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2人の認知症と1人の鬱と。


ある人に、今私が抱えている問題を話したら「どこかに書いておいた方が精神衛生上良いと思うよ」と言われた。
最近、介護のYouTube動画を見ていて、自分を客観視できるようになったので、このnoteが他の方へそういう〈良い〉影響を及ぼせるといいな、と思います。


①「親の介護が大変で・・・」と話すと何故か「片親」だと思われる不思議な現象

最近、ふと気づいたことがあり、書いてみます。

仕事がどうしても受けられない時など、「ちょっと実家が・・・」「介護があるので午前中はオンライン参加も制限していまして・・・」などと話をせざるを得ない時がある。

大抵は、私の周りの方々は「そうなんだ、大変だね。わかった、調整するよ」と快く答えていただけているので、非常に助かっています。

その中でも「ウチも実は介護で大変で・・・」「かつては私もそうだったから・・・」などのお話も聞けて、『みなさんも大変なんだな』と慰められたり勇気づけられたりしているのです。

さて、そのようなやりとりをする中で、驚かれるのが「両親が認知症だ」ということです。
介護の話をすると、何故か対象者は1人と思われることが多いです。これは私の周囲の人たちだけなのでしょうか。

両親のそれぞれの対処が異なるのと、相乗効果で「やらかし」が発生するのでその対応が大変なのですが、どうもその大変さが(体験した方にも)通じないことがあり、「父親は〜〜で困っていて、母親は〜〜で困っています」と言うと、急に「ご両親だとそりゃ大変だろうねえ」と返されることが。

逆に経験者の方が、「介護」の一言で自分の体験を下敷きにした解釈をするので、そうなってしまうのかもしれません。

②2人が対象の場合、単純に「2倍大変」なのではない

先ほど「相乗効果」という表現を使いました。そうなんです。2人揃うと、「やらかし度」が一気に上がります。

例えば「着替え」。
母親の着替えを手伝った後、親父の着替えを手伝う場合。2人分の作業が直列になると、単純に労力は2倍です。

しかし、実際には1人の手伝いをしている間、私は手が離せない状態になっているのに、もう1人が余計な行動をしたりします。そうなると、対応ができません。
育てたことはないですが、双子の面倒見るのと同じような慌ただしさなんだろうな、と思います。

特に我が家の場合、先に認知症になった父親を、母親がバカにしたり、母親が父親をやたらと管理しようとしたりします。
管理できていた時はまだ良かったのですが、母親は管理するような判断力は現在ないにもかかわらず(自身が認知症なので)、そういうことを行うと、「やらかし」が多発するのです。

我が家の場合、母親の認知症の発覚が遅れた理由の一つに、何か「やらかし」が起こった場合に、その原因が父親だと母から報告を受け、それを周囲の人間が信じていたという構図があります。実際には、母親自身がやらかしていた事例もたくさんあるのです。

③パートナーに求める感性の「領域」と「閾値」

さて、こんな怒涛の両親同時介護をしていると、仕事ができなくなります。ほぼ毎日実家に行き、家事全般を行います。ヘルパーさんは来てくれるものの、何かあれば私に電話が入るようにしているのですが、結構な頻度で連絡がきます。(親父が外出しているとか、買ってあるはずの掃除道具がない→母親が何故か隠しているとか)

在宅勤務とはいえ、レギュラーで働き、自分の家のことも夫婦で分担している私にとって、介護の負担は限界でした。一年前から楽しみで入手していたコンサートにも行けず。

もともと、父親が認知症になった時点で、東京から関西に家族で転居したのですが、さらに今回、母親の介護もあり、実家近くに転居しました。

さて、そこで問題になるのが「他に介護できる人はいないのか?」ということです。
妻は手伝ってくれようとしていましたが、母親からNGが出ました。

こんな姿を見せたくない

というのです。
母からすると、私の妻は嫉妬の対象であるようでした。

では私に兄弟はいないかというと、います。兄が。

実は、私が東京から関西に戻ったのは、兄の一言があったからです。
当時、私は大阪の本社に月に2度の出勤をしていました。その度に妻も一緒に行動し、月に1度は両親と神戸で会ってランチをして、様子を見ていたのです。
ところが、兄からすると、それでは不十分で「家事をしてやれ!」というわけです。

