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【ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー】あらゆる問題に悩み話し合い考える母と子のリアルな物語
オススメ度(最大☆5つ)
☆☆☆☆☆
人種差別とかジェンダーとか貧富の差とか、身近に感じられない時には、なんとも問題意識が生まれにくい。
それは、僕自身が似通ったコミュニティの中で生きているからであり、明確な違いのあるコミュニティに関わることが少ないからだろう。
多様性社会、とは昨今よく言われているが、実際、大人たちの中では明確な分断がなされている。凝り固まってしまった大人たちはこれからの子供たちに、多様性というものを正しく伝える事ができるのだろうか?
本書は、複雑な問題を次世代と考えるための大きなヒントになるかもしれない。
〜舞台は世界の縮図のような日常〜
著者は、英国人と結婚して息子と3人で英国に暮らしている。
息子はいわゆる「ダブル」(本書によると、「ハーフ」という表現も差別用語にあたるそうだ。正直、そんな認識を僕自身持っていなかったので、一つ勉強させていただいた)である。
そして、息子の通い始めた中学校が(その地域で見れば相対的に)貧困層が通い様々な人種の生徒がいる(著者曰く)元底辺中学校であった。そこで、息子は様々な人種差別やジェンダーに関する事件に遭遇していく。
大人でも難しい問題に対して、母と息子で悩み考えていく模様が描かれていく。
〜子供の吸収力の偉大さ〜
さて、母と息子が人種差別やジェンダーの問題に対して悩み話し合い考える、というのがこのエッセイの主な内容であるが、なんと言っても著者の息子の言葉や意見に何度もハッとさせられる。
いや、この著者の息子が特別なのではないのかもしれない。
大人が当然と思っている事に対して、子どもは疑問に思いぶつかってしまう。
言い換えれば、当然疑問を持つべき事なのに、大人になるとそれを「そういうもんだ」という意識で真剣に考えようとしなくなるが、子どもは純粋に疑問を疑問として提示するのだろう。
そんな大人がハッとする課題や問題に対して、著者がまっすぐ子供と向き合い共に悩み考える姿は、大人として見習わなければならない姿だ。
例えば、著者の息子とある黒人の少年が仲違いから友達になるまでのエピソードなどは、印象的だ。
最初、著者の息子は黒人の少年から「喉に春巻が詰まったやつ」と揶揄されていた(外国人から見ると東洋系の人間はみんな中国人に見えるらしい)。しかし、著者の考えでは子ども自身に差別の意識があるのではなく、ただ周りにそういう言葉を使う大人がいるだけで、そう言った言い回し自体に少年自身に差別の意識はないのだ。
実際に、学校で行われたミュージカルで著者の息子が黒人の少年を助けた事で、後半ではすっかり2人は親友になっている。
子どもは多様性に溢れている。凝り固まったアイデンティティや無意味なナショナリズムなど彼らには無い。気の合うやつと親友になる、非常にシンプルだ。
〜子どもに読ませたい一冊〜
日本は島国であるので、移民などが基本的にはいない。だからか、外国人に対して厳しい一面は往々にしてあるように僕は感じてる。
外国人に対してだけではなく、世界には難しい問題は多い。
本書の言葉を借りると、表出している事と実在している事は大きく違う。自分の身の回りに起こっていないことは、問題意識として持ちにくい。
世界の縮図で過ごす2人の親子の物語は、読む人たちに多くの事を考えさせてくれるだろう。
残念ながら、あらゆる問題に答えはまだ無い。しかし、人々が、その問題について意識することで大きな前進があるだろう。
僕の子どもにも中学生ぐらいになれば読ませたい一冊となった。