蘇る記憶と消耗する体力(全寮制の先生になった結果 現在編)
人生を振り返るという願望を元に書き始めた教職員時代の記憶。順調に更新を続け記憶の整理を始めた私。そんな私に訪れた最初の壁は己自身の恐怖心であった。
これは、少し変わった教員生活記録で試行錯誤する私の記録である。
更新の度に忍び寄る影
自分を顧みることの難しさと恐怖に気が付いたのは、教員生活を振り返るようになって一週間程度経った頃である。数か月ぶりに悪夢を見たのだ。教員時代の最後の辺りで毎晩のように見ていた夢だ。
その夢は、当時私の精神を追い詰め、医師から処方された睡眠導入剤を飲まない限り際限なく現れ続けた。教壇に立つ自分、生徒用の座席にいる黒い影、時折いる教え子や先輩教師の顔をした化け物。今思い出しても手が震える光景の数々。
2019年8月13日、あの夢は一年ぶりに私の元に返ってきた。
はじめは、がらんとした教室と教壇に立つ自分だけだった。誰もいない教室で、縦書きの板書をしながら歴史的仮名遣いを教えていた。問いかけても問いかけても、発問に応える声はどこにもない。何度も何度も、同じ内容を板書する。問いかける。誰も応えない、そんな夢。
8月14日、今度は黒い影がいた。私はまた縦書きの板書をしながら歴史的仮名遣いを教えていた。今度は問いかける度にクスクス笑いが教室に溢れかえる。何を聴いてもクスクス笑い。声の主は黒い影。影は目も口もない癖に嗤う時だけ身体をブルブル震わせる。嘲笑のさざ波に私は溺れる。苦しい、苦しい、助けを求めて目を覚ませば、時計は午前三時を指していた。
8月15日、私はnoteに発表しようと新たな教員時代の記録を書こうとしていた。思い出を振り返ろうとする度に昨夜の悪夢が邪魔をする。睡眠不足で霞む目を擦りながら無理やりキーボードに向かい合うものの、気が付けば白昼の夢に身を預けていた。
また教室だ。教壇に立つ私の手は震え、夢の中だというのに脂汗が滲んでいる感覚すらある。心なしか板書の文字も震えていた。いつもと違うのは影が人の形をしていた事だ。勤めていた学校の制服に身を包んだ人型が無機質に私の方を向いている。ただ、そいつらには顔がなかった。顔の部分はぽっかりと黒い穴が開いていたのである。夢の中の私が言葉を発すると、黒い穴は身体をブルブル震わせて笑い声のような奇声を発し始めた。
その日の夜から、私は眠ることが恐ろしくなった。夢が私を教員時代に引き戻そうとする。吐きそうなのに、恐怖を紛らわすのにひたすら何かを食べ続け、気が付けばダイエットしていた体重は元の重さまで戻っていた。
私は、少しの間執筆から離れることにしたのであった。
書かないことは逃げなのか
15日に書いたnoteは消してしまった。
それから5日はパソコンを開くことすらしなかった。パソコンを開けば書かなければならない気がしたからだ。
自分の意志で始めた物書き活動は、気づけば重い義務の装いを帯び始めていた。
自由の場のはずなのに、書かない罪悪感が付きまとう。
私はいつしか、書かない事で自分の過去から逃げているように感じていた。
これまで、リアルの世界では当時のエピソードを笑い話にして自虐的に語っていた。友人達や会社の上司との酒の席では定番のネタにして、過去を消化してきたと思っていた。
しかし、書くという行為は全く性質の異なるものである。語る時に必要なのは登場人物のキャラクターと発言だけであると私は常に考えているのだが、文章を書くという事は語るよりずっと鮮明に状況を思い出さなければ成立しない。
書くという事は、何度も自分の言葉を推敲を重ねることでその時の感性に一番近い語彙を探していく作業だ。そして、完成後も他人の口から語られた物語のように自分の思い出を読むことが出来るものだ。
上記のような性質から、私が長らく忘却していた教員生活が、否が応でも当時の鮮明な場面として頭に刻まれることになったのである。恐らくは連日の悪夢の原因もここに根本があると推察される。
つまり、あの悪夢たちは教員時代と正面から向き合うことによって発生した副作用なのだ。
例えば、運動不足の人間が突然5キロもジョギングしたらどうなるだろう。当然、翌日或いは数日以内に筋肉痛がやってくる。しかもどれだけ入念にストレッチをしたとしても、最初の数日は必ず筋肉が悲鳴を上げる。私の執筆活動も同じようなものだ。
今まで受け止めきれなかった過去の自分と正面から対峙することで、脳みそをフル活用したのである。そうなれば、脳は疲労を訴えてくるに決まっているのだ。謂わば、あの悪夢たちは脳みそが思い出すという行為で筋肉痛を起こしていたという事なのである。
さて、話を筋肉痛に戻そう。読者諸君は、筋肉痛を感じた際にどのような対処をするであろうか。恐らく運動経験者はよく知っていることだと思うが、筋肉痛は筋肉がなれない動きによって炎症を引き起こした状態である。よって、筋肉を軽く冷却し過重なトレーニングを避けることが正しい筋肉痛への対応と言えよう。
この理論に今回の状況を当てはめれば、私の書かないという選択は逃げであるか否かに関する答えもおのずと眼前に現れるのではないだろうか。
もう一度書くきっかけ
振り返りを休止してから約一週間。
私はひょんなことから、あの学校の近くまで二日ほど足を運ぶこととなった。相変わらず夜はほとんど眠れていない状態である。
地元を出て三時間ほど電車に揺られている最中、意外にも眠気が迫ることはなく、私は面接を受けに学校へと向かった時のことを思い出していた。
リクルートスーツで緊張した面持ちで電車に乗ったこと。履歴書に希望と目標を詰め込んだこと。生徒の為にしたいことをありったけ面接でぶつけた事。在職前、在職中の記憶は決して苦いものだけではなかったはずだ。
私はこの数年間、思い出すのを拒んでいた教員生活には忘れたくない程嬉しい記憶も必ずある。それを記録するまでは書くのを止めたくない。
電車に揺られている内に湧いてきた思いは『書きたい』だったのである。
その日から、あの悪夢を見ることはなくなっていた。