座右の銘と呪いの言葉
みなさんは、座右の銘はあるだろうか。
20代になるとほとんどの人が座右の銘を心に持つと思う。
私ももちろんある。
私の座右の銘は「笑顔を絶やさないように」だ。
誰の何の言葉であるとかは特に無い。ただ、中学生くらいの頃からこの言葉を意識して生活するようになった。
中学生のころ、生徒副会長をしていて行事の運営の大変さとそれを理解してくれないクラスの生徒を見て疲れてしまい、元気が完全になくなっていた。その姿を見てたくさんの友人が心配してくれた。
元気がないと人から心配されて、迷惑をかけてしまう。そう気付いた私はなるべく「笑顔を絶やさないように」なった。
高校になるとより明確に笑顔を大切さを知る。たびたび話しているが、私が所属していた演劇部は非常に仲が悪かった。私は険悪な空気が苦手なのでなるべく部内を和ませようとした。そのときに「笑顔を絶やさないように」という言葉が私の指針となった。自分だけでなく周りの人たちもなるべく笑顔にしよう。そうすれば自分の嫌いな空気は自然となくなるはずだと。
さて、この「笑顔を絶やさないように」という座右の銘、もちろん今でも大切に心に留めているが、この言葉の他にも心にこびりついて取れない言葉がある。
それは「私は幸せにはなれない」という呪いの言葉だ。
いつ発したかは覚えてないが、誰かと恋愛の話をしたときに「自分は幸せになれない人間だから」と言った。
記憶の限りでは相手は否定してくれたし、自分も軽い気持ちで発した言葉だったのだが、その言葉がうっすらと自分の人生につきまとうようになった。
例えば、失恋したときに「ほら見たことか」と嘲笑するように。
例えば、幸せなときに「調子に乗るな」と睨みをきかせるように。
その言葉が常に首元を締め付ける。
将来を考えるようになってから、この呪いが常に私を苦しめる。
どうやったって幸せになれないだろうとなし崩し的に自虐し、自己嫌悪に陥る。
ついには鬱のようになって、全てを絶ちたくなる瞬間がある。
友人とのお出かけや飲み会、彼女との約束、その関係までも切ろうとした。
一晩寝ればすぐに気持ちは楽になるのに、毎晩呪いが襲ってくる。
お前は幸せにはなれないよ。
これは、ある種の自戒かもしれないし、その程度に収めれば「謙虚」というステータスを手に入れられるかもしれない。
ただ、過剰な「謙虚」は「卑屈」になって「自己嫌悪」の末に「幸せにはなれない」という呪いに変わった。
きっと幸せにはなれない。
それなら誰もこんな人間に関わるべきではない。
不幸が連鎖するから。
もっと有意義に時間を使うべきだから。
そう思って過剰に人間関係の断捨離をしたくなる。
ただ、私の心は脆いものでそこまで派手な行動は起こせない。起こそうとしても結局元通りに戻してしまう。
こんな不出来な人間なのだから、誰も何も期待しないでほしいし、褒めないでほしい。
ていうか誰も見ないでほしい。
気付いたら消えてるような生き方がいい。
数年後に、「あーそんなやついたっけな」みたいな。
それくらいの薄さでいい。エンドロールに私の名前なんか載せないでほしい。
人畜無害で薄い存在になるために「笑顔を絶やさないように」するのだ。