【生粋の山人(やもーど)逝く】福島県桧枝岐村の星 寛(ほし ゆたか)さん。先日、親友から2023年12月5日に95歳(昭和3年生まれ)で永眠されたとの知らせをもらいました。いつかこんな日が来ることは
想像していたけれど、寂しくて、
なんだか言葉にできませんでした。
私は東日本大震災による放射性物質拡散の影響で、
2017年12月に福島県南会津町を離れてからお会いすることができませんでした。
家族4人で石徹白(いとしろ・岐阜県郡上市)への自主避難を決めて、最後の挨拶にご自宅へ伺った時、
「まだ生きてただ」と子どものような笑顔で迎えてくれました。
冗談交じりで話す、そのいつも通りの姿でお茶を飲み、山の話、
子どもの話、いろいろ語りあいました。
最後に、自分としては今生の別れになるかもしれないと思っていたので、
寛さんとミサヲさんご夫妻に頭を下げて、心からの感謝を伝えました。
涙が止まりませんでした。。。
離れてからも、あれを聞きたかった、これを一緒にしたかったとか、何度も思いました。
電話一本すればつながるのですが、できませんでした。しませんでした。
今は自分で実践あるのみと思っていたからです。
それでも何度か電話した時には、いろいろ詳しく教えてもらい、
その内容はもちろん、人として生かされ森を歩けることの面白さを感じました。
実感をもって、ものすごく楽しそうに話すので聞き入ってしまいます。
山奥の奥の桧枝岐村で生まれ育って、山々を歩き、
サンショウウオを獲り、熊の穴に裸で入って獲っていた寛さんです。
川も山も森も隅々まで歩いて草木1本ずつがどこで、
どんな姿でいるかを知っていたかのような人です。
我が家で使っている木の弁当箱「曲げわっぱ」や「おひつ」は、寛さんの作品です。
生粋の山人(やもーど)として生きてきた、寛さんに出逢わせてもらった時、
2002年の秋でした。
なぜか涙ながらに弟子入りを志願したことを覚えています。
野人魂『216:寛(ゆたか)さん』
野人魂『217:幼少時の体験から』
東京から通ってサンショウウオ獲りの道具を作って見せたら、
「クジラを獲るのか?」と言われ、みんなで笑いあいました。
ある冬に寛さんと弟さんが交通事故で瀕死の重傷になった時には、
会津若松の病院まで駆けつけました。
東京から2008年、南会津に移住して隣村になりました。
ずいぶん近くなりました。
都会で暮らしてきた僕にとっては、大きな一歩でした。
寛さんの家に行くと、食べているものがほとんど、
自分たちで山の中からいただいた恵みばかりでした。
普通に出てくるお茶請けが山のものでしたから、衝撃的な美味しさで、
お代わりをすることもありました。
すると今度は違う山菜が出てきたり、最後にはご飯までいただいていました。
山と人の懐の深さってこういうものかと。
こんな暮らしをしたいと強く思ったものです。
私が山を歩き、山に這いつくばって、山に生かされていきたいと思ったのは、
確実に寛さんとミサヲさんご夫妻の影響が強いです。
お2人がされている、その中の1つでも2つでも、自分が生きていく中で、
実践して、少しでも寛さん達のように、楽し気に、
率直に生きていきたいと思っています。
一緒に尾瀬を歩いた時から、20年が経ちました。
ずっと山の、生きることの師匠です。
いろいろ言葉にならないけれど、ご縁をいただいたこと、忘れません。
ありがとうございました。
どうぞ安らかに。
合掌
大西琢也
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星 寛(ほし ゆたか)さん
1928年、福島県南会津郡檜枝岐村生まれ。
50年近くにわたり、山椒魚獲りの漁師として川を歩き、
熊などの山の恵みをいただく猟師として山を歩く。
今も現役の曲師(曲輪職人)として、福島伝統工芸品名鑑に載る。
また2003(平成15)年には国土緑化推進機構から
「森の名手、名人100選(全国)」として、
福島県内から僅か3名の一人として選ばれる。
2005年ごろに交通事故で瀕死の重傷を負うも生還。
長期にわたるリハビリを驚異的な回復力で克服し、曲げわっぱ作りを再開。
生粋の山人(やもーど)として、
経験に裏打ちされた知恵はとどまるところをしらない希有の長老。
関連リンク)
福島県森林環境文化記録映像【第2章 曲物】 星寛さん 平成21年作成
奥会津食街道ネットワーク
星寛さん(福島県南会津郡檜枝岐村)
⇒
http://www8.ocn.ne.jp/~foodroad/hinoemata-yutaka-F/hinoemata-yutaka.html
奥会津STYLE 用の美図鑑 曲輪 星寛さん(桧枝岐村)
⇒
http://www.okuaizu-style.com/oastyle/zukan/index03.html
秘境の銘工・達人
<山椒魚採りの達人&曲げわっぱ作りの銘工>
⇒
http://sk28.com/hinoemata/tatujin.html
地平線報告会 in 伊南村「川に流れて川を喰う」2000.9.23~24
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