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ネルソンス指揮ウィーン•フィル Vn五嶋みどり 素晴らしい演奏会だった!

ネルソンス指揮ウィーン•フィル@大阪フィスティバルホールを聴いた。

今日はウィーン•フィルを追いかけて大阪まで遠征だ。理由は簡単で、東京の公演では良席の確保が極めて困難だからだ(大阪はそれほどではない)。遠征の甲斐あって、今日は本当に素晴らしい演奏会に立ち会うことができた。

今日の第一の聴きものは五嶋みどりのヴァイオリンだ。今や、この大天才の演奏を聴けるだけで福音と思わなければいけない。
曲はプロコフィエフの協奏曲第1番だ。演奏は、第1音から惹き入れられるような音色で始まる。彼女のヴァイオリンを弾く姿自体が既に神がかっている。全身を使い、曲想を最大限にヴァイオリンから引き出そうとする天才の姿。演奏は第1楽章の終盤の静けさ、第2楽章の鋭いリズムと切れ味も素晴らしかったが、やはり最大の聴きどころは第3楽章の半ば過ぎから。音階の繰り返しが続く中で音楽は次第に高潮し、ヴァイオリンの音色も切れば血が出る如く熱を帯びる。そして、終結に向けて曲は静寂に向かい、ヴァイオリンの高音のトリルがオーケストラとともに天国的な音色を奏でたのだった。美しさの極みだ!
しかし、今日最高だったのはアンコールのバッハ(無伴奏パルティータ第3番プレリュード)だろう。私は前から3列目で聴いていながら、聴こえてきたのはどこまでも澄み渡った音。一切の雑音を除いた完全に純粋な音色と表現だ。これを神業と言わずして。東京でテツラフが弾いたバッハが人間臭い演奏とすれば、五嶋みどりは対照的な人間業とは思えぬ透明な音楽の世界だった。これを聴けただけで大阪まで来た甲斐があったいうものだ。

後半のマーラー5番。これは期待を遥かに上回る圧巻の演奏だった。最近多く聴かれる薄味の直線的マーラーとは完全に一線を画す、作曲家の本質に肉薄する演奏。テンポは基本的に遅く、しかも大きく動く。粘るところは思い切り粘っこく、歌うところはねっとりと歌い切る。悩みに悩んでのたうちまわるマーラーの姿が浮かび上がる凄みを帯びた演奏であった。
最高だったのが第2楽章だ。悶え苦しみ、そして最後には自暴自棄のファンファーレに至るマーラーの姿を描き尽くしてあまりある演奏。終結近くの打楽器の強打はいちいち体を硬直させ、震えがくる有様だ。マーラーはこうでなくては!
アダージェットは粘り強く歌い続け、テンポは終盤にかけて更に遅くなっていった。心ゆくまで、とはこのことだ。アダージェットがおわる間際には、ほとんど神秘的な雰囲気すら感じられた。最終楽章も遅いテンポで直押ししていく。そして遂に終結部分で大爆発を導き、目眩くコーダに至ったのだ。
ネルソンスの指揮姿を見ていて、私はかつてのバーンスタインを思い出していた。指揮のやり方は大きく異なるが、曲に没入して大きな身振りでオケにインスピレーションを注入する姿は、バーンスタインとイメージが完全に重なった。終演後、ウィーン•フィルの皆さんは皆笑顔。よほどの出来栄えだったのだろう。聴衆もオーケストラの皆さんの明るい表情を見ると嬉しいものだ。

マーラーの大曲の後にも関わらず、何とアンコールが演奏された。曲は軽騎兵序曲!ビックリだ。マーラーでは涙は出なかったが、軽騎兵では涙腺が緩みっぱなし。本当に嬉しかった。

私は東京での公演には行かないので、一足早く「今年のウィーン•フィルは最高だった!」と過去形で書き記させて頂く。

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