『2001年宇宙の旅』:1968、アメリカ
[人類の夜明け]
果てしなく広がる荒野で、ヒトザルの一団が生活していた。彼らは言葉を持たず、身振りや吠えることで感情を表現している。道具を知らないため、水たまりの水を手で掬って飲む。別の群れが現れると、彼らは威嚇して追い払う。
ある朝、彼らの前に黒い石板のような物体「モノリス」が出現した。それが何なのか分からないヒトザルたちは、興味津々で触る。1匹のヒトザルは骨を武器にして狩りをするようになり、他の面々も真似をした。別の群れが現れると、彼らは1匹を骨で撲殺した。
宇宙ステーションに到着した宇宙評議会のヘイウッド・フロイド博士は保安部のミラーと会った後、地球にいる娘とテレビ電話で会話を交わす。旧知の科学者であるエレーナと再会した彼は、スミスロフら3名の仲間を紹介される。エレーナたちは基地のアンテナ調査を終え、地球へ戻るところだった。
一行から目的を問われたフロイドは、月のクラビウス基地へ向かうことを明かした。するとスミスロフは、「この2週間、クラビウス基地に電話しても応答するのはテープだけで、回線の故障中と繰り返すばかりだ」と述べた。
エレーナはフロイドに、「他にも奇怪なことがあるの。2日前、ロケット・バスが緊急着陸を拒否された」と言う。スミスロフから未知の伝染病が蔓延しているという情報について真偽を問われたフロイドは、「私は話す立場にありません」と答えた。
クラビウス基地に到着した彼は、旧知の間柄であるハルヴォーセンやマイケルズの出席している科学者会議にゲストとして参加した。宇宙評議会を代表する立場であるフロイドは、一同の偉大な発見を称賛した上で、秘密保持のために伝染病という嘘の情報を流したことへの理解を求めた。
フロイドは懸念する意見への理解を示すが、「事実が公表されれば、世界は大混乱に陥る」と説いた。彼は一同に、「私の任務は事実を収集して公表の時期を考え、その方法について提言書を作成することにある」と語った。
ハルヴォーセンやマイケルズたちとムーンバスに乗ったフロイドは、現場写真を見せられた。ハルヴォーセンは「最初は磁力を持つ岩かと思ったが、自然現象ではない。四百万年前に、意図的に埋められたんだ」と語った。現場に到着したフロイドは、地面に埋まったモノリスに触れた。調査隊が写真を撮影しようとすると、耳をつんざく音が鳴り響いた。
[木星探査計画]
18ヶ月後、米国のディスカバリー号が木星へ向かっていた。乗組員はデイヴ・ボウマン船長とフランク・プール副船長、調査チームである科学者3名、そして最新鋭のHAL9000型コンピュータだ。調査チームの3名は、発射された時から既に人工冬眠の状態に入っている。
ハルはボウマンに、「今回の任務について疑問を拭えません。貴方もそう思っているはずです」と言う。ボウマンが明確な返答を避けると、ハルは「出発前から妙な噂がありました。月で何かを掘り出したとか」と口にした。
ボウマンはハルから、AC-35ユニットの不調を報告される。ボウマンは管制センターに連絡を入れ、船外作業でユニットを交換した。だが、回収したユニットを調べても異常は見つからなかった。
ハルはボウマンとプールに、ユニットを戻して故障を待ち、原因を突き止めるよう提案した。ボウマンたちは管制センターに報告し、賛同を得た。しかし管制官は、「ハルが故障し、判断を誤った可能性がある。管制センターの双生コンピュータが、そう判断している」と付け加えた。
双生コンピュータと異なる答えが出たことについてボウマンから質問されたハルは、「原因は人間のミスしか有り得ません」と答えた。ボウマンは会話を聞かれないようプールを伴ってCポッドに入り、ハルの異変について話し合う。2人は戻したユニットが故障しなかった場合、ハルの接続を切るしかないということで意見が一致した。
ハルは唇の動きを読み、会話の内容を知った。ハルは船外作業に出たプールを攻撃し、宇宙空間へ放り出した。ボウマンが救助へ向かっている間に、ハルは睡眠装置を操作して調査チームの生体機能を停止させた。ボウマンがプールの死体を回収して戻ろうとすると、ハルはエアー・ロックを開くことを拒否した…。
