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追悼【西村修選手】

my note vol 1431

#スキしてみて
#最近の学び

西村修選手、最後まで戦いました。

プロレスラーで東京・文京区議会議員の西村修(にしむら・おさむ)さんが28日、死去した。53歳だった。昨年4月に食道がんと診断され、闘病生活を続けていた。

記事中より抜粋

1998年に1回目のがん(後腹膜腫瘍)を発症。
化学療法は受けずに食事療法などの東洋医学で克服していた。
ので、当時、プロレスラーはやはり凄い生命力と回復力だなと思っていました。
しかし、昨年3月、左脇などに痛みを感じて病院で検査を受けたところ、4月に「食道がんステージ4、左半身上半身に転移している」と診断されて、抗がん剤治療をスタートさせた。
その後も脳梗塞や脳腫瘍などを繰り返し失神したりしていたそうです。

西村修選手の凄い所は、そんな状態でもリングで戦っていたのです。

2024年8月24日、ドクターストップを無視して、「テリー・ファンク1周忌追悼・大仁田厚デビュー50周年記念大会『川崎伝説2024』」(神奈川・富士通スタジアム川崎)で、83歳の師匠、ドリー・ファンク・ジュニアとタッグで大仁田組と「有刺鉄線電流爆破マッチ」に出場。妻と5歳の息子の前で試合を行った。

2024年12月8日、がん発覚後の2度目のプロレスの試合。「FMWE神奈川・鶴見青果市場大会」の「有刺鉄線電流爆破マッチ」。青木真也・竹村克司とのトリプルタッグで、大仁田厚・雷神矢口、マンモス佐々木組と対戦。開始3分で、電流爆破バットで殴打されて気を失った。

そして西村修選手の若手時代の勇姿です。

第4回ヤングライオン杯決勝戦
『山本広吉vs西村修』

勝利したのは山本広吉(現 天山広吉)選手ですが、西村修選手も細身ながら卓越した技術が光っていました。

韓国のシングルベルトも取りました✨

NKPWA韓国ヘビー級選手権
『ユン・ガンチョル(王者)vs西村修(挑戦者)』

見事にベルトを奪いました🤩

新日本プロレスでは長州力選手とぶつかり、後に藤波辰爾選手と旗揚げした団体『無我』でも、藤波選手とぶつかりと、武骨で頑固で筋を曲げない選手でした。

新日本プロレス→無我ワールドプロレスリング→全日本プロレスと渡り歩き、プロレスリングNOAHにも出場していました。
そしてプロレスラーの枠にとどまらず、映画『いかレスラー』の主演と主題歌も歌ったり、文京区の区議会議員にもなりました。

『いかレスラー』

最後までガンと戦い続けた西村修選手。
あなたは最強のプロレスラーでした。
心よりご冥福をお祈りいたします。

ではまた。

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