大海賊の「資本論」〜出光佐三『マルクスが日本に生まれていたら』を読む〜
大海賊、大暴れ。
「海賊王に、俺はなる!」
日本にとどまらず世界に轟いたこのセリフは、なんとも冒険心をくすぐってくる。国民的、いや、世界的マンガは、ここまで子ども心をくすぐってくるもんだ。
しかし、海賊に妙なワクワク感を覚える幼な心は、一体どこからやってきたのか?海賊なんていえば、大抵は酒飲みの悪党ってなイメージを想起するし、東洋でいえば倭寇なわけ。ルフィみたいな人情味あふれる好青年が想起されることなんて、なかなかない。
ところで、こちらも「海賊」を描いた作品として、『海賊とよばれた男』がある。主人公國岡鐵造は石油商。言うまでもないが、出光商会・出光興産の創始者である出光佐三がモデルだ。國岡は国内石油販売業者や石油メジャーにまで販路を阻まれる中、海路を用いた戦略に躍り出る。海上で石油を売ることで国内業者の網の目を掻い潜り、石油メジャー(国際石油資本)に対しては、イランに船舶を密航させることで、イランからの直接買い付けを実現する。大資本に海路を通じて抵抗し続ける。國岡はまさに「大海賊」だ。
出光佐三という人物にこそ、ルフィに負けず劣らずの魅力が凝縮している。福岡は宗像に生まれた出光は、宗像大社の恩恵を一身に浴びながら育った。天皇制を厚く信奉する、こんにちのわれわれの目から見れば、ギョッとするほどの根っからのナショナリスト。そんなかれは、神戸高商を卒業後、丁稚奉公を経て25歳で起業した。
出光は、満洲国への販路拡大や戦時下の石油統制に抗しながら事業を拡大した。中でもイランからの石油買い付け、通称日章丸事件は白眉だ。まさに、「事実は小説よりも奇なり」。
そもそも日章丸事件(1953年)は、石油メジャーが多大なる影響力を持つ中で、イギリスと係争中であったイランからの石油の直接買い付けを実現したという事件。当時イランでは石油国有化法案が可決され、英国のアングロ・イラニアン(AI)社の施設接収を進めるなど、イギリスとの係争を深めていた。そんな中で出光がイランからの買い付けを実現したことは、「高度成長の呼び水のひとつともなった」(橘川武郎『出光佐三』ii頁)なんて評価までをも受ける。
日章丸の乗組員は、当初目的地がイランだってことを伝えられてなかったらしい。そんな日章丸は、当時まだ英領のシンガポールを抜けると、インド洋を経てペルシャ湾に至った。こうしてイランはアバダン港へと到着し、石油積載を実現。帰路はといえば、イギリスの影響を受けるルートは周到に避ける。インド洋からインドネシアを抜け、南シナ海へと至るルートを採用。こうして川崎港へと無事着港した日章丸は、イラン石油の輸入を実現した。
――海賊は見事なまでに、宝を持ち去った。
その後、AI社との法廷戦が幕開ける。が、東京高裁が出光に有利な判決が出したこともあり、AI社が控訴を取り下げ。訴訟は終了に至った(日章丸事件の経緯は、シナン・レヴェント『石油とナショナリズム』を参照)。
出光佐三という人物は、石油需要が高まりを見せる時代、並々ならぬ役を買って出た。石油統制に屈するのでなく、石油メジャーの支配下に従属するでもない。おまけに日章丸は、戦後日本とイランの関係まで、ものの見事に切り拓いた。
そんな「大海賊」にして一大起業家の出光が、「動機と目標という点では、マルクスとぼくは同じことじゃないかね」(出光佐三『マルクスが日本に生まれていたら』22頁)などというもんだから、まったく驚かされちゃう。起業家=資本家とマルクスの発想は相容れない、そんな一般常識など、この海賊の手にかかれば簡単に崩壊してしまう。
われわれはもう少し、かれの発言の真意を探ってみなければならない。
「人間尊重」の思想
かれは、「人間尊重」を第一に据えた起業家だった。「出光商会の主義の第一は人間尊重であり、第二も人、第三も人である」(出光『人間尊重七十年』79頁)。では、いったいどうして「人間尊重」を金科玉条に据えたのか。そのヒントは、かれの経験の中にある。
