宇野秀和

長年のクラシック音楽ファンです。主にXに投稿しています。長文を作成する場合にnoteを活用しています。

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最近の記事

ネルソンス指揮ウィーン•フィル Vn五嶋みどり 素晴らしい演奏会だった!

ネルソンス指揮ウィーン•フィル@大阪フィスティバルホールを聴いた。 今日はウィーン•フィルを追いかけて大阪まで遠征だ。理由は簡単で、東京の公演では良席の確保が極めて困難だからだ(大阪はそれほどではない)。遠征の甲斐あって、今日は本当に素晴らしい演奏会に立ち会うことができた。 今日の第一の聴きものは五嶋みどりのヴァイオリンだ。今や、この大天才の演奏を聴けるだけで福音と思わなければいけない。 曲はプロコフィエフの協奏曲第1番だ。演奏は、第1音から惹き入れられるような音色で始ま

    • シュトゥットガルト•バレエ団「椿姫」を観て 〜 バレエが明らかにするショパン楽曲の意味

      シュトゥットガルト・バレエ団公演「椿姫」を観た(11/8東京文化会館)。初めての経験だ。今日はソヒエフ/ミュンヘン・フィルの公演と日程が重なっており、悩みに悩んだが、バレエ公演を優先することにした。やはり、エリサ・バデネス、フリーデマン・フォーゲルなどが出演する公演を観ないわけにはいかない。それに、ショパンの名曲とバレエのコンビネーションという世界への興味には勝てなかったのである。 バレエ「椿姫」はオペラとストーリーは重なるが、既に述べたとおり音楽はすべてショパンの名曲が使

      • 室田尚子様の「オペラが『生きた芸術』であるために」について

        宇野秀和と申します。長年のオペラファンの一人です。今回の「影のない女」上演はクラウドファンディングに参加し、上演は最終日を観劇しました。 室田様の論考を興味深く読ませて頂きました。大変冷静な論点整理がなされており、少し頭がヒートアップしている身としては、クールダウンするために有り難かった次第です。 やはりもっとも気になる論点は、女性差別的テーマとその上演における取り扱い方です。私も、このオペラのテーマが女性差別的で、今日的価値基準からすれば否定されるべきものだということに概ね

        • 【補論】オペラ上演において、演出家の裁量による音楽の改変は許されるのか ~ 古典文学作品の取り扱われ方に関連して

          拙稿「オペラ上演において、演出家の裁量による音楽の改変は許されるのか」の中で、文学について次のように述べた。「文学作品の古典の中には、あらゆる差別、暴力、古い価値観が詳細に記述された作品がいくらでも見つかる。しかし、私の知る限り、文学を切り刻んだり章立てを入れ替えたりして改変する小説家、文芸評論家、出版社などは存在しない。古典文学作品はそのまま読むのが当然とされている。」この部分は、文学作品との対比において、演出家がオペラを改変することが非常におかしなことであることを示すため

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        • 【補論】オペラ上演において、演出家の裁量による音楽の改変は許されるのか ~ 古典文学作品の取り扱われ方に関連して

          オペラ上演において、演出家の裁量による音楽の改変は許されるのか。

          二期会「影のない女」最終日の上演を観た。オーケストラと歌手の皆さんは大熱演だった。この方々の演奏でカットなしの全曲を聴きたかった。 演出内容については支離滅裂。コメントする気持ちにもなれない。今回の上演を観て最も考えさせられたことは、下記の一点だ。 『オペラ上演において、演出家の裁量による音楽の改変は許されるのか。』 【オペラの芸術的価値の源泉は音楽】 オペラ作品において、最も芸術的価値が高い要素は音楽だ。決して演出ではない。舞台作りや演技がなくても、オペラの音楽だけで聴

          オペラ上演において、演出家の裁量による音楽の改変は許されるのか。