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戦争を学ぶ

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戦争を学びたい人のためのマガジンです。軍事学のテーマを中心に、戦略、戦術、兵站、戦史などに関する記事を収録します。
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#戦争

論文紹介 冷戦期に選択的な核打撃の可能性を検討した戦略理論家の考察

コリン・グレイ(Colin Gray)とキース・ペイン(Keith Payne)は1979年にソ連がアフガニスタ…

メモ 日露戦争における日本軍の戦略と通信インフラの関係

戦争において情報の優越が重要であることは古くから議論されていることですが、具体的にそれを…

あるソ連の従軍記者が見たスターリングラードの戦い(1942-1943)

スターリングラードの戦いは1942年6月から1943年2月までヴォルガ川の西岸に位置するスターリン…

ポスト冷戦時代に「テーラード抑止」を提唱したDeterrence in the Second Nuclear Age…

ソ連の崩壊と共に冷戦構造が崩れると、国際システムの状況は冷戦期のそれとは大きく異なるもの…

論文紹介 コンピューターがサイバー戦争のすべてではない

サイバー戦(cyber warfare)という概念は安全保障の分野ですっかり定着しましたが、その意味…

メモ 一次大戦で米国社会が直面した鉄道輸送の渋滞と長距離トラック輸送の台頭

1917年にアメリカ政府が第一次世界大戦に参戦すると、それまで見過ごされていた準備不足が次々…

核の時代における防衛知識人の働きを記したThe Wizards of Armageddon(1983)の紹介

フレッド・カプラン(Fred Kaplan)はアメリカの防衛問題を専門とするジャーナリストであり、その著作は戦略研究の教科書でも紹介されています。『アルマゲドンの賢者たち(The Wizards of Armageddon)』はカプランの代表的な業績の一つであり、1940年代後半から1980年代のはじめにかけて、アメリカの核戦略に影響を与えた防衛知識人の活動を追跡しています。 冷戦期の核戦略については、冷戦終結後に数多くの優れた研究が出ているので、その内容には部分的に古くな

メモ なぜヒトラーは降伏しなかったのか

イアン・カーショー『ナチ・ドイツの終焉』(宮下嶺夫訳、白水社、2021年)は外交によって戦争…

ハイブリッド戦争とは何だったのか?:Conflict in the 21st century(2007)

アメリカ海兵隊の退役軍人フランク・ホフマンは、2006年のヒズボラとイスラエルの戦争の分析を…

文献紹介 なぜヒトラーは情報戦に敗れたのか:Hitler's Spies(1978)

2024年1月、軍事情報の歴史を専門とする歴史学者デイヴィッド・カーンが亡くなりました。彼の…

ポスト冷戦の「第四世代戦争論」は現代戦にどのような視座を与えたのか

アメリカの軍事著述家ウィリアム・リンド(William Lind)は戦争様相の変遷に独自の時代区分を…

戦間期の米軍はいかに「作戦」の視点を確立したのか:Carrying the War to the Enemy(…

現在の軍事理論では、軍隊の戦略行動と戦術行動を統合し、指導する技術を作戦術(operational …

論文紹介 軍事作戦において指揮官が認識すべき情報の意義と限界

マイケル・ハンデル(Michael I. Handel)は軍事学の分野で情報戦に関する業績を数多く残した…

どうすれば戦禍で犠牲となった文民の数を推計することができるのか

戦争の歴史で文民が軍人から区別され、法的保護の対象と位置付けられるようになったのは比較的最近のことです。初めて戦争における文民の地位を定義したのは1949年のジュネーヴ諸条約の一つを構成する文民保護条約であり、これには占領地で敵国の権力下にある文民、空爆など住民全体に対する攻撃に晒される文民、そして内戦の下にある文民を保護すべき対象として規定されています。それまでの法規制では、軍隊の関係者だけが保護の対象とされていたので、制度的に文民も保護の対象とできたことには大きな意義があ