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車の中でビニール袋に用を足す6歳

実両親が離婚することになったのは私が5歳の頃 当然どちらかについていくという話があったと思うが 何故かその時私は実父についていくと言って聞かなかったらしい 今考えても何故なのか全く覚えていない そうして実父と二人の生活が始まったようだ 実父は私をどうしていいか分からなかったのか 私を幼稚園へ連れていくことをほとんどしなかった なので私はコロコロと変わる実父の職場についていっていた 実父は手に職はあったが定着することはなくコロコロと職場が変わっていた 事情をくんでくれた上司や

    • “家族を再構築する母“自己紹介 幼少編

      出産費用を踏み倒して誕生(前記事参照) 実母→発達障害疑い 実父→境界性知能疑い ド貧乏、ネグレクト、喧嘩の絶えない家族の中育つ 小学校入学前に実両親が離婚、しばらく実父と実母の間をウロウロする 小学校入学直前に、実父が小学校入学手続きなどなにもしていない事が発覚 転職、不倫を繰り返す実母と一緒に住むことになる 母の味?家族旅行?親子参観?等“なにそれ?おいしいの?”状態 何人目かの不倫相手のところへ実母のみ転がりこむ しばらく実母のいない生活が続く 結局小学生には何もできず

      • 消えたい気持ちとうらやましい霊柩車【今日の事】

        ずいぶんと消えたい気持ちはなくなってきていたが 一難去らないうちに一難二難と押し寄せてくるので ここ数日、また押しつぶされそうになっている 今日は外に出て鉢植えの様子を見ながら 本当に無意識に 頭の中空っぽで “あぁ消えたい 楽にいなくなりたい どんな方法がある?”と 繰り返し思っていたらしい その後、車に乗ってふと我に返った時に うわぁ…ぶり返したかなぁ、と軽く絶望した 車に乗って角を2回ほど曲がった時、目の前を霊柩車が通った うっタイムリーな…と思ったけれど、やっぱり

        • 実父に包丁を突き付けられた幼少期

          普段は普通な人に見える実父だったが自分が気に食わないと 怒鳴り散らし暴れまわる 包丁を突き付けられることも日常茶飯事だった 喧嘩が始まると決まって階段の下の小さなスペースに隠れていた 今思えば全然安全ではないその場所 小さい私が入り込むには十分だったが 今思えばほかの家族はどうしていたのだろうか? 実母は?祖母は?まだ小さかった兄弟は? 私はこの頃から自分の事しか考える事のできない人間だったのだろう 自分がよければ 自分が安全であれば… よくある話で、長子が下の兄弟の盾

          空から降るポテトチップ

          日中は一人で過ごしていた 両親は仕事に行っていたのか?仕事をしていたのなら何故あんなに 貧乏だったのだろうか? 私は5歳ころには一人でご飯を炊いて、カップラーメンぐらいなら作って食べていた お腹がすいていたのか 一人で寂しくて徘徊していたのか その出来事自体は覚えていない ただ、しばらく経った頃いつからか一緒に住みだした祖母にその話をしたら 「そんな事もう二度としてくれるなよ 情けない」と言われたことを 強烈に覚えている その時の顔も声の抑揚も覚えていないが 発せられた言

          空から降るポテトチップ

          生きていた実父 東京都○○区からの手紙

          両親が離婚して30年ほど経ったある日、ポストに東京都〇〇区からの 封筒が入っていた。 なぜ東京から??東京なんて都会はテレビの中にだけしか存在しないと 思えるほどの田舎に住んでいるので、“?”しか浮かばなかった 宛名にはしっかりと私の名前があったのでますます“?”なばかり 玄関を開け靴を脱ぐ前には封筒を開けていた  あなたの実父は東京都〇〇区で生活保護を受けています。  実の娘なんだから引き取ってください。 と二行もかからない内容をA4用紙に3枚ほど小難しい言葉で書かれ

          生きていた実父 東京都○○区からの手紙

          実母のこと ループをつないだ人

          カテゴリー別のファイルに入れるなら発達障害か はたまた生きづらい人か… 学生時代は授業を受けずとも勉強はできたらしく、毎日を図書館で過ごしていたらしい 教師から教室に戻るよう再三注意され、それが気に食わなかった実母は 「今度のテストで学年1位をとったら文句ないだろう」と教師にかみつき 実際に1位をとったことがあると自慢気によく話していた 確かに頭は良かった、本もたくさん読んでいたし勉強も教えてくれた ただ壊滅的に社会に適合できていなかった 一つの仕事が長く続いたためしがな

          実母のこと ループをつないだ人

          出産費用を踏み倒してまで産まれてきた

          私は出産費用を踏み倒してまで産まれてきたらしい 私の両親は出産費用を準備できない…いや、しないまま私を出産した 小学生の頃、今日の夕飯を伝えるような軽さで実母が私に話してきた 「あんたを産んだ時に入院のお金を払ってないからねぇ」 その産院は私の友達の家の近くにあった その事を聞いた日から【ここの病院の人に見つかると私は捕まってしまうかも】と産院の前を通る時は声を出さずに静かに通るようにしていた 産まれてくる時に“難易度はどれに設定しますか?“と聞かれた私は まっすぐ迷いなく

          出産費用を踏み倒してまで産まれてきた

          お母さんと呼ばれなくなった母親

          「うわぁ  今日の空はめちゃくちゃキレイ」 「今日はいつもと違う ここってこんなにキレイだった?」 「初めてこんなにキレイに思える なんでだろう」 それは良かった、私は君から投げつけられた言葉たちで心臓の少し下がずっしり重い 言い返したい言葉をぐっと腹に押し込んで、母親としてお手本の回答はなんなのか?頭をフル回転させて声が上ずらないように慎重に返答する おかげで缶コーヒー2本も飲んでしまったし それで君が見える世界がキレイになったんなら母親として上手に立ち回れたんだろう

          お母さんと呼ばれなくなった母親