逃げちゃダメだ
逃げちゃダメだ。
逃げるな卑怯者。
この言葉が、常にわたしを取り巻いている空気中の中に浮かんでいる気がする。
逃げてばかりの人生だった。
嫌なことと向き合う気力も体力もなかった。
これまでは。
だから、向き合わないといけないと思っていた。
これ以上、問題を先延ばしにするのはやめようと。
だから、わたしは笑顔で振る舞う。
学校ほとんど行ってないからアホなんですよ〜!
なんの教養も知識もありませんよ〜!
え?なんで行ってなかったのかって?
めっちゃいじめられてたからですよ〜!
人に嫌われる才能の塊なんですよ〜!
これはべつに、嘘でもなんでもない。
中学校〜高校にはほとんど行ってないし、そのきっかけはいじめだし、女子に嫌われやすかった。
それは昔からで、不登校になる前から、わたしは攻撃されやすいタイプの人間であることは間違いない。
なぜかはわからないけど、異性ウケと年上ウケが抜群に良く、「人を攻撃するようなタイプの同年代」か、「御局様タイプ」にとことん嫌われまくってきた。
いまもなんならそうだ。
動物と、子どもと、男と、自分の親と同じくらいの年齢あたりの年上に好かれる。
自分と近い年齢の同性は、まちまち。
むかしよりは嫌われることが減ったけど、そもそも同年代の女性と接する機会がほとんどないから、ほんとのところはわからない。
ただ、わたしより5〜10くらい上だろうなというお姉さま方からはとてつもなく嫌われて、毎度の如くいじめられたり、嫌がらせを受けたり、暴言を吐かれたりはする。
何もしてないのに。
……ん?何もしてないからか?
わたしはむかしから、見た目がとにかく弱々しく、実際中身も弱いから、「人を攻撃したいタイプ」からすると格好のターゲットになるのだろう。
弱いわたしをみて、嘲ることが、楽しいのだろう。
異性から嫌われたことがほとんどない、むしろ好かれやすいのは、たぶん押しに弱そうにみえるからだろう。
まともな人から好かれるのはいいけれど、ただのセクハラ親父や、粘着質なストーカータイプ、そして変質者やナンパ野郎によく狙われるのは、きっとそこにある。
弱そうな見た目が嫌いで仕方がない。
だから、真冬以外は高いヒールで少しでも自分を大きく見せようとしているし、それを変えるつもりもない。
でも、あんまり効果がなくて虚しい。
話を元に戻すと、とにかくわたしは「攻撃されやすい・舐められやすい」タイプだということである。
そんでもって、過去に特大のトラウマを抱えていて、それと常に共に生きているということ。
特別ひどいいじめにあったわけではないと思う。
少なくとも、命の危険にさらされはしなかった。
わたしの人生最大のいじめ。
それは、もう10年以上前のこと。
なのに、なんで。
わたしはいまだに、「いじめ」というものに対して耐性が全くない。
それを主題にした作品は見れない。
突然、ストーリーの都合上、いじめのシーンが出てくると、そのあと泣きわめくか心をなくすか眠れなくなる。
いじめのニュースを見ると、反吐が出る。
世界が嫌いになる。
となりの家のあいつの存在も思い出す。
わたしの友人をいじめたくせに、わたしには「学校に戻ってきてよ」「寂しいよ」「好きだよ」と言ってきたサイコ。
なんでそんなヤツがのうのうと生きているんだろうと絶望する。
もうむかしのことだから、いじめの詳細を覚えているわけではない。
身を守るために、忘れた。
忘れたという言い方が正しいかはわからないけど、とにかく、あまりその時代について思い出せない。
それなのに、わたしはまだ、13歳のまま。
あのときの感情がフラッシュバックする。
怖い。
助けて。
なんでわたしが。
ひどい。
先生も何もしてくれない。
わたしが戦わないから「いじめ」になっちゃうんだって。
わたしが向き合えば、「ただのけんか」なんだって。
ともだちも言ってた。
スポーツが下手なわたしが悪いんだって。
そのくせ、頭は一丁前にいいから、ムカつくんだって。
そっか。
