武内和人|戦争から人と社会を考える

戦争に関する研究成果を紹介します。大学では政治学を教えていますが、人文科学、社会科学の研究全般に関心があり、軍事学も研究しています。この筆名で行っている活動は勤務先と無関係です。

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【お知らせ】『Voice』2022年7月号に「独裁者誕生のメカニズム」を寄稿しました

6月3日に発売されたPHP研究所の月刊誌『Voice 2022年7月号』に「独裁者誕生のメカニズム」という記事を寄稿させて頂きました。 ロシア・ウクライナ戦争の現状を理解し、今後どのように展開する可能性があるのかを予測するためには、権威主義国であるロシアの政治がどのようなメカニズムで動いているのかを理解することが欠かせません。特に権威主義国が民主主義国よりも武力行使のリスクが高い傾向にあることは、日本の安全保障に関する議論を深める上でも、より多くの方々に知られるべき知見であ

    • メモ 日露戦争における日本軍の戦略と通信インフラの関係

      戦争において情報の優越が重要であることは古くから議論されていることですが、具体的にそれを獲得する方法は通信システムの機能や構造に左右されます。19世紀後半に電信の技術が確立されると、それは新しい通信インフラとして世界的に普及することになり、戦略的な目標ともなりました。日露戦争はその影響が表れている事例の一つです。 1904年2月に勃発した日露戦争で日本はロシアに対する奇襲を加え、その兵力を韓国から満州に迅速に展開させましたが、その際に敵の情報組織を妨害する目的で通信インフラ

      • あるソ連の従軍記者が見たスターリングラードの戦い(1942-1943)

        スターリングラードの戦いは1942年6月から1943年2月までヴォルガ川の西岸に位置するスターリングラード(現在のヴォルゴグラード)で続いた戦闘の一つであり、独ソ戦でソ連軍がドイツ軍に対して決定的な勝利を収めました。ソ連で優れた文学作品を書き残したユダヤ人作家ヴァシリー・グロスマンは従軍記者として当時この戦闘を取材しているのですが、その取材ノートには史料として大きな価値があります。 ソ連の最高指導者ヨシフ・スターリンは1942年5月の時点でドイツ軍が戦線の南方で新たな攻勢を

        • ポスト冷戦時代に「テーラード抑止」を提唱したDeterrence in the Second Nuclear Age(1996)の紹介

          ソ連の崩壊と共に冷戦構造が崩れると、国際システムの状況は冷戦期のそれとは大きく異なるものに変化しました。それぞれの地域大国が冷戦構造の制約を受けず、独自の判断で行動する傾向を強めたのです。ポスト冷戦時代に国際安全保障の課題として核拡散防止が注目されたのは、こうした状況で一部の「ならず者国家」が核兵器を開発、配備した場合、アメリカの核戦略は再考を余儀なくされることが認識されたためです。 キース・ペインは『第二の核時代における抑止(Deterrence in the Secon

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          論文紹介 コンピューターがサイバー戦争のすべてではない

          サイバー戦(cyber warfare)という概念は安全保障の分野ですっかり定着しましたが、その意味については曖昧さや混乱があります。その原因の一つは、サイバーという言葉が持っている意味が一般的に理解されているよりも複雑であることが挙げられます。 サイバーとは通信と制御を総合し、外部環境の変化に反応してシステムの内部状態を制御するフィードバック機構を備えたサイバネティクス(cybernetics)という概念に由来します。これは1950年代にアメリカの数学者ノーバート・ウィー

          論文紹介 コンピューターがサイバー戦争のすべてではない

          メモ 一次大戦で米国社会が直面した鉄道輸送の渋滞と長距離トラック輸送の台頭

          1917年にアメリカ政府が第一次世界大戦に参戦すると、それまで見過ごされていた準備不足が次々と明らかになり、関係当局は対応に追われることになりました。アメリカ交通省道路局が編纂した『アメリカ道路史』はアメリカ史における道路行政を取り扱った資料ですが、1917年に参戦した時点で国内の交通の各所で混乱が起きたことが記されています。 当時、アメリカ国内の長距離物流の基盤は鉄道交通にありましたが、アメリカ軍の動員が開始され、陸軍が装備や資材の輸送を増加させ、海軍も軍艦の建造に必要な

