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本雑綱目 50 山中正夫 反柳田国男の世界 民俗と歴史の狭間

今回は山中正夫著『反柳田国男の世界 民俗と歴史の狭間』です。
近代文藝社のISDN13は978-4773316278。
NDC分類では380>風俗習慣. 民俗学. 民族学に分類しています。1992年の少し古い本。

1.読前印象
 柳田国男というと民俗学の始まりなわけで、その調査研究の結果が現在に至る民俗学の基礎となった。それはそれでとても偉大なことだが、全てが柳田国男の発想からスタートするために、例えば司馬史観といわれるものと同じ現象が発生し、それ以外の発想を生むことが困難な状況に比較的長い間置かれた。今は必ずしもそうではなく異説もたくさん出ているが、そんな話なのかなーと思う。
 僕は新説を立てるのが好きなので、こういう視点の本は好き、だが1992年の本だからどうだろうー?

2.目次と前書きチェック
 『序にかえて』で、著者は柳田国男の祖霊信仰を批判したので異端視された述べる。当時の民俗学の場の様子を批判し、柳田国男の追随者しかいない民俗学が停滞するのは自明であると述べる。このへんはまるきり同意なんだけど、それを打破するには柳田国男の否定しか無いと述べる。僕としては何故そんなに極端なんだぜと思いはするし、倒さないと次に勧めないっていうのも思考の自由度が低すぎるんじゃないかと思うわけ。それじゃ特攻しか無いみたいな理論になるじゃん。それと著者の論に納得するかは別の話なので、とりあえず読んでみよう~。
 目次は第一部『日本民俗学に対する疑惑』の中に『二つの常民概念についての疑問』、『葬制史の諸問題』、『民俗学にとっての「事実」とは何か』、『沖縄学と日本民俗学』、『古代研究における民族と政治』、第二部『大日塚信仰論』の中に『大日塚信仰試論』、『大日塚信仰の論点について』、第三部『往復書簡 論争・石仏と農民信仰』、第四部『歴史学と民俗学』の中に『常陸の親鸞親子』、『地方史と伝説の交錯』となる。困ったな、今のところ大日塚信仰にあまり興味がない。
 とりあえず抜書的で自分でもどうなのかと思うが、『葬制史の諸問題』、『地方史と伝説の交錯』全体を読んでみよう。反対のための反対というのはあんまり建設的に思えないのと、興味があるところを。

3.中身
『葬制史の諸問題』について。
 最初の「日本人の葬制と死後観念」における諸問題の部分は講演を書き起こしたもので、書式として苦手だ。書き起こしの文って余剰情報が多いんだよな。
 それはそれとして、大化2年の薄葬令について、地中深くに埋めていたら穢れが少ないはず(だから庶民の葬法は遺棄だった)と述べる。え、ちょっと待って。死の穢れ感は現代と平安時代じゃ全然違うと思う。僕はさほど平安時代の習俗に詳しい訳では無いし、羅生門の話を始めとして市中には死体が散らばっていたのは事実としても、死自体が穢れであるわけだから深く埋めたら良しという問題ではないような気はする。その発想は現在の疫学等に基づく知識に端を発していないだろうか。
 また古墳時代以降に葬制が祖先祭祀を主とする支配者のものと祖先祭祀をしない庶民のもので分かれ、庶民は古墳時代以降祖先崇拝はなくなり、定住に伴う家制度の確立と仏教儀礼の普及によって特殊な祖霊信仰が成立したという。
 祖先崇拝が消滅するということがありうるんだろうか。例えば奈良朝当たりで天然痘で平城京の住民の6割が死んだとか、大仏建立の課税によって琵琶湖あたりは死人が溢れたとかは色々あるけれど、それはきっと葬儀が間に合わなかったという側面が大きいと思うのと、遺棄葬だからといって祖先崇拝がないといえるかというと、そうではない気はする。わざわざ令に書かれているから遺棄が通常だったとしているが、そもそもそのタイミングで何らかの理由で遺棄が増えたから改めて令として出されたとは考えられないだろうか(その時代に何があったかは確認していないけどさ)。薄葬令の目的はそもそも庶民の墓じゃないし。
 その他、単墓性と両墓制について。単墓性は埋めた墓を祀る、両墓制は埋めたところと別に清浄なところに墓を立てる。
 この後、柳田やその他の学者の墳墓や葬祭についてのたくさんの論を上げるが、ちょくちょく疑問がわく部分がある。僕の認識では長屋王は非業の死を遂げたからこそ祟りをなすという因果関係が成立しやすいと認識されたんじゃないかな。
 その他色々思うところはあるけれど、割愛。

