40歳過ぎて大学へ入った話(前半)【エッセイ】
今の世の中先行き不透明感が強く、企業などでも年齢のいった中高年の人たちに学び直しを勧めて、大学などへ入り直す人も少しずつ増えているという話を聞いたりします。それまでの企業で身に付けた知識や技術だけでは生き残れない人材や組織としての充実を図り、競争社会を生き抜いていくという戦略に基づいたものなんでしょうか。僕自身一回も本当の意味でサラリーマンをやったことがないのでそういう社会のリアルな動きについては疎いところがあるので憶測でしか語れませんが、そういう「リカレント教育」「学び直し」というキーワードはいろいろなメディアで耳にしたりすることは多いように思います。僕自身も就職氷河期世代でもあり、その年代がもう一度学び直して技術を身に付けて安定した雇用を目指すことは希望のある話だと思い、前向きにとらえていますが、実際まだ世の中の支援などの仕組みは若い人ほどは整っていないように思います。
そこで今回は僕自身が40歳を過ぎて一般入試で大学に入った経験をもとにそのような学び直しをしていく人に向けて体験が参考になればと、大学に入って思ったことや失敗談、成功したかもな話をしていきたいと思います。
何回もこのnoteで書いてきましたが、3年前地元の国公立大学の工学部土木系の学科に入学することが出来ました。それまでは医学部に入りたかったのですが届かずなんとかここに滑り込んだ次第です。ただその時点でもう42歳でして、医学部や薬学部といった国家資格などの就職に繋がる学部ではなかったため、この年齢で普通の学部に若い人みたいに何の目的もなく入ってもいいのか、という葛藤はありました。介護の仕事しながら生活は実家暮らしでしたが安定していて、経済的にいくら奨学金が借りられるとはいえ、借金でもあるし、卒業してからそれを返していくマネープランというものは子供でもわかるように暗いものでもありました。実際その大学に合格する前年の10月に知り合いの人に激しく反対されてそれに折れて一回はもう受験やめて介護で働こうと決心したりしました。しかし、それまで働きながら10年も医学部や大学目指して勉強してきたことが無駄になるのがそれこそ人生の無駄だと思い、模試などでもB判定やA判定が出たりしていた大学だったので、諦めきれずすぐに受験に戻って受けて晴れて合格したといういきさつがあります。
なぜそこまで僕は大学にこだわったのかと言いますと、これも何回もnoteに書いてきたように高校時代にうつ病などで満足に受験勉強が出来なかったということがあります。ずっと悔しかったのですね。あの病気さえなければ今頃はもっといい生活が出来ている、みたいな。もの凄い学歴コンプレックスというかプライドがあり、大学受験を諦め切れなかったというのが一番の理由かと思います。大学に行かなければ人生が始まらない、みたいなある意味歪んだ思想に取り憑かれ、整骨院での仕事をしていた30歳過ぎに母親の交通事故で医師などの仕事ぶりを間近で見たことをきっかけとして大学受験、医学部受験を再開して、実際もの凄くそれまでやってきたいろいろな仕事よりも「本当にしたかったのはこれ」感がありました。その直感を信じて結局は何度はじき返されても30代のうちは毎年のようにほぼ趣味みたいに大学受験に挑んでました。でもここで今思うと失敗していたなということがありまして。それは一部の進学校の高校生などにも見られる現象でもある「とにかく目の前の受験、偏差値だけ気にして合格だけしか考えず、その大学に入ったあとのビジョンを思い描けてなかった」ということにあります。実際は少し違いまして本当は僕自身医学部無理、(阪大)薬学部無理、となった時に「じゃあこれ以外で大学に行く理由がないと頑張れない」と真剣に悩んだ時期が今から4年くらい前入学する2年前くらいにあり、「ここまで身に付けた学力(毎年のようにセンター試験で80%取って偏差値も60くらいありました)を捨ててしまうのはもったいない。ならばそれを生かす仕事塾の先生ならこの年齢でも何とかやれるかも」と思い、高校時代にやりたかった物理の勉強をするため志望学部をそれまでの医学部や薬学部から理学部物理学科に変えました。偏差値的にも当時の僕の学力でも入れるレベルだった地元の国公立大学に絞って最後の一年、それまであっちこっちの参考書をつまみ食いしていたような勉強法を改めて、各教科一冊の問題集たとえば物理なら河合出版の「名門の森」一択など、それだけを本当に10周くらいやったりして、合格することが出来ました。本番はその「名門の森」の電磁気の問題がそのまま受けた大学で出されたりと、そんな幸運もあったりしました。ただその年がセンター試験から共通テストへの移行期の初年度に当たり、僕自身一切予備校など行かなかった、行けなかったので情報不足で、共通テストの英語の問題の予想問題をセンターパックとかで初めて解くまで「こんな量多いとは知らんかった」状態で、それまでセンター試験の英語なら毎年90%近く取って15分以上あまる得意科目でしたが、1分も余らず、80%も取れないことにかなり焦ったりして、結局本番は思っていたより低い点数で第1志望の理学部物理学科がD判定で「これじゃ受からんかも」と思ってB判定の出た同じ大学の工学部土木系の学科に急遽志望を変えたりして受かった経緯があります。ただ共通テスト終わって初めてその学部学科について調べて「環境とかあるからなんとかなるかも」ととにかく当時は合格することを最優先にして乗り越えたりしました。
たぶん予備校や高校に行っているとそこら辺の大学の情報や入ってからのいろいろな体験談とか聞かされたりして分かるのだと思いますが、本当に僕の場合は介護の仕事で疲れ果ててやっと勉強できるかどうかだったのでそういう「大学入ってから」の情報は全くなくて、それも行きたかった理学部物理なら「物理に興味あって頑張れる」というビジョンくらいは思い描けたのでしょうけど、工学部土木系とか考えもしなかった学部学科にぶっつけ本番で入っていくことになったので、そこが後々大きなネック、進路や大学生活に影響を及ぼす結果となっていったりしました。
それでも合格発表の日、それまで10回も落とされ続けて合格発表の番号の所に自分の受験番号ないのが当たり前になっていた状態で初めて自分の受験番号があって合格を知った時の喜びはとても大きかったですね。高校の時からの因縁でもあったし、10年くらいずっと働きながら周囲に反対されながらの受験だったりもしたので、大げさじゃなく人生で一番うれしい一日となりました。努力は報われるんやってようやく思い知った、その体験はやっぱり僕の人生、遅まきながらもとても大きな自信となって今も僕自身を支えてくれています。
後半はまた日を改めて書いていきたいと思います。ではまた。