愉悦に満ちた読書
筒井康隆氏の小説『旅のラゴス』。初めて読んだときは正直ピンとこず、おもしろさがよくわからなかったものだが、今では時々読み返したくなる一冊となっている。
特に好きなのは、『王国への道』という章。ラゴスがある村を訪れ、ご先祖が残していったという大量の本を何年もかけてすべて読むのだ。
このご先祖というのは高度な文明を持つ別の星からの移住者で、ラゴスの時代まで下ると、もたらされた文明はほとんど廃れていた。しかし移住者が残した図鑑や日記を読み進めるにしたがって、ラゴスはコーヒー豆の加工法を二千年ぶりに復活させたり、移住者世界の高度な政治や経済についても学んでいく。そしてラゴスの滞在中、村はどんどん発展していった。
この、歴史を学ぶときのラゴスの本の読み方に、私の心が引きずり込まれた。
私の場合は、読んでいた小説やマンガの内容が、歴史の教科書に登場したときに愉悦を感じる。山岸涼子先生の『日出処の天子』にドハマりしたあとでの奈良への修学旅行など最高だった。
史実や原作を知っている状態で大河ドラマを見るのもそう。答え合わせに似た感覚になって、手に取るように把握できる。登場人物の名前を覚えられずに迷子になる、ということもない。
時代小説『奥右筆秘帳』シリーズを読み耽っていたときに、たまたま同じ時代設定のドラマが放送されていたときも同様で、役職の内容や、その立場だと何がつらいのかなどなど、手に取るように理解できてしまった。
近頃は家事や農作業をしながらAudibleで本の朗読を聴いている。これはとても便利である反面、聴けば聴くほど「文字にふれたい」「読みたい」という欲求に駆られてしまうことに気付いた。そしてAudibleで最後まで聴いたにも関わらず、本も買ってしまう。
日常生活でも初対面の人に自己紹介されると、必ず「お名前はどういう字を書くのですか?」と尋ねてしまう。私の場合、音だけでは記憶に定着しづらい。名前の場合は特に、文字を知り、意味も知りたいのだ。珍しい名字だと出身地まで質問してしまう。
私は音の人ではなく、文字の人なのだろう。
本で読みたい。ページを繰りたい。文字にふれたい。気になったときパラパラッと戻って読み返せるのがいい。音声や映像と違って、本は自分のペースで、行きつ戻りつ、読み進めることができる。
愉悦に満ちた読書といえば、もうひとつ最高の経験をしている。以前noteにも書いたことだが――きっかけはテレビ番組『ダークサイドミステリー』で扱われた、フランス革命時代の処刑人シャルル=アンリ・サンソン。その番組で私は、サンソンが書き続けていた日記に強く興味を持った。
――なぜか日記が好きなのだ私は。「日記」という言葉を聞いたり文字で見たりしただけで、興味がムズムズと湧いてくる。
それでサンソンの日記を読みたいがために、彼の子孫がまとめたという『サンソン家回顧録』の翻訳本を購入。貪るように読んだ(が、肝心のサンソンの日記部分は文字が一回り小さく、私の視力では読むのがちょっとキツかった)。
とはいえ、サンソン祭に盛り上がる私である。生あたたかく見守っていた親友が、マンガ『イノサン』を全巻貸してくれて、私は見事にサンソンを中心としたフランス革命漬けになったのである。テレビ、回顧録、マンガの三つをグルグル渡るうちに、この時代への私の理解は急激に深まった。
なんてぜいたくな、愉悦に満ちた読書だろう――
図らずもラゴスと同じ言葉が出た。
サンソンやフランス革命についての知識をダウンロードしてインストールした感じだろうか。『ファイナルファンタジー』で言うところの「ラーニング」みたいな。
ポッドキャストコンテンツ『コテンラジオ』のフランス革命シリーズも、初めて聴いたときはあまり頭に入ってこなかったが、テレビ・回顧録・マンガの3点グルグルをやったあとで改めて聴いてみると、やはり格段に理解が深まっていく。私の中で当時の人物たちが人格を持って動き始めたのが嬉しくて、「わかるぞー!」と雄叫びをあげた。
『旅のラゴス』を読んで単純に嬉しく思うことは、ラゴスに感化されると、私の読書量があからさまに増えるってことだろうか。我ながらすぐ影響を受ける、お手軽な性格である。