午前一時。新元号が始まって四日目。大学生になってからは1年と1ヶ月。 ドアノブにロープをかけて死のうと思っていた。 死にたい理由なんて一つしかないんだけど、もうそんなこともどうでもよくて、生きててもからっぽなんだから、んなら死んでも一緒じゃん、なんてことすら考えてない。とりあえず生きている苦難の総量が死の瞬間の恐怖感を上回ってしまっただけだった。人間生活の一切に辟易してしまったのに、一丁前に遺書なんかを書く気力はあったことが我ながら気色が悪くて可笑しい。死を実現してその先に快
私の文章には、鬱鬱したりうじうじしたりムラムラしたり、そう見られたくないがそれを感じてる自分を表したいというところがあり、表面的な文体に対してかなり婉曲的に含まれた気持ちの悪い内実があるのですが、これがどの程度滲み出ているのか、どのくらい見透かされているのかが気になるのです
小説を読むことでしか満たされぬ何かを大事にしたいと思う
1 おれは文章を書くのが好きなのかもしれない。自分の文章を人に見せるのが好きなのかもしれない。平凡に、社会人あるあるだと思うが(平凡な社会人あるあると書き分けている)、趣味というものがなかなか難しくなる。にしては子供がいるわけでもないからそこそこ余裕があるものだ。今日は一人だ、予定がない、暇だ、というときに思いつくのが、文を読むか文を書くかなのだから、きっと好きなんだろう。いつも読んでるひとがいるから成立しているし、感想を書いてくる稀有な人間は、しっかり好きだ。 これを仕事
おれたちはいつも、バランスを考えてしまうようになった。 300円以内でお菓子を買えと言われたら、昔は、カルパスと、するめいかと、ビッグカツばっかりだった。じじくさい子供である。回転寿司にいったらいくらとサーモンばっかり食ってたし、マックに至っては6年間くらいエビフィレオしか食べない時期があった。 しかし今はどうだ。多分お菓子はチョコ系とグミ系と駄菓子系を調整して買うし、とりあえず光物も食べてみるし、侍マックとかにも手を出してみる。 バランスばっかり考えて目の前の欲望が満たせ
なんなんだこの閉塞感は、わかってるけど目を逸らしたい この前昔の同僚のおねえさんたちと飲みに行って久々に滝のように酒を浴びてしまった、久々にぐわんぐわんして言語のダムが決壊しかけた ほんとはもっと話したい、おれは嫌なやつだからもっと嫌な話をしたい、社会性が邪魔しない所に行きたい
ようやく秋になった、晴れた祝日に一人で本を読むという行為は最高である。たまたま読み始めた日が今日でよかったと結構本気で思っている。 小学生の時、夏休みに読書感想文を書くときに口酸っぱくあらすじを書くのではなくて感想を書きなさいとよく言われたものだ。今になると、あれはやっぱり少しおかしいのではないかと思う。おれはこんなにも素晴らしい小説を読んだのだから、皆さんにもわかってもらわなければいけない、そのためにはおれの感想をだらだらと聞く前にある程度の前提知識の共有が必要なのだ。あれ
今いる道が正しいか、という疑問を苦しまずに持てるのは20までであり、今は正しいと思い込むことしかできずひたすら、ひたすら苦しい。苦しい、辛い、人生の選択肢が狭まっていく、苦しい
5 (中略)踏み越えてしまったラインは気にせず二粒目を口に含むと、視界にあるベランダの外の景色が溶け始めた。目の前の女性に目を向けると、そこだけにピントが合い、そこから発される情報以外はすべてシャットアウトされた。彼女は青みがかった紫色の湯気を纏っていた。 「おれの中には、表象の行動をしている『俺』と、それを操っている『おれ』がいると思う。表面の俺がどう思うかはどうでもよく、正直どんな思いをしたって良い。大事なのはコントローラーを持っているおれがどう思うかで、そいつの考え
おれが死ぬつもりだった時期に書いてたフィクションに久しぶりに手をつけた、恥ずかしいものが上がっても見守ってください
おれの2年間にわたる銀行員生活は終わりを迎えようとしている。 自身のキャリアとか、そういうハード面的な自分語りはあまりしないというか、脳内に発生する何かをなんとか文字に当てはめたものをキーボードに投げる遊びばかりをこのアカウントではしているので、なんだか若干きまずさはあるものだ。 ただまあしかしながら、キャリアチェンジというそこそこ大きな人生の選択が起こった今、それを備忘録として残さなくてはならないという、排泄作文クリエイターとしての使命みたいなものも少なからずあるものである
どこまでもくるしい夜だけ思い出す コントローラー血眼の自己
1時間半後に高校の後輩とバレーボールをする予定が入っているので、お腹の上あたりに溜まっているものを一気に噴射して身軽にしていきたい。そんな文章です。 めっきり文章という文章を書く機会が激減した。理由は明白で、仕事というものがおれの生活の大部分を圧迫しているからである。前回のnoteを見るとおそらく夏休み中に書いているようなのだが、例に漏れず今日は冬季休暇中なのだ。時間と精神の余暇が取れている時しか、文章を排泄する意欲すら湧かないことが大変悔しい限りだ。ここまでの言葉で分かる
もっと深層的な話をするかと思った。丸くなったんだね。と、3年ぶりにあった友達に言われた。おれは本当の意味で、思春期を終えたのかもしれないなどと思った。
8月4日 夏休みです。10連休なのであるが、例年であったら青春18切符を買って仙台に牛タン食べに行っちゃおうとか思っていただろうか。しかしながら今年はそんな気は湧いてこない。大学時代に一人旅をやり尽くしたからなのか、電車で尻を痛めながら何時間も考え込むほどの恒常的に付き纏う悩みがないのか、果たしてどうなのかと言ったところであるのだが、一つ確かなことは私に気力と体力というものが残っていないということだ。睡眠時間もとっていて、現に私は今夏休みで非常に自堕落な生活を送れている。た
こころがほんとにやばくなってきた時って心臓のあたりがふわふわする感覚におそわれるんだけど誰にも理解されたことがない。ちな今、それ。