ごきげんよぉ。「初めまして。」還暦ちょっと手前の人間です。恥ずかしながら昨日初めてこのNoteの存在を知りました。還暦過ぎた兄から教えてもらって初めて知りました。40年近く洋菓子職人として働いてきましたが、病気で右手足が不自由になり昨年退職しました。今は田舎でのんびりと暮らしています。もう充分というくらい時間があるので、絵を描いてみたり、粘土でなんやかんやと作ってみたり、エッセイを書いてみたり、それらをコンテストや大会に応募してみたり、お菓子を作ってみたり、料理をしてみたり
ベルギー滞在を終え、列車でフランスへ! あっという間に着いた、ツアー仲間の私よりひと回り上のおっさんはこの短時間にワインをたらふく飲んで、すっかり出来上がっている。まだ昼前だというのに。そういえば、行きの飛行機でもべろべろになっていたのもこのおっさんだったことを思い出した。とてもいい人だったが。 パリの路地にある、牡蠣で有名なお店で、昼間から贅沢にもカキ料理のフルコース、しかも、氷を敷き詰めた大皿の上に乗っている新鮮な生ガキは食べ放題である。食べ過ぎるとお腹をこ
約30年前、20代後半のころ、洋菓子職人だった私は、勤めていた会社から、同じく40代の課長と2人、チョコレートの研修のため、ヨーロッパに2週間の旅行に参加した。 全てを書くと長くなるので、課長と2人でスイスへ行った時の話は後編で! この度の研修旅行は、10日間がベルギーの世界トップクラスの有名なチョコレートメーカのアカデミーでの研修で、4日間がフランス探索の予定であったが、15人位参加していたメンバーは、有名店のオーナシェフがを中心に そうそうたる顔ぶれで、当然私は
一人暮らしを始めて、早二月がたった。勤めに出ていない私は、時間、曜日の感覚がズレていってるのではないかと、実はかなり気にしている。テレビもないので余計に、、、である。小さいころ、「相当な」の表現では足らないくらいのテレビっ子だったのに、なぜテレビがなくても平気なのか、自分でも分からない。パソコンを買ったから、テレビは必要ないっと思ったけれど、使う用途が全くの別もの、でもテレビを置く所がない。とりあえず、実家で使っていないラジオを探してみよう、もしくは「夢グループ」の デー
最初にお世話になった洋菓子メーカーで9年目、工場長になってしまった私は、ほとんど現場にいることがなかった時期があり、書類やら、業者の対応、若手のコンテスト指導など、ある意味、緊張感がなくなりつつあり、無茶苦茶だった修行時代を懐かしく思い、そろそろ独立も視野に入れるそんな時期がきていた。 私の先輩で某有名シェフが製菓学校の授業をダブルブッキングをしてくださりましてどうしても代役をたててほしいとお願いされた。こういうのは私よりもキャリアがあるので副工場長がうってつけであ
最近、友人Aとよくランチに出かける。でも、私は馴染みの店など全くない。地元なのに! 友人Aは外食中心なので、何軒も馴染みの店がある。 二十歳前で職人の世界に入り、遊ぶ間もないほど、厳しい修行に勤しんだ。しかも22歳で結婚、27歳まで今、両親が住んでいるマンションに住んでいた。しかし、帰宅時間は夜中。会社で弁当が支給されるので、帰ってきても寝るだけで、また早朝に出勤する。休みは交代制だった。私の場合あってないようなもの、人が足らなければ、午前中だけ、夜だけという風な
昨日、5年ぶりにプロ野球を観戦しに球場へ足を運んだ。もちろん阪神タイガースの試合を見に。5年前は京セラドームで、今回は聖地甲子園球場である。知り合いからチケットを2枚もらったのだが、急だったので、亡くなった家内も阪神が好きだったこともあり、遺影を持って結局1人で行った。 甲子園は何年ぶりだったか忘れてしまうぶりくらいで、今回は初めての外野席しかもライトスタンド。きっつそうである。 何がきついかは後で説明するが、甲子園球場はいろんな顔を持っている。 高校野球の時
昔も今も爆発的なブームが存在し、面白いように消えていく。 いくつか、記憶を頼りに、書いていこうと思うが、間違ってたらごめんなさい。 まずは、ボウリングブーム。もちろん今でもボウリング場は賑わっているが、爆発的な昭和40年代は、まずボウリング場に入るのに行列が、入ってからレーンのあきまちでひたすら待つ。というのを聞いたことがある。私はできる年齢ではなかったので関係ないが、ブームの火付け役「りつこさん♪りつこさん♪なかやまりつこさん♪♪」のCMソングは覚えている。プロボウ
