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『はーばーらいと』吉本ばなな
どんなに普通に生きようと思っていても、人生には色々なことが起こってしまう。特に子どもの頃は、自分ではコントロールできないことに振り回されてしまうことも多い。完璧な親なんていない。そんな当たり前のことに気がつくのは、自分が大人になってからだ。それまでは、親というものがもっと立派で、もっと完璧な存在だと思っていた。でも、親もなんら自分と変わらない人間だということがわかる。でも、それがわかるには時間がかかるのだ。それも人生の学びだと言ってしまえばそれまでであるが、そこには親と子の大きな苦労があったりする。どっちがどっちというわけではなく、どっちも苦労するのだ。それもまた、人生だ、と言われてしまうと、それもまたそれまでであるのであるが、でも、それはとても切なく、悲しいことだと思う。
僕たちはいつも幸せに憧れる。子どもの頃は幸せな家庭に憧れる。あんなお父さんとお母さんがいたらいいな。でも、うちの家庭だっていいところはあるよ。いろんな家庭を見ながら子どもたちは育って行く。直接はその家庭の姿を見ることはできなくても、友達からその幸せな匂い、不幸の匂いを感じながら育っていく。子どもたちはなんとなく、その家の状況がどういうものであるかというのはわかってしまうのだ。その消えない匂いを隠そうとしても無駄だとわかっていても、子どもたちはそれを一生懸命隠そうとする。周りもそんな匂いは感じていないふりをする。でも、わかっていて、お互いに付き合っているのだ。
別に何か特別なことを求めているわけではない。大金持ちになりたいとか、政治家の子どもになりたかったとか、そんなことよりも、もっと一緒にいたいとか、もう少しだけ甘えさせて欲しいとか、友達が持っているものくらいものは欲しいとか、何か特別な家庭ではなく、普通と言われる家庭が欲しい。できるだけ普通。みんなと一緒がいい。それが幸せそう。普通なんていうものは存在しないけれども、でも、なんだかそのバランスが取れた感じに憧れる。決して、その家に不幸がないわけではない。普通であるということももちろん、幸せな時もあれば、不幸な時もある。でも、なんだかんだでプラスマイナスゼロみたいな。何かあってもあの家族はちゃんとここに戻ってこれる。そんな安定感。ちゃんとあの家には毎日夜には電気がついている。そんな温かさ。そんなものが人を救うことがある。
星の明かりは、輝かしく、美しいけれども、僕たちがいつも思い出すのは街の灯りだ。あの温かい家の灯りを思い出す。星のように輝いて、多くの人たちを救う人もいるけれども、僕たちは、家の灯りをともすことによって、実はたくさんの人たちを救っているのかもしれない。普通に生きることほど難しいことはない。毎日あかりをつけることほど難しいことはない。そんな当たり前のこと、当たり前にして生きている人たちは、知らず知らずのうちにたくさんの人たちを救っているのだと思うのである。
「TV観たいな、とか。服買いたいな、とか。あれ食べたいなとかね。友だちに会いたいな、とか、人間が生きるって、そんなのでいいと思うの。
理屈はあとからいつのまにかついてくるもので、理屈を先に生きるなんて、そんなばかげたことはないよ。…」
(『はーばーらいと』吉本ばなな)
ほんとそう。普通に生きるって、実は理屈を超えているのだ。
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