『有りがたうさん』:1936、日本
天城街道を走る定期乗合自動車の運転手は、通り過ぎる人々に「有りがたう」と声を掛ける。いつも忘れず、誰に対しても「有りがたう」と声を掛けるので、彼は「有りがとうさん」と呼ばれていた。
そんな有りがとうさんが運転する午後3時発の乗合自動車を、港町の待合所で待っている人々がいた。その中には、東京へ売られゆく娘と母親の姿もあった。有りがたうさんがやって来て、出発の時間になった。茶店の婆さんは、娘と母親に「バスの中でおあがり」と言い、羊羹の箱を渡した。
有りがとうさんは、後ろに座った娘と母親に「前の方が揺れないから」と告げた。しかし母娘が移動しようとすると、髭の紳士が前の席にドッカリと腰を下ろした。
運転席の後ろには、流れ者の酌婦である黒襟の女が座った。女は「次が有りがとうさんの車だからって、一つ遅らせたの」と告げた。バスが出発すると、乗り遅れた男が一人いた。慌てて彼はバスを追い掛けた。
有りがとうさんは運転しながら、道を歩く人々に「有りがとう」と声を掛けた。娘は、知っている人々に見つかることを恥ずかしがった。母の隣に座った男は、「それでもお前さんは娘さんを持って幸せだよ。男の子を持ってごらんなさいよ。働こうにも仕事なんかありゃしません」と述べた。
乗合自動車は、失業して帰ってきたであろう人々とすれ違った。有りがとうさんが「この頃は毎日のように失業者が戻ってくる」と口にすると、黒襟の女は「それでも帰る家がある人は幸せだよ」と言う。
後ろから来たオープンカーは、うるさくクラクションを鳴らして追い抜いていった。黒襟の女は「有りがとうぐらい言っていきゃいいのに、畜生」と腹を立てた。
しばらく行くと車はエンコしており、黒襟の女は「有りがとう」と笑って告げた。母親の隣の男は、降りる停車場に来ても眠っていた。母親が起こすと、彼は「東京はキツネやタヌキばかりだ。騙されんようにな」と娘に告げて降りた。
髭の紳士は娘の斜め前に移動し、いやらしい表情でニヤニヤと見つめた。黒襟の女が「自動車の中にもタヌキがいるよ」と言うと、紳士はそそくさと元の席に戻った。
途中、村の老人が車を停め、顔見知りの母親に「今日はどこへ?」と尋ねた。母親は、ためらいながら「娘が東京へね」と答えた。「何しに?」と訊かれ、「色々、事情がね」と口ごもった。娘が袖を引っ張り、母は口をつぐんだ。バスが出発した後、娘は「これからは、誰が訊いても東京の親類へ行くと言ってね。誰に訊かれても恥ずかしいから」と頼んだ。
髭の紳士は黒襟の女に顔をジロジロ見られ、「僕の顔に何か付いているとでも言うのかね」と質問した。「付いてるわよ、ヒゲが」と言われ、髭の紳士は後ろに移動した。
「アンタこそ、さっきからあの娘さんの顔をジロジロ見てたんじゃないの」と女が言うと、紳士は「付いてるじゃないか、目も鼻も」と口にする。すると女は、すぐに「目鼻が無くちゃ、卵だよ」と言葉を返した。
乗合自動車は、ようよう一つ峠を越えた。行商人が停車場で降り、黒襟の女は有りがとうさんにタバコを一本せがんだ。髭の紳士と、うらぶれた紳士は、女がタバコを吸うのを見て、自分たちもタバコを取り出した。髭の紳士は、一番前の席に戻った。向こうから停車場に別の乗合自動車がやって来て、そこには東京見物から戻った村人と娘が乗っていた。
母親は「今日は、どちらへ?」と訊かれ、「娘が東京の親戚へ」と答えた。すると東京帰りの娘は、浮かれた様子で「私、水の江ターキー見てきたわよ。それにトーキーも。アンタも是非、見ていらっしゃいよ」と売られゆく娘に言う。売られゆく娘はうつむき、沈んだ顔で何も言わない。
有りがとうさんが乗合自動車を発進させると、あのオープンカーが後ろから走ってきて、またクラクションで追い越していった。しばらく行くと、旅芸人の親子が手を挙げてバスを停めた。有りがとうさんは旅芸人の父親に、後から来る娘たちへの言付けを頼まれた。