『地方史と伝説の交錯』について。
 民俗学と歴史学は仲が悪いという話。
 茨城の池の邉は水の難所であり、人柱の伝説がある。伝説は人口に膾炙し移り変わっていくが、これに根拠をつけたものが歴史化という。その中で非合理なものは省かれていき、一方印象を深めるために文芸化がなされた結果、変化を重ねて過去の断片だけが残るという。例えば著者は池の邉が歴史化された安永7年文書では村が検見願いを申し出たと記載されているそうだが、著者の認識としては人柱を立てるほどの状況とは思われないため、後世の村の知識人が無難な歴史を捏造してもともとの工事の事実が脱落されたのではないかと述べる。
 うーん。様々な伝承・伝説の中に過去の断片があることは間違いないだろうし、それをより集めたら確からしき歴史が浮かび上がることは間違いないとは思う。一方で歴史というのは人類の一本道の過去をこれ以外存在しないものとしてエイヤと決め打ちをする心意気溢れる行為であり、他の可能性があればそれはそもそも歴史ではない。とはいえ新しい証拠が出てくればそれは変わりうるものだが、その時代時代の歴史感というものはその時代の全ての根拠の上で決め打たれるべきものであり、それは様々な重要資料を組み合わせて作られ、歴史学の場では根拠薄弱な事実は偽の可能性があるとして歴史とはみなされない(そこが史書偏重主義とか頭が硬いとかそれ以外の分野からはやいのやいのいわれるところだけれど)。
 それを前提にすると、著者の言う歴史化はうっすら獣道が見えるから歴史と決め打ちしているような、歴史と言い切るには根拠が薄いんじゃないかと思う。著者の個人的な認識から妥当性が判断されているように見え、同じ治世が成されたと思われる地域の別所の状況を比較検討しているかというと、すくなくともこの紙面には出てこない。もともと地史編纂をされていた方のようなので、恐らく膨大な手元資料はお持ちだと思うのだけれど、紙面に現れない以上、そうですかと納得するのは少しハードルが高いところ。

 全体的に論拠の中心が著者の身体感なんじゃないかと思われるところと、論の我田引水も多く、それから柳田国男の人格が好きじゃないんだろうなという気はした。ともあれ読んだ範囲ではすごい勢いで他人の論文を引いてきているが、それぞれの論文が想定している時代やテーマが違うはずであるのに流れるように引用するので、情報の深度(今、いつ、何について話しているのか)がよくわからない部分が多い。
 小説に使えるかというと、使えないかなあ。というか、使えると言うほどの具体性はないかもしれない。読んではないけど親鸞を書きたいなら読んでもいいかもしれないとは思う。

4.結び
 柳田国男信仰は自分もどうかと思ってはいるものの、実はあまり柳田国男も折口信夫も深くは読んでいない。寧ろ反対する立場の人の本をよく読んで柳田国男らの主張を把握してはいる。そう考えると、この本はどの点についてどのように反論しているのかがいささか見えづらい気はする。縄文時代から古墳時代、そして平安時代までってとても長いので、何段階化の変化はあるはずなんだけど、時点の特定が少し甘いんではないかと感じる。あと、祖先崇拝感が多分僕と違うから余計ピンとこないんだな。中国文化が流入するまでは恐らく祖先というものにさほど思い意味付けはなかったが(貴人庶民問わず)、中国文化の流入によって祖先は鬼神(祖先令)となり祟りをなすものに変化したはずなんだ、多分。だから今の時代の祖先崇拝とは全然違うはず。
 あと、改めて歴史と民俗学はそもそもの立ち位置が随分違うと感じた。
 次回は若水俊著『中国上代説話の研究』です。
 ではまた明日! 多分!

これは乱数メーカーを用いて手元にある約5000冊の本から1冊を選んで読んでみる、ついでに小説に使えるかとか考えてみようという雑な企画です。
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