かれは学生時代、大阪の商人が「黄金の奴隷」になっている姿に反発心を抱いた。
また、かれが神戸商高で教えを受けた人物のひとり、商学者の内池廉吉もまた、多分に影を落としている。「黄金万能の時代」にあって、「内池先生は事業の社会性という画期的なことを教えられ、ぼくはそれを聞いて、これこそ自分の進むべき道だと決めた」(出光『マルクスが日本に生まれていたら』30頁)。かれは1921年の第一回主任会議挨拶で、このように述べた。
この理念が具体的な制度として現れたのが、俸給に関する規定。出光商会は開店以来、金銭によって人を測ることを避けるため、俸給を公表しないというスタンスをとった。その後、俸給もまた報酬であるという理由から公表することになるのだが...。「このことは私の一大失敗でありまして、今でも遺憾に思っているのであります。自己の意志の弱かったことを責めているのであります」(出光、同上、82頁)。かれはのちに、こう回想した。
ところで、かれの「人間尊重」が最も結実した瞬間は、終戦直後とみて間違いない。というのも、戦争の終結という未曾有の事態に直面したかれの判断は、まさしく「人間尊重」を金科玉条に据えた行動そのものだったからだ。
1945年8月15日。玉音放送。この日、日本という国家は、そこに住む人々はこの事態に、絶望とも希望とも言い難い、筆舌に耐えない感情を胸にしただろう。国土の荒廃を背に、ひとびとは経済的困窮の中を生き抜くことを余儀なくされた。
そんな中、出光は大いなる決断を下す。「人間尊重の出光は終戦にあわてて馘首してはならぬ」(出光、同上、139頁)。そう、だれひとりクビにしないことを宣言したのだ。戦後すぐ、石油業への復帰がゆるされなかった出光は、ラジオ修理や印刷、タンク底の残油集積などに取り組むことで、従業員の生活を守った。
ワノ国のマルクス
ところでマルクスは、資本主義社会に資本家による労働者の搾取と、労働者が非自発的な労働を余儀なくされる「疎外された労働」を見つけ出した。そこでかれは、資本家からの搾取を打破し、自由な労働者たちによる協同組合に基づく社会=共産主義社会の実現を理想郷とした(佐々木隆治『カール・マルクス』)。
ここで一度、世界中に愛されるあの海賊たちに目を向けよう。モンキー・D・ルフィは、グランドラインの後半戦、「新世界」で、錦えもんとモモの助というふたりのサムライと出会う。かれらの故郷ワノ国は、サムライたちの力によって、鎖国を維持し続けた国。かれらとともに麦わらの一味は、ワノ国へと舵を切る。
しかし、ワノ国に到着したルフィは、お玉という少女との出会いをきっかけに、四皇カイドウと将軍黒炭オロチの支配に従属を強いられる庶民の姿を目の当たりにする。カイドウの支配によって、国土は荒廃し、貧しい庶民は日銭暮らしの労働。川は工場排水で汚染され、将軍オロチがいる花の都以外、人が住めるような環境ではなくなっていた。
なかでも食事もろくに取れていないお玉は、ルフィに決定的な印象を与えた。「俺たちがこの国を出る頃には、お前が腹一杯飯食える国にしてやる」。こうしてカイドウを倒すまでが、ワノ国の「革命」である。
ワノ国の支配構造を基調づける運動はまさしく、マルクスの説く「搾取」そのものだ。貧しい人々は、将軍オロチの支配体制への従属を強いられる。加えて、自然環境をも搾取するわけだから、貧しい人々は荒廃しゆく土地の中で、劣悪な食事を食い扶持とせざるを得ない。経済思想家の斎藤幸平氏によれば、後年マルクスが思索を重ねた対象こそ、人間と自然の「物質代謝」であった(斎藤『大洪水の前に』)。
マルクスは、資本家こそが人間を搾取し、労働者階級の人間らしい生活を疎外する、と語った。では、もうひとりの大海賊はどうか。ここで再び、出光のことばに耳を傾けよう。
ここに、「動機と目標という点では、マルクスとぼくは同じこと」というかれの発言の真意が読み取れる。彼らは人間が「しあわせに暮らせる社会」を目指す点で、目標を共有していた。マルクスは労働者の「人間疎外」を暴き、資本家階級との闘争を通じて理想社会の建設を目指した。一方、出光は「和の精神」によって、互譲互助の関係を作り出すことを目指す。しかし両者の違い、いったいどこから生じたものか。