髭の紳士は「いちいち言付けなどしていて、汽車に遅れるなよ」と文句を付けた。旅芸人は一度も乗ってくれたことが無く、黒襟の女は「大変だねえ」と言うが、有りがとうさんは「これも街道渡世の仁義ですよ」と微笑んだ。
医者が乗ってきて、子沢山の女がまた妊娠したことを話した。家の前に到着すると、もう双子が産まれていた。黒襟の女は「今年は豊年だよ、柿も蜜柑も赤ん坊も」と口にした。村の娘が車を停めて、「蓄音機の種板買ってきてくれんかね。流行歌をなるだけ早く」と頼んだ。
有りがとうさんは金を受け取ると、優しい口調で「今夜は向こう泊まりだから、明日になるよ」と告げた。髭の紳士は「言付けだの買い物だの、いいかげんにしろよ、日が暮れるから」と不平をこぼした。
黒襟の女は「親切で男っぷりがいいと来てるから、街道の娘っ子が騒ぐのも無理は無いね」と言う。すると有りがとうさんは「一枚のレコードで、村の娘さんたちがみんな楽しめるんですよ。こんな山ん中じゃあ、他に楽しみが無いからねえ」と告げた。
フラフラと歩く男と行き交うと、有りがとうさんは黒襟の女に「あの人は気の毒に、好きな娘が売られていってから気が変になって、毎日、この街道を行ったり来たり捜しているんですよ」と教えた。
売られゆく娘が泣き出し、有りがとうさんはそれに気付いた。バックミラーの角度を変えて、彼女の様子をじっと見つめた。母親は娘に「今さら泣いたって、どうなるものか。働きに行くのはね、お前ばかりじゃないんだよ」と告げる。
母にすがりついて泣いている娘の姿に、有りがとうさんは気を取られた。よそ見をしていた有りがとうさんは運転を誤り、危うく乗合自動車は崖下へ転落しそうになった。慌ててブレーキを掛けた有りがとうさんは、「とんだ軽業をやってしまいましたよ」と告げた。
客が眠り込む中、娘は有りがとうさんに歩み寄った。彼女が「もうじき自分で開業するんだってねえ」と言うと、有りがとうさんは「ああ、シボレーのセコハンが安く手に入るもんだから」と答えた。
娘は「じゃあ今度、私が帰る時は、その車だわねえ」と言う。黒襟の女が目を覚まし、娘に「運ちゃんに話し掛けると危ないよ、崖道だから」と告げた。娘は元の席に戻った。
黒襟の女は有りがとうさんにタバコを貰い、「あたしがあの港町へ来た時も、有りがとうさんの車だったわね。覚えている?」などと話し掛けた。すると髭の紳士は、「運ちゃんに話し掛けると危ないよ、片っ方は崖だから」と嫌味っぽく言う。
旅芸人の娘たちがいたので、有りがとうさんは言付けを伝えた。会話を交わしていると、「済んだら早く出んかい」と髭の紳士は不機嫌そうに言う。
母親は「退屈しのぎに一ついかが」と言い、羊羹を客に配った。だが、髭の紳士と黒襟の女には差し出さなかった。髭の紳士は自分から声を掛け、羊羹を受け取った。
黒襟の女は母親が席に戻った後、「私だけは継っ子ね。ひがませるもんじゃないわよ」と口にした。母親が「残りもんで良かったら」と立つと、黒襟の女は「言ってみただけよ、私は甘党じゃないの」と笑みを浮かべた。
黒襟の女はウイスキーを出して飲み始めた。後ろの男性客3人にも勧めるが、みんな「甘党なんで」「不調法なんで」と遠慮した。髭の紳士には勧めなかった。3人は黒襟の女から羊羹を食べずに残していることを指摘され、「じゃあ、いただきましょうかね」と酒を頂戴した。女から促され、3人は機嫌良く歌い始めた。
髭の紳士は「車内で酒や歌は規則違反じゃないか」と苛立った。しかし黒襟の女が「ひがまないで、一杯どう」と勧めると、「せっかくのご好意」と嬉しそうに言う。その途端、黒襟の女は「そうそう、車内でお酒や歌は規則違反だったわね」と告げ、ウイスキーを引っ込めた。
