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もう裏だなんて思わない。堂々と、幸せのニュースをお伝えします。日曜日の礼拝ごとに、一週間の生きる力を、人生を変える力を、神の言葉がもっていると確信していますから、それを指し示す取…
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2023年10月の記事一覧

信じるということ (創世記15:1-6, エフェソ2:1-10)

信じるということ (創世記15:1-6, エフェソ2:1-10)

◆アブラハム

「音楽の父」と言えば、バッハ。賀川豊彦は正に「生協の父」でしょう。そしてイスラエル民族の信仰の父といえば、アブラハム。膨大な数の「~の父」があるのに比べて、「~の母」と呼ばれる人はごく僅かであることを、不思議に思います。アブラハムは、旧約聖書創世記に登場する人物です。ただの伝説めいたものも含まれますが、生身の人間らしく描かれたのは、ノアを除けば、アブラハムが最初でした。それも、かな

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永遠の命を与える (ヨハネ10:22-30, 創世記3:21-24)

永遠の命を与える (ヨハネ10:22-30, 創世記3:21-24)

◆永遠の命が禁じられる

創世記3章は、ショッキングな場面が続きます。神にまず造られたのがアダム。次いでアダムの骨からエバが造られました。この二人が、こぞって神に楯突くのです。
 
問題は命の木でした。楽園の中にある木の実は食べてよい、とされていましたが、ひとつだけ、禁断の木の実がありました。林檎だとされたのは後の西欧の思い込みでしたが、とにかくそれは「園の中央にある木の実」でした。それについては

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教えたり教えられたり (イザヤ43:22-25, ルカ1:46-55)

教えたり教えられたり (イザヤ43:22-25, ルカ1:46-55)

◆赦しは教えられるか

キリスト教にとり、「ゆるし」というのは大きな課題だと言えます。今日はその「ゆるし」をテーマに、しばし聖書から開かれる扉を待ち望みたいと願います。私に与えられた観点は、「ゆるしのためには、何か教育が必要な面があるのではないか」、というものです。これをひとつの軸としてみたいと考えています。
 
さて、「どうかゆるしてください」と、昔話にはよくありそうなセリフも、めっきり聞くこと

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私にできること (士師記8:1-9, マルコ14:3-9)

私にできること (士師記8:1-9, マルコ14:3-9)

◆キリストの体

教会でお話を聞いていれば、どこかで「キリストの体」という言葉を聞いたことがあるでしょう。聖書も教会も知らない方々には、なんのことだ、と訳の分からない言葉はたくさんありますから、それは狭い世界でのみ通じる専門用語であるわけです。
 
イエス・キリストを信じる者たちは、共に手をつなぎます。互いに祈り合いますし、共働して何をします。しかし、皆が同じことをするわけではありません。人それぞ

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教会とはなにか (コロサイ1:18-25, 出エジプト12:14-17)

教会とはなにか (コロサイ1:18-25, 出エジプト12:14-17)

◆教会という言葉

また、御子はその体である教会の頭です。/御子は初めの者/死者の中から最初に生まれた方です。/それは、ご自身がすべてにおいて/第一の者となるためです。(コロサイ1:18)
 
コロサイの信徒への手紙については、近年の研究者は、パウロ本人の言葉や考え方とは言い難い、という結論を下しています。ひとつの見解です。しかし私たちは、パウロを神として信仰しているわけではありません。キリストに

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