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自殺

午前一時。新元号が始まって四日目。大学生になってからは1年と1ヶ月。 ドアノブにロープをかけて死のうと思っていた。
死にたい理由なんて一つしかないんだけど、もうそんなこともどうでもよくて、生きててもからっぽなんだから、んなら死んでも一緒じゃん、なんてことすら考えてない。とりあえず生きている苦難の総量が死の瞬間の恐怖感を上回ってしまっただけだった。人間生活の一切に辟易してしまったのに、一丁前に遺書なんかを書く気力はあったことが我ながら気色が悪くて可笑しい。死を実現してその先に快楽が待ち受けているのか、救済されるのか。いつからか曖昧で、名前と実態を持たない宗教観になってしまった日本で生まれ育った自分には、死に魅せられるものは何一つない。でも今まさに僕は死を実現したいと願っている。アンビバレンスを感じても昔のように自己追及することもなくなってしまった。こんな曖昧なんだなタナトスの誘惑って。なんてことも考えていない。何も考えていない。「自殺は人間版不法投棄」って誰かが言ってたな。たしかにそうだ。誰かに発見されて初めて「死人」となるが、自殺という行為の性質上その後の処理等は本人以外の人間が行うことになる。なんという自己中心的な、なんてこと言ったら多方面に叱られそうだけど現在進行形で死にたい僕が思っているんなら文句言えないんじゃないか。なんのつもりか自分でもわからないけど少しだけ部屋を綺麗にして、ふとんのしわを伸ばした。死ぬと肛門括約筋が緩んで糞尿が垂れ流しになるらしいから、せめてもの抵抗で喉の渇きは潤わさないままでいよう。スマホのロックはなくても開けられるようにして、2年間書き溜めた日記以外のアプリを消した。結局「発見されること」を意識している。自己顕示欲はどんな時でも失われることはなかったんだな、気色が悪い。


「僕は今から、こ●●●●●。●●●●●●●●●●●●●●●●●●●、●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●。●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●。●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●。●●●いません。」


高所じゃなくても、首は吊れる。要するに首に体重がかかればいいのだ。従って、ドアノブに無駄に厳ついロープをかけて、輪っかを作る。驚くほど滞りなく作業が済み、サクッと無機質な輪に首が通る。あ~今から死ぬんだ、ウケる。特に強い覚悟を決めたわけではなかった。しかし一息置いてから、何かに誘われるようにお尻を前に浮かすと途端に首に圧力がかかって、頭の内側から冷たくなっていくのをはっきりと感じた。ああ、今になってやっとわかった。僕は別に死にたいわけじゃないんだな。でももう遅えや。身体が勝手に暴れだす。その首にかかっている「死」から離れようとしている。でも、どたどたと暴れるほど更にその首に死は食い込む。何もわからなかった。何故こうなっているかも、すべてをやり直す方法も、そして今首の圧から逃れる仕方も。もう血と酸素が薄くなった真っ白の頭では何もわからなかった。僕は今この瞬間は確実に、死にたくなかった。


しばらく、寝ていた。いや、意識は多分あった。目は開いていたのか閉じていたのかあまり覚えていない。特に何も変わらなかった。死を実現しようとして変わったことは無かった。と少なくとも今の僕は感じている。病院にもいったことのないほど無駄に健康な体も特に異常は感じられないし、逃れたい現実も何も変わっていない。死の瞬間に対してビビったのか、本当に死にたくないのかすらよくわからないけど、とにかくもう、また同じことをする気力にはなれなかった。見つけやすい場所に置かれたスマホは2:42と表示していた。


