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マックで喋る、あの頃の自分(一種の自己統合)

しばらくマック、マクドナルドに行ってなかった。

ハンバーガー嫌いじゃないし、たまにすごーく食べたくなる。
けど、しばらく行ってなかったのは、理由がある。
自分がHSPということを自覚してからだ。
マックは全体的な雰囲気が賑やかであわただしく、人も多いから敬遠して、静かで落ち着けるカフェの方を好むようになった。

私が外にいるときに飲食店に入る理由って、そんなに「食べたい」訳じゃないんですよ。
もちろん、ランチとして入ることもあるけど、たいていが、
仕事の疲れを癒したい為だったり、街や人混みの刺激から逃れる為で、都会のオアシス=「ホッとできること」を求めてた。

HSPから見ると、混んでるマックって、人のザワザワ・セカセカ感を感じてしまったり、椅子や物で大きな音をたてる人などが気になってしまって、落ち着けなかったんですよね。
大急ぎで食べて出ていくランチ休憩の人、ものすごい勢いでパソコンのキーを打ち、終わるやいなや「ガターン!!」と大きな音を立てて椅子を戻して帰るビジネスマン。。。
その人たちは頑張って働いているのだし、全く悪くないのだけど、静かに疲れを癒したい私にとっては、
どうもそういう「荒い波動」みたいなものに引っ張られて、安らげなかった。
そういう全てが「マック=苦手」という記号になって、しばらく敬遠してたのです。

しかし、昨日の大寒波。
神社の帰りに、「自分を振り返る書き出し作業」をしたくて、カフェを探していた。
私の地域は風も台風並みに強くて、その風が本当に冷たい!
もう寒くて寒くて、どこかに入らずにはいられなかった。

「あ~、もう、マックでもいい!」
…それが、私的に大事なきっかけになったのでした。

暖かい店内にほっとしつつ、テーブル席へ。
隣は、静かにスマホを打つ一人の同年代男性。
反対側の隣は四人テーブルで今は空いていてる。
ここにしよう。
三点セットを買って着席。温かいコーヒーとあつあつポテト…、
体も暖まって、周りの人々を見て、何かを思い出す…。


社会人になり目一杯働いた帰りに、遅くまで同僚と夕飯しながらのお喋りや、仕事の今後の事を話をしたり、休日に友達やら相方と遊びに行って、ランチしてた頃。
ただだだ忙しく余裕もなくて、自分を振り返ることなんて無く、体辛くても仕事にいかなきゃいけない。
女子としておしゃれもしなきゃいけない、メイクもしなきゃいけない。休みは休みで、なるべくどこかに行ったりしなきゃいけない。

当時の私には、そういう「義務感」があった。
そこには「自分軸」なんてあんまり無くて、「世間や周りの人々がやってること」をなぞっているだけ。人との交わりをなんとなくの安心材料にして。
そんなの自分じゃない。人真似してた。時代をエンジョイしてる気分になってた。

そんな風に思ってた。
けど…。
それだけじゃないな、っていう感覚を思い出したのです。
マックにいることで。

「自分軸で居ること」という信念を持って3年~5年ほどになります。無理をして人に合わせない、会いたくない人とは会わない、疲れてたら一人で家で休む、など。

そういう観点で自分の人生を振り返ったとき、私はその頃の自分が認められず、
「あの頃の生き方は間違いだった」と、否定してきました。
「自分を大切にしてなかった」「本当の自分を出さずに迎合してた」「一人では寂しくていられなかった」と位置付けて。
全てが「他人軸」に思えて、認めてはいけないような気がしていたのです。

でも、当時周りの人も、時代の雰囲気もそういうものが「普通」だった。
私にとっては、そうやって過ごすことが目指すべき所だと思っていた。
どこか「普通」と違う自分が、思春期に出来なかったことを取り戻すような行為だったような気がするのだ。

幼少から10代前半、友達との仲を深めるのが苦手で、親友という名前の仲良しの友達ができずに苦労したこと。だからそのあと仮面をつけて、まわりに馴染もうとしたこと…。

思春期に劣等感だらけだった私は、ずっと求めてた「普通の人と同じ幸せ」みたいなものに、やっとたどりつけたんたよね、って。
周りの人の服装やら会話から、時代に流れる空気を感じ取ったり。
食べて喋って、店内に流れる流行りの歌謡曲を、友達と一緒に口ずさんだり…。
そういう「生きていること」「人と仲良くできること」を、当時の私は幸せに感じたし、自然に楽しんでもいたんだろうな、って。

それだけじゃない。
一緒にいる人の性質や好みを察知して、その人が気分よくいられるように配慮したりもしてた。お店選びの新規開拓も好きで、よくやってたし。
楽しく居たかったし、人にも楽しく過ごして欲しかったから、会話は楽しく面白く、カラオケなら盛り上げを、と自然と心がけてた。
自分の愚痴や悩んでること、抱えてることの話は控えめ。
むこうが悩みを相談してくれば、全部聞いたし、最後は必ず自分なりに解決策を提案してた。(男性脳なので、悩み相談とそれに対する解決策は私のなかでセットだったの。今は、解決策を提示しなくても良いと思ってます。)

仲良くなった友達にはしょっちゅう食事や会合に誘われてたし、実際、私と居て、多分居心地が良かったんだとおもう。
みんな、最後は笑顔で帰ってったし…。

あの時代の自分にほめられる部分は何もないと思ってたけど、カウントしてない美点、いとおしく思える部分があったんだ。
そして何より、当時なりたかった「普通っぽい」自分になろうと、頑張ってた。

あの頃の私も、ちゃんと楽しんでた。
そう思ったら、過去の自分もいとおしくなってきたんだ。
(よくわかんないけど、そういう自分を思い出し、今泣いてます。)


隣の四人席に座った女子高生二人組が、飲み物もなくチキンナゲットだけで延々楽しそうに喋ってたのも、その頃の心境を思い出させてくれたのかもしれない。
私はそういうことができる状況を楽しもうとしていたし、実際、楽しかったのだと思う。

極寒の風が吹き荒れる中、何も考えずに入っただけだったけど。
ありがとう。マックと大寒波。
自分のいいところ、楽しんでたこと、思い出せたよ。。。


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変身のたね
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