去る人を追わないワケ
vol.120
お盆休みを満喫している方も多いと思いますが、一般的にお盆期間は8月13日〜16日と言われています。
当社では6月〜9月に夏休みを自由に5日取得することになっていますので、お盆期間は絶賛営業中。
…普段、お盆を感じることはないので、逆にお盆を意識した記事を本日はお届けしたいと思います。
お盆とは、先祖や故人を偲び、供養する行事。
つまり、お別れした方と心の中で再会します。
これにちなんだ仏教の教えで、私がビジネスの現場で大切にしている言葉があります。
それは
という『歎異抄』第6条の一節です。
こちらは、人と人との出会い、あるいは別れというのは、所詮は「縁」であるということ。
つまり、離れる縁も自然に受け入れましょうということです。
その昔、親鸞聖人の弟子に信楽房さんという方がいました。
信楽房さんは親鸞さん直筆の「南無阿弥陀仏」六字の名号や浄土三部経の解説書など、たくさんのものを与えられるほど可愛がられていたのです。
しかし、そんな信楽房さんは突如、親鸞さんのもとから離れようと決め、与えられたものを持って出ていってしまいます。
残された他の弟子たちが憤慨する中、親鸞さんが仰ったのが「つくべき縁あればともない はなるべき縁あればはなる」という言葉だったのです。
そして、そもそも親鸞さんは自分が師匠だなんて驕りは持っていなかった。
といった感じで弟子たちに諭したのでした。
私も自分自身を思い浮かべるとまさにそうで、社員に伝えてきたことは、先輩や書物などから教えられたものをただお裾分けしているに過ぎない。
もちろん、自分が四苦八苦しながら得た知見もありますが、それも人からその機会を与えていただいる恩恵あってこそだと捉えています。
それでも
と思う方もいらっしゃるでしょう。
しかし、そうした与えてきたことは、離れてみないと相手も気づかないはずです。
それに、去りゆく人が与えてくれたこと、教えてくれたこともあるはずです。
自分が得た恩恵を、その人が去ったことで実感する。
そうした振り返りを行うことで気づく「有り難さ」もあるのです。
また、私は縁が「切れる」ではなく「離れる」と表しているところに深みを感じます。
単に「離れている」だけなら距離の問題です。
退社は単に会社という垣根を超えただけであって、大切にしてれば再び近づく縁もあるかもしれない。
実際、世の中的に退社した社員の出戻りを受け入れるアルムナイ採用も活発化しています。
ウチの会社でも、出戻りはもちろんこと、クライアントとして声をかけてくれるパターンや、起業する、もしくはフリーランスになって現在支えてくれている仲間もいる。
いずれにせよ、外に出たからこそ得た知見を皆、還元してくれているのです😊
また、退社して10年ぐらい経ってから、ウチにいたことへの感謝を手紙で伝えてくれた人もいます。
結局は、それ以上のことはなかったのですが、一緒に過ごした時間がお互いの財産となっているなら、それは素晴らしいことですし、またいつか縁が近づくこともあるかもしれません。
辞めた社員を時折思い出すことも心の中で縁が近づいていると言える。
心の中での再会、それはお盆にも通ずる話でもあるでしょう。
いずれにせよ、去る者を止めたい気持ちは「執着」となる。
執着は心を縛りつけるものであり、苦しみの権現だと言われています。
ですので、離れる縁を自然体で受け入れ、その後に生かしていく方が良い。
そんな風に考えたいと思っています😊
ちなみに夏といえば「縁日」。
今年は近所で縁日がコロナ以来の復活を果たしています。
皆さんもこの夏休みに、様々な縁を楽しんでくださいませ〜
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?