コンビニで酒を買ってみた。別に好きでも嫌いでも、強くも弱くもない。今日はいつもより空が変な色だな。重い黒に気色の悪いオレンジを足したみたいな、昔見た悪夢と同じ色をしている。でも、何かが溜まったような気持ち悪さが残っている、さっきまでいた部屋よりはいくらかマシだった。帰っても誰もいない。考えているような考えていないような、何かに取り憑かれた頭で特に用もなく歩き回っていた。これ深夜徘徊か。自分がこの歳でするとは、小学生の頃の僕は想像もしていなかっただろうな。まあいいかどうでも。団地の最上階に登って踊り場で大して美味しくない缶チューハイを飲んでいたが、なんだか何かを待っているような気分だった。踊り場から見える目の前の道路は深夜でも車通りが多く、人々が寝静まった時間とは思えないほどトラックの振動がかなりある。、なんてな、痛いのはもういやだもん。とりあえず最上階から飛び降りる格好だけしてみる。何もかも非常に滑稽だ。客体からみた自分がそう語りかけてくる。もうわざわざ死ぬ気にはなれないなあ。自分が何もわからない。でも、生きたくなる理由ができたからなのかと言われたら、それは明確に否定できた。生きたくも、死にたくもない。気色悪い空に溶けていってしまいたかった。とにかく、朝はもう来ないで欲しい。


家から大学は1時間半かかる上に、都内の殺人的な通勤ラッシュを耐えなければ行くことが出来ない。が、今日は一限から出席した。本当は今目の前のことでいっぱいいっぱいなのに、サボることすらできない。未来への退路一つ潰せないのは、今までガチガチの社会レールを歩かされてきた惰性なのかもしれない。通りすがりに首を凝視されたこと以外、驚くほど何事もなく、無駄に長い講義を受け切った。感情も情緒も、揺れ動きはしなかった、ように感じる。こんな日にバイトを入れてしまった過去の自分を呪いつつ、未来の自分のために晩飯を作ってやってから出かけることにした。


防御創、というらしい。鏡を見た時少しギョッとした。ロープの赤黒い線が残った首には、無数の引っ掻き傷があった。僕の脳は死の実現を願っていたのに、本能はそれを止めようとしていた証拠だ。一つの首に、死にたかった傷と死なせない傷が同居している。あの時、酸素が回らなくなって真っ白になってた僕の頭は、ただ体を暴れさせることしかできなかった。そこに、ただロープを解けばいいという、単純な生への閃きを与えたのは本能だ。天啓があった瞬間僕の手は首を引っ掻き始めていた。あれが死へのファイナルアンサーだったのだ。本当に。


「大丈夫?」と聞かれた。そもそもその問いに大丈夫じゃないです、と答えられる人はいるのだろうか。でも、それ以上に、そんなことが読み取れてしまう表情をバイト中に作ってしまっていたことは非常に悔いるべき事実だ、と作り置いていた晩飯を食べながらなんとなく考えていた。もっと楽しそうな表情しろ、といつも怒られていたくらいにはポーカーフェイスだと思っていたのに。そもそも喜怒哀楽の波が少ない上に、感情が表情をあまり操ってくれないから損してきたことが何度もある。蛍光灯はうるさく感じて消した、窓から差す夜光だけが入った部屋で今日も一人だ。気味の悪い静けさを埋めるために流していたYouTubeでは、ゲーム実況者が運負けして台パンしている。突如、脳がジャックされて思考の全てがぼやけるような感覚に襲われた。別に喚き散らかしたり、どうしようもない悲しさに支配されたわけじゃない。のに、涙だけがぼろぼろ止まることを知らなかった。壊れていたのだ。情緒や感情のメーターを振れる針は。上限を超えてもう動かなくなっているのだなと、今になって気付いた。ああ、結構煮物美味しく作れたのになあ。全部、吐いてしまった。