確かに、両親も老いてきて(当時、親父は89歳、母親は85歳)、誰かが近くにいた方がいいだろうと夫婦で相談し、夫婦とも在宅勤務の私たちが転居しました。

ちなみに、兄は独身。横浜に住んでいました。

今回、介護に対して、私のキャパオーバーは明らかになったので、兄に「神戸に戻って来れないか」という相談をしました。すると、すんなり転居してきたのです。

最初は私が大変なのを理解して、協力してくれていたのですが・・・しばらくすると、全く介護をしなくなりました。

問題は「介護」という概念を共有できているか

ということだと思い至ります。
現状、兄がしていることといえば「食料の買い出し」のみです。確かに、ご飯を食べさせることは重要なことですが、食料を届けるというだけなら、ネットスーパーを頼めば良い。

私がしていること一覧

  • 家賃や年金の管理/公共料金の支払いなど経理全般

  • トイレの掃除(トイレットペーパーを所定の場所に補充する/床の尿吸収パットの取り替えと清掃/親が便まみれの手で触ったところの拭き掃除)

  • 部屋の清掃全般

  • 洗濯

  • 洗い物

  • デイケア報告書を読み、連絡帳へ記載事項を書く。費用の振込業務。

  • 通院同伴/薬受け取り/毎日の薬の管理(小袋に日付と両親の名前を記入してデイケアやヘルパーさんに飲ませてもらうように手配する)

  • 着替え(紙パンツの交換及びお尻拭きなども含む)

  • 入れ歯の掃除

  • シーツ交換/布団干し

  • 入浴補助

  • ケアマネージャーさんとの連絡/会議

この非対称というか、業務の不均衡がストレスです。

「お兄さんに半分任せてしまえば?」

って思いますよね? 妻も友人も最初はそう言っていました。

私自身も当初はそう思っていたんです。でも、無理だと気づきました。

実は、兄は全く忙しくないんです。無職ですから。
だから当初は「平日は任せてしまいたい」と私の意思を伝えました。

すると兄は「俺もそのうち仕事に就くからそれは無理だよ」と言いました。

いや、俺、普通にレギュラーで働いているけど、これだけのことを最低週に4日はしているんだけど。。。

ではしょうがないということで、「洗濯物の取り込みをよろしく」とか「デイケアのカバンから洗濯物を洗濯機に入れておいて」とか「買い出しはよろしく」とかって話になるのですが・・・それがほとんどできません。

そして、その発言から2ヶ月過ぎて、兄はまだ働いていません。なのに、来る回数が減っている。ただ、困ったことはそれだけではありませんでした・・・

金銭感覚の違いは致命的

ということに今は特に困っています。
両親は2人とも90歳前後です。年金の額も決まっています。私が買い出しをしていた時は、2人で月額4万円くらいの食費でした。多くて5万円。スーパーのセールを狙ったりしていました。
ところが、兄の領収書を見ると、2週間で7万円とか使うのです。びっくりして、「1日の食費の目安はいくらくらいだと思っている?」と尋ねると、「え?1日1200円から1500円くらいじゃないの?」と平気で言う。それだと2週間で2万円前後になるよな?と言うと本人もビックリしていて、自分の計算のおかしさに気づいた様子でした。

