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【古武術】YouTubeは結局YouTube

なぜ自分が
この道を歩いているのか
この先に何があるのか

この一歩を決めて
創り出したのは自分である

そして誰も知らないこの自分は
誰かの自分である

どれほどYouTubeで動画を見たとしても
それはあくまでも動画の世界であり
その世界に自分はいない
自分はコッチ側にいて
見ている世界はアッチ側にある

例えば

時代劇の映画を観ても
それは映画の中のお話で
実際に風を感じることはない
匂いもなければ殺気もない
馬に殺される心配もない

とても平和な椅子で座りながら
着物ではなく洋服を着て
ただ映画を観ているだけだ

それでも迫力のある映画は飲み込まれ
ものすごい感動をすることもある

それでもやっぱり
アッチの世界はアッチの世界

映画の中の誰かと
目を合うこともなければ
誰かに触れることもない
誰かと話すこともなければ
誰かの呼吸を感じることもない


実際にYouTubeで行っている
一見胡散臭そうにも思える
古武術などの不思議な技や
氣などの目では捉えにくいものは

YouTubeで見るのと
実際に生で味わうのでは
雲泥の差…

いや…差というか
全くの別ものだ


生より味わい深いものはない



YouTubeはYouTubeの愉しみ方があり
リアルにはリアルの愉しみ方がある

どちらが悪いワケではなく
自分なりに上手に使い分けると
どちらも相乗効果で楽しくなる


実際に時代劇に出ている俳優さんが
自分の目の前で
時代劇の時のスイッチを入れて下さると
いっきに風が変わるのを体感できる

その感覚を味わってから時代劇を見るのと
その感覚を知らずして時代劇を見るのでは
面白さが全く異なる


それは例え
自分がやっている体感会でも
同じことです😆

YouTubeなどの動画で見たことを
そのまま鵜吞みにせず
自分の體で実際に思う存分に味わい
自分が実際にどう感じるのか…

そこに生きる豊かさがあるのではないでしょうか

動画などを見過ぎて
思考ばかりが先行して
體が置いてけぼりにならないように

あらためてYouTubeなどの動画との付き合い方
見直してみて下さい

そしてもしも…

頭ばかりになっているのなら
ぜひ自分の體
何度でも味わいに来てみて下さい😌


最後までお読みいただき
ありがとうございます

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