死ぬ勇気があるならもうどーとかこーとか怖いもんなどないんだって だからなんだってできる、とイヤホンから流れる。一週間経っても首の痕は残ったままだった。ヒリヒリと痛むわけでもなく、季節外れになりかけているハイネックで隠れていても、奇妙で強烈な存在感がそこに居座り続けている。特に誰も不自然な首に突っ込んでこなかった。気を遣って頂いているのか、単にハイネックが案外その役目を果たしているのか、深くは考えなかった。いや。思考をすることができなかった、という方が正しい。それは目の前のことでキャパオーバーだからということよりむしろ、全ての物事を本質まで思考できないように制御されているような、そんな感じだ。麻痺している脳みそを起こして考えなければいけない領域には立ち入れなかった、無意識的なタブーの制御がそこにはあった。脳と本能と心は別のところにあるのだなと感じざるを得ない。心なんて架空の存在が胸にあると決めたのは一体誰なんだろう、なんて特に気にしてもいないくせにぼうっと思いながら、今日は大学に行かないことにした。


心臓のあたりがとにかくふわふわしていた。水中のように、縛るものがなくて、身動きは取れるのに、どこか不自由感と気持ち悪さを拭いきれない。でも、不自由‘‘感’’はあっても、僕は確実に自由だ。友達も社会的地位も家族もなく、失うものがないことから「別に捕まっていい」という思いで凶悪犯罪を起こす人を「無敵の人」と呼ぶらしい。猫を噛む窮鼠も、もうきっとやけくそだ。僕は、死ななかった。死ななかったが、一度死んでもいいと思った事実が自己に対しての興味と尊心を失わせた。死ぬ勇気があるならもうどーとかこーとか怖いもんなどない、そうだな。そう思い込むことにした。自分の中にだけ自分を不法投棄して、amazonで気になっていたゲームをポチった。到着は2日後だが、それを待たずに着替えを小さいリュックにまとめて家を出た。


電車はただの移動手段だ。都心で生活しているとその事実に疑念すら抱かない。そういう意味では、それに移動以外の価値を見出している電車ヲタクは偉大なのかもしれない。などと、東海道線が熱海を過ぎたあたりでふと思った。車両自体も、東京を離れるにつれて単なる機能性を追求したものでは無くなっていった。ボックスシートが増え、車両の数も減った。車内ではおにぎりを食べる高校生や、旦那の愚痴を漏らす主婦がいて、電車のスピードとは反比例的に、ゆったりとした時間が流れている。もしどこでもドアがあったら、旅行産業は発展していなかっただろうな。単に移動費分の利益を出せないからではなく、移動も旅行の本質だからだ。スイカの種を除きながら食べるのが、更にスイカの美味しさを引き立てるように、移動という小さなストレスによって目的地は輝くものとなる。そんなことを思わせてくれるような移動であった。ただ、今日の目的地は決めていない。やることも行く場所も何も決めずに出てきたのだった。さっき買った小説が読み終わったら、そこで降りよう。


妙に賑やかになった車内の声で目が覚めた。石山という聞き覚えのある地名にたどり着いたらしい。賑やかになったのは夕方になったからなのか関西に入ったからなのか。ただ、空気の色も声のトーンも異文化そのもので、少しの疎外感を覚えた。人差し指を栞代わりにしたまま閉じていた小説は、もう佳境であった。そうだ、石山は受験の時に日本史で習うワードだ。だからか、少し、懐かしいような苦しいようなイメージを持つ。アニメの聖地巡礼とは、こんな気持ちなのかもしれない、いや知らんけど。


エピローグを読み終えて下車したのは梅田、という駅だった。そこはいかにも大阪であり、10回ほどの乗り換えを経て東京から逃げて来たにしては随分と都会の気が多すぎる場所であった。そういえば生まれて初めて大阪で降りたと気付き、せっかくならとthe大阪フードを食べることにした。そっから、たこ焼き、お好み焼き、酒で満腹中枢がバグったのでシメにラーメンを食べて、小麦大好きマンになった。もう20時を超えていたので、さあ帰ろうって思ったところで、今夜の宿が無いことに今更気付いた。当たり前に芽生えてしまった帰巣本能とあまりの無計画性に笑いが漏れる、が、特に問題も無いことにも同時に気づいていた。その辺の若い兄ちゃんに声かけて泊めて貰おうかとも考えたが、それはさすがに胃もたれしそうだったから辞めておこう。生まれて初めてネットカフェに入ってみた。