出光は西洋社会を「物の国」、日本社会を「人の国」と大胆にも二分して見せる。まったくもって粗雑な二分法だけど、その言わんとするところを汲み取ろう。
かれの説明によれば、西洋社会では我欲と利己心が基層をなしている。そこに搾取が生まれ、人々は個々人の私有財産を守るべく、権利の保障を要求する。ここに対立闘争が発生し、拝金思想に陥るのだ、とかれはいう。
一方の日本社会は、無欲・無私のこころで象られている、とかれは述べる。日本人は物を二次的に捉え、贅沢を慎みお互い助け合う関係を築く。「和の精神」を尊ぶ社会である、と。
「和の国=人の国」の海賊出光は、金には換えられない人間同士のこころの繋がりにこそ、ほんとうのしあわせを見出した。だからこそ、「物の国」のマルクスとは同じ目標を持っていながら、まったく別の答えを導き出したのだ。そのことを示すように、かれはこんなことを言っている。
思えば、カイドウによる支配以前、ワノ国のサムライや町衆たちは、将軍おでんの下、人と人が寄り添い合う社会を築いていた。ところがカイドウとオロチがやってくるやいなや、物資の収奪を続け、ワノ国を「物の国」へと堕胎させてしまう。
ルフィがカイドウを倒し、おでんの息子モモの助は、将軍の座につく。人々は暮らしの安寧を取り戻し、ふたたび人と人が手を取り合う社会をつくりはじめる。ここにワノ国は「和の国」にもどった、と言ったところか。
大海賊の「資本論」
出光はマルクスと同じ目標、すなわち人間のしあわせを目指したのだけど、かれもまたマルクスの目からすれば、ニックキ資本家階級ってことになる。だが、かれの経営思想では、マルクスが思い描いたのとはべつの形で、経済活動の道筋が描かれていたのだ。
そもそもかれの「資本論」では、資本は金銭や物資ではない。「人の国」の住民であるかれが、ひとを最も尊重する姿勢をとっていたことは、先にも触れた。そう、かれの経営において、最も重視される資本こそ、従業員なのだ。
だからこそ、かれにとって「労働」というものは、マルクスや西洋社会で思い描かれる「勤労」のイメージとはまったく異なっている。
そもそもマルクスは、労働者が自身の労働力を「商品」化してカネで売らざるを得ないから「搾取」が生まれる、なんて言う。それにマックス・ヴェーバーに言わせれば、プロテスタンティズムの世俗内禁欲的な倫理観こそが、勤労と蓄積を是とする資本主義の「精神」と同型の心的構造を持っている、ってわけ(マックス・ヴェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』)。言ってしまえば、人々が働く目的は、もっぱらカネってことになっちゃう。
出光は、少なくとも明治維新以前の日本ではそんなことなかった、と堂々と言ってのける。かれに言わせれば、金を目的とする労働観が「物の国」から入ってきて、ソイツに明治以降の日本人は染められちゃった、って話になる。「人の国」日本では、世のため人のために働くことが目的だったから、労働は決して辛いもんじゃなかった、と出光は主張する。
かれが言わんとするところは、なんとなくわかる気がする。自分のカネ稼ぎと思ってしまうと、「耐えなきゃ」って印象だけど、仕事に意味とか社会性みたいなものを感じると、途端やる気が出ちゃったりする。不思議なもんで人間というのは、人と人が支え合うことを是とする生き物なのかもしれない。
出光は、「貧困」という問題をこう理解する。
そうか、出光はだから「海賊」なんだ。かれはきっとGDPだとか経済成長率だとか、そういう「縛り」には囚われない。そんなもの、「心の貧乏」をもたらすだけじゃないか。「人のこころ」を一番に考えた資本主義社会の大海賊は、その荒波に呑まれることなく、自由に航海した。海賊は、どこまでも自由に航海する。だから出光は、あの激動の時代に、あれだけのことを成し遂げたんだ。