見出し画像

論文紹介 軍事作戦において指揮官が認識すべき情報の意義と限界

マイケル・ハンデル(Michael I. Handel)は軍事学の分野で情報戦に関する業績を数多く残した研究者です。彼の重要な業績の一つに「情報と軍事作戦(Intelligence and Military Operations)」があり、作戦を遂行する上で指揮官が情報の意義を理解すると同時に、限界も認識し、適切に運用することを意識しなければならないと主張しています。正しい情報があったとしても、指揮官がそれを積極的に運用して作戦計画を見直す姿勢がなければ、それは本来の威力を発揮することができません。

Handel, M., ed. (1990). Intelligence and Military Operations. Routledge.

この著作は軍事情報に関する研究をまとめた論集であり、ハンデルの論文「情報と軍事作戦」は全体の総論として最初に位置づけられています。この記事では、この論文の内容について紹介したいと思います。

著者は、軍事作戦を遂行する上で指揮官は情報の意義を認識しつつも、その限界についても知った上で、情報を活用しなければならないと主張しました。戦争で情報面で優位に立っていれば、その指揮官はより少ない犠牲で、よりよい戦果を得ることが可能になると考えられています。しかし、著者はその優位は自動的に軍事的成果に繋がるわけではないことに注意を払わなければならないと指摘しています。戦時の情報にはさまざまな不確実要素が残ることが普通であり、時として情報が誤っていたことも想定されます。このため、歴史上の指揮官は獲得した情報を信頼しないことがあり、また有用な情報を活用しないこともありました。著者は、指揮官が情報の不確実さを受け入れた上で、情報を作戦に活かすことが肝心であると論じています。

事例分析で取り上げられた戦史の一つとして1942年6月のミッドウェー海戦があります。アメリカ海軍太平洋艦隊司令部の情報部は、1941年の真珠湾攻撃で事前に適切な警報を出せなかった経験があり、その能力についてはアメリカ本国から厳しい評価が与えられていました。そのため、その後も情報部が出す情報については疑問視されていました。

ただ、1942年5月の珊瑚海海戦では日本海軍の動きに関する重要な情報を提供することに成功したことを受けて、太平洋艦隊チェスター・ニミッツ司令長官は情報部の能力を積極的に再評価しました。ニミッツはあらゆる情報には不確実さがあることを理解した上で、独自の視点で日本海軍の動きについて評価を行わせていました。当時、アメリカ本国では日本海軍の次の攻撃目標について南太平洋島嶼部(ニューカレドニア、ポートモレスビー、フィジー)ではないかという見方もありましたが、ニミッツは太平洋艦隊の情報部の報告を踏まえ、日本海軍が次にミッドウェー島を攻撃すると判断し、その方面で海戦に備える決定を下しました。このことがミッドウェー海戦におけるアメリカ海軍の勝利に繋がりました。

1941年5月にイギリス軍が守るクレタ島をドイツ軍が攻撃したことで始まったクレタの戦いの事例では、たとえ有益な情報があっても、指揮官がこれを活用しなければ、有利な条件で戦いを遂行できないことが示されています。当時、クレタ防衛軍を指揮したバーナード・フレイバーグ総司令官には、イギリス本国からドイツ軍の作戦準備に関する秘密情報がもたらされており、それにはドイツ軍がクレタ島に空挺作戦を行う可能性があることが明確に指摘されていました。しかし、フライバーグはこの情報に接した後も、あらゆる脅威に備えようとしました。総司令官に任命されたのは4月30日であったため、現地で作戦を準備する時間は限られており、武器や弾薬も不足していたため、焦点が定まらない防御戦闘の準備は戦闘力を分散させることに繋がりました。

このような事態になった根本的な原因として、ハンデルはフライバーグの状況認識に問題があったことを指摘しています。フライバーグは敵の空挺攻撃を受ける可能性がある飛行場にだけ注意を向けず、あらゆる方向からの攻撃の可能性に注意を分散させており、特に洋上からの侵攻の可能性に注目していました。戦後、フライバーグ自身が「我々としては、空からの脅威だけでなく、海から上陸してくる脅威に最大の注意を払っていた」と述べており、飛行場に対する防御の重要性は過小評価されたことが判明しています。本国からの秘密情報でドイツ軍が空挺作戦の危険性が伝えられていたにもかかわらず、フライバーグはその情報の価値を軽視しており、作戦の意思決定に活用しようとはしなかったのです。

指揮官が作戦で適切な情報運用を行うことができない場合がある理由について、ハンデルは作戦レベルと戦術レベルで情報運用の考え方に違いがあることを指摘しています。一般に戦術情報は短期間で情報の価値が消滅する傾向があり、じっくりと時間をかけて分析、評価し、腰を据えて情報に基づく戦術の修正を行うことはありません。そのような時間的猶予がないことが普通であるためです。しかし、作戦情報では、情報の価値は中長期的に持続するため、慎重な分析と評価が重要であり、作戦の見直しに活かすことが大きな戦果に繋がります。このことを理解するには、下級士官から上級士官へ進む過程で、情報運用への認識を変えていかなければなりません。ハンデルの研究は軍隊における情報運用の有効性を向上させる上で、戦術情報と作戦情報の違いを意識させる必要があることを示唆しています。

関連記事

いいなと思ったら応援しよう!

武内和人|戦争から人と社会を考える
調査研究をサポートして頂ける場合は、ご希望の研究領域をご指定ください。その分野の図書費として使わせて頂きます。