何でもお金なんだなと思った瞬間
今でこそ精神科病院にかかっているが、まだ精神科クリニックを転々としていた頃の話。
センシティブなお話なので、スクロールしてびっくりしないようにだけご注意を。
診察に関係するわけでもなく、薬の相談をするわけでもなく。
私にはクリニックに電話することしかできなかったことがある。
お世話になった期間が割と長かった1件目と4件目のクリニックのときかな。
どーしてもしんどくて、どうすることもできなくて、、、
↑っていうときって、ありません?
それがぐるぐる思考になると、ヒトは希死念慮という状態になる場合がある。
そうなると、最終のヘルプを出すようになる。
私にとって、その最終のヘルプが、クリニックへ電話することだった。
電話してどうなったか。
どうもならなかった。
1件目のときは既に院長先生体調悪し、でドタバタ劇の最中だったから、あんまり聴いてもらえなかった、というか、向こうも困っていた。
ああ、困らせるだけなんだな、って思った。
4件目のときは、既に私の中で信頼度を失っていた、だけど病院だもんねと思ってかけた。
そしたら、クリニックに来てくださいって。
行ける状況でもないし、そもそも行きたくなかったからやめた。行ったところでまた変なこと言い返されるだけなのが丸わかりだった。
でも1件目と4件目で共通していたこと。
それは、その最終ヘルプの電話の次に診察に行ったときのこと。
いつものように財布からいつもの金額を出そうとして、領収書を見て、
え? ・・・ ・・・。
金額が、僅かに多い。
ああ、あのときの電話が診察?扱いになったってことね。
理解はした。
理解したあとに、馬鹿馬鹿しく、腹ただしくなった。
こっちのしんどさが充分伝えられなくて伝わらなかったとしても、それはそれ。
たった4文字の魔法の言葉しにたいを言うだけでお金が発生する仕組み。
くだらない。 そう思った。
だったらいくらでも我慢してやるよ。 そう思った。
私がバカでした。 そうも思った。
必死で助けを求めるほど、お金が発生する。
なんでも、「困ったことは家族に言いましょう」の枠に入れられる。
なんでそんなに家族にこだわらなきゃいけないの?
助けを求める相手は選べないの?
そう反感するけど、こっちが折れるしかない仕組み。
ここまで来ると、怒りではなくて悲しみになっている。
ああ、やっぱひとりで生きてこ。
孤独なんだね、一生。
無力を痛感させられる。
1件目の、閉院するしかなかったスタッフの人たち、元気かな?
これも時々やってくる感情。
閉院したスタッフから届いた手紙に書かれていたこと。
(つらいことや困っていることは)小出しにしていけるといいですね。
1件目のクリニックの突然の閉院、あのとき私は大学生だった。
大学生のときより、私、成長しているのだろうか?
不安になるときがある。
無償の愛ってなんなんだろうね?
お金を払えば、「あーそうですかーしんどいですねー」って言ってもらえる。(医療行為として)
なんだかなぁ? そう思うのは私だけ???
話変わるけど、関連しているのかわからないけど、救急車を簡単に利用する人、愚痴りたいだけの人もいる、って聞いたことがある。
この場合、適正利用? それとも不適切な利用?
非難するときはよく考えてから、だね。