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止まった時間‼
引っ越しの荷物はまだまだ片づいていないが、近所をブラブラ散歩してみた。実家の周辺は再開発で近代的な高層ビルが立ち並んで私が育った大好きだった商店街も珍しい市営のデパートも、よく遊んだ公園も、様相はまったく別もので懐かしさなど感じない。
でも、私の新居の周りは、実家から500m南に下った地区にあり何か昭和の匂いがプンプンで、勿論50年前あたりとは住宅事情も違うと言いたいところだが、新居の前は車も通れない道幅の路地で綺麗に建て替えた住宅の先には廃墟と化した2階建ての風呂なしアパートがあったり、ドン付きには時間の流れに逆らいつづける壁に蔦が絡み合った昔は子供たちでいつも賑わっていたであろう駄菓子屋が朽ちかけた看板と共に存在している。誰も生活している気配はないが!
そういえば、この地区には、ほとんど足を踏み入れたことがない。今は子供の数も少なく小学校も次々と統合され学校はドンドン減少している。昔は結構な数の学校があったため、縄張りと言うと語弊があるが他の地区に足を踏み入れると、どこからともなく同年代の子供たちが現れてきて、100%絡まれる。「われらどこのもんじゃ。」まるで本職さながらである。
私の住んでいた○○町〇丁目は少し珍しい校区で私はC小学校、道路を挟んで北東に1丁行けばH小学校、東に1丁行けばM小学校、南東に1丁行けばS小学校、南に1丁行けばF小学校とまさにスクランブル校区点。普通に近所で遊んでいても「どこのもんじゃ。」攻撃に合う。中学になると同じく私はO中学校、北東に1丁行けばN中学校、東に1丁行けば別のO中学校、南東に1丁行けばK中学校、南に1丁行けばまた別のK中学校と、縄張り意識の強い思春期には「どこのもんじゃ!」にカツアゲ君まで加わってくる。
そういう訳で南の地区には、ほとんど行けなかったが、大好きだったレトロな商店街があった。私の小さい頃にはほとんど人通りも少なくなった感じで、戦後にはすごい人だかりと祖父から聞かされた面影はなくなっていた。
そのころの閑散とした風景がまるで時間が止まったのように私の目に映る。今は勿論ないがこの周辺には確か映画館が5件あった。それらは、パチンコ屋に変わったり、銀行に変わったりと、1件また1件というように無くなっていくが、最後まで生き残ったのがこのレトロ商店街の畳敷きの映画館で跡地は現在も空き地である。また、絡まれるとわかっていてもついつい行ってしまう怪しげなゲーセン、〇〇〇ランド!いったん店内に入ってしまえば、そこには親戚の方が働いていたので、絡まれたりすることはなかった。
この南の地区はすごく懐かしさとアート的な空気を感じる。
変わったことと言えば、外国人の居住者で東南アジア系の方が日本人の数を上回るんじゃないかと言うほどの勢いで増加している。
でも、変わってない確かなことがある。国道を挟んで北も南も下町ならではの人間性は完全に受け継がれている。50年前20代だった若者たちは70代になって、あのころの懐かしい、おばちゃんに仕上がっている。おっさんが出来上がっている。そして今の若者はファッションは時代で違うのは当たり前だが、中身は完全に受け継がれていると思う。下町ならではの口もガラもとっても悪いが、やさしい気持ちと人情味は確かに残っている。新居にいると何か落ち着く。気持ちが前向きになって先月までいた四国の田舎とは180度違うこの環境がやっぱり好きなんだろう。虫もいないし。この昭和で止まっているようなこの時間を大事にしていこうと思う。
ちなみにこの地区こそ私のエッセイ「コクリって誰?」の撮影現場である。