          メモ 一次大戦で米国社会が直面した鉄道輸送の渋滞と長距離トラック輸送の台頭

          ベトナム戦争におけるリモート・センサーの運用を記述したWiring Vietnam(2007)の紹介

          ベトナム戦争で北ベトナムがアメリカの軍事的支援を受ける南ベトナムの対抗し、1975年には南北統一を実現することができた要因として、ホーチミン・ルートの建設を挙げることができます。ホーチミン・ルートは北ベトナムから南ベトナムの領域へと伸びる交通路であり、その途上でラオスとカンボジアの領域を通過していました。交通路の形態は細かく枝分かれした未舗装の道路であったものの、中国軍の支援の下で駐車場や宿営地などの付帯施設も建設されていき、北ベトナムから南ベトナムのゲリラに物資を輸送する上

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          ベトナム戦争におけるリモート・センサーの運用を記述したWiring Vietnam(2007)の紹介

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          メモ ソ連の軍事理論家スヴェチンは軍事産業の管理をどのように考えたのか?

          ソ連の軍事理論家アレクサンドル・スヴェチンは『戦略』(1926)で独自の戦略理論、作戦理論を展開した人物ですが、そこでは軍事産業に関する分析も含まれています。ただ、スヴェチンはやみくもに軍事産業を拡大させることを主張していたわけではありません。むしろ、軍事産業の拡大が経済システムの全体的な均衡を変え、結果として自然な経済発展が妨げる恐れがあることについても警告を出していました。その議論を紹介してみたいと思います。 スヴェチンの見解では、小規模な領土しか持たない国家であれば、

          メモ ソ連の軍事理論家スヴェチンは軍事産業の管理をどのように考えたのか?

          核の時代における防衛知識人の働きを記したThe Wizards of Armageddon(1983)の紹介

          フレッド・カプラン(Fred Kaplan)はアメリカの防衛問題を専門とするジャーナリストであり、その著作は戦略研究の教科書でも紹介されています。『アルマゲドンの賢者たち(The Wizards of Armageddon)』はカプランの代表的な業績の一つであり、1940年代後半から1980年代のはじめにかけて、アメリカの核戦略に影響を与えた防衛知識人の活動を追跡しています。 冷戦期の核戦略については、冷戦終結後に数多くの優れた研究が出ているので、その内容には部分的に古くな

          核の時代における防衛知識人の働きを記したThe Wizards of Armageddon(1983)の紹介

          戦後の財界と自衛隊の関わりを考察した『自衛隊と財界人の戦後史』(2024)

          現在の自衛隊の前身にあたる警察予備隊は1950年に朝鮮戦争が勃発したことを契機に創設された組織です。それまで日本に駐留していたアメリカ軍の部隊が韓国での作戦に参加するため移動したので、日本政府は独自の武装部隊を整備するために警察予備隊を立ち上げ、1952年に保安隊に改編し、1954年に自衛隊へ発展させました。 自衛隊は当初から非武装中立を掲げる社会党などが憲法に定めた戦力不保持に反すると批判し、党派色が強い争点になりました。このような政治状況が変化してきたのは冷戦終結後の1

          戦後の財界と自衛隊の関わりを考察した『自衛隊と財界人の戦後史』(2024)

          メモ なぜヒトラーは降伏しなかったのか

          イアン・カーショー『ナチ・ドイツの終焉』(宮下嶺夫訳、白水社、2021年)は外交によって戦争を終わらせることができるとは限らないことについて注意を呼び掛ける一冊だと思います。これはアドルフ・ヒトラーのような指導者が自らの交渉立場に固執して敵との歩み寄りを拒否し、絶望的な状況でも終戦を望まなかったことを明らかにしています。1944年から1945年までの時期を対象にした研究であり、ヒトラー政権の動向を政治的、軍事的観点で記述しています。 ヒトラーとその側近は極めて独裁体制を構築

