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【変身】冷めた温度で淡々と流れる奇妙な物語
オススメ度(最大☆5つ)
☆☆☆☆
ある朝目覚めると、自分が大きな虫になっていることに気づく。
冒頭のシーンがあまりにも有名なこの「変身」。
冒頭だけ聞くと、ホラー映画のようなSF映画のような物語を想像してしまうかもしれないが、そんな簡単なカテゴリには収まらない物語だ。
〜他に類が無い独特で奇妙な小説〜
この物語はとにかく奇妙だ。
リアリティがあるようでリアリティが無い。
怖がらせるようにも思えて笑わせているようにも思える。
あまりに悲劇的な話であるようで、深刻さがあまり感じられない。
レポート文のような淡々とした文体で書かれている事も奇妙さを引き立てる。
また、登場人物たちも非常に奇妙なのである。
主人公のグレーゴルはある朝いきなり大きな虫に変身してしまうのだが、なぜ変身したのかは語られない。もちろん、種明かしがこの本のテーマでは無いのであまり気にならないが、もっと奇妙なのは、虫に変身した事についてグレーゴルの家族やグレーゴル自身も原因を探ろうとはしないのだ。まるで、虫に変身したことが少し珍しい病気にでもかかった程度にしか認識していないように感じてしまう。
また、グレーゴルに対する家族の仕打ちも酷い。虫になってしまった事で、家族の稼ぎ頭だった主人公グレーゴルは見事に家族のお荷物になってしまったのだが、虫になったグレーゴルに対して、家族は一切の愛情を見せない。
部屋に閉じ込められ、決まった時間に食事だけ運ばれる。父と母は部屋に近づくことすらせず、妹だけが度々部屋に食事を運んでくるだけだ。妹は終盤ではけだもの扱いするし、母は姿を見て叫び出し、父は部屋から出てきたグレーゴルを箒で叩いて押し戻す。
家族のこんな仕打ちに対して、グレーゴルの悲壮感や憤怒の感情などはほぼ語られない。
淡々とした文体がこの奇妙な話をさらに奇妙なものにしている。
なんとも表現しがたい物語である。
〜「変身」に関する著者カフカの逸話〜
さて、この奇妙な小説について、カフカの逸話いくつか残されている。
カフカはこの小説に対してどのような思いをもっていたのか?
○カフカはこの小説を「失敗作」と言っている
執筆開始から3年後に本作は出版されているが、この期間、カフカは昼は役所務め、夜は父の工場の手伝いをしており、執筆にかける時間が少なかったらしい。
もっと小説に時間をかけられていれば、もっと上手く書けた、とカフカ自身はこの本を「失敗作」としているのだ。
○カフカはこの小説を笑いながら読んだ
とある朗読会において、カフカ自身でこの「変身」を朗読する機会があった。その際、カフカは笑いながら読み、時には爆笑して椅子から転げ落ちた、なんて話も残っている。
カフカ自身がこの本を笑い話として書いたのか、それとも「失敗作」であるが故の自虐なのか、それはわからない。
○カフカは毎回異なる解釈を語っていた
この本に関するカフカのコメントが様々な記事で残っているが、毎回カフカは異なるコメントを残していた。
ある時は「これは悪夢の物語だ」と語り、またある時には「これはリアルなことしか書かれていない」と語った。
著者自身の解釈をあえて避ける事で、読者に解釈を委ねていたのだろうか。
○扉絵に虫の絵を描かせなかった
本を出版する際に、とある画家がこの「変身」の扉絵を描く事になったのだが、カフカはその知らせを聞いてあわててその画家に連絡を入れた。そして、「扉絵に虫の絵を描く事はやめてくれ」と伝えたのだ。
たしかに、この本では「変身」した虫の姿が厳密にどのような姿なのかまでは描かれていない。カフカ自身、虫の姿を曖昧にする狙いが強かった事がこのエピソードから伝わってくる。
〜解釈の幅が広過ぎる名作〜
おそらく一度読んだだけではこの本に対する戸惑いが隠せないと思う。
なぜなら、巨大な虫に変身するという衝撃的な始まりにも関わらず、物語があまりにも冷めた温度で進行していくからだ。
淡々と状況のみ書かれている本作には、ただ一つの解釈が当てはまる事は無さそうだ。そして、カフカ自身もおそらく読者が様々な解釈をする事を狙っているのだと思う。
文学史に残る名作ではあるが、どう感じればいいのかわからない奇書であることも間違いない。
僕自身も何度か「変身」を読んでいるが、未だに実態をつかめていない。
けれど、何度も手にとってしまう不思議な魅力のある作品だ。