小説を取り戻して、問われたこと
「誰かのために全力になれるかい?」
数年ぶりにようやく小説を読むことができた私に、その本は問いかけてきました。
小説が読めなくなっていた私が、読めるようになってどうなったのか、何を考えたのか。
同じように文字が読めなくなっている方に、
毎日生きるだけで精一杯な方に、届けたくて書きました。
文字が記号に見えるようになってからずっと、本の虫だったはずの私は、小説から離れていました。
本を開いて、読めないと感じるたびに絶望するからです。
(そうなってしまった経緯については、こちらに書いています)
でも、創作大賞に、小説でチャレンジしたい気持ちが湧き出してきて。
放置していたnoteを再開し、何年も小説を読めていない状況下で小説を書いて、完結させました。
とある会社さんのクリエイター登録もして、「小説家・漫画原作者」と名乗るようにもなりました。
いつまでも「目指している者」と自分を定義していると、夢を叶えることはできないと感じたからです。
そして……、「元・本の虫」という肩書きも捨てよう、と思いました。
「また本の虫に戻ってみせる」。そう決意したからです。
ちょうど、家族が買った小説が一冊、家にありました。
また読めなかったらどうしようと、震えながらも手に取って、開いてみました。
最初は3ページ読んだだけできつくなってしまったけれど、
次の日から、すごい勢いで読めるようになりました。
物語を追うのが楽しい。
その気持ちが、はっきりと蘇ったのです。
そして、実質2日で読み終わってしまいました。
それが、この本です。
『ジョジョの奇妙な冒険』のスピンオフであるこの作品は、「原作のファンだった人が、小説版を書いた」本だったので、「読みたい」という気持ちが大きかったのも良かったのだと思います。
何年も苦しんでいた、「小説が読めない」ということは、こうして意外と呆気なく突破できたのでした。
でも、そこに至るまでは本当に大変でした。
何度も死のうと思いましたし、今だって寝込んでばかりいます。
将来のことを憂いて、落ち込むことも多いです。
わけもなく苦しくなる時が、一日のうちに何回もあります。
でも、この変化が……、「また小説が読めるようになった」ということが、きっと私の人生が修復されるきっかけの一つになるような、そんな気がしています。
この本に、勇気とは何かを教わったからです。
物語の主人公であるギャング組織の一員・フーゴは、過去に自分が決断できず、常識に流されてしまったことを心の奥で悔やみながら、”いま”を生きていました。
けれどそれは未来に希望を持っているわけでもなく、ただ流されているだけでした。
一歩を踏み出せず藻搔いている彼はある日、組織の麻薬チームを討伐するよう命じられます。
戦いの中で、彼はかつて袂を分かった仲間たちが、何を考えて生きていたのかを身を以て知り、やがて真の勇気を理解していきます。
勇気とは、本当に尊敬する人に自分の全てを懸けることであり。
その勇気を探すことこそが、人生の目的なのだそうです。
フーゴたちのチームは藻掻き続け、苦しみに立ち向かった結果、その勇気を理解することができたのでした。
それに対して、「人の苦しみを倍増させ、そこから目をそらすようにしてしまう」麻薬を扱っている麻薬チームは、どこかで藻掻くのをやめてしまっているところがあったと感じました。
ただ、そうなった経緯は悲しいものも多くて、そして彼らの仲間を想う心は凄まじく、ただの敵として片付けられる存在ではなかったように思います。
彼らの能力には、”いま”を生きているようで、目を逸らしている面が色濃く出ていたように、私は感じました。
フーゴ達が得ることができて、麻薬チームが得られなかったもの。
それは、苦しみに耐え、それでも前に進むことだったのではないかと思います。
小説の舞台となったシチリアの人々は、「『“沈黙”して“忍耐”すること』に希望を見出す」のだ、と説明されていました。
最初はよくわからなかったけれど、数日経って、私はそれを「どんなに辛いことがあっても、諦めない」ことだと解釈しました。
人生には時々、停滞があります。
私が8年間、ただ寝込むことしかできなかったように。
それでも、絶望して全てを諦めるのではなく、少しでもいいから耐えてみることで、いずれ希望の光が見えるようになると信じることが大切なのではないか……そう思いました。
私も、何度も死にたいと思い、家を飛び出して夜の森の中を彷徨ったこともありました。
でも、それでも何とか、ギリギリのところで生きることを捨てなかったからこそ、今の幸せがあると感じます。
今だって完全に回復したとは言い切れないけれど、それでも藻掻き続けて、1ミリでも前に進み続けることで、誰かの心に何かを残せたらいいな、と思っています。
それから、フーゴたちが到達した”勇気”について。
これも、どう解釈すればいいのか、何日も考えました。
この本は偶然読むことになったように見えて、必然だったような気がしていたからです。
「本当に尊敬する人に自分の全てを懸ける」
自分にそんなことができるのだろうかと、考え続けました。
そして、私にとってのその答えは、「書くこと」の中にあると気づいたのです。
寝込んでばかりの私が、現在唯一できることは、書くことです。
でも、それはまだ、仕事にはなっていません。
仕事がないと、未来が真っ暗なものになってしまうように思えて、ずっと焦燥感を抱えて仕事を探しては、体調が付いて来ずに倒れる日々を送ってきました。
苦しくて、苦しくて。
もう自分は駄目なのかもしれないと思いました。
それでも、書くことはできているのです。
というより、書いていなければ死ぬという段階まで来てしまっていることに気づきました。
書くことを仕事にしたい。
現状、そうするしかない面もあるけれど、それよりも心が叫んでいるのです。
「それが、私が本当にやりたいことだよ!」と。
そのためには覚悟がいる、と思いました。
でも、どんな覚悟をすればいいのか、よくわかっていませんでした。
その答えが欲しくて、この小説を読んでいた面もあるのでした。
読書中の気持ちを振り返ってみて、ようやくわかりました。
「私は、読んでくれる人のために全力にならないといけない」と。
私の記事や小説を、人生の時間を費やして読んでくれる人に何ができるのか、徹底的に追求しなければならないと思うのです。
それが、書くことを仕事にすること。そう感じました。
毎日生きていることがやっとな私にとって、この世の中に生きている人全てが尊敬する人です。
その人たちに魂を懸けることが勇気。そう考えると、なるほど、と思えたのです。
読んでくださる人達へのリスペクトを忘れたくない。
私の書く文章が、その人たちの役に立てるように努力したい。
そう思うことができたのは、『恥知らずのパープルヘイズ』のおかげでした。
私は今回、読者というよりも「一人の物書き」として読書をしました。
「何をすれば物書きとして生きていけるのか」、それを知りたくて読んだのです。
この本はその答えを教えてくれました。
そして、覚悟を問われたように思います。
「読み手となってくれる人に、全身全霊で魂を懸けること。
それがあなたにとっての勇気だよ。
それを知ることができた今、やることは見えたはずだよ」と。
この本の英語名は”Purple Haze Feedback”。
まさしく私へのフィードバックだったと思っています。
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