監督&製作はスタンリー・キューブリック、脚本はスタンリー・キューブリック&アーサー・C・クラーク、撮影はジェフリー・アンスワース、編集はレイ・ラヴジョイ、美術はトニー・マスターズ&ハリー・ラング&アーネスト・アーチャー、特殊撮影効果デザイン&監督はスタンリー・キューブリック、特殊撮影効果監修はウォーリー・ヴィーヴァーズ&ダグラス・トランブル&コン・ペダーソン&トム・ハワード、衣装はハーディー・アミーズ、追加撮影はジョン・オルコット、音楽はアラム・ハチャトゥリアン&ジェルジュ・リゲティー&ヨハン・シュトラウス&リヒャルト・シュトラウス。
出演はキア・デュリア、ゲイリー・ロックウッド、ウィリアム・シルヴェスター、ダニエル・リクター、レナード・ロシター、マーガレット・タイザック、ロバート・ビーティー、ショーン・サリヴァン、ダグラス・レイン(声の出演)、フランク・ミラー(声の出演)、ビル・ウェストン、エドワード・ビショップ、グレン・ベック、アラン・ギフォード、アン・ギリス、エドウィナ・キャロル、ペニー・ブラームス、ヘザー・ダウンハム、マイク・ラヴェル他。
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『ロリータ』『博士の異常な愛情』のスタンリー・キューブリックが監督&製作を務め、SF小説家のアーサー・C・クラークと共に脚本を手掛けた作品。
ボウマンをキア・デュリア、プールをゲイリー・ロックウッド、フロイドをウィリアム・シルヴェスター、月を見る者をダニエル・リクター、スミスロフをレナード・ロシター、エレーナをマーガレット・タイザック、ハルヴォーセンをロバート・ビーティー、マイケルズをショーン・サリヴァンが演じており、HAL9000の声をダグラス・レインが担当している。
手塚治虫がキューブリックから美術面での協力を要請されたが、仕事が多忙だったために断ったことは一部で有名な話だ。凡人からすりゃ「勿体無いなあ」と思ってしまうエピソードだが、何しろ当時の手塚は漫画の連載(しかも複数の連載)とTVアニメの製作を並行して作業しており、尋常じゃないほどのハードなスケジュールだったのだ。
この映画に協力しようとすると、それら全ての仕事は中断せざるを得なくなるわけで。そりゃあ、断らなきゃ仕方が無いわな。
映画が始まって数分は画面が真っ暗のままで時間が経過、「何かのトラブルか」と困惑させる。『2001: A Space Odyssey』という題名でSF映画のはずなのに、原始時代のヒトザルの生活風景から話が始まるという意外な導入部になっている。
7分ほど過ぎてモノリスが登場しても、そこからSFに舵を切るわけではなく、まだヒトザルの様子が続く。映画か始まってから30分ぐらいは、全く台詞が無いまま物語が進行する。そのように、かなり大胆で野心的な構成となっている。
ヒトザルが骨を手にして動物の死骸を激しく叩き始めると、そこにリヒャルト・シュトラウスの『ツァラトゥストラはかく語りき』が流れる。宇宙の風景に切り替わると、ヨハン・シュトラウス2世の『美しく青きドナウ』が流れる。ヒトザルやフロイドがモノリスを目撃する時は、ジェルジ・リゲティーの『ソプラノ、メゾ・ソプラノ、2つの混声合唱と管弦楽のためのレクイエム』が流れる。
そのように、クラシック音楽をSFで使うのは、当時としては画期的だった。そして本作品以降、宇宙空間の映像にクラシック音楽を流すというのは、当たり前に行われる演出となった。
専門家による綿密な科学考証が行われ、当時としては最先端と言える未来&宇宙に関する描写が盛り込まれている。宇宙シャトルの中でグリップ・シューズを履いて床から足が離れないようにするとか、月面を歩いても体が浮遊しないとか、今となっては陳腐になった描写も幾つかある。だが、当時としては「実際に未来が訪れた時、人間は宇宙でこんな風に生活するのではないか」とリアルに感じさせるような映像のオンパレードだった。
この映画はストーリーが云々、ドラマが云々という以前に、構成や表現が、ことごとくエポックメイキングだった。特殊効果の技術も、後の映画に与えた影響は大きい。