うらぶれた紳士が車を降りた。有りがとうさんは、彼が金山へ手を出して娘2人を犠牲にしたこと、まだ山に未練があることを語り、「あの旦那はともかく、娘さんが可愛そうですよ」と口にした。トンネルの前で、一休みすることになった。全員がバスから降り、しばしの休息を取った。
有りがとうさんは娘に、「おっかさんは一人になると寂しくなるだろうねえ。手紙だけは出してやるんだね」と言う。娘に「ありがとうさんにも手紙出していいかしら」と訊かれると、「いいとも、俺だって返事ぐらい書けるよ」と答えた。
黒襟の女は、母親に「今度は前の方に座った方がいいわよ」と告げた。そして髭の紳士には「後ろの方が、うんと空いてるわよ」と言い、席を移動させた。土木作業に従事していた朝鮮の女がいたので、有りがとうさんは優しい口調で声を掛けた。彼女は道路工事が終わって、今度は信州のトンネル工事へ行くことになったという。
彼女は有りがとうさんに「お願いがあるの。あたし、お父さん、置いていくの。だから、あそこを通る時は、時々、お水を撒いてお花をさしてやってね」と頼んだ。彼女の父親は、亡くなっているのだ。
「駅まで乗っていったら?送ってやるよ」と有りがとうさんが言うと、朝鮮の女は歩いている仲間たちを指差し、一緒に行くことを告げた。有りがとうさんは彼女に別れを告げ、乗合自動車を出発させた。
彼は「この秋になって、もう8人の娘が、この峠を越えたんだよ」と黒襟の女に話し、「俺は葬儀自動車の運転手になった方が、よっぽどいいと思う時があるよ」と漏らした…。
監督&脚色は清水宏、原作は川端康成、撮影は青木勇、録音は土橋晴夫&橋本要、配光は佐野広志、自動車操作指導は武内秀治&村田均造、字幕は藤岡秀三郎、音楽指揮は堀内敬三、編曲は篠田謹治、音響効果は斎藤六三郎、伴奏は松竹管弦楽団。
出演は上原謙、石山隆嗣、仲英之助、桑野通子、築地まゆみ、二葉かほる、河村黎吉、忍節子、堺一二、山田長正、河原侃二、青野清、金井光義、谷麗光、小倉繁、河井君枝、如月輝夫、利根川彰、桂木志郎、水上清子、縣秀介、高松栄子、久原良子、浪花友子、三上文江、小池政江、爆弾小僧、小牧和子、雲井つる子、和田登志子、長尾寛、京谷智恵子、水戸光子、末松孝行、池部鶴彦、飯島善太郎、藤松正太郎、葉山正雄ら。
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川端康成の掌編小説『有難う』を基にした作品。原作は122編の掌編を収録した小説集『掌の小説』の中の一編で、わずか4ページしか無い。運転手、売られていく娘と母親という3人の関係だけを描いた内容で、そこに清水宏監督は他の乗客たちや通り掛かる人々という登場人物を加えて、78分の話に膨らませている。
有りがたうさんを上原謙、髭の紳士を石山隆嗣、黒襟の女を桑野通子、売られゆく娘を築地まゆみ、その母親を二葉かほるが演じている。
有りがたうさんはモテモテで、黒襟の女も、蓄音機の種板を頼む村の娘も、旅芸人の娘たちも、朝鮮の女も、みんなが彼に夢中だ。
それは、有りがたうさんが親切ということもあるし、いつも明るく挨拶してくれるというのもあるけど、なんせ上原謙なんだから、それだけモテモテでも仕方が無いのである。二枚目であることに気取りが無くて、爽やかな好男子なのだ(役柄の中ではね)。
基本的には、のどかな雰囲気に溢れたロード・ムービーである。だが、冒頭、バス視点のカメラが街道の人々を写すシーンでは、やけにスピード感が出てしまっている。せっかく上原謙の「有りがとう」の発声が棒読みで、ノンビリした雰囲気を出しているのに。
その後、売られゆく娘たちを乗せて出発した後も、やはり通り過ぎていく風景を映すカットには、あまりノンビリ感が無い。ひょっとすると、むしろスピード感を出そうという意識で撮られているんだろうか。
