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【検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?】[解釈]を飛び越えるな
オススメ度(最大☆5つ)
☆☆☆☆☆
〜ナチスは良いこともした?〜
戦争とホロコーストを引き起こしたナチスの悪行はよく知られているが、「ナチスは良いこともした」という議論が、X(旧Twitter)で定期的に繰り返されているようだ。
僕自身、自分の精神衛生のためにXはほとんど開かないようにしていたのだが、本書を読んで「ヒトラー」や「ナチス」と検索をしてみると、たしかに「ナチスは良いこともした」という趣旨の投稿はいくつか散見された。
こういう議論がX上で度々起こっていること自体を知らなかったし、正直歴史に疎い僕はなぜ悪のシンボルとも言えるナチスを肯定するような発言があるのかをほとんど知らなかった。
さて、本書は「30年くらいナチスを研究してるけどナチスの政策で肯定できるとこないっすよ」と発言して炎上した著者が「ナチスは良いこともした」という主張の不正確で一面的である点を、自身の研究の蓄積をもとに事実性や分脈、結果を検証したものである。
〜ナチスのした良いこととは?〜
さて、「ナチスも良いことをした」という論者が持ち出す論点として、ナチスの数々の政策である。
アウトバーン建設による失業率低下。不況にあえぐドイツをわずか数年で立ち直らせたと言われる経済政策。労働者向けの様々な福利厚生措置の導入。「少子化問題を克服した」とも言われる家族支援政策。環境保護政策。健康政策。
なるほど、これらの政策だけ見れば、たしかにナチスの実施した政策は、評価出来る点はありそうである。
が、著者はその評価に「待った」をかけて、一つ一つの政策について、丁寧に解説してその正確な事実を述べていく。
詳細は本書を読んでいただくとして、上記のいずれの政策にも「良いこと」と判断するには疑わしい一面が語られる。
いずれの政策においても概ね共通していることは以下の点だ。
・いずれの政策も、前政権からすでにあった政策、または世界の趨勢として諸外国ではすでに実施されていたものでありナチスのオリジナルの政策ではない。
・ドイツ民族を一つにまとめる「民族共同体」というプロパガンダを推し進めるための側面が大きい。
・政策の恩恵に与れたのは、「国民」として想定された一部の人々のみで、ナチ党にとって政治的に信用できない、人種的に問題がある、と判断したされた人はそこから排除されていた。
・労働者の生活を全面的に管理・統制することが目的であった。
・来たる戦争に備えた政策は、軍需生産を大幅に拡大するために事実上破綻している。いずれの政策も満足な成果は出せていない。
これらの事実を読んでなお、「ナチスは良いこともした」と言える人は(普通の読解力を持った人なら)いないのではないだろうか。
〜解釈を飛び越えた意見〜
さて、本書はナチスの政策の事実を述べるにとどまらず、多角的な視点で歴史を考察することの大切さも訴えている。
歴史的事実をめぐる問題を<事実><解釈><意見>の三層に分けて検討することができる、と著者は述べる。
歴史上の<事実>があり、その<事実>に対して歴史研究が積み重ねてきた膨大な知見が<解釈>である。そして、その<解釈>から個々人の<意見>を持つようになる。<事実>が「ナチスの行った政策」であるならば、<意見>は「ナチスは良いこともした」ということになる。<解釈>は、いわば本書の内容である。
しかし、「ナチスは良いこともした」という人々は<事実>から<解釈>を飛び越えて<意見>へと向かう。そして、それは非常に危うい。
これは、歴史を考察する以外にも当てはまる考え方ではないだろうか。自分にとって都合のいい事実を見つけたら、それを正確に解釈する事なく、自分の都合のいいように書き換えて、意見として発信する。体感としてそういう人は多いように思う。
僕がXから距離を取ったのも、ある意味そういう人たちの思考に触れたくないからであった。
本書は、ナチスを題材にした、一つの思考法の指南書とも言える。そういう意味でも読む価値は大いにある一冊だと思う。