マガジンのカバー画像

日記;父母覚書

53
脳内出血で倒れた父と認知症の母。もう亡くなりましたが、日記にしたためていたメモを公開
運営しているクリエイター

#日記

林檎を絞る祖母

林檎を絞る祖母

風邪を引いたなら、祖母が林檎をその萎れた小さな手で、おろし金で絞り、

日本手ぬぐいだか、キレイな布巾だかに、絞り絞り、最後の芯付近まで絞り、

その後、ぎゅっと布を巾着状にまとめ、林檎ジュースを作って飲ませてくれた。

ふと、今日、いや、もう昨日。

食欲不振、発熱した家族にと、果物売り場を物色。

林檎は高かった。

で、林檎百%なるジュースが今は在るのだった。うんと楽で、うんと安い。

栄養

もっとみる
母;生前覚書

母;生前覚書

゙お母さん、お誕生日おめでとう!

ぇっと・・何歳になったんだっけ?”

「38歳よ。

わたしは、38歳から年を取らないの。」

遠い昔の記憶、母の名言。

洋装も和装も似合った母の並外れた美貌。

小中学校の保護者会、校長先生筆頭に男性教師達が色めき立ち

母を観に来ていたと、後に知る。

そんな騒動を・・我が兄は恥じ入っていたのだった。

昨日ホームで見た母の明朗さ、思いがけず観た闊達さー

もっとみる
高倉健/父生前の日記

高倉健/父生前の日記

昨日、高倉健氏の訃報を父とホームで知る。

以後、父はまたしても、ナーバス。
死に遅れた、死にたい病に取り付かれている。

「健さんより、オレは年上ったい、あぁ、長く生き過ぎた・・死ぬにも死ねん。

いつまで惨めな奈落で過ごさにゃならんとか!」

父の舎弟たるオジサン曰く
”会長!死んだときが寿命です”
実に端的ながら真理だと思う。

幼い頃から不在の多い父との数少ない思い出は映画鑑賞である。

もっとみる
母 思ふ/生前覚書

母 思ふ/生前覚書

幾分、ひんやりした空気が心地よい

夜の風や音に心和み

羽音にすら季節を思う

煌々と輝く花の美に

我が母想い、つと涙がこぼれる

あぁ、どんどん痩せて無表情になりゆく母よ

かつての貴女なら

「わたしは石楠花じゃないわよ。薔薇!」だと言い切ったでしょうに。

何も発さぬ母よ

発し続ける父よ

辛かろうと思います。

でも、お迎えが来るまでどうぞ生きて下さい

あなた方の存在はやはり

もっとみる
父想う雲/生前覚書

父想う雲/生前覚書

ソレを積乱雲と呼ぶことを知ったのは幾つだったかしら。

いえ、どう考えても、アレは入道雲なのです。

小さい頃から、空を見上げることの好きな私は

ある日、むくむくと空に湧き上った巨大なアレが父に見え畏怖したものだ。

父の雲は・・年々、小型化している。

畏怖せしめよ、父!
私の入道雲よ、父!

怖かった。でも愛して愛して、愛されたいと願って来た。

嗚呼、その大きな父たる雲を、今、焦がれてやま

もっとみる
父の顔/生前覚書

父の顔/生前覚書

父は半身麻痺だが喋れる。

三年半前、脳出血で搬送され手術。

脳の損傷部位は広範囲にて、命の危機に瀕した。
高次脳機能障害という耳慣れぬ後遺症を担当医から知らされ、書物とネットで、知識を仕入れた。

感情の高揚、記憶の欠落、特に前者は、病になる前からの父の性格でもあり、その違いが区別出来ず、時に迷い、わたしが落ち込む羽目となった。

ようやく、諸症状を理解把握し、父本来の気性を知るわたししか出来

もっとみる
母:回想

母:回想

お母さん、お誕生日おめでとう!

ぇっと・・何歳になったんだっけ?”