冒頭で上原謙が通り過ぎる人々に「有りがとう」と言った後、画面には「だから彼を有りがたうさんと云ふ」という字幕が入るのだが、サイレント映画じゃないんだから、そこは道行く人々なりバスの乗客なりに彼を「有りがとうさん」と呼ばせることで、それを説明すべきだろう。
その後、バスに乗り込む時に母親が「有りがとうございます、有りがとうございます」と言ってるけど、「有りがとう」という言葉を簡単にを使っちゃうと、「有りがとうさん」の意味が薄れる気がするなあ。他のキャラがそれを言う時は、もうちょっと慎重に扱った方がいい。そこは例えば「すみません」とか、別の言葉に言い換えることも出来たし。
何かしらの会話劇があって、バスからの風景が映し出されて、また何かしらの会話劇があってという、その繰り返しで構成されている。テンポは最初から最後まで全く変わらない。
しかし、ペースが変わらないことは、この映画では何のマイナスにもならない。むしろ、ずっと同じテンポで流れていくことで、ぬるめの湯に浸かっているような心地良さを観客に与える効果が発揮されている。
不景気のせいで、17歳の娘は身売りされていく。バスの中では、他にも大勢の娘たちが身売りされたこと、男は働きたくても仕事が無いことが話されている。黒襟の女は、商売女だからなのか、母親が羊羹を配る時に無視される。朝鮮の女は、重労働を強制されている。
そんな風に、「苦しめられる庶民たち」「悲哀を背負って生きる庶民たち」の様子が描写されていく。明るく爽やかな雰囲気で演出されているけど、実は社会性の強い映画だったりするのね。
特に哀愁を感じさせるのは、有りがたうさんと朝鮮の女との会話シーン。女は「私、あそこの道路が出来たら、一度は日本の着物を着て、有りがとうさんの車に乗って通ってみたかったわ。でも、あたしたち、自分でこしらえた道、一度も歩かずに、道の無い山へ行って、道をこしらえるんだわ」と語る。そして彼女は仲間たちと共に歩き、次の現場へと向かうのだ。なんて不憫なのか。
バスの中の会話劇を牽引しているのは、黒襟の女と髭の紳士だ。黒襟の女がエロい髭の紳士を攻撃し、髭の紳士は嫌味や悪態で反撃するが、やり込められてしまう。
口の悪い黒襟の女だが、性格まで悪いわけではない。彼女が攻撃する相手は、髭の紳士だけだ。売られゆく娘の母親には羊羹のことでシカトされたのに、それでも「今度は前の方に座った方がいいわよ」と優しい声を掛けている。
善良な有りがたうさんだが、実は呑気な口調で、売られゆく娘の心をグサグサと傷付けるようなことを、平気で言っている。「この秋になって、もう8人の娘が、この峠を越えたんだよ」とか、「渡り鳥なら巣に戻って来ますがねえ。峠を越えて行った女は、滅多に帰っちゃ来ませんよ」とか、そんなことを口にしている。それは娘の気持ちを全く考えない、デリカシーの無い言葉だ。
しかし、有りがたうさんに悪気は無いのだ。二枚目だという自覚が無いのと同様、そこも自覚が無い。っていうか、たぶん清水監督も、「有りがたうさんの言葉が娘を傷付ける」という狙いで描いているわけではないのだと思われる。しかし、その能天気で鈍感なところは、好意的に受け止められないなあ。そこが気になってしまい、ちょっと有りがたうさんが嫌な奴に思えてしまった。
終盤、娘は「あたしがいなくなってから、おっかさん、病気しないといいがねえ」と、自分のことより母を心配し、それから泣き出してしまう。それを有りがたうさんが気にしていると、黒襟の女は「脇見して、また軽業やらないでよ」と告げる。そして「有りがたうさん、東京にはキツネやタヌキばっかりなんだよ。シボレーのセコハン買ったと思や、あの娘さんは一山幾らの女にならずに済むんだよ」と、有りがたうさんに告げる。
「翌日、天城街道は日本晴れ」と字幕が入ると、有りがたうさんの乗合自動車には娘と母親が乗っている。有りがたうさんと娘が会話を交わし、爽やかなハッピーエンドとなっている。
(観賞日:2010年8月20日)