湖西線、という大変美しい電車でかにといくらの駅弁を食べながら車窓を眺めている。琵琶湖とはこんなに広いものなのか、これはほとんど海だ。少し左に傾けばその海に落ちてしまいそうな、そんな心地よい危うさのある電車だった。
思えば、ここまでずっと、ずっと危うさは排除して生きてきた。社会の敷いたレール、というとありきたりではあるけれど実際に準備されたそれを歩んできたのは間違いない。僕の周りも僕にそれを勧めたし、何より僕自身が危ない道は無意識に遮断してきていた。習い事や予備校、進学先まで姉の真似をしていたし、将来も「社会が一般的に想定している社会人」になることを勝手に望んでいた。道を踏み外すのがとにかく怖かった。石橋を叩いて渡るどころか、叩く作業すら他人のを観ていたのだ。何故それを恐れていたのかは、正直よくわからない。恐れていたことすら気付いていなかったのだから。その事実の方が、今となってはよっぽど恐れるべきものであると感じた。今まで、何故こうして旅に出なかったのだろう。確実に「やってみたかったこと」の一つにはあったはずなのに。白い景色はとても気持ちがいいし、口の中でほろほろと崩れるかにの身がとにかく旨い。「時間がないから」とか、「お金がないから」とか、何かしらの理由をつけてやりたいことなのにやってこなかったことがたくさんある。きっと、時間やお金が満たされても次はきっとまた別の理由で自己正当化してやる機会を逃していただろう。本当に不思議だ、時間なんてどうにでも作り出すことはできるのに。よくわからないブレーキが働いて、いつもと違う事はさせないように軌道修正されていたらしい。間違いなく、レールの上を走っているな。でも幸か不幸かブレーキは吹っ飛んだし、隣の海に飛び込んでみたいようなそんな気分だった。「やりたいことをやる」という単純明快な幸福への近道を、ノーリスクになって初めて選び始めた。いくらが美味しい。

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ついに富山まで来てしまった。一日のほとんどを電車に乗っている日々が続いていたので、まだ夕方だったが今日はここで泊まることにした。そこはいかにも田舎の地方都市という感じで、駅前のイオンは駅のホームよりはるかにでかかった。そのガラガラの駐車場の柵に腰掛けて、今日の夜ご飯は何食べようかな〜と考えていたところで声をかけられた。中年の女性二人。阿◯ヶ谷姉妹に似てるななどと思っていたら、まじで言われた。「今、幸福ですかぁ?」


