『鬱蒼』

5

(中略)踏み越えてしまったラインは気にせず二粒目を口に含むと、視界にあるベランダの外の景色が溶け始めた。目の前の女性に目を向けると、そこだけにピントが合い、そこから発される情報以外はすべてシャットアウトされた。彼女は青みがかった紫色の湯気を纏っていた。


「おれの中には、表象の行動をしている『俺』と、それを操っている『おれ』がいると思う。表面の俺がどう思うかはどうでもよく、正直どんな思いをしたって良い。大事なのはコントローラーを持っているおれがどう思うかで、そいつの考え次第で、そいつの利益のためなら俺にどんな行動でもさせられる。人に優しくするのは、俺を周りにそう思わせたいとおれが思っているからであって、そういう意味では自己中心的なのかもしれない。自分の発揮できる優しさというのはすべてそいつのためであり、ものすごく打算的になっている。」
目を閉じると瞼の裏が白く光って眩しかった。しかしそこには全ての情報があった。目を逸らしてはいけなかった。
「メタ認知みたいな話だね。優しさに限らず何か行動を起こす時、それが自分にとってどのくらい利益をもたらすかを考えることって実際合理的というか当たり前なこともするけどなあ。ただその感度の違いは確かに大きく人によってあるかもしれない。天然といわれる人だってそれで得している部分があるから変えないんだろうし。その自己利益的な行動を何手先まで読むことができるかみたいな力と、それをいかにうまく現象として実行できるかみたいなところに頭の構造の違いみたいなものがでてくるのかもしれないよね。あと菅原君気づいてるかもしれないけど、今私たち考える人と同じポーズになってるよ。やっぱりあの銅像はすごいんだね。」
自身の体勢を確認した。無意識だった。二人の間に広げた自分の脳みそを一緒に覗いているようだった。
「確かにこれはメタ認知か。でも結局おれは俺にどういうふうに振舞ってほしいかはあるけど、暗い部屋で引きこもってコントローラー握っているおれが本当に何をしたいかはわからない。というか、意外とおれはその暗い部屋をノックされるまでそのゲームに熱中していて、俺がおれ自身だと思い込んでいる時間があるかもしれない。やっぱり今本気で考えても、おれにどんな希望があるのかは見つけることができない、というかコントロール次第で多面的にどんな自分でも演じることができてしまうから、自分自身というものの本質がどこにあるのかよくわからない。」
「なるほどね、人間は多面的ね。私もそう思うよ。一度本気で考え込んだ人ってなんで皆この問題に行き着くんだろうなあ。私も本当の自分がどれなのかがわからなくなる。インフルエンサーとかやってると尚更ね。でも一つ言えるのは、今それを悩んでいるってことは、‘‘どれが本質か‘‘を悩んでいる菅原君は存在しているよね、悩んでいる菅原君が本物の菅原君だと思う。いや、どれも本物ではあるんだけど、本質とそれ以外にわけるなら、というか自分の本質がないんじゃないかと考えているならそんなことはなくて、悩んでいる菅原君は‘‘存在‘‘してる。それに、菅原君が宇宙で何を考えていても、私の中には相手が存在しているよ。それは、お互い様だけど。」
目の前のカオスに線を引いて整理したようだった。
「そうか、そうか。引きこもりか画面上かはたまた別のやつかは置いといて、まさに悩んでいる奴は間違いなく自分自身だ。これは確かに、こう、上手く言語に当てはめられないけど自己認識を自分に向けたベクトルの話というか、自分の中で完結する内面という感じだな。それとはまた別のものとして、相手に与える印象というのは結局相手自身の中で今までの環境とかから作られるフィルターと、画面上の俺の行動というこちらからの働きかけが作るものだから、それもたしかに存在しているか。しかし画面は操作できても、相手のフィルターは操作できないものだから人は好き嫌いがあるんだね。そう考えると、そっちが今やってるインフルエンサーとかっていうのは、まさに画面を操作する作業なわけで、いかにファンのフィルターに合うように画面を調節していくかというか、なんというかそれは、自己とは完全に切り離さないといけなくなってくるんじゃないのか。」
