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【歴史本の山を崩せ#044】『東条英機』一ノ瀬俊也

≪戦前日本最大のヒールから学ぶべきことは≫

歴史上にはヒール(悪役)というイメージが強い人物がいます。
戦前日本でいえば東条英機がその代表格でしょう。
その知名度に比して一般向けの評伝があまりないなかの新書です。

その性格は執念深く、視野が狭いところがあるが、真面目一徹で自分に課せられた役割に対しては愚直なまでに忠実。
平和な時代であれば教科書に名前を残すことはなかったかもしれませんが、官吏として非常に有能な人物であったことは間違いないでしょう。
東條に対する批判に「思想がない」というものがありますが、これは彼が能吏であることの裏返しともいえます。
ただ、国の最高指導者には能吏であることだけでは足りない。
本来であれば東条は総理大臣になるような人物ではありません。

陸軍も海軍も政府も、本気でアメリカ相手に戦争をやって勝てるとは思っていなかった。
しかし、軍部としては普段は勇ましいことを言って莫大な軍事予算を得ている手前、戦う前から弱気な発言はできない。
政府は政府で軟弱な近衛文麿は行き詰ってあっけなく政権を投げ捨てる。
陸軍、海軍、政府がそれぞれ勝てない戦争の開戦責任を押し付けあった結果、爆発寸前の爆弾を受け取ったのが東條だった。
このあたりの過程は「一度目は悲劇、二度目は喜劇」として再現されてしまいそうで愕然としてしまいそうになります。

東條の生涯のハイライトは総理大臣と東京裁判の時期です。
竹槍で戦う精神論、憲兵を使った政敵の排除、国務と軍政・軍令の統合で権力を集中化させた独裁者。
どれも一面としては間違いではありませんが、一部のイメージが過剰に誇張されたものもあります。
国民世論の支持を取り付けるために相当腐心していたり、ライバルである海軍の要求も、可能な限り陸軍のリソースを切り崩してでも応じていることなど、「独裁者」らしからぬ意外な側面も描かれています
また、東條はかなり早い段階から航空戦力の重要性に着目していました。
その増強のために突破しなければならなかった明治以降、蓄積してきた国力の問題、政治体制、組織の力学の問題を解決するだけの力量をひとりの軍人出身宰相に求めるのは酷というものか。

帝国日本が戦争責任を問われることは至極当然ではありますが、戦後の日本が史実に向き合い、十分な検証が行われてきたかというと残念ながら答えはノーでしょう。
これはアジア太平洋戦争を「聖戦」と見做す歴史修正主義者だけではなく、軍部の暴走と無能な政府に責任を回収させて自らは声高に平和を唱える反戦主義者にも少なからず当てはまります。

戦後日本は大日本帝国の否定からはじまりました。
検証を経ずに語られるアジア太平洋戦争・大日本帝国の過ちは「神話」であって、「歴史」ではありません。
いうまでもなく当時の軍部にも政府にも責任があることは間違いありません。
しかし、彼らの所業・事績に歴史的な評価(それが肯定的なものであっても、否定的なものであっても)を下すためには「神話」ではなく、「歴史」をエビデンスとするべきです。
東條英機が纏うヒールのイメージはその象徴ともいえるのではないでしょうか。
「神話」ではなく「歴史」に立脚した上での検証を行わない限り、戦前日本から正しい歴史的教訓を得ることはできないと強く思います。

『東条英機』
著者:一ノ瀬俊也
出版:文芸春秋(文春新書)
初版:2020年6月
本体:1,200円+税

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