目 46 佐藤幸治 文化としての暦

これは乱数メーカーを用いて手元にある約5000冊の本から1冊を選んで読んでみる、ついでに小説に使えるかとか考えてみようという雑な企画です。

今回は佐藤幸治著『文化としての暦』です。
創言社ペーパーバックで978-4881465066。
NDC分類では449.自然科学>時法. 暦学に分類しています。

1.読前印象
 一般書籍とペーパーバックの違いはなんだろう。表紙の柔らかさという点だけなのか。この本、250ページくらいある。
 それはそれとして、暦と文化は密接に関係している。月の満ち欠けまたは太陽の公転周期などに従い農耕牧畜のプランが定まり、神々が生まれ、様々な祭りやそれに付随する文化が生まれる。マホメットの決め打ちした純粋太陰暦は大変だなと思うけれど、太陰暦に関する話を書いているので暦は興味深い所。

2.目次と前書きチェック
 一部と二部に分かれ、一部は『歴という言葉』、『月と人間』、『太陽と人間』、『紀元と元号』、『年初と月名』、『週と曜日』、『陰陽五行説と干支』、『干支と時空』、『通日ならびに時・分・秒』、二部は『和風月名と日本の四季』、『俗信と縁日』、『節句』、『雑節と祝祭日』、『正月と盆』、『節気と吉凶占い』になっています。小題はない。
 興味があるところで『月と人間』、『陰陽五行説と干支』、『俗信と縁日』を読んでみたいと思います。

3.中身
『月と人間』について。
 古代では光・闇と太陽・月が一致しておらず、天地創造でも光が存在(ヒカリアレ!)したあとに太陽と月が作られるため、もともと明るい昼に輝く太陽よりも夜に輝く月の方が重視されていた、というのはなかなか興味深い。光源と天体(太陽・月)が無関係であるという論は機序的にはありえるのか。
 また、月に魔のイメージがあるのは温かい太陽に比べて冷たいため、月と結び付けられた女神セレーネーのイメージを引きずり、太陽を崇拝するミトラ信仰とキリスト教が合成されて月は邪教になり、狂気や魔女と紐づけられるようになったそうだ。明るさと温熱との関係は別だと認識しうるのか、その辺は興味深いところ。火は明るくて熱いが、太陽は遠すぎるし原初にポップアップするから特別なのだろう。そう考えると太陽と火の同一という感覚は古代では一般的ではなかったんだろうか。うーん? やっぱり興味深い。
 残念ながら純粋太陰暦についてはやっぱり月を12と固定して少しずつずれていく以外の情報がないが、やっぱりないんだよな……。
 他には世界各地の歴史的な日食の記載や日本における月の満ち欠けなど。

『陰陽五行説と干支』について。
 陰陽は古代中国の伏羲、五行は夏の禹王が作り、あわさって陰陽五行説となって暦の基礎となった。五行は五星、五曜、五季、五祀、五臓など様々なものを分類し、十干五行それぞれを陰陽にわけて兄弟として十干となった。自分的には十干というと殷の10の太陽のイメージで、殷の王は10の部族の持ち回り制(軽重あり)だが王の名前(冠称?)として甲骨文字に記載されている。
 十干が日の数え方であるなら十二支は月の数え方で、北極星の向く方向で月が決まった。これが動物に紐づけられたのは後漢の王充の論衡である。十二支は十二月にも配分され、子の月は11月とのこと。このような分類法が記載されているが、序列などの根拠は不明であることが多い。古い謂れはわからないことが多い。
 この項は純粋に陰陽五行説における十干十二支についての話で、何故その十干が当てはまっているのかなど、謎は深まった感(僕が整理しきれていない)。呪術とか陰陽道とは無関係な話題。

『俗信と縁日』について。
 日本でも古来から十干十二支を組み合わせた六十干支を慣習的に用い、壬申の乱や戊辰戦争などのも干支の名前がつけられている。丙午の話に絡めてお七火事の話が出ていて、本当はお七は丁羊生まれなのにその後描かれた西鶴等の浄瑠璃で描かれたお七の性格から、丙午生まれとみなされるようになった。まじか。また、庚申侍を始めとして庚申の日は道教、神道などから様々な風習が生まれた。
 縁日とは人と仏の縁をつなぐ日で、田と手羽摩利支天は亥の日、大黒天は甲子の日など、それぞれの仏の意味合いや俗信を述べている。この項は暦事典っぽい感じ。

 全体的に、日本古来(または中国)の暦が民俗的にどのような意味合いを持つかという内容の本で、十干十二支が作られた古代中国から引いているけれどもわからないことはわからないと断言する好感触な本。古いことはわからないのだ。
 小説に使えるかと言うと、江戸時代とかで庶民の話を書くなら現在と違う暦で動いているこの世界観を描くことはプラス(売り)になるかもしれないが、さりとて多分これは基礎知識のベースをどこに置くかという問題で、一旦この深度を世界観の基礎にしてしまうと他の時代考証のレベルを合わせざるを得ず、ライト時代小説を書くなら寧ろ読まないほうがよいのではないかと思うような本。

4.結び
 読み口は柔らかいけれど物語ではないので辞書的な本に近い。コラムで興味深い点はたくさんあったのだけれど、コラム自体が目次に現れていないので出会いのもの感がある。コラムだけ総覧してみようかな。ペーパーバックの定義がよくわからなくなってきた!
 次回は松枝到編『ふしぎの国 7 ユーモアと笑いの至福』です。
 ではまた明日! 多分!

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