まずもって、両親にはお茶とかを飲ませたらいいのに、自分がコーラが好きだからと冷蔵庫にはコーラが陣取っており、それを飲ませる。その時点で単価が高い。

業務スーパーが安いと知ってから、大量に買ってくるが、それは大量だから安く思えるだけで食べきれないものを捨てていたら割高になる。

高齢者に、焼豚と牛すじ煮込みのメガパックばかり買ってくる神経が理解できない。

介護の「領域」と「閾値」が違いすぎる

先に書いたように「介護」をするという目的は一致しているのに、実際にお互いが行っていることが異なります。つまり、概念が共有できていないのです。

兄は以前は朝のデイケアの送り出しに来ることがありました。
私がその時間帯に「デイケアで持たせるものをバッグに入れる」「体温を測る」「コメントを書く」「薬を入れる」という作業と同時に、トイレ掃除・洗濯などをしていても、兄はリビングで両親と一緒に椅子に腰掛けてテレビを見ていたり、スマホを見ていたりすることが多く、いざ着替えなどをする時も私に「そろそろ着替えさせる?」と尋ねてきます。(余裕あるなら、着替えさせてくれたらいいのに。)

極端な表現をすれば、兄にとっての介護とは「親と一緒の時間を過ごす」ことがある程度できていれば良い、という感じです。

ただ、その裏にある様々なタスクは誰かがしなければならない。そこに思いを至らせていない、という感じでしょうか。

だから、自分も一緒に食事していても皿を洗わない。自分しかタバコを吸わないのに、その吸い殻を処理しない。親の着替えをさせたとLINEしてくるものの脱いだ服を洗濯機に入れてないからヘルパーさんは洗えない(洗ったものかどうかの判断はヘルパーさんはしない)。その分、私の家事が増えているということに気づかない。

見えている範囲が全然違うんですよね。

それと、閾値が違いすぎます。

両親は失禁したりします。座布団は毎日洗っています。それくらい汚れているからです。(察してください。)

でも、兄は平気でそこに座ります。私にはありえないことなんです。
つまり「汚れ」についての閾値が違いすぎるのですね。

だから、便のついた手で触った棚や机や照明スイッチなどを私は毎日除菌しながら拭いていくのですが、兄は全くそのタスクの必要性を理解しないのですね。なぜなら「気にならないから」

全部、できていないことを伝えたら?

と思いますよね。これが厄介で・・・なぜ無職かと言うと、鬱で仕事を辞めたから。辞める時には上司から私に直接電話がかかってきて泣きつかれるくらいの状態でした。(いろいろ「やらかした」。)

結局、鬱の兄への配慮も生じてしまったわけです。

問題なのは、介護に来ない理由が、「意図的に弟に任せよう」と思っているからなのか、「起きれない」からなのか、「どうでも良くなった」からなのか、どうなのかが良くわからないことです。
要は、私にとって不確定要素が一つ増えたわけで、その分のストレスが増えました。
結局は、まだ「1人で戦っている」状態です。

兄と分担する予定で、親のデイケアの日も増やしたのですが、増えた分、私の負担が増えたので、減らそうかとケアマネさんに相談しようかと思っているところです。

④共感しあえる「仲間」は必要なのだろうな、と改めて思った

ということで、私の状況をただ書くだけというnoteになってしまいました。
ただ、もっと大変な方もおられると思いますし、私だけが大変だと言いたかったわけではありません。

最近、あるYouTubeチャンネルを知りました。(https://www.youtube.com/@mushock3.hahacaigo)その方も、お母さんの介護のため職を辞めて実家暮らしとなったとのことでした。コメントなどを見ていると理知的で博識な方なのではないかなと思います。
彼も含めて「働ける人」がその機会を失われている現状は一つの大きな社会問題だと、私も家庭という枠を超えて思います。
兄が来て少し安心した時期もありましたが、やはりこのままでは出張や朝の業務は予定が入れられない状況です。
世の中で、このような思いをされている方がもっといっぱいいらっしゃるのだと思うと、途方に暮れてしまいます。

最後に・・・自分自身が人に介護してもらわないといけないようになるのが、最近は非常に怖いです。この介護の経験を通じて、自分の「老い」と向き合う機会としたいと思います。

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