論文紹介 コンピューターがサイバー戦争のすべてではない
サイバー戦(cyber warfare)という概念は安全保障の分野ですっかり定着しましたが、その意味については曖昧さや混乱があります。その原因の一つは、サイバーという言葉が持っている意味が一般的に理解されているよりも複雑であることが挙げられます。
サイバーとは通信と制御を総合し、外部環境の変化に反応してシステムの内部状態を制御するフィードバック機構を備えたサイバネティクス(cybernetics)という概念に由来します。これは1950年代にアメリカの数学者ノーバート・ウィーナーが普及させた概念です。
1990年代にコンピューター・ネットワークの技術が一般にも普及するようになるにつれて、サイバー戦という概念が議論されるようになりました。その時代背景から、サイバー戦はコンピューター・ネットワークの保護や、敵対するネットワークに対する攻撃という意味で理解されることが一般的でした。
しかし、1993年にジョン・アーキラとデビッド・ロンフェルトが発表した「サイバー戦争が来る!(Cyberwar is coming!)」はサイバー戦の解釈が技術本位になっていることを批判した論文です。1991年の湾岸戦争でイラク軍を撃破したアメリカ軍の勝因を情報通信技術に求める議論が高まっていた時期に、彼らは情報通信技術の役割を強調しすぎることに反対し、サイバー戦を考える上で軍隊の組織の構造に注目すべきだと主張しています。
Arquilla, J., & Ronfeldt, D. (1993). Cyberwar is coming!. Comparative Strategy, 12(2), 141-165. https://doi.org/10.1080/01495939308402915
戦争の歴史を通じて軍隊は常に新しい技術を応用してきましたが、著者らは技術それ自体が戦争を支配しているわけではないという立場をとっています。つまり、軍隊が保有する個別の装備が戦いを遂行する能力を形成しているのではなく、それぞれの装備を単位とし、それらを全体と組み合わせる技術こそが重要であると解釈しています。
確かにコンピューター・ネットワークのような情報通信技術は、組織が情報を収集、保存、処理、伝達し、また増大した情報を活用する基盤を提供します。このような技術は、組織行動の調整を円滑にして、そのパフォーマンスを向上させる効果があります。しかし、情報技術それ自体が自動的にパフォーマンスを向上させるわけではなく、それによって従来のトップダウンの階層型の組織構造から離れ、外部環境に迅速に反応して行動を調整できるネットワーク型の組織構造を発展させることができるからこそ、情報技術は重要なのだと主張しています。
こうした情報技術の評価を踏まえた上で、著者らはそれが戦争に与える影響を考えるには、ネット戦争(net-war)とサイバー戦争(cyber-war)という二つの階層に分けて議論すべきだと論じています。
ネット戦争は、国家間または社会間で発生する観念上の紛争であり、実際には軍事的な闘争ではありません。ネット戦争では敵対する集団に対し、自分と周囲の世界について知っている、または知っていると思っている知識を混乱させ、あるいは間違った知識を拡散させることが試みられます。大衆の世論だけでなく、エリートの見解も標的とし、広報外交、プロパガンダ・心理作戦、政治工作、地元のメディアの欺瞞・妨害、コンピューター・ネットワークとデータベースに対する侵入、反体制の活動促進が想定されます。これらも重要な側面ではありますが、サイバー戦争とは区別する必要があります。
著者らが考えるサイバー戦争は、軍隊の運用に注目した概念です。サイバー戦争は、軍隊が作戦を準備し、準備するとき、敵が味方のことを知るための情報活動、通信活動を妨害し、あるいは破壊することによって情報の優越を獲得する戦いです。その内容はコンピューター・ネットワークという特定の情報通信技術の活用や妨害という文脈に限定されていません。サイバー戦争で肝心なことは、敵に対する情報の優越を獲得することにあります。
著者らは戦争の歴史において、サイバー戦争が実際に行われた例をいくつか取り上げています。例えば、ナポレオン戦争ではイギリス海軍のフリゲート艦長だったトマス・コクランが1808年に地中海沿岸部でフランス軍が長距離通信のために運営していた腕木通信中継所において暗号書を取得していますが、フランス軍に暗号の流出を悟らせないように原本を残しておき、その後もフランス軍の通信内容を監視できるようにしました。著者らはこれもサイバー戦争の一つの例として捉えています。
さらに時代をさかのぼると、モンゴル人が12世紀から13世紀に発達させた戦争術もサイバー戦争の一例と解釈することが可能です。この時代にモンゴル人は騎兵を中核とする機動的な軍隊を組織し、巨大な帝国を形成しました。モンゴル軍は遊牧社会を基盤としており、農耕社会に対して多くの人員を確保することはできませんでしたが、宿営地の位置を流動させ、騎兵で長距離偵察を行い、その情報を迅速に共有することで、主動的な地位を保持しました。
13世紀にホラズム・シャー朝のスルターンであったアラーウッディーン・ムハンマドは、モンゴル軍の侵攻に直面したとき、宮廷があったサマルカンドに前線から情報が届かなくなったことに疑問を感じました。その後、味方の伝令から味方が抵抗しているという情報が入り、いったん状況を把握することができたのですが、それから間もなくして首都から1日の行軍距離にモンゴル軍が迫っているという情報に接し、直ちにサマルカンドを放棄して、脱出することを余儀なくされました。この一連の動きは敵に対応が不可能な速さで決定的な一撃を加えるモンゴル軍の戦い方を示しており、1241年のレグニツァの戦いでもヨーロッパの軍勢を苦しめています。
著者らは「モンゴル軍の成功の鍵は、優れた指揮、統制、通信、情報であった」と強調しており、「斥候と伝令は絶えず3頭から4頭の替え馬を連れており、馬が走り疲れても乗り換えて走り続けることができた」ことは、敵情の解明とその追跡において絶大な効果があったと述べています。この指揮統制のシステムに対抗できた例として、13世紀に成立したマムルーク朝を挙げており、戦略情報の通信に伝書鳩を活用することで、モンゴル軍の進撃方向に対して味方の部隊を効果的に集中させることを可能にしたとされています。状況に適応する速さが、戦力運用の有効性を向上させる上で重要であったことが指摘されています。
より最近の事例として、著者らはベトナム戦争の事例を挙げています。北ベトナム軍とベトコンは、物量と火力の優位を追求するアメリカ軍に対抗する上で、ネットワーク型組織構造を活用しており、それぞれの単位に自律的な行動を認めていました。中央集権の組織構造に組み込まれた小さな単位は、現地の状況に応じて迅速に行動を調整することができませんが、ネットワーク型構造に組み込まれた小さな単位であれば、それぞれが状況に応じて自律的に行動できます。著者らは、こうした非正規戦争の例を用いて、最先端の情報通信技術に頼らずとも、サイバー戦争を遂行できることを示そうとしています。
サイバー戦争を情報通信技術と一体的なものとして見なすことに反対した著者らの見解は現在のサイバー戦の理解と一致しない部分が多いので、そことの区別を明確にするためにも情報戦(intelligence warfare)と呼ぶべきかもしれません。ただ、著者らはサイバー領域の戦いを制する意義が、情報の優越を獲得することであると述べたことは、現在でも重要だと思います。
高度な情報通信技術を導入したとしても、高度に階層化された中央集権の組織構造のままでは情報を迅速に意思決定に反映させ、環境に適応して行動を変更させることは困難です。情報技術の進歩に応じて最適な組織構造を模索することが重要です。