「38歳よ。

わたしは、38歳から年を取らないの。」

遠い昔の記憶、母の名言。

洋装も和装も似合った母の並外れた美貌。

小中学校の保護者会、校長先生筆頭に男性教師達が色めき立ち

母を観に来ていたと、後に知る。

そんな騒動を・・我が兄は恥じ入っていたのだった。

昨日ホームで見た母の明朗さ、思いがけず観た闊達さー

もっとみる
七夕の短冊

七夕の短冊

(父母生前の日記より)

七夕の短冊に願い事を書きました。

七夕は祖父の命日。

父よ、貴方は仰った。

「オヤジは良い人間だったから、誰も忘れぬ日に逝ったのぅ」と。

祖父が亡くなった日、私はバスで戻り、死に目に会えなかった事を

悲しみました。人生で初めて、号泣しました。

「美しく泣け!」と・・貴方に叱られましたけどw

兄は、結局、戻りませんでしたね。

死を受け入れがたかったのです。彼

もっとみる
母と紫陽花

母と紫陽花

(母:生前)

天気予報より雨が遅れたみたい。

蒸し蒸しして、時折、小さな雨がポツリポツリと車の窓ガラスに跡をつけたけど、

帰宅まで、何とか持った。

明日から終日雨って予報。

今日も病院ツアー。(四ヶ所だから、ツアーとでも書かなきゃやってられんっ笑〉

母は少し顔色良し。元々真っ白な綺麗な肌の母が、手術後、免疫低下か薬の副作用か、

痛々しく荒れて色も蒼白になってたけど

ボチボチ、状態回

もっとみる
事の推移:2

事の推移:2

施設の対応があまりに不誠実であり面談も平行線にて、

安全性重視、利用者の安寧求め、市の

福祉介護課に相談、報告。

○過去に真夜中、ベッドから落ち、そのまま朝まで床で転倒していたこと。

○脱走の一回目、二度と起きぬよう、措置を介護主任さん他と話したこと。

○今回の脱走にては、運よく打ち身、擦過傷で済んだものの、施設側が

 不親切極まりない対応であったこと。

○父の過去から今日に至るまで

もっとみる
事の推移

事の推移

(過去日記覚え書き)

早朝、ホームより電話あり。

父が二度目の脱走図ったとのこと。

四年前の脳出血により、高次脳機能障害を発症した父は、

本来の性格に加え、時に、本来の父ではない無謀な(思考欠落した)行動を

起こす。

四年間の経緯:救急搬送>命取りとめ>リハビリ病院にて三ヶ月>後、帰宅、デイケア、

訪問看護、ヘルパーさんの体制で二年間>母の認知症悪化したため、現在、両親ともに

介護

もっとみる
七つのお祝い:母思ふ

七つのお祝い:母思ふ

着道楽だった我が母は

当事、裕福だったこともあり

馴染みの呉服屋から定期的に和服を購入

部屋中に広がった色彩の洪水に

子ども心に胸ときめかしたことを

覚えております

桐の箱に(多分)入った着物や帯を

美貌の母は目を細め乙女のような嬌声あげて

テーブルいっぱいに広げられたそれらを手に取り

見惚れておりました

幼稚園、年長の6歳ーわたしの数えで七つのお祝いに

母が選んだものは

もっとみる
母:近況

母:近況

(父母生前の日記:覚え書き)

 いつものように朗らかに明るく

わたしの名を忘れようと、迎えてくれる喜ぶ母の姿があるものと

思って疑わず・・その日も少々わたし自身が辛かったが、

顔を観たくて立ち寄った。

骨折後、かなり回数減、申し訳なさが常に心にあり、自己満足かも知れない、がー

母の笑顔を見れるものと信じていた。

しかし三日前の母は・・

ただベッドで呻き声をあげるばかり。

苦しそう

もっとみる
父の顔

父の顔

 (父母生前の日記より)

「何をどう言ってもつまらんのぅ。」

と、父がふっと笑う。

その顔があまりに寂しくて

帰宅後も脳裏から離れない。

豪胆でまさに九州男児そのものだった父、

やんちゃを重ねた十代

そして、企業を興した二十代

転身して、経済より誇りを望んだ三十代

父の人生は(父が手記をとうの昔、現役の頃、わたしに預けたのだ)

まさに波乱万丈、そして、輝かしい業績を残した人生で

もっとみる