被災地に見た希望の種子――赤坂憲雄『3・11から考える「この国のかたち」:東北学を再建する』(新潮社、2012年)評
東北芸術工科大学・東北文化研究センター在任時に著者(学習院大学教授)が立ち上げた知の運動「東北学」。著者の同校退任とともにその第一章は幕を閉じたが、3・11を経て、運動は静かに第二章の幕を開ける。本書はその幕開けを告げる書である。
震災の数週間後から一年半あまりの間、著者は、被災地となった岩手、宮城、福島の各地を歩き、災後の現実を見聞きする。本書はそうした被災地のリアルに触れた著者の思考の記録をまとめたものだ。前半の「新章東北学」は『産経新聞』での連載、後半の「東北学第二章への道」は『新潮45』での短期集中連載の採録である。
被災地ルポなど震災関連本の出版ラッシュの中にあって、何より本書の強みは、筆者が3・11以前より東北各地をフィールドに聞き歩きの旅を続けてきたという事実にある。ゆえにそこで描かれるのは、震災以前を踏まえた上での災後の東北のリアルである。
例えば著者は、繰り返し、被災地に現れた「泥の海」――津波に洗われそのまま水浸しになっている土地――について語る。これらはもともと潟湖だったが、戦後の人口急増を背景に開発された塩田や水田、住宅地だという。3・11はそれらを元の姿に戻したことになる。以上の現実認識からは、当然ながら、破壊された農地や建物を元通りに戻そうというような復興プランは出てこない。
被災地の多くは、そうした自然と文明の境界領域、山野河海が攻めてくる場所に位置している。人口減少が進むこれからの日本――50年後には八千万人――では、このような風景が遍在化する。つまり、50年後の日本は現在の東北に先取りされている。「東北学」の第二章はまさにそこに照準する。本書には、「鎮魂の民俗芸能」「新たな入会地」など、被災地に著者が見出した希望の種子があちこちに埋め込まれている。これらがどんな芽を出し、花を咲かせ、森に成長していくのか、とても楽しみだ。(了)
※『山形新聞』2012年12月02日 掲載