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『シビル・ウォー アメリカ最後の日』⑦ver.3:戦場でカメラを向ける意味と写真に投影されるモノ

前回で、ようやく映画の冒頭7分(汗)

7分と言えば、映画の約14分の1
ここにくるまでに 28,000文字以上。脱線が多いとはいえ、貴重な時間を奪い続けてしまい申し訳ありませんでした
そして、読んでくれてありがりがとうございます

では、映画本編へ

先程までの騒々しく激しい場面がから一転、ホテルの休憩室のような場所で寛ぐシーン。緊張から緩和の場面。そして、説明パートに

リーは画像をアップロード中
Wi-Fi や電源の不安定な場所でデジタル機器を使うデメリットが強調される
ここから新たな登場人物 ”サミー” が現れ、3人の会話を通しながら見る人に状況が伝わるよう工夫されているシーンで、それぞれの立場と目的も判明
ここでのサミーの会話は結構重要で、彼の経験値から推測する観察眼の鋭さ、つねに先を詠む発言にも注目
そして、サミーの発言に対しジョエルがどのような反応・行動に出て、その結果どうなるのか。そこも、この映画の結構大事なポイントなので注意して見るとより楽しめる

3人の会話が終わり、部屋に戻ろうとするリー
そこに、昼間助けた女性ジェシーが駆け寄り再会。ジェシーの夢が戦場カメラマンである事が解り。昼間に写した写真に、リーが写っている理由も

部屋に戻り、浴槽に浸かるリー。そして、過去の取材現場での回想シーンが・・・

ジェシーとの会話からも解る事だけど。回想シーンを入れる事で、改めてリーが多くの現場で撮影をしていた事が解る
しかも映像では、周りが逃げるような現場でもリーは前進し、最前線で撮影。しかも全て”1人”という事も

それと、一番重要な事。現場でどのような ”行為” が行われていても、リーは撮影する事に徹し、決して介入はしなかった という事。あくまでリーは第三者であり、傍観者の立場
当然、戦場カメラマンにもいろんなタイプが居るので、その行動に正解・不正解は無い訳ですが
この回想シーンからリーという人が、どのような戦場カメラマンかが解ります。そして、ジェシーを助けた(助けてしまった)事で、回想しながら何か心境に変化がおきた事も

個人的に、リーの戦場カメラマンとしての行動は理解できます
目の前の人を助けるという行為は、戦場カメラマンには求められていないはずで
現場でおきている事を 止める のではなく、撮影し伝える 事が戦場カメラマンとしての役割。その為にその現場に居る訳で、それこそが戦場カメラマンの存在意義
目の前の人を救えなかったとしても、自分が命懸けで撮った写真を見て、より多くの人が戦争の悲惨さを感じ。戦争への抑止力 になったり 戦争の終結を早める事 が出来れば、その1枚を撮る価値というのは物凄く大きく。より多くの人を救う事ができる程の影響力もあり、後世へのメッセージにもなります
それは、リーが冷たい人間だとか心が無いとかいう次元ではなく。戦場カメラマンとして

『私も命を懸けている。あなた達の死は決して無駄にしない』

という、誰よりも熱い魂と精神。そして "覚悟" を持って現場に向かい
カメラを構えている事の証明だと(個人的に)思う

カメラを長年構えている人なら解ると思うけど
カメラ(レンズ)を向けられる事に嫌悪感を持つ人も居る
当然、被写体とは目が合う事もある
相手の表情は、カメラとの距離が近づくにつれ
構える人との(心の)距離感や信頼度によって大きく変わる
それが、極限の状態で。命のやり取りが行われる現場では、猶更顕著に現れ
中には、助けてくれと訴える眼差しも・・・

相手からどのような態度を取られたとしても、毎回何かしらの感情が沸く
戦争や争いの場での視線は、尚更厳しいモノがあり
答えの出ない、自問自答を繰り返す事も
相当辛い思いもしているはずで、それでも現場に行く事を辞めない
本当に中途半端なメンタルでは出来ない仕事

