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「無駄ではないのかもしれない」
①「はじめに」
年も明け,早くも2月になりました。学校現場は段々次の1年を考え始める時期となりました。
先日職場の次年度に向けた会議がありました。4月からも新型コロナウイルスの影響が色濃く残ることが予測されるため,校外に出るもの,他学年と交わるものは基本縮小傾向,安全優先で話が進みました。その中で1年生の先生が一言
「今年の1年生は本当に育ってないんです。全校集会1つも1年生にとっては大きな学習なんです。もう少し,外に出る機会を作れませんか?」
と言っていました。結果的に安全優先で話は進みました。ですが,この一言は私にとって多くのことを考えるきっかけとなりました。
②「基本的な私の立場」
私の基本的な立場は,
「学校は無駄が多過ぎる。色々削れば良い,教師は教室で勝負すべき。」
です。全校集会なんて授業を潰してまでやる価値はないと思っていました。
1年生にとって全校集会は大切な学習だというのは,レジなどの列はきちんと並ぶもの,駅など公共の場では騒がないといったような事に繋がるのかもしれません。時代は変わり,個の時代,多様化の時代といったところでこの辺は普遍的な社会性だと思います。
今年度,外との関わりが少なすぎて,身につけて欲しい社会性が足りないのは私が担当している学年を見ていても感じます。
③「この生活が続きそう」
報道を見ていると
といったように,今年のような制限のかかった学校生活は数年続く可能性もあります。1年の成長の遅れはカバーできると思いますが,これが数年続くと少しマズいかもしれません。
感染症対策と我々の過重労働と子供達が身につけるべき普遍的な社会性,どこから手を付けるのが,何を目指せば良いのかが全然見えてきません。
全部無駄だったと切り捨てるのはちょっと違ってたということに気付けたのは良かったものの,どうすれば良いのだろう。
今回もお読みいただき,ありがとうございます。