難病と、すい臓のできものを診察してもらうため、病院にはずっと通わなければならない。 引越しするたびに、大きな病院へ紹介状を書いてもらわなくてはいけないし、紹介状を持っているからといっても初診は初診、診察後の会計と薬局がとにかく長時間待つ心構えが必要となる。私の場合、難病受給者証を絡めた計算になるからか、とにかく長い!通常時でも長いが、初診時は今回も会計で90分越えだった。これだけで病気になりそうで、今回の病院は待っている人に対し、椅子の数が明らかに足らない。一旦その場
今日、久々に粘土造形に夢中になったあまり、処方箋をもらいに行くことをすっかり忘れていて、気が付いたのが18時過ぎ、開いてるかな?と思いつつ、ほかの用事もあったので、お気に入りの電動自転車で、さっそうと、路地から広い道に飛び出した瞬間、異様な光景が目に入った、3つ前後くらいのチャイルドたちを連れた、若い多国籍のペアレントたちが歩道に自転車を車道には自動車を停め道をしっかりふさいでくれている。自転車が通れないほどに。 何事かと思えば、子供たちが待ちに待った地蔵盆の日だった。
私が気に入っている今一人暮らしをしている部屋は、面白いが少々危険性が伴っている。一応は1ルームだが、ロフトがある。高い高い位置にロフトがある。3階建ての3階のため、おふざけかというほど、創作作業をしている南側から北側のロフトに向かって、斜めに天井が走っている。メインフロアというにはお粗末だが、キッチンもしっかり存在している。 メインフロアで寝ることは、元々構想にないし現在もない。そもそもロフトが寝室仕様になっている。若人が住むことを想定して。 ロフトに上るには、備
私には、90歳を超えた父と85歳になったばかりの母がいる。 母は、足を骨折して2か月の入院生活を終えて家に帰って来たのが、2週間前。訪問リハビリの契約をしたあくる日に、詳しいいきさつは本人もよく覚えてないらしいが、私が留守で電話はかかっていたのだが、トニモカクニモ救急車で病院に運ばれた。胸部骨折!!!再び入院!!! 父は約5年前に腸の病気で下血を繰り返して、私的にはそろそろかと覚悟をしていたが悪い血を全部出し切ったかのように、日に日に元気になって現在に至る。 急い
言い訳になるが、家内の法要や、母のケガや、引っ越しやらで身体が悲鳴を上げている。何かしないと。絵を描かないと、粘土造形に取り掛からないと、そして[Note]に投稿しないと、食事を作らないと、スイーツも………….. やることはいっぱいある。どうしてもやらなければいけないこともある。 私は昔からナマケ癖が身体に染みついている。37年ぶりの独身一人暮らし、「さぁーーーーー!」と気合を入れるが、3分しか気持ちが持たない。 考えれば、いつも、接し方はそれぞれだが、学生時代も
父方、母方それぞれの父親、私にとっては二人の祖父。約30年~40年前に二人共、大往生したが、孫達つまり私のいとこにあたる人たちにとっては各々のキャラのインパクトの強さから ずーっと記憶に残る、見た目でいうと父方の祖父は仙人で、白髪交じりの髪は背中が半分隠れるほどのロン毛で、あごひげが胸の辺りまであった。一方、母方の祖父はどこかの偉い和尚様のようでつるっぱげでべっ甲ぶちの眼鏡をかけていた。 彼らの幼少期の頃は誰も詳しくは知らないが、本人や親、親戚の人達から聞いた話を整理
引っ越しの荷物はまだまだ片づいていないが、近所をブラブラ散歩してみた。実家の周辺は再開発で近代的な高層ビルが立ち並んで私が育った大好きだった商店街も珍しい市営のデパートも、よく遊んだ公園も、様相はまったく別もので懐かしさなど感じない。 でも、私の新居の周りは、実家から500m南に下った地区にあり何か昭和の匂いがプンプンで、勿論50年前あたりとは住宅事情も違うと言いたいところだが、新居の前は車も通れない道幅の路地で綺麗に建て替えた住宅の先には廃墟と化した2階建ての風呂なし
みらい、ミライ、未来の為に、、、、誰が、誰に、何を何のために明確な答えのない未来予想に対して正しいのか間違いなのかわからない事に意識を向けるなど、私には難しくて理解できない。 しかし今現在、地球温暖化、飢餓に苦しむ人達、相変わらず双方が正義を謳って収まる気配のない戦争、誰かが利益を得れば誰かが損失を被る。その定義は生物が存在している限り崩れることはないと偉そうな講釈を垂れているが、当然、私にはそれらを、またその定義をどうこうできる知力も能力も体力も統率力もない。ついでに