          メモ なぜヒトラーは降伏しなかったのか

          論文紹介 指揮統制システムが第三次中東戦争でのイスラエル軍の優位を支えた

          1967年に勃発した第三次中東戦争はイスラエルが数的に劣勢であるにもかかわらず、作戦、戦術の運用で優位に立てることを示した出来事でした。この事例はさまざまな研究で分析の対象になりましたが、Horowitz(1970)は、行政学の立場で軍隊の指揮統制が軍事力の有効性を高めることを論じています。 Horowitz, D. (1970). Flexible responsiveness and military strategy: The case of the Israeli

          論文紹介 指揮統制システムが第三次中東戦争でのイスラエル軍の優位を支えた

          冷戦期のソ連軍は戦術核兵器をどのように使用することを考えていたのか?

          1945年に第二次世界大戦が終結してから、ソ連の最高指導者であるヨシフ・スターリンは自らの戦時の指導者としての名声が損なわれる事態を警戒し、軍事学、特に作戦・戦術に関する調査研究を抑圧しました。この抑圧が緩和されたのは1953年にスターリンが死去し、建設的な調査研究を妨げてきたイデオロギーを取り除くことができるようになってからのことであり、この時期に核兵器の運用に関する研究がソ連で本格化しています。 まず、ソ連軍においてはアメリカ軍との戦争を想定し、核兵器の戦略的な重要性が

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          冷戦期のソ連軍は戦術核兵器をどのように使用することを考えていたのか?

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          論文紹介 テロとの戦いを通じて米軍はどのような作戦ドクトリンを発展させたか

          2001年から2006年までアメリカの国防長官を務めたドナルド・ラムズフェルドは、テロとの戦いを遂行する上でアメリカ軍のドクトリン開発の重点を国家間の正規戦から非国家主体が関与する非正規戦(irregular warfare)へ移したことで知られています。非正規戦の意義を強調したこと自体は、当時のアメリカがアフガニスタンやイラクに軍隊を展開し、非国家主体の脅威と交戦していたことを考えれば自然なことでした。 ただ、この時期のラムズフェルドの改革は必ずしもアフガニスタンやイラク

          論文紹介 テロとの戦いを通じて米軍はどのような作戦ドクトリンを発展させたか

          ベトナム戦争で米軍が冒した犯罪を暴き出す『動くものはすべて殺せ』(2013)の紹介

          2013年、ベトナム戦争でアメリカ軍の戦争犯罪に関する包括的な調査の結果をまとめた著作『動くものはすべて殺せ』が刊行されました。著者のニック・タースはコロンビア大学で博士論文を執筆する過程でこのテーマに取り組み、1968年のソンミ村虐殺事件の後で設置されたベトナム戦争犯罪作業部会の報告書を足掛かりに関係者への面接調査を進めています。 ベトナム戦争犯罪作業部会は国防総省が内密に設置したワーキング・グループであり、さまざまな戦争犯罪の報告や告発に関する資料を集約していました。著

          ベトナム戦争で米軍が冒した犯罪を暴き出す『動くものはすべて殺せ』(2013)の紹介

          第二次世界大戦で経済学者クズネッツはどのように米国の産業動員に関わったのか?

          1941年に第二次世界大戦に参戦したアメリカ政府は、ドイツ、日本、イタリアに対抗するため、自国の国防予算を拡大し、民間部門から軍事部門に生産力を再配置する産業動員(industrial mobilization)を行おうとしました。しかし、産業動員の実現可能性を評価する方法についてはまだ確立できていませんでした。 経済学者であり、統計学者でもあったサイモン・クズネッツは今日でも経済学の歴史で国民所得や経済成長の計量的分析に取り組んだ先駆者として知られており、1971年にはノ

          第二次世界大戦で経済学者クズネッツはどのように米国の産業動員に関わったのか?