兵士は銃を武器に 闘い、カメラマンはカメラを武器に 闘う

どちらも命懸けで戦場に向かい、闘っている
安全兼に居て、現地へ行っていない人間がとやかく言う事ではない
この、ごく当たり前の事を改めて気付かせてくれる

そして、その気持ち(覚悟)に揺らぎが生じてしまった時。リーは戦場カメラマンとして何かしらの決断をしなくてはいけない、そんな感情を持っていたとしたら、最後の行動も・・・
そして、その精神を受け継いだからこそ、ジェシーは最後に目の前で行われる行為を止める事なく・・・

今はドローンや衛星から戦争現場の映像が送られてくるので、昔ほど貴重では無くなったとはいえ。今でも最前線で撮影をしているカメラマンは居て
報道番組や雑誌で紹介されるたった1枚の写真にも、そのレンズの奥には命懸けで撮った生身の人間が居て
その場所に着くまでにも様々な困難があり。撮影した後も、その貴重な写真(データ)を保存し、送るという大切な作業が残っている

自分もフィルム一眼を持って旅に出ていた時、カメラと共にフィルムの保管には物凄く気を使っていた。その場で何時間も留まり、ようやく撮れた写真が、保管状態が悪く現像出来なかった何て事になると『一体、何の為に・・・』と、本当に落胆する。実際、何本ものフィルムをダメにしたし、カメラも壊れた事がある。結果、デジカメを持つようになった

過酷な現場でカメラを構えるという事は、本当に大変
ましてや戦場なんて、どれ程過酷かは全く想像できない
それでも、辞めずに続ける事ができたのは (地位や名声の為って人も当然居るとは思うけど) 熱い 情熱 だったり、揺るぎない 信念 だったりがあるのだと思う


カメラを構え、レンズの向こう側を撮っているはずなんだけど
実は、撮ろうとしているモノのは ”自分自身” 
その写真から撮っている人の ”何か” が伝わる事もある
それは、時として必要の無い事で。余計な情報が入らない、入ってはいけない写真もあるけど。自分の場合、意識的に感じようとして見る事もあって。それもまた写真の楽しみ方

決定的瞬間を撮る為、何時間もその場に居る事が有り。その時は自問自答している事が多く

『自分の撮りたい写真って何だろう?』
『何故この場面を撮りたいと思ったのか』
『この写真を誰に見て貰いたいのか』

そんな事を考える事がある

一人旅というのは、自分に向き合う(自分を知る)旅 だと思っているので。カメラで撮影するという行為は、その傾向がより強くなる

だからこそ、決してキレイな写真でなくても、それはそれ。失敗といえばそれまでだけど、無かった事には出来ない
その失敗を撮ったという時間は大事なので。その時の正直な気持ちも含め、自分自身を表している貴重な写真になる

今はデジタル化が進み、後で自由に修正ができるようなったから。便利といえば便利だけど、その修正が正しい修正なのか、そうでない修正なのか
そこの見極めも難しく。実は、今回の映画ではそこにも少し触れている

そもそも、写真という1枚を何処で切り取るのか。そして、その切り取り方によって受け取る印象が全く変わってしまい、全く逆の印象になる事さえある
この『情報の信憑性』については、何度も書いて申し訳ありませんが。この映画で最も伝えたい事の一つなので

『その情報(写真)が誰によって、どのような理由(意図)で作られ(撮られ)
ナニを伝えたくて発表されたのか』

情報が氾濫する中で、その事を確かめる事は本当に難しい
でも、日頃からその事を意識するのは決して難しい事じゃないので。考える余裕は絶えずあった方がいいし、もっと言えば、考える余裕を作れるようなペースで生きていける事がベスト
まぁ・・・解っていたとしても、難しい事なんだけど。

またまた、脱線が多くすいませんでした。そして、読んでくれてありがとうございます。では、また!


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たこハシロウ【日本で一番移動販売を愛する男】
社会的弱者、特に両親を亡くした子供達を支援できる仕組みを作ろうと頑張っています。 チップは専門書の購入や政府・自治体・企業への働き掛けの為の活動費にあてさせて貰います。あと、食品に使用される添加物や化学調味料等の安全性を検証する為、独自の検査をして公開できればとも考えています。

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