「そうだね、言葉を借りるなら本質はそう簡単に変わるもんじゃない。私は本当に、ただの大学生だし裕福な家に生まれたわけでもない。だから、現実がどんどん離れていく。私じゃない何かが賞賛されて、成功して、お金を稼いで、遠ざかっていく。すっぴんの私ではなくて、すっぴんの私を隠すために作った‘‘像‘‘が、名声を受けて帰ってくる。最初は自分の双子のようなものを作ったと思ってたのに、いつのまにか追いつけなくなっちゃった。」
今度は彼女の脳内が目の前に広げられた。
「それはしかし、みんなにできることじゃない気がする。成功する像を文字通り想像する力、想像を具現化する力、どっちもないとできないことなんじゃないの。少なくとも0から1を作る作業を一度はしたってことでしょ。それは必ずできる人とできない人に分かれることだ。どんなにテストで良い点とってもおれが自分のことを天才だと思ったことが一度もない所もまさにそこで、おれはそれができない側の人間だと思う。」
「ああ、そう、私は小学生のころ理想の友達がいて、ずっとその子の真似をしてたの。持ってるものだけじゃなくて喋り方や仕草とか、全部。思春期とか家庭環境とかいろいろグラグラしてたから少し病的なまでにコピーしてたと思う。イメージの具現化とか再現力みたいなところは多分そういうところからきてるのかもしれない。でも元を正せば成功しているのはその子。真似している私ではなくて、その子。でね、その子は私と最初境遇が似てたの。親が離婚してるとことか、兄弟がいないこととか。でもその子はとても強く生きてて、男子からも人気で、ずっと憧れだった。だからいつの間にか真似し始めた。当たり前だけど、人生が進むにつれて現実的な進路の違いが出てくる。いろんな意味でね。違う高校に進むことに決まった時、私は私を作らなきゃいけないと思った。でも結局高校はどうしたらいいかわかんなくてずっと迷走してた。今となっては本当に恥ずかしいよ。大学に進学するくらいのタイミングからものすごくSNSに没頭するようになって、私の中に存在していたその子をコピペしたらものすごく有名になっちゃって、だんだんコントロールできなくなった。私はほとんどその子でできているから、自分の分身にできるだけ近いものをコピーしたつもりだったんだけど、というか当時はそう思っていたんだけど、どんどん成功していくうちに元の自分ではできないことだって違いが露わになってきてるという思いがどんどん強くなった。」
言葉を媒介するのがもどかしいと感じた。お互いの眼前にはお互いの宇宙を広げているはずだった。
「コントロールできなくなったというのは、相手のフィルターに合わせて像が変容していくことに対してなのか、自分ではないその子が成功して遠くに行ってしまうことに対してなのか、どっちなんだろう。いや、それは少し違うか、ちょっと考える。えっとつまり、おれが今聞きたいのは、ここまでの話だと、ファンビジネスである以上彼らの持つこちらからは変えられないフィルターに合わせて自分を変容させていかなければいけないという話と、理想の人の真似をした結果生まれた分身がどんどん成功していくという二つの話があった。じゃあ今現在のインフルエンサーとしての像というのは、どっちなんだ?それとも、その理想の人というのはフィルターに合わせて変幻自在に変われる人なのか?」
「確かに。そう言われると多分今現在の像はフィルターに合わせて変わっていっている部分が大きいかも。コピペのスタートはその子だったけど、その子を基に一人歩きしていった感じかもしれない。」
「いずれにしても、成功しているのは自分じゃないという感じが拭いきれないんだね。」
「そうかもしれない。でもこれは、私の始めた物語だから。コピペをしたのも私。だから責任持ってるの。仮にだよ、仮に私のキャラクターが不幸であることを望まれているなら、私はそれを見せ続けなきゃいけない。コントロールできなくなっても、それは私の視界から消えることは絶対にない。現実から遠ざかるか追い越してしまうかはわからないけど、走らせ続けなければいけないと思うの。」
一息ついて、彼女は続けた。
「って、思える時と、目と耳全部塞いで布団に入りたいときも、最近は少しある。」
成功さえ捨てられればコントロールは、とは菅原は言わなかった。

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