まじでこういう人っているんだ、まんま阿佐◯谷姉妹のコントじゃん。細かく伝わりすぎてるよと心の中で唱えながらも、ここ数日で発した単語がNewDaysの店員に発した「あ、袋大丈夫です」だけだったことに気付き、せっかくなので話を聞いてみることにした。僕は彼女らの話が気になって立ち止まったが、彼女らはまず僕について聞きたいらしい。過去が空っぽになったから話すことなんてないけどなあと思いながらも、とりあえず電車だけで東京から大阪経由で来たことを話すと予想通りの驚き方をしてくれた。なるほど、人心に入り込むならまず相手の心を覗いて、そこから相手の期待する反応をしていくものなのだなと感心してしまった。話しててとても気持ちよかった。物は試しだから僕も真似してみよう。実際は彼女らが勧める宗教の内容よりも、「人の少ない駅で若者に宗教勧誘をしてくるおばさん」にとっても興味があったのだが、とりあえずなかなか盛り上がるお喋りをさせることができたような気がした。実際、彼女らは僕の反応に確かな‘‘感触’’を感じたのか、これから私のうちで祈祷やるのだけれど来ませんか?と一歩、いや四歩くらい踏み込んだ提案をしてきた。流石に閉塞的な場に連れて行かれるのはまずいという感覚と、知らない地で知らないおばさんに連れられて知らない宗教の知らない儀式をしに行くという事象への好奇心が戦っている。が、まあお喋りは楽しかったからその思い出で終わらせようという思いから丁重にお断りしたら、案外あっさり引き下がってくれた。僕がカモにならなかったから態度が冷めたりするのかななどと予想していたが、全くそんなことはなく、間違いなく気持ちの良い大人の方だった。案外、というとかなり失礼だが、彼らは本当に純粋な信仰心で、それを純粋に他の人にも広めたいという思いから布教活動を行っているのかもしれない。しかし最後まで気持ち良い対応をすることでその宗教のイメージを壊さないためかもしれないし、それに対して僕は結構ちょろいのかもしれないという思いが捨て切れないくらいには、日本で育ってきたバックグラウンドの影響力は大きかった。まあいいや、お腹すいたしそろそろ今日の宿も探さなきゃ。彼女らもその雰囲気を察したのか、おすすめの居酒屋を教えてくれた上にただ時間だけ奪っただけの若者に頑張ってねと声をかけてくれた。今夜はそこで鰤の刺身とホタルイカでビールかなあ。あ、そういえば、
「せっかくなので一緒に写真撮りませんか?」


昼の無人駅のベンチで気付いたら3時間ほどぶっ倒れていた。毎日狭い環境で睡眠し、一日電車に座り続ける日々が続いていたから流石に体が悲鳴を上げたらしい。救急車を呼ばれていたら正直面倒だったので無人駅でかなり助かった。多分今無人駅に感謝してる人間日本で僕だけだな。まだかなり吐き気が残っているし、体は明らかにストップサイン全力で掲げてるけど、んなもん知るか、だ。特に用も無くまちを歩き回った。ただ、駅にすら人がいないくらいだから、恐ろしいほどひっそりとしているまちだった。人工物の上に人が載っていないのは、少し怖かった。人が全く通らず、通るのは30分に一本くらいの2両編成の電車だけの、柵もない線路沿いをぼーっと歩いた。目的地は特に決めていなかったが、別にそれでよかった。そう、別にこれで良いんだよな。やりたいことがなくたって、死にたい理由が山積みだったって、別に生きてて‘‘も’’良い。まあ別に死んだって良いんだが。ただあの時僕は、死ぬしか道が残されていないと考えていただけで、積極的に死の道を選びたかったわけじゃない。死にたかった気持ちは間違いなく本物だったけど、死にたいと思わされていた、という方が近い。その死にたい気持ちと表裏一体になっていた、幸せに生きたかったという感情を、首に死をかけてからようやく見つけた。ただまあ、裏面にいるのを認識できただけなので、死にたいという気持ちが消えた、というわけではないことも今は理解している。今夜寝て、そのまま起きなくなっても特に構いやしない。死という概念自体への恐怖だけは全く無くなってしまった。だからこそ、生きていけるような気もしている。僕は、いや俺は、いつでも死ねるんだ。こんなに最強の逃げ道はない。JOKERを常に持っているだけでこんなに安心感が違う。レールに沿って歩いてきて、選択肢を広く持てる状態を創るための努力だけをしながら生きてきて、それに辟易して捨てようとした。のに、結局カードを、選択肢を持つことで安息を得ている。なんたる皮肉、俺はいつでもこの二両編成に飛び込めるんだ。ただそれをやるのは、今じゃない。それだけのことだった。明日、家に帰ろう。さて今日は、コンビニでたくさん買って夜の砂浜で焚き火でもして野宿しようかな!なんて考えながら、歩いてきた線路の写真を一枚だけ記録に残して、横の路地に入っていった。少し歩いて抜けたら、そこにはまた別の大きい道路が広がっていて、少なくとも電車ではない乗り物が案外たくさん走っている。首の傷痕は、少し薄まってきていた。


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