わたしが悪いんだ。
消えればいいんだ。
死ねばいいんだ。
わたしはこの世界にいてはいけない。
ちがう。
悪いのは向こうだ。
わたしは何もしていないのに。
なぜ一方的に攻撃してくるの。
なにが「キモい」の。
なにが「ウザい」の。
なんで「仲直りしよう」と手を差し出してくるの。
なんでニヤニヤ笑ってるの。
ねえ、なんでわたしは
生まれてきてしまったの
逃げなきゃ
じゃないと死んじゃう
ちがう
死ぬために逃げるんだ
こんな世界から逃げなきゃ
13歳のわたしは、まだ心のなかにたしかにいて
それを救ってあげられることができなくて
悔しくて
悲しくて
いつもそのせいで優しい人たちに迷惑をかけてしまって
孤独に苛まれて
人を信用できなくて
人を好きになるのも好かれるのも怖くて
そのくせ誰かに愛されたいと願い続けて
世界に期待して
生きたいともがき苦しんでいる。
そう。わたしは、生きたい。
死にたくなんかない。
逃げたくなるし、消えたくなる。
「死にたい」という言葉がよぎることもある。
それでも、本当は生きたいから、心の底から苦しいんだ。
だから、そのためには、過去と向き合わないといけないんじゃないか。
笑えなくてもいい。
ただ、そんなこともあったねと、穏やかに語れるようになれば。
生きやすくなるんじゃないか。
だから、今が辛くても逃げちゃダメ。
向き合って、自分と対話して、13歳のわたしと決別しないと。
だけど、それはどうやら見当違いだったみたい。
そうしようとすればするほど、うまくいかない。
苦しいばかりで、ちっとも楽にならない。
逃げるのは卑怯で、悪いこと。
ずっとそう思っていた。
そのくせ、困っている人や苦しんでいる人を見ると、わたしはこう言うんだ。
逃げて、と。
人にするのと同じように、わたしはわたしに優しくできなかった。
そんなの、ダメな人間がどんどんダメになって、救いようのないクズになるんだと、思っていた。
でも、それがそもそも的はずれな考えだったんだと思う。
わたしは、わたしのことが好きになれない。
弱い見た目も、弱い身体も、弱い心も、嫌い。
だけど、そんなわたしでも、必要とされているらしい。
生きていていいんだって。
これ以上、自分のことを傷つけないでほしいんだって。
向き合わなくていい、逃げていいんだって。
弱音を吐いていいから、頼っていいから、甘えていいから、泣いていいから、生きてほしいと、そんなふうに、おもってくれる人たちがいた。
きづいたら、たくさんいた。
わたしが死んでも、家族以外のひとはきっと、大して引きずらないし、世界はまわり続けるから、最悪絶ってもいいんじゃないかと、ずっと思っていた。
でも、そうでもないらしい。
わたしが想像しているよりはるかに、わたしがいなくなることに対して恐怖心を覚えるという。
一緒にいてほしいという。
本当に信じていいのかわからなくなることがある。
だって、人は簡単に裏切るから。
ただ、ちょっとは信じてみてもいいのかな。
そんなふうに、思えるようになってきた。
まだまだ泣いてばかりで、何かあるとすぐに弱音を吐き、なんなら油断するとぶっ倒れるけれど。
苦しいことばかりで、全てを捨てたくなるけれど。
背負いきれない荷物は、そろそろおろしてもいいのかもしれない。
感情が爆発して、つい手を離してしまったわたしの痛みや苦しみを、当然のように受け止め、なんだったら代わりに持ってくれるような、そんな人たちに出会ってしまったから。
わたしは、わたしが嫌い。
でも、いまわたしの目の前にいる人たちは大好きだ。
そしてそんな人たちがわたしのそばにいてくれるということは、きっとわたしにはわからない何かを、感じとってくれているから、一緒に歩いていくことを選んでくれたのだろう。
今日も昨日も一昨日も泣きじゃくったし寝れなかったけど、生きてみるか。
13歳のわたしも、たぶんそれを望んでいる。
大人になっても弱いままだけど、ずいぶんいい人たちに出会ったね
羨ましいな
そんなふうに、言われそうだ。