最初に予定されていたナレーションを、スタンリー・キューブリックは全て排除した。それによって内容が分かりにくくなってしまったが、そのおかげで未だに「優れた芸術映画」として高く評価されることに繋がった。ただし、なんでもかんでも難解にすれば芸術映画として高く評価されるというわけではない。
この映画が高く評価されたのは、まずは当時でも既に知名度やキャリアがあったキューブリックとアーサー・C・クラークの手によるということが大きい。そのビッグネームには、「この2人が作ったんだから、凄い物に違いない」と思わせる説得力があるからね。
それに加えて、有無を言わせぬ圧倒的な映像表現ってのも大きい。「なんだか良く分からないけど、少なくとも映像はハンパねえな」と思わせるだけの力がある。
舞台が宇宙に切り替わってからは、ストーリーを先に進めることよりも、宇宙ステーションやシャトルで人々が食事を取ったり排泄したりする生活風景や、未来の装置などを描こうとする意識が強くなっている。木星探査計画のエピソードに入っても、やはり宇宙船という装置や、そこでの生活を作業風景を描くことに時間を使っている。ストーリー進行だけを考えると必要性が薄くても、そういう目的のために時間を割いて、丁寧に描こうとしている。
今の時代に同じような映画を作ったとして、そこに多くの時間を割いていたら、単にダラダラしているだけってことになる可能性が高い。しかし、この映画の公開が1968年ってのが重要なポイントだ。アポロ11号の月面着陸は1969年7月20日だから、それより前だ。
つまり、この映画が公開された当時、まだ宇宙旅行や木製探査なんてのは、夢のまた夢だった。誰も現実には体験したことも見たことも無い光景を描いていたのだ。だから、宇宙船や宇宙ステーションといった乗り物や、そこでの生活風景を丁寧に描くことには、それだけで観客を惹き付ける強い力があったのだ。
木星探査計画のエピソードに入ると、ボウマンとプールの計画を知ったハルが抹殺を企んで行動を起こす展開が待ち受けている。いわゆる「自我を持ったコンピュータの反乱」って奴だ。
「コンピュータの反乱」をテーマに据えた映画ってのは幾つも作られていて、これも同様だとすれば、そこまでに描かれたヒトザルの生活とか、月面基地を巡るエピソードなどは全て無関係だから邪魔なだけってことになる。しかし本作品のテーマは「コンピュータの反乱」じゃなくて、それはテーマの中に含まれた一つの要素に過ぎないのだ。
この映画のテーマは、スタンリー・キューブリックによると「“神”という概念」らしい。それは人類の進化を描く中で、やがて浮き上がってくる。冒頭、ヒトザルは道具を持つことで進化する。彼らは自然に進化したわけではなく、モノリスによって「進化させられる」という形になっている。
モノリスは地球外生命体によって埋められた存在であり、いわば人工的な神である。進化によって最初に得た道具を、人類は武器として使った。進化の初期から、人類は「まず戦いのため」という目的で道具を使うわけである。
人類の進化に伴い、科学は進歩する。人間は当然のこととして肉体を持っているが、それさえも進化の先には不要となる。脳だけを残して肉体を機械に変えてしまえば、人類は病気や死を回避することが可能になる。科学の進歩が、それを現実化させるのだ。
しかし自我を持つハルが反乱が起こしたように、やがて人類は脳さえも必要としなくなるかもしれない。劇中ではコンピュータと人間の対立が起きているが、それは進化の通過点における出来事に過ぎず、やがてはコンピュータも人類も淘汰されて、別の存在に進化していく。
最後にボウマンはスターゲイトへと飲み込まれるが、ここで彼が変化するスター・チャイルドこそ、進化の最先端である神なのだ。
なんてことを分かった風に書いてみたが、これはあくまでもボンクラ脳しか持たない私の勝手な解釈であり、それが正解だとは露ほども思わない。何しろ、公開された当時、アーサー・C・クラークは「もし、この映画が一度で観客に理解されたら、我々の意図は失敗したことになる」とコメントしているのだ。
私は今までに、本作品を3回しか観賞していない。しかも1度目と2度目に観賞した時の感想なんて、全く覚えちゃいない。なので、そんな奴が正解など出せるはずもないのだ。
(観賞日:2015年11月14日)