ろぺ
好きなアイドルがいること。それだけ。
あんなにいつも丁寧に、ありったけの言葉を尽くしてくれるSexy Zoneが、なんの説明もくれなかったときはもうそういうことで、それはつまり終わりを意味するときなんだと思ってた。 ずっとそう思ってたけど、そう思ってたのは、そんなのこの人たちには起こりえないだろうって勝手に信頼して、安心していたことの裏付けだった。 でも、いつ当たり前だと思っていたものが壊れてもおかしくない。私たちはこの1年間でこのことをどれだけ痛感してきただろう。 Sexy Zoneが節目を迎えるとき、「
ザ・ハイライトのテーマが単に80年代リバイバルではなく、「人との出会いと別れ」が隠れた主題だったの、このライブを作ったひとのパーソナリティが大いに感じられてだいすきだったな〜。 風磨くんは夢を叶える度に、これまで関わってくれた全ての人のことを想うひと。いま目の前にいる人たちだけではなく、もう自分のもとを去ってしまった人たちのことを思い浮かべるひと。そしてその想いは届くはずもないかもしれないけれど、「少し虫がよすぎる気もするけど。」なんて言いながら、それでも少しの希望をのせて
視覚がひたすら楽しいライブだった。 派手な演出と目まぐるしく変わって見せてくれるSexyZoneの多面性。 これは間違って伝わってしまったら嫌なんだけど、ライブって些細な演出にどれだけ意匠を凝らされているかというより、やっぱり1番はどれだけその場の体感で「楽しい!」と思えるかだと思うんですよね。19年のPAGESが風磨Pの得意分野である物語仕立てだったのと、OPからの洗練された流れが盛り上がるための構成として秀逸でめちゃくちゃ楽しかったのでわたしの中ではずっとベストツアーなん
日本人はそのルーツ的に美しく言葉を紡ぐ人が魅力的に写る。 菊池風磨くんは文才。 言葉の奏でるリズムが心地よい。 常に季節の匂いが漂う文章に、温かい記憶の体温を感じる。 そりゃモテる訳だ。作詞にとどまらず、文章を書く仕事もしてほしいな〜!
今日はいつもより随分と早く終わったので、遠回りした帰り道で自転車を漕ぎながら、 風磨くんはいつも、息をするように、と言うと大袈裟だけれど、学生時代の話をするのなぁ なんて考えていた。 わたしは風磨くんにまだ学生という肩書きがあった時から風磨くんのことを応援しているので、そんなに違和感を感じたことはなかったんだけど、もう10年も前の話をついこの間の出来事のようによく話す風磨くんは、あの頃の記憶への癒着とか、執着とか、執念とか、ある種のコンプレックスとか、なんなのか、、、 わたし
今日の、ブログ更新してくれたふうまくん、 5年おたくしてきたなかで好きなふうまくん トップ3に入るかもしれない。 だって、私だけが勝手に夢の余韻から覚めきれないまま、でも前を向かなきゃって必死だと思ってたから、ふうまくんもふうまくんであの夜の魔法にかかったままこの2日間生きていたのかと思うと、めちゃくちゃ愛おしくないですか?? みんなと一緒に過ごしたあの夜の記憶に思いを馳せながら、その思い出を糧にして今日もわくわく一生懸命お仕事してるなんて、そんなかわいいアイドルいます?
ずっとアイドルとの距離を模索していた。 宗教的依存はしたくない、信仰対象にはしたくない、恋愛と錯覚はしたくない。 おたくである自分がどんな風にアイドルと向き合って、どんな風に存在しているのか。それを表す言葉が見つからなくて、アイドルは私にとってアイドル以外の何者でもなくて、なんでも未知のものに名前をつけてはそっとラベリングしておきたい私だから、ずっとずっと分からなくて苦しかったのだけど。 なんだかふと、「宝物」という言葉が腑に落ちてしまった。人生に寄り添ってくれるたからも
誰もがヒーローになりたいと夢をみるのに、一生かけてその夢を追いかける人はなかなかいない。ふうまくんに「選ばれた人間」を感じるのは、彼がその夢を一生かけて追いかけちゃう人だからだ。 アイドルがアイドルになった日のことをお祝いできるの、幸せだなあと毎年おもう。これまでの人生ずっとアイドルに夢をみて、その半分をアイドルとして生きているひと。今年もお祝いさせてくれてありがとう。来年も、欲を言えばその先も、きっとずっとお祝いできますように。 これからどんな夢の続きを見せてくれるのだ