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「小さいことは気にしない」がある幸せ

牛丼一筋、三百年♪早いの、旨いの、安いのー♪

幼い頃に無邪気に見ていた「キン肉マン」で流れていたフレーズ(年齢が・・・汗)

当然、早くて旨くて安いのは良いことなのですが、これってどこまで行ったら、それより上を目指さなくてよくなるのでしょうか

例えば、「早さ」で言うと、仮に牛丼屋に入ったとして、着席と同時に牛丼が出るのが究極形

だって、もっと早くしようとすると、着席前から牛丼が席に置かれることになって、きっと逆に怖がられますもんね(笑)

そして、現状を良くすること、つまり、「改善」には企業や個人の多大な努力がいるのですが、もし本気でこの「着席前に牛丼の配膳を完了させる仕組み」を作ろうとすると、信じられないくらいの努力がいるんだろうな、と思ったりします

先日、ある日本の伝統技術に20年以上携わる先生とお話する機会をいただきました

ドキュメンタリードラマを地で行く先生がこう言います

私の業界では『より早く、より良く、より安く』が限界を迎えている、このまま行くと、おそらく私がこの伝統を担う最後の世代になると思います」

その先生の話を例えて言うなら、作家さんが作る食器

手作業で1点ずつ作るので、同じデザインでも、ちょっとした歪みがあったり、色ムラがあったり、それぞれの食器にわずかな違いがあります

そのわずかな違いは、その食器を「一点物」と捉える人にとっては魅力、つまり、いわゆる「味」になるのですが、これを「ただの食器」と捉える人にとっては「不良品」でしかない

今回お会いした先生は、展覧会に出されるレベルの作品を作られる方なのですが、この「味」のわからない仕入れ先の方には「不良品」と見なされて返品されてしまうことがあるようです

おそらくその仕入れ先の方に悪意はなく、お客様第一主義を掲げ、お客様の深層心理にまで飛び込んで、「この誤差をお客様には提供できない」と考えているのではないかと思われますが、そのお客様の一人である自分が第三者的に聞くと、「そこまでやらなくても・・・」と、やや疑問に感じたりします

しかし、その仕入れ先の方は極悪クレーマーに追い詰められた経験があってそこまで厳しくなってしまったのかな・・・(汗)

と、こんな感じで、納品遅れも許されず、値上げも認めてもらえなくなった結果、後を継ぎたいという方が居なくなってしまったようです

「ジャパンクオリティは改善にあり」と言われるように、モノづくり文化の日本に改善は必要不可欠だと思うのですが、その改善が日本の伝統文化そのものを壊そうとしているとなると、非常に複雑な気持ちになります

ユーザーの1人として、もう少し寛大な気持ちでいないといけないなー

とか、

みんながみんな、もう少しおおらかな気持ちになれたら、世の中がもっと幸せになったりするのかなー

とか思ったりする今日この頃でした

では、また次回、よろしくお願いします

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