そしてジジイはマイクを捨てた
以前カラオケスナックへ行った。スナックは雑居ビルの4階にあった。もちろん個室はないので、歌ったらスナックにいる全員に聞こえる。
私の向かいのテーブルには、おじいさんが座っていた。おじいさんは、ギリギリ青年に見えるくらいの男性と2人で来ていた。
おじいさんとギリギリ青年は、たくさんカラオケを歌っていた。おじいさんは、おじいさんの割に若い曲を歌う。加山雄三などは歌わず「ワインレッドの心」などを気持ちよく歌っていた。
歌えば歌うほどに、おじいさんの気持ちよさは高まっているようだった。私は、もうすぐ満潮を迎えるんじゃないかと、ひそかに予測していた。
そんな中おじいさんは、ゆずの「栄光の架け橋」をオーダーした。これまたおじいさんの割に若い曲である。
ギリギリ青年が「奇跡の星」を歌い終わり、マイクがおじいさんの手に渡っった。
「栄光の架け橋」が流れ始め、おじいさんも歌い始める。サビへ近づくにつれ、おじいさんの声量が上がっていく気がする。
マイクを強く握りしめ、サビにどんどん近づいている。そして気のせいではなった。明らかにおじいさんの声量は上がっている。サビはもう目の前だ。
「いくつも〜の〜!」
すごい声量。グッと目をつぶりサビを歌い上げる。
サビが終わってもおじいさんの声量は衰えない。次のサビに向かってますますアクセルを踏んでいる。おじいさんにはブレーキなど搭載されていないのだ。
まもなく2度目のサビ。どれほどの声量が待っているのか。期待せずにはいられない。おじいさんの高ぶりも最高潮だ。さあ行け!おじいさん!サビに突入だ!
「もう〜これいらね!!」
おじいさんはマイクを投げ捨てた。
「いく〜つ〜も〜の〜〜!!」
バカみたいな声量。大股開きでソファーに腰掛け、大声を上げている。もうマイクは持ってない。空いた手で自ら拍子を取っている。まさしく豪傑。
「すみません、マイクは投げないでください」
そしてボーイさんから注意を受けた。
「え!?ダメなの!?」
そりゃダメだろ。おじいさんはボーイさんの注意に不服そうである。
「もういいよ!」
おじいさんは怒ってしまった。店員に会計を投げつけ、店を出ていった。ギリギリ青年は「ごめんね〜wごめんね〜w」と恐縮しながら続いて店を出た。
「ジリリリリリリ!」
おじいさんたちが出て行った数秒後である。非常ベルが店内に鳴り響いた。非常ベルは雑居ビルの入口に設置されている。
「おじいさんが腹いせに押したんじゃないか」
客も店員もみんな同じ見解だった。なんてジジイだ。
ジジイはスナック全体の非難の的となった。スナック中が怒りに沸いている。
私は正直めちゃくちゃ面白かった。
「マイクを投げ捨て、大股開きで歌うクソジジイ」
「栄光の架け橋」を耳にするたび、この光景が蘇ってしまう。
TVなどで「栄光の架け橋」が流れる場面はけっこうある。だいたい感動の場面である。私はもう、そんな場面で感動できない。やってくれたぜクソジジイ。
スナックはけっこうな混乱具合だった。非常を知らせるけたたましい音。怒りに沸いた人々。カラオケの採点画面は「63点」を表示している。モラルは0点だったのに。
私からいくつもの感動を奪ったクソジジイ。ただひとつ、声量だけは100点満点だった。