【信じない人のための《宗教》講義】宗教とそうでないもの
オススメ度(最大☆5つ)
☆☆☆☆
〜神様は信じてるけど〜
タイトルに惹かれて思わず購入した一冊。
僕自身は何か特定の宗教団体に加入しているわけではないが、「はるか上にいる大きな存在が自分の行いを全て見ている」という感覚で生きている。いわゆる「お天道様が見ている、という感覚」である。
こんな僕の考え方もある意味「宗教」であるのだろうが、僕はこの感覚を誰かに布教するわけではなく、僕個人の生きる指針として自分の中に定めているのだ。
なので、僕は完全な無神教とは言えないと思う。神様の存在はなんとなく信じているが、それがキリストや仏様ではない、ということだ。
というわけで、「宗教」というものに対してなんとも微妙な位置にいる僕が、自分の位置を確認するために本書を読み始めた。
〜宗教も個人のもの〜
さて、本書は「宗教とは何か?」という問いに答えるものであり、「宗教」についての考え方を書いたものである。決して、さまざまな「宗教」について教科書的に解説するものではない。キリスト教や仏教など主要な宗教に関する簡単な説明はあるものの、決して主題はそこではない。
まず主題の一つは宗教は結局のところ個人のものである、ということだ。
世界的に人口の多いキリスト教や仏教の中でも全ての教徒が全く同じ教えのもとにいるわけではなく、かなり細分化されており、同じ宗教の中でも「宗派」が異なればその教えの内容はかなり違う。むしろ、人の数だけその教えの内容は違う、と言っても過言ではない、と著者は述べる。
同じ宗教の中でも、その教えは千差万別であり、一概にひとつの宗教で括ることはできない。何をどのように信じているかは結局のところ個人によるのである。
そういう意味では、僕のいい加減な「お天道様教」もそこらの仏教徒キリスト教徒と大きくは変わらないわけだ(笑)
〜宗教とそうでないものの境目とは〜
本書の主題はもう一つある。
それは「宗教」的なものと「世俗」的なものを明確に分けることはできない、という考え方である。
合理主義の現代では「宗教」というものは、非合理的で何やら怪しいものと見られがちだが、その考え方そのものは公共的なものと区別はつきにくいところがある。
例えば、「産業を発展させて経済を成長させる」というのは、「経済成長が良いことである」というある意味「資本主義教」と捉えることができる。また、「人間はみんな自由であり平等であるべきだ」というのも、何か大きな存在が人間を創り出したというストーリーか根本にあり、これもいわば「宗教」めいた考え方だとも言える。
別に著者も僕も今の合理主義的な社会を批判してこき下ろしたいわけではない。結局のところ、何が善で何が悪か、人が何かを基準に生きるときのその基準を「宗教である」ものと「宗教ではない」ものを明確に分けることはできない、ということだ。
自分には理解できない考え方を「宗教だ」と否定してはねつけるよりも、「宗教」的なものと「世俗」的なものはグラデーションのように繋がっているものだと理解している方が、様々な考え方を理解できる。本書はその理解の手助けとなる一冊である。