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シュトゥットガルト•バレエ団「椿姫」を観て 〜 バレエが明らかにするショパン楽曲の意味

シュトゥットガルト・バレエ団公演「椿姫」を観た(11/8東京文化会館)。初めての経験だ。今日はソヒエフ/ミュンヘン・フィルの公演と日程が重なっており、悩みに悩んだが、バレエ公演を優先することにした。やはり、エリサ・バデネス、フリーデマン・フォーゲルなどが出演する公演を観ないわけにはいかない。それに、ショパンの名曲とバレエのコンビネーションという世界への興味には勝てなかったのである。

バレエ「椿姫」はオペラとストーリーは重なるが、既に述べたとおり音楽はすべてショパンの名曲が使われている。名曲たちとバレエとのコンビネーションを初めて観た私は、舞台のあまりの美しさに激しく心打たれたのだった。オペラがヴェルディの骨太の音楽で支えられているのに対し、バレエは恰もガラス細工のような’壊れやすい美しさ’だった。特筆すべきは、バレエの舞台と一体となることで、ショパンの楽曲の隠された意味が次々と明らかになったことだ。

第1幕では協奏曲第2番の全曲が使われていた。その中でも第2楽章が美の極致。フォーゲル演じるアルマンの一途な愛情表現と、それを受け止めるかどうか葛藤するバデネス演じるマルグリット。観ていて胸が締め付けられる思いだ。音楽がバレエとあまりにも一体だ。ショパンの緩徐楽章が、実は恋の喜びと葛藤を描いた音楽であったことが、バレエの表現と一体となったことで初めてわかったのだった。
その後も新たなショパンの発見の連続だ。第2幕ではソナタ3番の緩徐楽章‘ラルゴ’に乗って、バデネスとフォーゲルの二人は愛の高揚を踊りで表現し尽くした。二人の踊りによって、私はソナタ両端楽章の華やかさに埋没しがちな‘ラルゴ’が、恋の情熱を秘めた美しい音楽だと今日初めて気付いたのだった。
この幕の舞台は、父との葛藤に満ちた場面を経て、マルグリットが別れを決意するに至る。その後、アルマンと再会した際にもう一度‘ラルゴ’が現れる。つかの間の幸せが過ぎ去り、二人が別離する場面で、この楽章の最後の二つの和音が響き、胸を衝く。私はこの時点では、この和音の複雑な響きはとても言語では表現できないと思った。舞台を観ながら音に耳を傾けるしかないと。
そして第3幕。マルグリットが絶望して息を引き取る場面でも、四たび‘ラルゴ’が流れ、最後の二つの和音とともにマルグリットは崩れ落ち、息を引き取るのだ(終幕)。この時の衝撃的な感動。私は、少し二つの和音の意味がわかった気がした。ノイマイヤーは、‘ラルゴ’という曲とその最後の二つの和音に特別な意味を見出しているに違いない。それはおそらく、愛が終わり、命が尽きるときの音楽、という意味であろう。二つの和音のうち、最初の一つは微妙な不協和音を含んでおり、聴いていて心に刺さるものがあると聴く人は感じる。そのニュアンスを「愛と命の終焉」と解釈したノイマイヤーは、何という感性の持ち主なのだろうか。
その他にも、ショパンの名曲とバレエダンサーの名手たちの共演による素晴らしい瞬間は多々あった。第2幕に使われたいくつかの「24の前奏曲」。すべてバデネスが躍るマルグリットの苦悩、葛藤、そして絶望の場面を音楽で表現して尽きるところがない。
さらに、第3幕の「バラード第1番」。愛の昂ぶりと哀切さをバデネスとフォーゲルとともに強く訴えかける。「華麗なる大ポロネーズ」も意外な使われ方だ。舞踏会の音楽として最適な華やかさを表現する曲であることは明らかだが、その中でマルグリットとアルマンの間に起きる悲劇を、中間部の曲想が一瞬暗くなるところで見事に表現する。この中間部の暗い色彩がなぜこの華やかの曲の中登場するのか。私は、この日初めてその意味が分かったと感じたのだった。
ノイマイヤーは明らかに天才的な創作者である。彼の手になるバレエ「椿姫」は、驚くべき芸術作品だ。音楽とバレエのコラボレーションに加え、照明を含めた舞台づくりはシンプルで繊細だ。音楽とバレエを引き立てこそすれ、一切邪魔することはなく、この点も見事だ。結果として、いわゆる総合芸術として人の心をとらえ、揺り動かす強い力を持つ作品が見事に出来上がっている。偉大だとしか言いようがない。そして、それを見事に踊りで表現したバデネス、フォーゲルなどのダンサーたちには、最大限の賛辞が送られるべきだ。
最後に、ピアノのソロを弾いたアラステア・バヌマンも素晴らしかった。演奏は端正で抑制的だ。おそらく、バレエの伴奏であるがゆえの表現方法だと思うが、随所に音楽性を感じさせる優れた演奏で、この公演の成功に大きく貢献したと言えるだろう。

今日の感動はショパンのピアノソナタ第3番‘ラルゴ’の最後の二つの和音 - 不協和音含みの - の印象とともに、心の奥にしまっておくことにする。おそらく、一生忘れることはないだろう。


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